カテゴリー別アーカイブ: 美芽の“呂”観劇録

扉を開く――2002年ゴスペル・イン・文楽によせて

森田美芽

 二度目というものは難しい。一度目は何もかも手探り状態で、上演すること自体が奇跡のように思われた。二度目はそうした努力や苦労の一切が、いわば「当たり前」になってしまって、その上で前回より以上の成果を求められる。その意味で「ゴスペル・イン・文楽」もまた、大きな試練を受けた。しかしそれは、一度目に増して「扉を開く」こころみとなった。その意義を記しておきたい。

 まず、前回は英大夫自身が主催者であり、文楽の仲間とキリスト教会始め多くの支援者たちのいわば手作りの活動であった。今回は熊本、東京、大阪、その全てが主催者も公演形態も異なる。
 熊本では、地元のカトリック・プロテスタント双方の教会が協力して「ゴスペル・イン・文楽実行委員会」を結成し、教派を超えた協力体制の中で「巡礼阿波の鳴門」と「ゴスペル・イン・文楽」を上演した。つまり教会の伝道活動の一環として、またキリスト教の日本文化への受肉の試みとして位置づけられた。
 東京では、紀尾井ホールと英大夫の共催で「団子売り」と解説そして「ゴスペル・イン・文楽」。これは紀尾井ホールが従来やってきた文楽の実験的試みとしての延長線上にあるものと考えられる。
 そして大阪では、ヘップホールの「現代に生きる古典シリーズ・落語と文楽のあやしい関係友情編」とされた。これは古典芸能を新しい感覚で見せる伴野久美子氏の先鋭な企画力によるものだが、ここでは古典芸能を深く掘り下げることで新しい可能性を見出そうとする主題が見出される。
 実はさらに、この間に国立演芸場の企画で、「日本の話芸に見る聖夜」の中で、素浄瑠璃で「イエスの生涯」を語っている。これが「国立」でなされたこと、さらに彼の「ゴスペル文楽」なしには成り立たない企画であったことは見落としてはならない。
 キリスト教と日本文化、古典としての文楽と新作としての可能性、ここにはあまりに多くの要請がある。そして二度目であるゆえに、前回見た人が足を運んでくれるとは限らない。そんな不安の中で、熊本、東京、大阪での8公演すべてが大入りであったことは特筆に価する。そしてそれ以上に、今回のゴスペル文楽が開いたものは、新たな可能性の扉である。

 私が見たのは12月24日、大阪ヘップファイブホールでの最後の公演。まず落語の桂吉朝氏との対談、というより吉朝氏が司会者となって英大夫にゴスペル・イン・文楽の意義、内容などについて実に柔らかく語らせる。吉朝氏は2年前の「落語と文楽のあやしい関係」以来のお付き合いと聞くが、相手の力を認め、相手を尊敬し、その相手の力を引き出すなんと見事な話芸であろう。
 2人の間には水墨の手を連想させる鮮やかな絵。これはプロデューサーの伴野氏の作品であろう。そのシンプルさと勢い、気品の高さが、この二人の静かな、されど力ある者同士のぶつかり合いになんとふさわしいことか。
 そして「ゴスペル・イン・文楽」。幕開きは今回新しく創作された受胎告知の場面から。
 マリアの登場。なんと生き生きとした娘であろう。マリアは14,5歳の乙女であったと想像されるが、婚約した喜びに輝きながらも子供らしさを残し、おきゃんなところも感じさせる当たり前の娘。それが突然、過酷な運命に見舞われる。地にひれ伏し、意を決して立ち上がる。そのときマリアは乙女から一人の人間になった。
 そしてイエスの誕生。我が子を抱き上げ、頬を寄せる。母となったマリア。その凝縮された時間の中に、マリアの人生が表徴される。少女・人間・母への変化を、清之助は見事に表現した。
 イエスの成長と物語を、ナレーション風に処理し、下手につめ人形一体で表現する。桐竹紋秀は巧みにその詞を人形で伝えた。
 嵐の海の場面。稲妻が走り船はゆれ、大嵐にうろたえる弟子たち。そこにイエスが登場し、手を上げて嵐を静める、神としてのイエスの力強さを示す。「汝らの信仰はいづくにありや」と問う。威厳に満ちたイエス。このあと再びつめ一体でのナレーション。

