カテゴリー別アーカイブ: 美芽の“若”観劇録

土地の力――「摂州合邦辻」の深層

森田美芽

 「合邦」は私にとって、文楽を見る原点のような作品である。
 玉手御前というヒロイン像の不可解さと強さ。それは確かに、彼女の俊徳丸への思いを恋であると一義的に決めることのできないような、人間の魂の深みを垣間見させ、魂の闇へといざなうものであった。2003年2月文楽東京公演で、初めて「合邦庵室」の前に「万代池の段」を見て、「合邦」の世界のなかに張り巡らされたさまざまな仕掛け、世界の重層性に気づかされ、胸の中に何かが動き始めるのを感じた。
 その土地の力。
 「葛の葉」でも感じた。でもそれが、近代的な親子の情に還元できるものではないように、玉手御前の思いは、近代的自我の恋愛や忠義といった感情としてよりも、より原初的な、より深層の意識の中に眠るものを感じさせる。それが存在の裂け目からほとばしり出たとき、共感と反発の入り混じったどうともいえない不可思議な思いに捕われる。
 今回は玉手御前の人物論より、作品の背景に注目しよう。「万代池の段」の背景は四天王寺の南側、伽藍のなかでひときわ高く五重の塔がそびえる。手前に俊徳丸の藁小屋と万代池。下手側にはのどかな田畑が広がる。季節は如月といわれる。
 これは写実ではなく、いくつかの意味を持った小宇宙である。その要素を1つずつ解きほぐしてみよう。

(1)四天王寺という場――救いの重層性
 まず幕開き、背景に四天王寺の伽藍と、その中にひときわ高く五重塔がそびえる。四天王寺は西暦593年、聖徳太子が蘇我氏とともに物部氏と争ったその戦いの折に四天王に祈願し勝利を得た感謝に建てられたと言われる。その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つである。つまり四天王寺の南北の軸は、こうした仏教における聖地としての意味を示している。
 しかしこの寺にとってより重要なのは、西の方角である。四天王寺の主要な入り口は今も西門側であり、そこには寺でありながら石の鳥居がある。鳥居は本来聖地結界の四門を意味する。そしてその上の扁額には、「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」すなわち「ここが極楽の東門の中心」の意を示す。
 石の鳥居のそばに「大日本国仏法最初の地」と書かれ、その奥に西門。この門には「転法輪」が付けられており、それを回すことでこの門は西方浄土、極楽へと向かっているものと意識された。昔はこの坂を下りたあたりがもう海であった。ここはまさに「極楽浄土に最も近い寺」でありそれゆえに救いにダイレクトに関わる場所として、修行者はここから極楽浄土に向けて実際に船出した。しかしそれは、この世で戻ることのない自殺行である。また、たびたび施行が行われた。なぜならこの西門の外にある引声堂のあたりは、違例者(つまりらい病などで一般社会から疎外された者、アウトサイダー)たちの住処であったからである。仏のため、来世を思って功徳を積む、あるいは善行を行うことは、いまよりもっと社会に受け入れられた行為であったに違いない。そしてもう1つの意味は、聖と俗、清さと穢れが近接するというだけでなく、人々の憧れる極楽浄土には、こうした社会から疎外された者たちが最も近いところにいることの比喩でもある。
 この四天王寺という寺の持つメッセージが、この『合邦』全体の物語の基調をなしている。それは、この世で疎外された者、一見「穢れ」と見られる者が、実は仏の側からは最も救いに近いということである。
 それは、この場面での合邦道心の説法にも出ている。合邦は「アノ芝居を見やしやませ、実方があれば敵役もある。鬼があればこそ仏もある。畢竟地獄は極楽の出店。・・さすれば地獄極楽は元来一つ世帯なり、善悪邪正不二という仏の教えはコレコノ天王寺」と語る。人間の目に悪と見えるものが実は悪であるとは限らない。この時代、こうした病による違例者は、前世や過去の業の結果と見られた。俊徳丸は「もとより神にも仏にも憎まれ果てし病の身、出離の絆は煩悩道、綺羅ではいつか仏意に至らん」と語る。こうした打ち捨てられたアウトサイダーの孤独、絶望こそが仏の悟りに近づくことである。そしてそれは、「合邦庵室」の玉手御前の、一見邪恋と見えるものが実は忠義であったという逆転に結びつく。四天王寺の仏教には、こうした包容性と弁証法ともいうべき両義性が含まれている。
 ちなみに、四天王寺近辺は今日でも青シートのテント村、ダンボールハウスが密集する地域である。そこに住む現代のホームレスたちはこの日本で最も救いに近い人々であろうか。
 さらに、実在の万代池(まんだいいけ)は、この位置から約4キロ南の熊野街道沿いにある1周700メートルほどの池である。ここには昔、人を悩ます魔物が住んでおり聖徳太子が四天王寺から人を遣わし魔物を鎮めるためにお経を読ませた。その後再び魔物が現れることはなかったという。その時のお経が曼荼羅経であったことから曼荼羅池とよびようになり、これが訛って万代池になったという言い伝えがある。ただここを「ばんだいいけ」と発音するのはなぜだろう。これは実在の池でないとの意味か。いずれにせよ聖徳太子が示す仏法の力による救いというモチーフが、実際には離れたこの池と四天王寺を一続きの世界としたのであろう。
 四天王寺の西側はかなり急な坂であり、増井、玉出といった天王寺の七名水が位置する。ここを下ったところ、現在は松屋町筋の南端、地名でいえば逢坂に、合邦が辻があり、ここの閻魔堂は聖徳太子の開基とされる。この地名は聖徳太子が物部守屋と法論を交わしたことに由来する名称といわれている。明治初年に道路拡張がなされたおり、現在の融通念仏宗西方寺境内に移され、昭和20年3月13日に空襲で消失し、信者たちによって再興されたものである。玉手御前の本名はお辻、つまり合邦に象徴される善と悪、来世と現世、極楽と地獄の行き交う「辻」である。
 だが、そこにもう一つの要素が加わる。四天王寺は仏による救済の世界であるが、熊野街道はもう一つの、神と仏が一つになった信仰による「死と再生の道」でもある。熊野本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、新宮の速玉神は薬師如来、那智の牟須美神は千手観音を本地とするとされ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになった。本宮極楽浄土が来世の救済を、新宮浄瑠璃浄土が過去世の罪悪の除去を、那智補陀落浄土が現世の利益をうけもつという三位一体の信仰システムが形作られた。
 とくに阿弥陀如来を本地とし、阿弥陀の極楽浄土とみなされ本宮の社殿は「証誠殿(念仏者の極楽往生を証明する社殿の意)」と呼ばれ、そこに参詣すれば浄土往生が確実になるとされた。それゆえ後白河院初め多くの貴人たちはこぞって熊野をめざし、「蟻の熊野詣」といわれる状況であったという。しかもそれは四天王寺に比べはるかに困難な道のりであり、途中山中に倒れる者も少なくなかった。それゆえにこそ熊野詣は、「清め」の意味をより強く持ち、また困難な道をたどり聖地に到達することで、古い自己の死と新しい命を得てよみがえることを意味した。四天王寺がそれ自体極楽浄土の「東門中心」であり救いの中心で、違例者たちを受け入れる場であるのに対し、熊野は救いに至る厳しい過程を示すのではないか。
 さらにその「死と再生」というモチーフは、玉手御前の死が俊徳丸に新しい命を与えるという設定に関わっている。
 つまり、四天王寺と万代池を一つの背景に置いたのは、そこに仏の救済と、それに至る困難な道のりを通しての「死と再生」を意味する小宇宙として設定したのではないだろうか。『摂州合邦辻』の全体は、河内の国高安からこの四天王寺界隈までを含んでいるが、その目指すところは、四天王寺に代表される浄土における救済のためには、一見非条理とも見える人間の困難なわざが必要であること、そんな業深い人間が絡まり合う関係の中で、善悪の逆転の中に救いがもたらされることである。この不可思議さを納得させるのは理性の論理ではなく、四天王寺を中心とするこの地自体が象徴する救済の事実である。

(2)謡曲・説経節・浄瑠璃
  さらにこの場面には、説経や能などの先行作のモチーフが多く取り入れられている。
 たとえば盲目の俊徳丸が、今日は彼岸であると、手を合わせ西方を拝む場面がある。これは「日想観」といい太陽の沈む西に向かい瞑目して阿弥陀仏のおわす極楽浄土を心に思い浮かべるという行である。
 この場面のモチーフは、能「弱法師」に見られる。能「弱法師」は、河内の国高安左衛門之丞通俊が四天王寺での施行のおり、かつて讒言を受けて追放し、いまは盲目となったその息子俊徳丸と再会するという物語である。その中で俊徳丸は日想観をし、目は見えなくとも心に描く夕べの風景を本当に見ているかのように語る。
 日想観自体はかなり古くから行われ、平安時代には熊野詣の途上、京から最初に宿をとるこのあたりで日想観をしたという。なぜ人々がここの夕陽を特別に思ったかといえば、それは彼岸にちょうど明石海峡に日が沈むからではないか、と一心寺住職の高口恭行氏は言う。
 それは古代の人々に、はるかな浄土を思い浮かべるに壮大な風景だったのではないだろうか。それと同時に、俊徳丸がもはや現世ではなく浄土に望みをおく求道者であることを印象付けられる場面である。
 また、俊徳丸が藁小屋で乞食生活を送っているところへ、許婚の浅香姫が俊徳丸を尋ねてやってくる。彼女は目の前にその人がいるのに気づかず、臭いのため顔をそむけている。この場面は、説経の「信徳丸」の場面と重なる。継母の呪いのために家を追われたしんとく丸が河内高安から四天王寺の南側のこうした違例者の集落に身を寄せ、一度は熊野へ向かおうとするが、恋人である和泉の国近木の庄蔭山長者の娘乙姫の実家に助けを求めるがかえって人の口の端にのぼり、引き返して引声堂の下に飢え死に覚悟でこもる。乙姫は一度は熊野路を尋ねるが、そこに見出せず藤代から四天王寺までもどって再会するのである。現在の日根野から紀州路へ、そこからさらに天王寺へと、熊野への道を逆にたどる彼女は、救いから遠く離れていくようなしんとく丸を救うため、すさまじい行動力を見せる。
 さらに浅香姫が俊徳丸を車に乗せて引くというのは、説経節「小栗判官」に出てくる場面を連想させる。
 餓鬼のようになって蘇生した小栗を、いまは下働きに身をやつした照手姫が、土車にのせて「えいさらえい」と引く。彼の胸札に、「一引き引いたは千僧供養、二引き引いたは万僧供養」とあるのを見て、本人と知らず亡き小栗の供養のためにと、熊野に向けて引くのである。照手姫の献身と勇気と信仰が、小栗を救うのである。ここでは浅香姫は合邦に指示されて、俊徳丸を載せた車を西に向けて引く。西門を出て坂を下りた先に合邦が辻があるからだが、同時に女性に助けられて西方浄土へと向かう意味を暗に含んでいるのではないだろうか。
 この二つのモチーフは、人にかしづかれる高貴の姫が、自ら進んで愛する者を捜し求め、決断し、苦難もいとわずはるばると旅をする、その困難を引き受ける、そうした意志的な女性像がうかがわれる。浅香姫は入平に守られながらも、そうした苦難を引き受けて戦う女性であり、そうした点で玉手御前と対の関係にある。この二人の女性の献身が、俊徳丸の救いの源であることが明確になる。浅香姫は玉手御前に蹴られ殴られるために出てくるのではない。彼女もまた、救いに不可欠な働き人なのである。

 「物語」とは、近代において、人が自分自身の中に自ら統一性を見出し、自分の生になんらかの方向づけを与えることをいう。
 それは中世では個人の語りでなく集団、共同体の語りであった。この全体が、四天王寺を中心とした中世における浄土への憧れを1つの世界とする。死から再生を願う中世の人々の物語の延長に、この浄瑠璃ははからずも名を与え、個人と個人ならぬ土地の意識の中に眠るものを掘り起こし、描いてみせたのである。中世においては、個人は個人であると同時にその時代であり、共同体である。個人の名は、いくつもの経験と願いの積み重なりのうえに置かれた記号である。
 しかし文楽における人物は、記号ではなく比類ない一つの個性として存在するようになった。
 たとえば俊徳丸は、継母に呪いを受けて家を出たのではなく、家督争いと自分の病に絶望し、それらから解放された新しい生き方を求める求道者であり、浅香姫は自らの意志で夫を追い、苦難もいとわず共に生きようとする魂ある女性であり、入平は浅香姫を守ろうとする忠実で賢明な奴であった。簑太郎、清之助、玉女らの遣う人形は、そうした近代的な人物としての輪郭と必然性、清やかな強さともいうべきものを持っていた。それは文楽として演じることの中から生まれてきた確かなリアリティであり、明白に中世の物語と区別されるものである。
 同様に、文雀の玉手御前は、武士の娘としての誇りと強さが印象的。だからこそ、玉手自身、本当に情痴に身を焼いて俊徳を追うわけにはいかなかった。それは家を思い夫を思う、「家刀自」の精神であった。だがその中に、俊徳丸への思いがなかったとは言い切れまい。許されてはならない思い、だからこそ、黙ってその人のために死ぬことが唯一の道であるような、自己犠牲。玉手はまさしく「廉直を立て通した」合邦の娘であり武士の鑑と称せられる青砥左衛門藤綱の系列につながるのである。嶋大夫のくどきのみごとさ、したたるような色気と、その内にほんのわずかに匂わせる玉手の本心。それに対し住大夫の合邦の嘆きは、娘を殺さねばならなかった父の嘆きであると同時に、坊主が自ら殺生戒を犯す、人間の悲しさとやりきれなさを痛ましく胸に響かせた。それは確かに、いまの私たちの世界に理解可能なように、かの物語を再現する試みであった。
 しかし、そうした人間的真実の描写をもってしても、まだ語りきれないものが残る。それを私たちは、心の一隅に刻みつけ、その名を求めてまた歩みだすのだ。
 