 最後の晩餐からペテロの裏切り。最後の晩餐をイエス一体で描く。無論ただ一人でも、紋寿のイエスは弟子への眼差しひとつ、連行される時の体の向き一つでそのシチュエーションを納得させる。紋豊のペテロは、なんと一途でなんと哀れな男であることか。このペテロの叫びが見る者の心に同化する。人間くさい、わたしたちの代表のような小心者のペテロ。
 十字架のイエス。ここもいわば十字架の苦悩を象徴的に表現する。「山に立ちたる十字架の」という地の文と、「父よ彼らを赦したまえ」という詞の部分との見事な連結が、イエスの悲劇を導いていく。「一天にわかに」から「我が神我が神」の叫びは、何度聞いても圧巻である。イエスの血を吐くような叫びを、英大夫は力の限り語る。「我が霊を汝の御手に委ねん」でがっくりと落ち入る。その死によって十字架が完成される。
 復活。イエスの弟子が3日目の朝の出来事を説明し、ペテロとイエスの再会となる。しかしペテロは恐れおののき、復活を信じることができない。イエスの手に触れ、初めて信じる。このペテロは疑いのトマスとは違う。トマスは自分を信じていた。しかしペテロはイエスを裏切った自分への負い目がある。その負い目を、イエスが癒された。ペテロにとっての復活の意義は、まさしく裏切った自分が赦され、再びイエスの前に立てるようになることであったのだ。それが彼らが世界中に遣わされて行くことへとつながる。それは、ここから。この赦しと癒しのメッセージからクリスマスが始まっていることの象徴でもある。マリアも登場し、光の中でのフィナーレ。
 初演に比べ、各場面での洗練度は増し、劇的な起伏も見せ場も増えた。舞台装置も効果的であり、背景からの出がどれも印象的であった。
 太夫が3人になったことで、声に厚みがで、表現に奥行きがでた。貴大夫は無論だが、新大夫が予想以上に健闘していた。ただ、筆者の主観であるが、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は一人で語った方が、イエスの神に見捨てられた絶対的な孤独を伝えられるのでは、と思った。
 三味線も清友が確かな技量で大夫陣を支え、喜一朗は的確に前に出る音でサポートした。
 しかしこれほどの成果を得ながら、さらにと望んでしまうのは酷であろうか。もしいいうるとすれば、写実と象徴を使い分けてイエスの生涯の何を表現するのかによって、「ゴスペル・イン・文楽」は今後大いに変わってくる。共に生きるイエス、身代わりとなったイエス、罪に打ち勝ったイエスという、その生涯にわたる主題に明確に迫る表現が、語りと、人形の間で、また人形同士の間で、また違った可能性があるように思われた。
 特に復活の場面は、まだまだ洗練の余地があるように思う。それはまさに、「型」をつくる作業である。
 「ゴスペル・イン・文楽」が開いた扉・・それは、カトリックとプロテスタントの間にある扉であり、日本の文化とキリスト教の間の扉であり、古典と現代という扉である。そしてその相反する2つのものを繋ごうと無理やり折衷するのでなく、文楽としてもキリスト教としても、一見対立するものが、これ以外にはないという形で深められたからこそ、その深い一致点を見出すことができたのだ。
 彼は自ら、「神は自分に太夫としての修行をさせるためにゴスペル・イン・文楽を与えられた」と位置づける。妥協を許さない過酷な文楽修行、二神に仕えることを許さないキリスト教、彼の中でそれは共に、なくてはならない生命の本質である。なればこそ、彼の信仰は、内心に隠すものでなく、彼自身の天職によって語られ、公けにされねばならなかった。
 その唯一の魂の表現であるものが、どうして魅力的でないはずがあろう。多くの人を巻き込み、力を受け、より大きな力として人々の魂に食い入っていく、その中で私たちは、私たちの隠れた自分の心と出会い、より自分自身に近くなっていく。今回のゴスペル文楽を見た人は、ある人は亡き人への思いを感じ、ある人は言葉の背景に思いを寄せ、ある人はペテロに自己投入していく・・様々な思いをこの場で共有し、共に喜ぶことができた。観客一人一人がより真実な自分自身をこの劇空間から携え、思いを新たにして帰ることができた。ゴスペル・イン・文楽の魅力はそこにある。見る者が、いまこの芸術的創造の場に居合わせ、自ら参与するものとなり、そこに新しい創造の世界が生み出される。ゴスペル・イン・文楽が開いてくれた扉、それは私の心のうちにあったのだ。

 その可能性は、さらに国際的にも広がるだろう。今回、大阪公演で特筆すべきは、外国人の若い観客が、当日券を求めて並び、用意された英訳の床本をもとに楽しんでおられたことだ。それが普遍的なことであれば、必ず通じる。文楽自身にそれだけの底力があり、聖書という普遍的主題と出会うことで、新たな創造の扉が開かれた。それは文楽自身の歴史にも、大きな意味を持つであろう。

菊の雫 響く夢――2002年11月公演によせて

森田美芽

 個人的には、特に菊の花を好きなわけではない。しかし、舞台での菊の花は、その凛冽 たる気品と、その露に千年の齢を得るといわれる霊力で、神秘的なあでやかさを持つ。
 舞台で愛でられるもう一つの花、桜のはなやかに浮き立つ思いとはかなさとは異なり、現実 の只中に、ふと異次元に立つ自分を目覚めさせられるような感覚。
 11月の文楽公演『鬼一 法眼三略巻』と『近頃河原の 達引』を見ながら、なぜかその舞台に、馥郁たる菊の香と、裏 長屋にこもる生活の匂いともいうべきもの、実際にはしないはずの香りと、そうした感覚 を目覚めさせられたように感じた。

『鬼一法眼三略巻』
 「清盛館兵法の段」津国大夫の一声の力強さ、わるびれなさ。咲甫大夫の張りのある、勢 いある声に思わず身を乗り出す。南都大夫はうまく役柄を表出するが、この人の本領はこ うした役柄だろうかとも思う。貴大夫、「しかるに平相国清盛公・・」以下の重みある流れ はさすが。
 喜左衛門の三味線の緩急を心得た間がしっかりと舞台を支える。文司の清盛、 大きく遣う。次の課題は器量の大きさを表現することか。勘緑の広盛、策士で自己保身を 忘れない曲者ぶり。湛海は玉輝、確かな技量を見せる。清之助の皆鶴姫、気品に満ち、し かも凛として武芸に秀でた娘の美しさ。
 「菊畑」前咲大夫―富助。鬼一と智恵内の腹の探り合い、狡猾というより底の知れなさを 感じさせる強さ、咲大夫の実力を十分に発揮した。富助の集約された力の三味線。その風 格、義太夫の骨格の大きさに圧倒された。

 後、英大夫―燕二郎。虎蔵と智恵内の詞に若男と源太の色気が薫る。
 「女子に好かれるは うれしゅうないか」は実に意味深に感じさせる。牛若と智恵内の、ほのかな関係を感じ取 っているようで。詞の奥からあふれてくる充実。鬼一の詞の底強さは咲大夫に一歩譲るが、 娘の幸せを思う父の情愛を聞かせてくれる。
 そして出から段切れまでの、時代物の一幕を 作り上げる集中力の持続を感じた。終わりの一瞬まで、それは私を惹き付けて放さなかっ た。安易な感情移入ではない、それでいて各人物の人となりを、感情を、残さず把握して 描ききる、造形力の深さ。英大夫は、また一歩、着実に階段を上ったように思う。
 そして 燕二郎の三味線の充実。菊の雫したたるばかりの瑞々しい色気薫る始まりから、段切れの 畳み掛ける気迫の音色まで、息もつかせぬ鮮やかな音色は特筆に価する。