 (3)物語と出会う
 私は限りなくこの「合邦」に心引かれるものを感じる。
 大阪弁でしか自分の心の感情が表現できない私にとって、この物語は自分の心の言葉を捜すように、感じることから始まる物語であった。そして無数の伝承の中から、人々の求めた主題を明らかになってくるにつれ、心がさわいだ。今回の舞台は、そうした文楽を見る心の密度を高めてくれた。だが、それは言葉で理解できるものでなく、理解できないものと知りつつそれを深い共感をもって受け入れ、そこに共におることの大切さを教えてくれたように思う。
 「一谷嫩軍記」も、今回は見られなかったが、「ひらかな盛衰記」も、そうした日本の伝統的な物語の別の形を教えてくれたような気がする。
 「熊谷陣屋」の、あの吉田玉男遣うところの熊谷次郎直実。武士の忠義の論理の惨さ、それを自分一人の胸に収めて嘆くことも許されぬ悲しみ。十九大夫と咲大夫の浄瑠璃の、哀切などという言葉が消し飛んでしまいそうな骨太さ。清治、富助の、心の奥の一箇所まで正確に弾き当てるとでもいえるような音色。
 この悲劇の重さと、対照的な「釣女」の喜劇。これもまた、西宮恵比寿神社を舞台に、「名に大蔵や鷺流」を伝える狂言から生み出されたものである。その軽妙な笑いの楽しみもまた、文楽の一つの姿である。笑うことにも泣くことにも、この土地では根拠がある。大阪に生まれ育ち、生きることはその「根」と無関係ではいられない。いな、言葉はそうした根のなかから生まれてくるのだ。そして物語ることも、残すべき意味も。「合邦」の深層のなかに、わたしたちが生きているこの世界の意味が、幾重にも重なった先祖から受け継いだ世界の意味から生まれていることをたどっていく。その先に、基底はあるのだろうか。
 私は何を見出そうとするのか。幾重にも重なった先人の思いの中から、埋もれた珠玉を掘り当てること。洋の東西を問わず、一筋なる精神の軌跡を見出すこと。彼らの物語る行為のうちにあるものは、それを共通の場に引き出し、再創造する試みであり、それは私たちの「根」を探すことの試みであるに違いない。

時は縮まる――2003年1月公演によせて

森田美芽

 文楽を見て「時間」に対する意識が敏感になったことに気づく。2003年1月公演は、正月のめでたさより、舞台に流れる時の充実の様々な形にため息をつく舞台の数々であった。
 「祇園祭礼信仰記」の立端場「金閣寺」(本来は「碁立」と呼ぶべきだろう。「金閣寺」はこの段全体の総称ではないだろうか。前回の呂大夫・富助のときもこう呼ばれていた)。  意識が吸い込まれるかと思った。
 その「碁立」の中の、めくるめく時の凝縮の中へ。
 もう8年も正月の文楽を見ているが、こんな風に感じたのは初めてだ。45分が長いとか短いとか、そんな感覚も無かった。弛緩なく織り成される語り、底から響く詞の力強さ、詞から詞への微妙な間と呼吸。言葉が時間を作る。語りが時間とともに作り出され、積み重なる。ただ聞くということが、舞台に向かってその時の只中にいるということが、これほど深い充実をもたらすとは。そして鶴沢寛治の三味線の、どこにも無駄な力の入らない自然さのなかの、はっとするような色気や華やぎ、馥郁たる香りときらめきが、その時の間を自在に駆け抜けていくのが見えるような気がした。

 今思うと不思議なばかりだ。あの時間はどこから来たのだろう。床の真正面で聞くという幸運もさることながら、その最も良い日に私は出会ったのではないか。
 そしてその後の舞台もまた素晴らしかった。十九大夫・清治の「爪先鼠」。こうした構えの大きい時代物の浄瑠璃を納得させる語りと弾き。そしてなぜか、清治の三味線を聞きながら、この人の音色がどれほどの内面性の豊かさと広がりをたたえて余りあるものとなるかを思った。可能性というのはおこがましい。今ある充実した音の中に、さらなる音の広がりを内包している稀有の人であると。後、文字久大夫、宗助。文字久大夫は詞が強くしっかりとしてきた。課題は千秋楽まで安定した声で語ることであろうが、この人の本来のよさが出てきたように思う。宗助は的確で聡明な音作り。
 人形では第一に、文雀の雪姫の格と人妻の美しさ、強さ。桜の木に縛られても、それに負けない意志の強さと気高さを思わせる。代役なれど玉女の松永大膳のスケール大きい悪の強さ、玉輝の鬼藤太も抜け目ない部下のキャラクター、文吾の此下東吉の知恵者らしい二枚目ぶり、玉也の加藤正清、鬼若かしらとは少しこの人の持味と違うかと思ったが、やはり隙のない遣い振り。紋豊の直信、為所は少なくとも、悲劇の二枚目の色気を寸感的に表現する。亀次の慶寿院、この人も代役だが、気品あるとりなしが印象的。

 「壺坂観音霊験記」この何度も見た狂言には、繰り返しの中に生まれる新たな輝きを発見した。咲甫大夫、清志郎の「土佐町松原」。ほのかな春日の暖かさ、のどかさを感じさせる。咲甫大夫は3年ほど前にも鑑賞教室で演じ、手に入っている。しかもお里が沢市を思って涙するところなどをじっくり聞かせるようになった。清志郎の音も生き生きとして伸びやか。紋臣はじめ、つめ人形のやり取りも楽しい。この場はあまり意味がないというが、こうして理屈抜きにほっとさせられるところが嬉しい。