 玉女の智恵内、凛々しく思慮深い仕草。簔一郎の腰元木幡、出すぎず形良い。文吾の鬼 一法眼、人物の位、貫録、さすがと思わせる。文雀の虎蔵実は牛若丸、瑞々しい色気のも ならず、若武者にして源氏の大将となるべき位を感じさせる。皆鶴姫の恋の一途さもむべ なるかなと思わせる。そして清之助の皆鶴姫のあでやかさ、可憐さ、恋に見せる積極性と 娘としてのいじらしさ。彼はここ何年かで、何人の姫を遣い、しかもその一つ一つを的確 に演じ分けたことだろう。

 それにしても、義経伝説の数ある中で、あまりわかりやすいともいえない一段を、こう も説得力ある舞台に仕上げた彼らの実力には、ひたすら敬意を払う以外何ができよう。

 『近頃河原の達引』
 「四条河原の段」松香大夫、清友。松香大夫は地味だが誠実な語りで短い場面で的確に人 物を浮かび上がらせる。清友は忠実に三味線の役割を聞かせる。この場面、京都四条河原 の闇、ほのぼの明けて行くその時間の重みを感じた。官左衛門を遣った玉也、こうした悪 のいやらしさを見事に表現する。玉佳の仲買勘蔵、確かな存在感。井筒屋伝兵衛を遣うの は紋豊、芸域の広い人だが、こうした無力な二枚目を遣わせるとまた一味違う。単なる「金 と力はなかりけり」ではなく、町人でありながら武家の争いに巻き込まれ、殺人を犯して しまうという運命に振り回される人間の悲しさを感じさせる。廻しの久八を遣う玉志、こ の人も最近とみに地力を発揮してきた。

 「堀川猿廻しの段」住大夫、錦糸、ツレ清馗。赤貧洗うが如き、という言葉の意味を、今 の日本人の大半は想像もできないだろう。だが住大夫の語りのはしばしに、そんな暮らし の匂い、ともいうべきもの、感覚的にそれらを納得させるものがある。貧しく、一家が肩 寄せあってかろうじて生計を立てるという暮らし、裏長屋の生活の匂いとでもいうべきも のが確かにある。そんな暮らしの中で、人の情け、実直さというものの意味が迫ってくる。 確かに活きている人間の真実な姿である。錦糸の三味線はむしろ洗練された匂いかもしれ ないが、その響きの心地よさ。清馗は勢いあるツレを聞かせてくれた。

 後、千歳大夫、清介、ツレ清志郎。千歳大夫は与次郎の詞がよい。貧しさのゆえに、好 人物なるゆえに、悲しみも滑稽さになるその人物を納得させる語り。清介の、あれこれ言 う余地もない見事な三味線。清志郎は精一杯ついていこうとする若さとすがやかさ、いつ か彼が本役でこの三味線を弾く日が来たらと思わずにおれない。

 簔紫郎の遣う娘おつるの愛らしさに客席がわく。玉英の与次郎の母のあわれさ。簔太郎 の与次郎は今日の眼目。たっぷり見せて笑わせ、泣かせる、笑いと泣きが一体になる、そ うした与次郎を見事に遣った。娘おしゅんは和生、下級女郎にしては上品過ぎるかと思っ たが、まめやかな貞女として遣った。愛らしい小猿は勘緑ときく。

 今回、体調が整わず、舞台をじっと見ていることができないとき、しばしば目を閉じて、 三味線の充実、それぞれの心に託された音のバリエーションの美しさに耳を傾けた。三味 線は、太夫を語らせ、その最もよいものを引き出す良き助け手であることを、しみじみと 感じた。
 響き合う音色と声。その豊かな深まりが、物語の奥行きを、手ごたえを、作り物 の舞台に真実な花を咲かせ、あるはずのない香りを生み出す。その心地よい律動に身を委 ね、ふと思いをはせる。彼らの10年後、20年後に託された夢を。

 時間が取れず、『御所桜堀川夜討』『冥途の飛脚』を十分見られなかったことが残念でな らない。そして去年の秋、そこには越路師匠がいて、舞台を見守っておられた。2年前、鶴 沢八介は元気で舞台を勤めていた。3年前の秋、呂大夫がそこで語っていた。刻々と刻まれ ていく時の重さをかみしめつつ、またこの1年を送る。

「累物語」異聞――2002年夏公演によせて

森田美芽

 伝統芸能にいくつかの系譜があり、その中の「かさね」は、女の顔が醜くなったために、 雨の降りしきる土手で女は鎌で無残に殺されるという伝承を持っている。
 この物語には、 出世を願う男の身勝手、もとは誰よりも美しかったゆえに、死霊の恨みで顔が醜くなり、 片足を引きずるようになった女の変貌、鎌を使った殺しというモチーフがあり、歌舞伎で は当代の坂東玉三郎があまりにも有名である。
 これに対し、文楽の「かさね」は、男の誠実、女の献身を軸に、にもかかわらず悲劇に いたるという点で興味深い。
 「薫樹累物語」を2度見た。充実した舞台である。これを見ることのできた幸いと、に もかかわらず客席の寂しさとのアンバランスがなんともいえない。

 「豆腐屋の段」掛合で語る。松香大夫が絹川谷蔵、三輪大夫がかさね、津国大夫が兄三 婦、咲甫大夫が高尾の亡霊と講中、つばさ大夫が講中。三味線のシンは団七、ツレが団吾、 龍爾。バランスが取れ、それぞれによい役場を作り出す。絹川の侠客としての志、三婦も また市井の男伊達。かさねは恋に一途な純情さと、自分を好きにならないはずがない、と いう自信。
 力士の絹川が、主君のためと傾城高尾を殺す。追われている彼が逃げ込んだのは、高尾 の兄と妹の家で、まさに高尾の供養の真っ最中。兄三婦はそれと気づくが、かさねはかつ て自分を助けてくれた人とどうしても添わせてくれという。その一途さに兄も承諾するが、 殺された姉高尾の亡霊が現れ、かさねの顔を醜く変えてしまう。
 文吾の絹川、力強さと無骨、一度約束したからは、顔かたちが変わっても、という男の 誠実を匂わせる大きさ。簑太郎の三婦、検非違使かしらの沈着と男気を現す。的確な人物 像に迫る。文雀のかさね、かさねは自分の美貌を意識している。うぬぼれとも見える。高 尾の亡霊を遣うのは清三郎。高尾の怨念を一瞬で知らせる強さがある。
 団七はきめ細やかに人物の心の後をたどる丁寧な三味線で、団吾も津国によく合わせて いっているが、もう少し力強さのほしい場面もある。なお、初舞台の龍爾は、舞台度胸も よく、咲甫大夫のパートをかなり一人で弾いたが、よくがんばっていた。その初々しさ、 さわやかさを応援したい。

 「埴生村の段」前が英大夫、喜左衛門。三大身売りの前場。埴生村に隠棲する与右衛門・ かさね。慣れない暮らしを肩寄せ合って営む夫婦愛。かさねの嫉妬。近所の衆の心安さ。 勘緑・和右は短いながら人物に存在感を感じさせる。玉女の金五郎、与右衛門を追い詰め ていく呼吸が見事。勘寿の女郎屋亭主、軽妙でしたたか。夫のために身売りを決意するか さねの覚悟と貞女ぶり。ところが、かさねは自分の顔が醜くなっていることに気づいてい ない。そこに滑稽さ、なんともいえない皮肉がある。
 切、綱大夫、清二郎。後半、かさねが身売りの意思を女郎屋に伝え、笑い飛ばされたこ とで、初めて彼女は自分の醜さを知る。好意の第三者の残酷さ。

 「土橋」の前は文字久・宗助。文字久は言葉が強くなった。宗助はバランスよい響き。 金五郎に引かれての歌潟姫の美しさ。先々月の苅屋姫となりかたちは同じはずなのに、ま ったく別人であると瞬間的に悟らせる。しかしなぜ彼女が都にありながら下総まではるば るやってきたか、今ひとつ納得できない。
 稲村にかくれてかさねが金五郎と歌潟姫の会話を聞き、嫉妬に狂う。どうして自分をこ こまで愛してくれた与右衛門の真実を理解できないのか、そこにかさねという女の悲しさ を見る。それは男の論理に過ぎない、と彼女は主張しているのだ。
 彼女は義理からではなく、心から愛してほしいのだ。彼女には愛される自信があった。「の しほ」に匹敵する美貌が。ところがそれが失われたことを知ったとき、彼女は夫に愛され る自信を失った。そして歌潟姫の若さと美貌を前にして、自分の存在が崩れていくような 思いをした。なぜ与右衛門を信じられないのか。自分が美しくないにもかかわらず美しい という思い込みを支えてくれた与右衛門。だが彼女の心に忍び寄ったのは、自分より美し い姫を迎えるという与右衛門の言葉。もし彼女が美しくなかったなら、ここまで美しさに こだわることはなかったかもしれない。彼女は美しい自分だけを信じていた。だからそれ が失われたことを知ったとき、自分を恥じて死のうとした。
 彼女の愛は自己愛に過ぎなかった。美しい自分を、その自分を愛してくれる者への愛に 過ぎなかった。その彼女をもうひとつ突き動かしたのは、序幕に登場した、姉、高尾の亡 霊である。彼女は姉の敵を愛していた。姉の恨みを知りつつ、姉を殺した男を愛した。姉 妹の情よりも、恋を選んだ。しかしここで思いは姉とひとつになり、姉の恨みと二重化さ れた思いが彼女の形相を変えた。段切れ、本水を使っての立ち回りは迫力満点だが、この かさねの恨みと与右衛門の無念、人からはおそらく、醜くなった女房を殺したに過ぎない といわれるであろう与右衛門の無念さを描くカタルシスに今ひとつ届かなかった気がする。
 しかし切の十九大夫、清治は、その迫力、はっとするようなかさねの思いの変化の妙を聞 かせてくれた。

 第三部の玉男・吉田簑助の「曽根崎心中」は、どれひとつとっても欠けたところのあって はならない、珠玉の物語であった。とりわけ簑助のお初の、圧倒的な存在感に打たれた。 先月、高弟の簑太郎、清之助のお初を見て、それぞれに納得させられたが、正直言って、 これはもはや世界が違うのだ。簑太郎も清之助も美しく、見事な解釈と人物像を納得させ たが、簑助のそれは、もはや何が違うとか、どこがよいとかの分析を超えて、そこにお初 という人物を存在させてしまう。そう、徹頭徹尾「お初」に他ならない人物が、そこにい る。そのことにまずため息をつく。お初を演じるとか遣うというレベルでない。お初はこ れ以外に考えられないというあり方なのだ。そのすべての場面、指先まで、お初という人 間が生きていたら、そうでしかありえないような、そういう動き方なのだ。
 対する玉男の徳兵衛も同様。男気も、やさしさも、ちょっと気を持たせるところも、主 人に向かってお初のことをどう告げたか、すべて想像できるほどなのだ。
 この二人による曽根崎を見ることができたという幸福をひたすら神に感謝せざるをえない ほどに。
 床は、「生玉」が伊達大夫、富助。伊達大夫の語りもそう。どこにも余分な力の入らない、 それでいて人物の心の動きまで、分析するのでなく納得させるような、自然体の語り。富 助の三味線は、色鮮やかに、華やぎある雰囲気と、人物の心の動きに沿った音色を聞かせ てくれる。
 「天満屋」は住大夫、錦糸。隅々まで、全てに目配りの行き届いた、それでいて呼吸す るように自然な「天満屋」を聞かせてもらった。錦糸の音色は、また一段と深く艶やかに 響く。
 「道行」は、お初を咲大夫、徳兵衛を千歳大夫、そして南都大夫、三味線は寛治、弥三 郎、喜一朗ら。咲大夫のお初というのは珍しいが、余裕を感じる。千歳大夫の徳兵衛は、 高音部に課題を残すが、誠実な人物像を匂わせる出来であった。寛治の率いる三味線は、 この場面にふさわしい悲劇的な美しさの要求に十分答えた。
 昼の「薫樹累物語」と夜の「曽根崎心中」を比べてみると、人が何に感動するのかがよ くわかる。全体としての出来が悪いというのではない。だが、「累物語」には救いがなさす ぎる。たとえば、歌潟姫はあのまま死んでしまったのかと思う人が大半であろう。(実はお 守りの力で助かるのだが)そしてあまりにも累がエゴイスティックに見えて感情移入がし にくい。
 それに対し「曽根崎」は、来世が希望となるカタルシスが、そこに至る純愛の過 程が見事に表現されているだけでなく、観客はそこに同調し、お初の気持ちと同化し、自 然にお初を応援したくなり、二人が重なり合って倒れると、ほっとするような気持ちにな る。舞台と客席がひとつになるという現象が起こるのである。
 私は文楽の舞台で、手抜きとか、弛緩とかを感じたことがない。
 舞台の隅々、介錯の一 人一人に至るまで、ひとつの緊張感が常に支配している。彼らのうちには、見えざる一つ の秩序が支配しており、無言のまま舞台を動かし、舞台に携わる全員が、一糸乱れずその 秩序に従っている。それが文楽のすごさであると思う。彼らがたとえ未熟ではあっても、 その芸の一つ一つに尊敬の念を抱かざるを得ないのはそのためである。
 ひとつの舞台を作 るために、全員が志をひとつにして、そのベストを尽くしている。それは舞台人としての 彼らの本領であると思う。
 しかしそれでも、観客の側からいえば、感動できる舞台とそう でない舞台が生じてくる。それが物語の質の問題であると思う。だから企画・製作は難しい というのは理解できる。「曽根崎」のような作品ばかりではない。むしろ、今の基準で言え ば、到底ついていけないような内容の作品も多い。だからといって、文楽は活きた化石で はない。脚本の質と、芸の美しさと、技芸員たちの努力という出会いが起こって、それが 最高潮に達するとき、計算ではない感動が生じる。
 それが文楽を見る喜びであろう。だか らこそ、彼らが命がけで演じているその舞台の美しさを、現代の私たちが見出せるものを、 一つ一つ、珠玉を拾うように見出していけたらと私は願う。それができる、それを見出せ ることが、文楽が今日の芸術であることの意義だと思う。