 「沢市内」伊達大夫、喜左衛門。「夢が浮世か浮世が夢か・・」という語り出しの存在感、洗濯物をトントンと打つ音にこめられた生活の匂い、そこに現れる時の隔たりが、実にさまざまな感覚を呼び起こし広がっていく。その背景に浮かび上がる、簔太郎のお里と玉女の沢市に、新しい人物像を感じた。
 お里は真心を疑われて本気で怒っている。なぜ彼女は沢市を愛したか。尊敬できない男を愛したりするような女ではない。沢市の少年のような純粋さ、人を傷つけまいとする心根のやさしさにこそ愛したのだ。自分の弱さを暴力やらでごまかすのでなく、自ら身を引こうとするほどの潔さと思いやりある人柄を愛したのだ。
 沢市の嘆き、「どうぞ花が咲かしたいな」が痛く響く。沢市がこの場の始まりからすでに覚悟を定めていたことが感じられる。愚直なまでの沢市の心。だから沢市の死を知ってのお里の嘆きの深さも納得できる。谷底での観音、玉勢はゆっくりと心得ある遣い方。二人の喜びの万才は錦糸とツレ弾きの喜一朗。歯切れよく勢いがある。この全体を住大夫の貫録が引き締め、主題を浮き彫りにする。真の夫婦愛とは古くて新しい物語であると。

 「団子売」短い景事だが、松香大夫・三輪大夫を中心に、おめでたいというだけではすまない迫力に満ちたものを聞かせてくれた。三味線は団七、弥三郎、団吾、清馗、龍爾らの華やかで瑞々しい合奏。杵造の玉志は器用なところを見せ、お臼の清三郎はすっきりと情ある風情。ここには、はまりきれないほどのものを持つ力の充溢。

 「花競四季寿」凝縮される四季の移ろい、雅趣と風情、廻りくる時への日本人の心の愛着を、咲大夫をはじめとする大夫陣の的確な語りが偲ばせる。わけても咲大夫の語りの風格と豊かさは、時と場をその場に造りあげ、感性を立ち上らせるような力がある。春の「万才」ののどけさ、「海女」は夏の恋の珍しさ。深い藍色の闇の中から月、波、岩の立ち現れるに従い、言葉は波のように寄せくる。光と場面と詞の一つになった感覚に陶然となった。
 秋の「関寺小町」の低い嘆き。百歳の老婆には、過ぎ去った時とは何であっただろうか。
 「鷺娘」の幻想的な春への思い。それぞれの季節の主題を明確に描き出す。二枚目の千歳大夫は負けじと場を広げ、貴大夫はしっかりと受けて風情を作り、南都大夫、新大夫、睦大夫、相子大夫らは優れたハーモニーで語りを支える。三味線は富助以下燕二郎、喜一朗、龍聿、寛太郎らの地力を感じさせる。富助は、この場に時の厳しさと緊張感を通してくれたように思う。
 人形では文司、簔二郎のコンビが明るく溌剌と楽しませてくれ、久しぶりの一暢はやや緊張が見えたが蛸を相手の振る舞いなど、卓越した存在感を与える。文雀の関寺小町は、百年の時の残酷さとユーモラスな風情を、これこそ能とも舞踊とも異なる人形での表現で完成した。和生の鷺娘は、鷺というより娘のキャラクターが強く出ている。雪の冷たさが清々しさとなり、一筋の思いに連なるような恋の幻想。
 「ひばり山姫捨松」冒頭、浮舟・桐の谷のやりとりの面白さ。共に老女形のかしらながら、浮舟がやや年嵩と見えた。清之助は芯の通った女丈夫で、玉英は始め敵と見せかけて姫を救うあたり芸達者なところを見せる。紋寿の中将姫の清らかさ、気高さ。思わず感情移入してしまう。客席までその寒さが伝わってくる。文吾の岩根御前の憎たらしいこと。亀次の大弐広嗣は結局小心な悪党と見えた。幸助、清五郎の奴も為所を心得た遣い方。玉幸の豊成卿、父の大きさはあるが不安を感じる。津駒大夫・清友もこうした場を盛り上げるが、冒頭の2人のやりとりでの二人の描き分けが少し分りにくかったように思う。復帰した嶋大夫はやはりこの人ならでは、清介のサポートの確かさ、清丈も胡弓が上達した。全体として床と人形のバランスのとれた、非常にまとまった舞台となった。

 「廓文章」極め付けの夕霧・伊左衛門。たわいもない痴話喧嘩のような二人のやりとりの密度と色気に、もはや何を語る必要もない。しかしそれだけではない。冒頭の餅つき、簔紫郎の仲居お松がもうけ役。お鶴とお亀は、鼻動きとお福の違いをもう少し面白く出してもよいのではないか。勘弥・勘緑の太神楽は、この二人の息の合った所を楽しませてくれる。口は呂勢大夫、清太郎にツレ清馗。呂勢大夫は伸びやかではんなりした語り口だが、やはり似た首の語り分けに意を用いたい。切、綱大夫、清二郎、ツレ団吾。その赤紫の肩衣のごとく薫り高き浄瑠璃の冴。

  文楽を見て、それがまっすぐに心に響くときと、なにかそれがひどく遠く感じられるときがある。見ていても見えない、聞いていても聞こえない時がある。だからこそその何かが見出せたときは類ない幸福である。見えるというのは私の業ではない。正月公演のいくつかはすでに見たことのある演目である。それらは既に心にある範型を持っている。それがまた新しい演じ手によって新しい形を作られる。時が私の中の経験を豊かに変容する。それが私の感覚を作り、目を見えるようにし、耳を聞こえるようにしているのだと教えられた。

 「時は縮まっている。」人はその生まれた日から死に向かって近づいている。私も終わりの日数を数えなければならない。残りの日で自分に何ができるか、何を残すか、何を引き継ぐかを明らかにせねばならない。しかしそれは行き当たりばったりにすることでも、自分の作った計画に従って人生を動かすことでもない。死に向かって歩むわれわれが、真実な出会いと日々の努力を積み重ねるところにだけ生まれる、真実な時の充実が私たちの生きる意味を作り出し、それが人に与える力となるのだと。文楽の芸の中に具現される時の高みと深みは、その尊さをいつも確認させ、私たちを励ましてくれる。時は失うのでない、積まれているのだと。

扉を開く――2002年ゴスペル・イン・文楽によせて

森田美芽

 二度目というものは難しい。一度目は何もかも手探り状態で、上演すること自体が奇跡のように思われた。二度目はそうした努力や苦労の一切が、いわば「当たり前」になってしまって、その上で前回より以上の成果を求められる。その意味で「ゴスペル・イン・文楽」もまた、大きな試練を受けた。しかしそれは、一度目に増して「扉を開く」こころみとなった。その意義を記しておきたい。

 まず、前回は英大夫自身が主催者であり、文楽の仲間とキリスト教会始め多くの支援者たちのいわば手作りの活動であった。今回は熊本、東京、大阪、その全てが主催者も公演形態も異なる。
 熊本では、地元のカトリック・プロテスタント双方の教会が協力して「ゴスペル・イン・文楽実行委員会」を結成し、教派を超えた協力体制の中で「巡礼阿波の鳴門」と「ゴスペル・イン・文楽」を上演した。つまり教会の伝道活動の一環として、またキリスト教の日本文化への受肉の試みとして位置づけられた。
 東京では、紀尾井ホールと英大夫の共催で「団子売り」と解説そして「ゴスペル・イン・文楽」。これは紀尾井ホールが従来やってきた文楽の実験的試みとしての延長線上にあるものと考えられる。
 そして大阪では、ヘップホールの「現代に生きる古典シリーズ・落語と文楽のあやしい関係友情編」とされた。これは古典芸能を新しい感覚で見せる伴野久美子氏の先鋭な企画力によるものだが、ここでは古典芸能を深く掘り下げることで新しい可能性を見出そうとする主題が見出される。
 実はさらに、この間に国立演芸場の企画で、「日本の話芸に見る聖夜」の中で、素浄瑠璃で「イエスの生涯」を語っている。これが「国立」でなされたこと、さらに彼の「ゴスペル文楽」なしには成り立たない企画であったことは見落としてはならない。
 キリスト教と日本文化、古典としての文楽と新作としての可能性、ここにはあまりに多くの要請がある。そして二度目であるゆえに、前回見た人が足を運んでくれるとは限らない。そんな不安の中で、熊本、東京、大阪での8公演すべてが大入りであったことは特筆に価する。そしてそれ以上に、今回のゴスペル文楽が開いたものは、新たな可能性の扉である。

 私が見たのは12月24日、大阪ヘップファイブホールでの最後の公演。まず落語の桂吉朝氏との対談、というより吉朝氏が司会者となって英大夫にゴスペル・イン・文楽の意義、内容などについて実に柔らかく語らせる。吉朝氏は2年前の「落語と文楽のあやしい関係」以来のお付き合いと聞くが、相手の力を認め、相手を尊敬し、その相手の力を引き出すなんと見事な話芸であろう。
 2人の間には水墨の手を連想させる鮮やかな絵。これはプロデューサーの伴野氏の作品であろう。そのシンプルさと勢い、気品の高さが、この二人の静かな、されど力ある者同士のぶつかり合いになんとふさわしいことか。
 そして「ゴスペル・イン・文楽」。幕開きは今回新しく創作された受胎告知の場面から。
 マリアの登場。なんと生き生きとした娘であろう。マリアは14,5歳の乙女であったと想像されるが、婚約した喜びに輝きながらも子供らしさを残し、おきゃんなところも感じさせる当たり前の娘。それが突然、過酷な運命に見舞われる。地にひれ伏し、意を決して立ち上がる。そのときマリアは乙女から一人の人間になった。
 そしてイエスの誕生。我が子を抱き上げ、頬を寄せる。母となったマリア。その凝縮された時間の中に、マリアの人生が表徴される。少女・人間・母への変化を、清之助は見事に表現した。
 イエスの成長と物語を、ナレーション風に処理し、下手につめ人形一体で表現する。桐竹紋秀は巧みにその詞を人形で伝えた。
 嵐の海の場面。稲妻が走り船はゆれ、大嵐にうろたえる弟子たち。そこにイエスが登場し、手を上げて嵐を静める、神としてのイエスの力強さを示す。「汝らの信仰はいづくにありや」と問う。威厳に満ちたイエス。このあと再びつめ一体でのナレーション。

 最後の晩餐からペテロの裏切り。最後の晩餐をイエス一体で描く。無論ただ一人でも、紋寿のイエスは弟子への眼差しひとつ、連行される時の体の向き一つでそのシチュエーションを納得させる。紋豊のペテロは、なんと一途でなんと哀れな男であることか。このペテロの叫びが見る者の心に同化する。人間くさい、わたしたちの代表のような小心者のペテロ。
 十字架のイエス。ここもいわば十字架の苦悩を象徴的に表現する。「山に立ちたる十字架の」という地の文と、「父よ彼らを赦したまえ」という詞の部分との見事な連結が、イエスの悲劇を導いていく。「一天にわかに」から「我が神我が神」の叫びは、何度聞いても圧巻である。イエスの血を吐くような叫びを、英大夫は力の限り語る。「我が霊を汝の御手に委ねん」でがっくりと落ち入る。その死によって十字架が完成される。
 復活。イエスの弟子が3日目の朝の出来事を説明し、ペテロとイエスの再会となる。しかしペテロは恐れおののき、復活を信じることができない。イエスの手に触れ、初めて信じる。このペテロは疑いのトマスとは違う。トマスは自分を信じていた。しかしペテロはイエスを裏切った自分への負い目がある。その負い目を、イエスが癒された。ペテロにとっての復活の意義は、まさしく裏切った自分が赦され、再びイエスの前に立てるようになることであったのだ。それが彼らが世界中に遣わされて行くことへとつながる。それは、ここから。この赦しと癒しのメッセージからクリスマスが始まっていることの象徴でもある。マリアも登場し、光の中でのフィナーレ。
 初演に比べ、各場面での洗練度は増し、劇的な起伏も見せ場も増えた。舞台装置も効果的であり、背景からの出がどれも印象的であった。
 太夫が3人になったことで、声に厚みがで、表現に奥行きがでた。貴大夫は無論だが、新大夫が予想以上に健闘していた。ただ、筆者の主観であるが、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は一人で語った方が、イエスの神に見捨てられた絶対的な孤独を伝えられるのでは、と思った。
 三味線も清友が確かな技量で大夫陣を支え、喜一朗は的確に前に出る音でサポートした。
 しかしこれほどの成果を得ながら、さらにと望んでしまうのは酷であろうか。もしいいうるとすれば、写実と象徴を使い分けてイエスの生涯の何を表現するのかによって、「ゴスペル・イン・文楽」は今後大いに変わってくる。共に生きるイエス、身代わりとなったイエス、罪に打ち勝ったイエスという、その生涯にわたる主題に明確に迫る表現が、語りと、人形の間で、また人形同士の間で、また違った可能性があるように思われた。
 特に復活の場面は、まだまだ洗練の余地があるように思う。それはまさに、「型」をつくる作業である。
 「ゴスペル・イン・文楽」が開いた扉・・それは、カトリックとプロテスタントの間にある扉であり、日本の文化とキリスト教の間の扉であり、古典と現代という扉である。そしてその相反する2つのものを繋ごうと無理やり折衷するのでなく、文楽としてもキリスト教としても、一見対立するものが、これ以外にはないという形で深められたからこそ、その深い一致点を見出すことができたのだ。
 彼は自ら、「神は自分に太夫としての修行をさせるためにゴスペル・イン・文楽を与えられた」と位置づける。妥協を許さない過酷な文楽修行、二神に仕えることを許さないキリスト教、彼の中でそれは共に、なくてはならない生命の本質である。なればこそ、彼の信仰は、内心に隠すものでなく、彼自身の天職によって語られ、公けにされねばならなかった。
 その唯一の魂の表現であるものが、どうして魅力的でないはずがあろう。多くの人を巻き込み、力を受け、より大きな力として人々の魂に食い入っていく、その中で私たちは、私たちの隠れた自分の心と出会い、より自分自身に近くなっていく。今回のゴスペル文楽を見た人は、ある人は亡き人への思いを感じ、ある人は言葉の背景に思いを寄せ、ある人はペテロに自己投入していく・・様々な思いをこの場で共有し、共に喜ぶことができた。観客一人一人がより真実な自分自身をこの劇空間から携え、思いを新たにして帰ることができた。ゴスペル・イン・文楽の魅力はそこにある。見る者が、いまこの芸術的創造の場に居合わせ、自ら参与するものとなり、そこに新しい創造の世界が生み出される。ゴスペル・イン・文楽が開いてくれた扉、それは私の心のうちにあったのだ。