豊竹呂大夫を偲ぶ――私らが受け継ぎ得るもの

9月9日を前に 森田美芽

 「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時・・・(聖書、コヘレトの言葉3章1、2節)

 9月9日、重陽の節句が近くなると、思い起こさずにおれない、というより、いまだ整理できない思いがこみあがって来る。
 豊竹呂大夫の3回忌を前に、あの時には語ることもできなかった悲しみと、今になって感じられる彼の存在の大きさ、これからの文楽のことなど、取り留めないまま書き連ねておこうと思う。私には、義太夫の歴史や風を語る力はない。ただ、素人の耳にも鮮やかに残されているあの出会いの意味をもう一度考えてみたい。

 この夏、日本を離れ、日本語を耳にすることも使うこともない環境で、彼の「道行初音旅」を聞いたとき、その日本語の美しさと力強さに、改めて感嘆させられた。
 力と気品、そして古典としての厳然たる規矩を供えた語り。言葉が詩となり物語となり、目前に海が広がり、あまたの兵船が赤幡に彩られ、陸には白幡が翻る、絵のような風景がさっと広がる。
 血なまぐさい戦いが、もののふの凛然とした戦姿とその潔さに変わる。そうした言葉の魔術のような義太夫節。さらに、それが彼の30代でなされた業績であることを思うとき、さらなる感嘆の念を禁じずにおれない。
 言葉の意味と、音と、感情がひとつになり、物語を形作る、古典としての文楽の厳しさと風格、そして何よりも、確かな技術に裏打ちされた魅力的な声。
 そこには、われわれの先祖が生み出した、誇るべき文化的伝統が、厳然として現代に存在しうる、その理由の全てが存しているように思えた。
 その彼の最後の日々に間に合ったことを幸運を呼ぶべきであろう。たった一度耳にしただけなのに、それはいまも、心に迫る深い充実と内容を持っている。あの「楼門」「殿中刃傷」「盛綱陣屋」「碁立」「政岡忠義」「帯屋」その「白鳥の歌」ともいうべき「国言詢音頭」・・・
 個人的には、最初に呂大夫を意識したのは、平成8年正月公演の「政岡忠義」である。この話は歌舞伎でも当代中村鴈次郎の政岡で見たことがある。
 だがそのとき、我が子を失った政岡の口説きの嘆きの深さ、「三千世界に子を持った親の心は皆一つ」という、知っていた筈の言葉が痛く胸に突き刺さり、いつまでも消えないような感覚に襲われた。
 それは自分自身が子を持つ立場になったからその気持ちに感情移入できたせいかと思えたが、そうではなく、感情移入させる語りのせいであったことにあとで気づいた。
 このとき私は、言葉が言葉として、その意味以上の感覚を呼び覚まし、それが聞くものの人生の感覚と重なって感動を引き起こすということを、初めて体験したのだった。
 それについて4月公演で聞いた「碁立」。歌舞伎の時には気づかなかった、人物造形の深さと時代物のスケール、強さ。きっぱりと力強いその語りが、通奏低音のように響き、切場の十九大夫・清治につながっていったのを、忘れることはできない。
 「楼門」については、それこそこれが模範演技、とでもいうものを聞かせてもらった。
 そのマクラにいくつかの型があり、そのどちらも十分に語りうると聞いた。風という形のないものに命を与える、あるいはそれの持つ意味を語りの中で伝える、それが語り手の責務であると知らされた。
 親子の情と義理のせめぎ合い、父との絆と武家の奥方の気概、相反するこれらの論理の衝突を描きつつ納得させること、時代物の大きさと課題の難しさを教えられたのもこの人の語りだった。
 晩年、体の不調を押して語っていた、その緊張がそうさせたのか、内から収斂する力が語りににじみ出て、何ともいえない迫力がこもっていた。
 あの「帯屋」の奥、前半を英大夫が、後半を彼が語り分けた、高槻の地方公演。その2日後の尼崎公演から彼は休演し、弟子の呂勢大夫が代演した。天の情けとも言うべき出会いであった。
 前半のコミカルな部分を英大夫が、たっぷりと笑わせた後の彼の、長右衛門の沈痛な述懐に、たたみかけるような燕二郎の三味線がかぶさる。この物語が、この男の秘密から始まったこと、そしていま、かつての心中相手と身代わりのように、14歳のお半との心中を決意する男心の動きが、どれほど切実に感じられたことか。
 呂大夫といえば時代物が第一に心に浮かぶが、このとき舞台は、英大夫とのコンビネーションや、吉田簑太郎らの人形の見事さも加わって、忘れがたい舞台として心に刻まれている。
 世話物の中の的確な人物描写、詞の力。
 大阪で見た最後の本格的な時代物は、99年11月の「盛綱陣屋」の後だった。この物語を、いま感動とか共感を持って見られる人は少ないだろう。
 骨肉の争い、武士の体面、わが子を犠牲にする計略、いかに時代物の名作と謳われても、進んで見たいとは思えない作品の一つだった。
 しかし、このとき、十九大夫―清治、呂大夫―富助で聞いたこの物語は、武士の論理のむごさ、家族の絆を引き裂かれるその悲しみと、意気に感じるもののふの志の潔さが、段切れの近江八景を読み込んだ詞章の中から鳴り響いてくるように思えた。
 あれが呂大夫の真骨頂であったと思う。