 その可能性は、さらに国際的にも広がるだろう。今回、大阪公演で特筆すべきは、外国人の若い観客が、当日券を求めて並び、用意された英訳の床本をもとに楽しんでおられたことだ。それが普遍的なことであれば、必ず通じる。文楽自身にそれだけの底力があり、聖書という普遍的主題と出会うことで、新たな創造の扉が開かれた。それは文楽自身の歴史にも、大きな意味を持つであろう。

菊の雫 響く夢――2002年11月公演によせて

森田美芽

 個人的には、特に菊の花を好きなわけではない。しかし、舞台での菊の花は、その凛冽 たる気品と、その露に千年の齢を得るといわれる霊力で、神秘的なあでやかさを持つ。
 舞台で愛でられるもう一つの花、桜のはなやかに浮き立つ思いとはかなさとは異なり、現実 の只中に、ふと異次元に立つ自分を目覚めさせられるような感覚。
 11月の文楽公演『鬼一 法眼三略巻』と『近頃河原の 達引』を見ながら、なぜかその舞台に、馥郁たる菊の香と、裏 長屋にこもる生活の匂いともいうべきもの、実際にはしないはずの香りと、そうした感覚 を目覚めさせられたように感じた。

『鬼一法眼三略巻』
 「清盛館兵法の段」津国大夫の一声の力強さ、わるびれなさ。咲甫大夫の張りのある、勢 いある声に思わず身を乗り出す。南都大夫はうまく役柄を表出するが、この人の本領はこ うした役柄だろうかとも思う。貴大夫、「しかるに平相国清盛公・・」以下の重みある流れ はさすが。
 喜左衛門の三味線の緩急を心得た間がしっかりと舞台を支える。文司の清盛、 大きく遣う。次の課題は器量の大きさを表現することか。勘緑の広盛、策士で自己保身を 忘れない曲者ぶり。湛海は玉輝、確かな技量を見せる。清之助の皆鶴姫、気品に満ち、し かも凛として武芸に秀でた娘の美しさ。
 「菊畑」前咲大夫―富助。鬼一と智恵内の腹の探り合い、狡猾というより底の知れなさを 感じさせる強さ、咲大夫の実力を十分に発揮した。富助の集約された力の三味線。その風 格、義太夫の骨格の大きさに圧倒された。

 後、英大夫―燕二郎。虎蔵と智恵内の詞に若男と源太の色気が薫る。
 「女子に好かれるは うれしゅうないか」は実に意味深に感じさせる。牛若と智恵内の、ほのかな関係を感じ取 っているようで。詞の奥からあふれてくる充実。鬼一の詞の底強さは咲大夫に一歩譲るが、 娘の幸せを思う父の情愛を聞かせてくれる。
 そして出から段切れまでの、時代物の一幕を 作り上げる集中力の持続を感じた。終わりの一瞬まで、それは私を惹き付けて放さなかっ た。安易な感情移入ではない、それでいて各人物の人となりを、感情を、残さず把握して 描ききる、造形力の深さ。英大夫は、また一歩、着実に階段を上ったように思う。
 そして 燕二郎の三味線の充実。菊の雫したたるばかりの瑞々しい色気薫る始まりから、段切れの 畳み掛ける気迫の音色まで、息もつかせぬ鮮やかな音色は特筆に価する。

 玉女の智恵内、凛々しく思慮深い仕草。簔一郎の腰元木幡、出すぎず形良い。文吾の鬼 一法眼、人物の位、貫録、さすがと思わせる。文雀の虎蔵実は牛若丸、瑞々しい色気のも ならず、若武者にして源氏の大将となるべき位を感じさせる。皆鶴姫の恋の一途さもむべ なるかなと思わせる。そして清之助の皆鶴姫のあでやかさ、可憐さ、恋に見せる積極性と 娘としてのいじらしさ。彼はここ何年かで、何人の姫を遣い、しかもその一つ一つを的確 に演じ分けたことだろう。

 それにしても、義経伝説の数ある中で、あまりわかりやすいともいえない一段を、こう も説得力ある舞台に仕上げた彼らの実力には、ひたすら敬意を払う以外何ができよう。

 『近頃河原の達引』
 「四条河原の段」松香大夫、清友。松香大夫は地味だが誠実な語りで短い場面で的確に人 物を浮かび上がらせる。清友は忠実に三味線の役割を聞かせる。この場面、京都四条河原 の闇、ほのぼの明けて行くその時間の重みを感じた。官左衛門を遣った玉也、こうした悪 のいやらしさを見事に表現する。玉佳の仲買勘蔵、確かな存在感。井筒屋伝兵衛を遣うの は紋豊、芸域の広い人だが、こうした無力な二枚目を遣わせるとまた一味違う。単なる「金 と力はなかりけり」ではなく、町人でありながら武家の争いに巻き込まれ、殺人を犯して しまうという運命に振り回される人間の悲しさを感じさせる。廻しの久八を遣う玉志、こ の人も最近とみに地力を発揮してきた。

 「堀川猿廻しの段」住大夫、錦糸、ツレ清馗。赤貧洗うが如き、という言葉の意味を、今 の日本人の大半は想像もできないだろう。だが住大夫の語りのはしばしに、そんな暮らし の匂い、ともいうべきもの、感覚的にそれらを納得させるものがある。貧しく、一家が肩 寄せあってかろうじて生計を立てるという暮らし、裏長屋の生活の匂いとでもいうべきも のが確かにある。そんな暮らしの中で、人の情け、実直さというものの意味が迫ってくる。 確かに活きている人間の真実な姿である。錦糸の三味線はむしろ洗練された匂いかもしれ ないが、その響きの心地よさ。清馗は勢いあるツレを聞かせてくれた。

 後、千歳大夫、清介、ツレ清志郎。千歳大夫は与次郎の詞がよい。貧しさのゆえに、好 人物なるゆえに、悲しみも滑稽さになるその人物を納得させる語り。清介の、あれこれ言 う余地もない見事な三味線。清志郎は精一杯ついていこうとする若さとすがやかさ、いつ か彼が本役でこの三味線を弾く日が来たらと思わずにおれない。

 簔紫郎の遣う娘おつるの愛らしさに客席がわく。玉英の与次郎の母のあわれさ。簔太郎 の与次郎は今日の眼目。たっぷり見せて笑わせ、泣かせる、笑いと泣きが一体になる、そ うした与次郎を見事に遣った。娘おしゅんは和生、下級女郎にしては上品過ぎるかと思っ たが、まめやかな貞女として遣った。愛らしい小猿は勘緑ときく。

 今回、体調が整わず、舞台をじっと見ていることができないとき、しばしば目を閉じて、 三味線の充実、それぞれの心に託された音のバリエーションの美しさに耳を傾けた。三味 線は、太夫を語らせ、その最もよいものを引き出す良き助け手であることを、しみじみと 感じた。
 響き合う音色と声。その豊かな深まりが、物語の奥行きを、手ごたえを、作り物 の舞台に真実な花を咲かせ、あるはずのない香りを生み出す。その心地よい律動に身を委 ね、ふと思いをはせる。彼らの10年後、20年後に託された夢を。

 時間が取れず、『御所桜堀川夜討』『冥途の飛脚』を十分見られなかったことが残念でな らない。そして去年の秋、そこには越路師匠がいて、舞台を見守っておられた。2年前、鶴 沢八介は元気で舞台を勤めていた。3年前の秋、呂大夫がそこで語っていた。刻々と刻まれ ていく時の重さをかみしめつつ、またこの1年を送る。

「累物語」異聞――2002年夏公演によせて

森田美芽

 伝統芸能にいくつかの系譜があり、その中の「かさね」は、女の顔が醜くなったために、 雨の降りしきる土手で女は鎌で無残に殺されるという伝承を持っている。
 この物語には、 出世を願う男の身勝手、もとは誰よりも美しかったゆえに、死霊の恨みで顔が醜くなり、 片足を引きずるようになった女の変貌、鎌を使った殺しというモチーフがあり、歌舞伎で は当代の坂東玉三郎があまりにも有名である。
 これに対し、文楽の「かさね」は、男の誠実、女の献身を軸に、にもかかわらず悲劇に いたるという点で興味深い。
 「薫樹累物語」を2度見た。充実した舞台である。これを見ることのできた幸いと、に もかかわらず客席の寂しさとのアンバランスがなんともいえない。

 「豆腐屋の段」掛合で語る。松香大夫が絹川谷蔵、三輪大夫がかさね、津国大夫が兄三 婦、咲甫大夫が高尾の亡霊と講中、つばさ大夫が講中。三味線のシンは団七、ツレが団吾、 龍爾。バランスが取れ、それぞれによい役場を作り出す。絹川の侠客としての志、三婦も また市井の男伊達。かさねは恋に一途な純情さと、自分を好きにならないはずがない、と いう自信。
 力士の絹川が、主君のためと傾城高尾を殺す。追われている彼が逃げ込んだのは、高尾 の兄と妹の家で、まさに高尾の供養の真っ最中。兄三婦はそれと気づくが、かさねはかつ て自分を助けてくれた人とどうしても添わせてくれという。その一途さに兄も承諾するが、 殺された姉高尾の亡霊が現れ、かさねの顔を醜く変えてしまう。
 文吾の絹川、力強さと無骨、一度約束したからは、顔かたちが変わっても、という男の 誠実を匂わせる大きさ。簑太郎の三婦、検非違使かしらの沈着と男気を現す。的確な人物 像に迫る。文雀のかさね、かさねは自分の美貌を意識している。うぬぼれとも見える。高 尾の亡霊を遣うのは清三郎。高尾の怨念を一瞬で知らせる強さがある。
 団七はきめ細やかに人物の心の後をたどる丁寧な三味線で、団吾も津国によく合わせて いっているが、もう少し力強さのほしい場面もある。なお、初舞台の龍爾は、舞台度胸も よく、咲甫大夫のパートをかなり一人で弾いたが、よくがんばっていた。その初々しさ、 さわやかさを応援したい。

 「埴生村の段」前が英大夫、喜左衛門。三大身売りの前場。埴生村に隠棲する与右衛門・ かさね。慣れない暮らしを肩寄せ合って営む夫婦愛。かさねの嫉妬。近所の衆の心安さ。 勘緑・和右は短いながら人物に存在感を感じさせる。玉女の金五郎、与右衛門を追い詰め ていく呼吸が見事。勘寿の女郎屋亭主、軽妙でしたたか。夫のために身売りを決意するか さねの覚悟と貞女ぶり。ところが、かさねは自分の顔が醜くなっていることに気づいてい ない。そこに滑稽さ、なんともいえない皮肉がある。
 切、綱大夫、清二郎。後半、かさねが身売りの意思を女郎屋に伝え、笑い飛ばされたこ とで、初めて彼女は自分の醜さを知る。好意の第三者の残酷さ。