 そして2000年夏、「国言詢音頭」の「五人伐」の端場。あれが「白鳥の歌」となるとは、われわれも、そして本人も思ってもみなかっただろう。
 あの、けだるい夏の夜、人を狂気に陥れる廓の色恋のやるせなさ。舞台を見終えて劇場を出たところで、偶然呂大夫に出会い、思わず「ご体調はいかがですか」と声をかけてしまった。
 「あまりよくありません」と。それが私にとっては2度目の、そして最後に交わしたことばだった。
 東京公演の「忠臣蔵」の初日、彼は逝ってしまった。「七段目」の平右衛門を演じるはずだった。55歳、あまりに早すぎる死。
 どれほど無念であっただろう。あの声をもう二度と聞くことはできない。師匠の越路大夫にとっても、自分より30歳以上も年下で、将来の文楽を背負って立つはずの彼が先立ってしまうとは思わなかっただろう。
 その越路大夫も鬼籍に入り、泉下で愛弟子と、語り合っているのだろうか。

 私が呂大夫から学んだもの、それは文楽の、義太夫節の芸の深さ、底知れなさであり、それが同時に現代に生きる芸術であるということ、そして言葉というものの底力であった。
 300年間伝えられてきたものが、いま、生きて私たちの心を揺さぶる、それほど力ある言葉のわざであることを、これほど痛切に感じさせた人はいない。
 それは、彼が戦前と戦後をつなぐ転換点にいる一人であったからと思われる。
 呂大夫は、豊竹咲大夫、鶴沢清治らと共に、戦前の文楽の系列に直接に連なる、そしてその最良の伝統を受け継ぐ一人であった。
 英大夫らその後の世代との決定的な差は、呂大夫らは、いわば、幼少期から選ばれてその伝統を受け継ぐものとなったのに対し、英大夫らは、成人した後に、自ら発見して自覚的に選んだことである。
 社会的にも、彼らは一度、文楽以外の価値観と世界を経験し、その上で選んだ。自らのうちに、時代に背を向けて何かを作り出す、あるいは受け継ぐことを見出すことが必要だった。
 自由な社会と団塊世代の反逆の洗礼を受け、その中で文楽の価値を新しく見出し、再構築しなければならなかった。
 彼らの間の差は、入門年齢の10年以上の開きとなって表れている。呂大夫と英大夫は、実年齢では2歳しか違わないにもかかわらず、それが、彼らの置かれた立場を決定的に違うものとしている。

 そして何より、呂大夫の入門当時に、義太夫節は少なくとも、人々を感動させる芸として今よりずっと社会的に認知されていた。
 その価値観が崩れ、義太夫節なり文楽がその現代における存在意義を示していかねばならなかった。また、彼ら自身も、自らの受け継いだ伝統の意味を問い直し、継承していくべきものを見出さざるをえなかった。
 呂大夫の語りの中には、そうした厳しい自己への問い直しの結果継承されてきた、伝統というものへのゆるぎない信頼と確実性があったのではないだろうか。
 義太夫節のもつ体系と論理を実践の立場から確認し、そのよりよきものを、私たちの目に見える形で示してくれたという点で、彼の業績は大きい。

 呂大夫について、私の非力では、語り尽くせないことが多すぎる。ただ、生き残った者は、先立った者の意志と事業を継いでいかねばならない。
 今、英大夫に求められるのは、確かに、呂大夫のもっともよきものを受け継ぐこと、とりもなおさず、義太夫節の正統を受け継ぎ、それを次世代に伝えていくこと、そしてその成果を、社会的に認知されること、新たな文楽の存在意義を示すことである。
 彼はその大きな責任を担っている。
 この数年、彼の進境は著しく、課題とされた男性の詞の表現も強くなり、人物造形に深みが出てきた。あと一歩を望むなら、時代物の品格とスケールを備えた語りを、と言いたい。

 とりわけ正統な技術的継承については、いま、発声においても音使いにおいても、正しい技術の継承には、大きな課題がある。
 ことに太夫には。芸は風邪引きではないから、いくら汗を流してもそれだけで良くなるものはでない、といったのは岡鬼太郎であったか。
 確かに、どんなジャンルでも、正しい指導と同業のプロ集団による厳しい批判が作り出す水準の維持が絶対的に必要なのだ。
 いまの文楽で、どこがどう問題なのかは詳細にはいえないが、少なくとも、「よくやった」「がんばっている」以上の成果を聞き分けるよい観客、見巧者、聞き巧者(そんな言葉があればだが)が必要であろうと思う。これは私自身への自戒も含めて、彼らの努力を正当に評価し理解する努力が必要であろう。

 第二に、文楽の社会的意義について。
 それは、世界でもっとも美しい言語芸術のひとつであり、人類にとってかけがえのない財産であること。
 その中に、日本人が持つ義理と人情の葛藤という、もっとも普遍的な人間的主題が、見事なまでに表現されているという芸術性の高さ。
 そして、志ある生き方を示していること。
 この便利さのみを追求する世の中で、あえて50年も60年もかけて芸の完成を追及するという生き方の尊さ。それを伝えていくことが、彼らに課された責務であることを思う。
 呂大夫は、海外公演で、人々が各自の感性でそれを感じ、ダイレクトに反応してくれることを評価していた。
 彼は、文楽というものが、掛け値なしに人類にとっての普遍的な価値あるものであることを自覚し、またそれを世界に発信しうる人物であった。
 いま、私たちは、その重さを改めて自覚すると同時に、私たちの受け継いでいるものの本質を見直し、伝えていかねばならないのではないか。

 文楽は、生きた人間による、本当に一代限りの、表現低術である。それだけに、活きた形で伝承していくことは難しい。
 だからこそ出会える美しさ、一度限りの感動がある。それが単なる一時の興奮、一時の気晴らしに終わらないのは、その芸術水準の高さによる。
 呂大夫の舞台に出会えたことは、私にとって生涯の宝である。そして英大夫が、彼の弟子たちが、若い技芸員たちが、力を合わせてこの芸を守り続けてくれることを期待し、応援してやまない。
 それが、泉下にいる呂大夫と、師匠の越路大夫に報いる最高の道であろうと信じる。

曽根崎の闇を貫く――国立文楽劇場、6月「文楽鑑賞教室」より

 中堅と呼ばれる人たちの底力を知らされた。
 彼らは、伝えられてきたものを消化して現代に提示し、その感覚を共有するだけのものを備えている。
 そこに「魔」を感じさせる。
 だが、見る側に、その「魔」を受け止める力が失われつつある。それは、死をもってしても失いたくない真実が、命かけて悔いない愛があるという感性が失われつつあるということではないだろうか。

森田美芽

 「曽根崎心中」には、人を酔わせる力がある。
 ほかのどの狂言とも違う、不思議に人を引きずり込む魅力がある。観客は、いつのまにかお初と徳兵衛に感情移入し、まるで彼らと同じ情熱に引き込まれ、惨たらしい結末までも一種の陶酔感に包まれ、幕が下りてもなおその熱さが体を去らない。
 舞台と一体化したような感覚。それが、物語の分かりやすさとか、単純さという言い方はしたくない。

 それは、たった一昼夜の出来事である。
 第一、お初には、徳兵衛と心中しなければならない義理はない。
 九平次とて、徳兵衛を死に追いやると知っていたら、そこまで人を欺いただろうか。だが、理屈ではない。というより、そこに理屈を超えて、人を痺れさせる感覚が起こされる。それは、舞台の上のお初と徳兵衛だけでなく、人形遣いにも、太夫と三味線にも、観客一人一人までも巻き込んでいく、官能にも似た力である。

 そうした力を秘めた曽根崎の深い闇路を、見出すことができるかどうか。
 国立文楽劇場、6月恒例の「文楽鑑賞教室」、前後半の2部、今回初役を演じる彼らは、そうした課題を負わされている。そして彼らは、その期待に十分応えた。

 前半(B班)、簑太郎のお初のなんという美しさ。「生玉」で徳兵衛を案じて駆け出るさま、「天満屋」で徳兵衛を打ち掛けに隠して店に招じ入れるさま、九平次に悪態を返す場面、ひとつひとつ、自信に満ちた美しさにはっとする。
 徳兵衛と縁の上と下で、心ひそかに交わす約束の、なんというひたむきさ。
 そして前半少し押さえ気味だったかと思われるほど、無駄な動きをせずお初の純真さを印象付けて、「天神森」でそれらを解き放つかのように見せる動きのはなやかな美しさ。このお初にとって、この心中は、自分たちの愛の勝利だと感じさせた。
 世間に負けたのではなく、むしろ胸をはって世間を見返してやろうとさえ言っているような、この女の強さ。そしてそれに呼応するかのように、玉女の徳兵衛は、「春を重ねし雛男」を納得させる男の色気を感じさせた。
 汚れない、わるびれない若さ。九平次の悪巧みにやすやすとかかりながら、それでもひ弱さは見せない。単なるおめでたい善人ではなく、恥を知る男。
 自らは恥を漱ぐためでも、自分についてきてくれるお初に、心からの愛おしさを感じ、もはや死ぬことにためらいはない。
 それでも、いざ刃を向けたときの心の逡巡。お初を殺すことを一瞬ためらうさまに、お初への思いを感じた。両者とも、隅々まで人物が生きている、その確かさを感じる。

 そしてもう一人、玉也の九平次は、特筆に価する。その憎々しさ、粋気取り、この憎まれ役が成立しないと、徳兵衛の悲劇もお初の思いも完成しない。その点で、玉也はこの難しい役を見事に演じ、舞台を納得させた。亀次のお玉も雰囲気を納得させる。

 それに対し、後半(D班)清之助が見せてくれたのは、まったく対照的なお初であった。
 それは、やさしさのゆえに運命に流されながら、その最期に思いもよらぬ強さを見せる、簑太郎のお初とはまったく違った強さを持つ女であった。
 簑太郎のお初には迷いがない。
 彼女は遊女であっても、自分を卑下することは微塵もない。徳兵衛を愛することも、自分の愛するものにまっすぐに向かっていく強さと美しさがある。
 これに対し清之助のお初は、細やかに徳兵衛の気持ちに同調していく。もしかしたら彼女は、その親たちの苦境を心に感じて、遊女に身を落とすことを同意したのかもしれない。相手の苦しみを相手以上に感じてしまうようなやさしさのゆえに、この女はその美しさや聡明さにもかかわらず、自分を追い詰めてしまったのかもしれない。
 だから、同じ「天満屋」でも、簑太郎の場合は「わしを可愛がらしゃんすと、お前も殺すが合点か」が、清之助のお初は、「徳さまに死なれて、生きていると思いやるか」が印象に残る。
 「徳様、わしも一緒に死ぬるぞや」は、簑太郎のお初にとっては、この場でのごく自然な決断であり、清之助のお初にとっては、「生玉」の「三途の川は塞くひとも塞かるる人もござんすまい」からの覚悟が自分の中に甦ってきたように思われた。