 「土橋」の前は文字久・宗助。文字久は言葉が強くなった。宗助はバランスよい響き。 金五郎に引かれての歌潟姫の美しさ。先々月の苅屋姫となりかたちは同じはずなのに、ま ったく別人であると瞬間的に悟らせる。しかしなぜ彼女が都にありながら下総まではるば るやってきたか、今ひとつ納得できない。
 稲村にかくれてかさねが金五郎と歌潟姫の会話を聞き、嫉妬に狂う。どうして自分をこ こまで愛してくれた与右衛門の真実を理解できないのか、そこにかさねという女の悲しさ を見る。それは男の論理に過ぎない、と彼女は主張しているのだ。
 彼女は義理からではなく、心から愛してほしいのだ。彼女には愛される自信があった。「の しほ」に匹敵する美貌が。ところがそれが失われたことを知ったとき、彼女は夫に愛され る自信を失った。そして歌潟姫の若さと美貌を前にして、自分の存在が崩れていくような 思いをした。なぜ与右衛門を信じられないのか。自分が美しくないにもかかわらず美しい という思い込みを支えてくれた与右衛門。だが彼女の心に忍び寄ったのは、自分より美し い姫を迎えるという与右衛門の言葉。もし彼女が美しくなかったなら、ここまで美しさに こだわることはなかったかもしれない。彼女は美しい自分だけを信じていた。だからそれ が失われたことを知ったとき、自分を恥じて死のうとした。
 彼女の愛は自己愛に過ぎなかった。美しい自分を、その自分を愛してくれる者への愛に 過ぎなかった。その彼女をもうひとつ突き動かしたのは、序幕に登場した、姉、高尾の亡 霊である。彼女は姉の敵を愛していた。姉の恨みを知りつつ、姉を殺した男を愛した。姉 妹の情よりも、恋を選んだ。しかしここで思いは姉とひとつになり、姉の恨みと二重化さ れた思いが彼女の形相を変えた。段切れ、本水を使っての立ち回りは迫力満点だが、この かさねの恨みと与右衛門の無念、人からはおそらく、醜くなった女房を殺したに過ぎない といわれるであろう与右衛門の無念さを描くカタルシスに今ひとつ届かなかった気がする。
 しかし切の十九大夫、清治は、その迫力、はっとするようなかさねの思いの変化の妙を聞 かせてくれた。

 第三部の玉男・吉田簑助の「曽根崎心中」は、どれひとつとっても欠けたところのあって はならない、珠玉の物語であった。とりわけ簑助のお初の、圧倒的な存在感に打たれた。 先月、高弟の簑太郎、清之助のお初を見て、それぞれに納得させられたが、正直言って、 これはもはや世界が違うのだ。簑太郎も清之助も美しく、見事な解釈と人物像を納得させ たが、簑助のそれは、もはや何が違うとか、どこがよいとかの分析を超えて、そこにお初 という人物を存在させてしまう。そう、徹頭徹尾「お初」に他ならない人物が、そこにい る。そのことにまずため息をつく。お初を演じるとか遣うというレベルでない。お初はこ れ以外に考えられないというあり方なのだ。そのすべての場面、指先まで、お初という人 間が生きていたら、そうでしかありえないような、そういう動き方なのだ。
 対する玉男の徳兵衛も同様。男気も、やさしさも、ちょっと気を持たせるところも、主 人に向かってお初のことをどう告げたか、すべて想像できるほどなのだ。
 この二人による曽根崎を見ることができたという幸福をひたすら神に感謝せざるをえない ほどに。
 床は、「生玉」が伊達大夫、富助。伊達大夫の語りもそう。どこにも余分な力の入らない、 それでいて人物の心の動きまで、分析するのでなく納得させるような、自然体の語り。富 助の三味線は、色鮮やかに、華やぎある雰囲気と、人物の心の動きに沿った音色を聞かせ てくれる。
 「天満屋」は住大夫、錦糸。隅々まで、全てに目配りの行き届いた、それでいて呼吸す るように自然な「天満屋」を聞かせてもらった。錦糸の音色は、また一段と深く艶やかに 響く。
 「道行」は、お初を咲大夫、徳兵衛を千歳大夫、そして南都大夫、三味線は寛治、弥三 郎、喜一朗ら。咲大夫のお初というのは珍しいが、余裕を感じる。千歳大夫の徳兵衛は、 高音部に課題を残すが、誠実な人物像を匂わせる出来であった。寛治の率いる三味線は、 この場面にふさわしい悲劇的な美しさの要求に十分答えた。
 昼の「薫樹累物語」と夜の「曽根崎心中」を比べてみると、人が何に感動するのかがよ くわかる。全体としての出来が悪いというのではない。だが、「累物語」には救いがなさす ぎる。たとえば、歌潟姫はあのまま死んでしまったのかと思う人が大半であろう。(実はお 守りの力で助かるのだが)そしてあまりにも累がエゴイスティックに見えて感情移入がし にくい。
 それに対し「曽根崎」は、来世が希望となるカタルシスが、そこに至る純愛の過 程が見事に表現されているだけでなく、観客はそこに同調し、お初の気持ちと同化し、自 然にお初を応援したくなり、二人が重なり合って倒れると、ほっとするような気持ちにな る。舞台と客席がひとつになるという現象が起こるのである。
 私は文楽の舞台で、手抜きとか、弛緩とかを感じたことがない。
 舞台の隅々、介錯の一 人一人に至るまで、ひとつの緊張感が常に支配している。彼らのうちには、見えざる一つ の秩序が支配しており、無言のまま舞台を動かし、舞台に携わる全員が、一糸乱れずその 秩序に従っている。それが文楽のすごさであると思う。彼らがたとえ未熟ではあっても、 その芸の一つ一つに尊敬の念を抱かざるを得ないのはそのためである。
 ひとつの舞台を作 るために、全員が志をひとつにして、そのベストを尽くしている。それは舞台人としての 彼らの本領であると思う。
 しかしそれでも、観客の側からいえば、感動できる舞台とそう でない舞台が生じてくる。それが物語の質の問題であると思う。だから企画・製作は難しい というのは理解できる。「曽根崎」のような作品ばかりではない。むしろ、今の基準で言え ば、到底ついていけないような内容の作品も多い。だからといって、文楽は活きた化石で はない。脚本の質と、芸の美しさと、技芸員たちの努力という出会いが起こって、それが 最高潮に達するとき、計算ではない感動が生じる。
 それが文楽を見る喜びであろう。だか らこそ、彼らが命がけで演じているその舞台の美しさを、現代の私たちが見出せるものを、 一つ一つ、珠玉を拾うように見出していけたらと私は願う。それができる、それを見出せ ることが、文楽が今日の芸術であることの意義だと思う。