 その官能の表現に、思わず身の奥が震えた。
 そしてあなたこなたを思いやりながらも、最期にようやく自分の意思を見出し、たとえ親を泣かせても、この恋だけは捨てることができない、という自己発見と決意が、「天神森」の「はよう殺して殺して」なのだ。
 和生の徳兵衛は、「生玉」の出のうきうきした頼りなさ、「天満屋」の沈痛な決意、「天神森」のお初を思いやる情愛と、それぞれの出に性根をにじませる、誠実さのまさる徳兵衛と思われた。

 九平次は文司。危なげないが、もう少し悪の強さを見せてもよいと思う。
 簑二郎の女中お玉、芸達者なところを見せる。

 B班の「生玉」は貴大夫、弥三郎。貴大夫は詞に不安はないが、「一つなる口、桃の酒」というような、ふくよかな色気が欲しい。
 弥三郎は的確で芯ある音。
 「天満屋」は津駒大夫、清介。お初のくどきなどは津駒大夫の最も得意とするところであろう。ただ、お初が生きるためには、九平次の憎たらしさ、おどおどする亭主、朋輩女郎の善意と気遣いなども聞かせなければならない。
 たった一言にも、その人物が出るかどうか、ここが津駒大夫の正念場ではないだろうか。
 清介の三味線は、はんなりした色町の雰囲気や、段切れの切羽詰った思いまで、見事に描き出す。
 「天神森」では始大夫がお初、新大夫が徳兵衛。始大夫は高音に課題を残す。
 新大夫も、もう少しゆとりというか、色気が欲しい。
 三味線は宗助、喜一朗ら。華やかに幕切れを作り出す。

 D班は、「生玉」が松香大夫、燕二郎。
 松香大夫は円熟した語り口の厚みを聞かせる。さりげないようで、存在感ある語り。
 燕二郎は過不足なく、妙音を聞かせてくれる。

 そして「天満屋」の英大夫、清友。一連の舞台で、初めて心底安心して聞けたような気がする。どこも危なげない。いな、その声に、言葉の一つ一つに、安心して身を委ねることができる。
 その語りにのせて、お初が、徳兵衛が生きて動き出す。
 大声を出すこともなく、長々としたさわりを聞かせるのでもない。

 だが、この名作の難しさーーおそらく、この舞台で最も難しいのは太夫であろう。
 注目されるのは人形であり、三味線は野沢松之輔の良い手がついて聞かせどころが多い。なのに太夫は、どこまでもさりげなく、しかも情を込めて語らねばならない。詞と節の一つになったような流れるような美しさと、短い詞による人物の描き分け。今回ほどその難しさを知らされたことはなかった。
 そして英大夫が、こうした近松の世話物の世界を描くに十分な備えができていることに、改めて驚嘆の念をもった。
 清友は息の合ったところで、微妙な音色の変化を十分聞かせてくれた。

「天神森」は、南都大夫のお初、咲甫大夫の徳兵衛。
 改めてこの道行きの難しさを感じた。
 南都大夫は若手では最も美しい高音を使える一人であろうと思うが、その彼にして、これほど高音部で苦しんでいる。努力家の始大夫が精一杯勤めても難しかったのが改めて納得できた。
 咲甫大夫はやや低めの音域で、言葉もはっきりと語る。
 三味線は、シンが清二郎、2枚目が団吾。清二郎はこの道行きを美しくまとめ、団吾もさわやかによく弾いた。 この舞台で、改めて中堅と呼ばれる人たちの底力を知らされた。
 彼らは確かに、伝えられてきたものを自分なりに消化して現代に提示し、その感覚を共有するだけのものを備えている。
 そこに「魔」を感じさせる。
 だが、見る側に、その「魔」を受け止める力が失われつつあることは、どうしようもない事実である。それは、死をもってしても失いたくない真実が、命かけて悔いない愛があるという感性が失われつつあるということではないだろうか。
 言葉がわからないから字幕を出す。
 しかし字幕で字の形を見ても、この厳しい義理の論理、面目を失うことの意味、言葉に出すことの重みが伝わるのだろうか。

 この国では、いったいいつから人生は、計算して設計して、成功だけを求めるものになったのだろう。
 5つや6つのころから、否、生まれる前から、決まった道を通り失敗しないようにとだけ、自分の生を計算どおり運ぶことだけを考えるものになったのか。
 時間を管理し、要領よく運ぶものになってしまったのか。
 そんな人間に、恋に狂い死ぬことは、文字通り理解不能な愚かさであろう。
 そこでは死とは、偶然招きよせられた不運にすぎないのだ。

 でも「曽根崎」の闇を貫く官能性は、私たちに語りかける。生とはそれだけで終わるものはないのだと。それは、私たちの生が、その上に立っている不可思議さであると。
 もし私たちに人生が、偶然に与えられその間できるだけうまくやり過ごすものにすぎないなら、私たちはただ死に行く身を楽しませるだけでよいのかもしれない。
 しかし、S.キェルケゴールが語ったように、私たちを私たちであるようにと定めたものがあるなら、私たちの人生は、勝手気ままに設計するものではなく、その見えざる神に向かい、その関わりの中で位置付けられるものでなければならない。その私たちの生きることの土台にこそ目を向けよと。
 生とはそこに一人一人、かけがえないものとして創造されるものにほかならない。

 そこに彼等の人生と、芸と、私たちの人生の切り結ぶ出会いがある。
 舞台で出会う一瞬の闇と光。そこに賭けた人生の重さと表現されたものの重み。

 私が彼らを愛するのは、まさにそのことを確かめることであると。人生は、やり過ごすものではなく、価値あるものに向かうその過程そのものであると。