菊の雫 響く夢――2002年11月公演によせて

森田美芽

 個人的には、特に菊の花を好きなわけではない。しかし、舞台での菊の花は、その凛冽 たる気品と、その露に千年の齢を得るといわれる霊力で、神秘的なあでやかさを持つ。
 舞台で愛でられるもう一つの花、桜のはなやかに浮き立つ思いとはかなさとは異なり、現実 の只中に、ふと異次元に立つ自分を目覚めさせられるような感覚。
 11月の文楽公演『鬼一 法眼三略巻』と『近頃河原の 達引』を見ながら、なぜかその舞台に、馥郁たる菊の香と、裏 長屋にこもる生活の匂いともいうべきもの、実際にはしないはずの香りと、そうした感覚 を目覚めさせられたように感じた。

『鬼一法眼三略巻』
 「清盛館兵法の段」津国大夫の一声の力強さ、わるびれなさ。咲甫大夫の張りのある、勢 いある声に思わず身を乗り出す。南都大夫はうまく役柄を表出するが、この人の本領はこ うした役柄だろうかとも思う。貴大夫、「しかるに平相国清盛公・・」以下の重みある流れ はさすが。
 喜左衛門の三味線の緩急を心得た間がしっかりと舞台を支える。文司の清盛、 大きく遣う。次の課題は器量の大きさを表現することか。勘緑の広盛、策士で自己保身を 忘れない曲者ぶり。湛海は玉輝、確かな技量を見せる。清之助の皆鶴姫、気品に満ち、し かも凛として武芸に秀でた娘の美しさ。
 「菊畑」前咲大夫―富助。鬼一と智恵内の腹の探り合い、狡猾というより底の知れなさを 感じさせる強さ、咲大夫の実力を十分に発揮した。富助の集約された力の三味線。その風 格、義太夫の骨格の大きさに圧倒された。

 後、英大夫―燕二郎。虎蔵と智恵内の詞に若男と源太の色気が薫る。
 「女子に好かれるは うれしゅうないか」は実に意味深に感じさせる。牛若と智恵内の、ほのかな関係を感じ取 っているようで。詞の奥からあふれてくる充実。鬼一の詞の底強さは咲大夫に一歩譲るが、 娘の幸せを思う父の情愛を聞かせてくれる。
 そして出から段切れまでの、時代物の一幕を 作り上げる集中力の持続を感じた。終わりの一瞬まで、それは私を惹き付けて放さなかっ た。安易な感情移入ではない、それでいて各人物の人となりを、感情を、残さず把握して 描ききる、造形力の深さ。英大夫は、また一歩、着実に階段を上ったように思う。
 そして 燕二郎の三味線の充実。菊の雫したたるばかりの瑞々しい色気薫る始まりから、段切れの 畳み掛ける気迫の音色まで、息もつかせぬ鮮やかな音色は特筆に価する。

 玉女の智恵内、凛々しく思慮深い仕草。簔一郎の腰元木幡、出すぎず形良い。文吾の鬼 一法眼、人物の位、貫録、さすがと思わせる。文雀の虎蔵実は牛若丸、瑞々しい色気のも ならず、若武者にして源氏の大将となるべき位を感じさせる。皆鶴姫の恋の一途さもむべ なるかなと思わせる。そして清之助の皆鶴姫のあでやかさ、可憐さ、恋に見せる積極性と 娘としてのいじらしさ。彼はここ何年かで、何人の姫を遣い、しかもその一つ一つを的確 に演じ分けたことだろう。

 それにしても、義経伝説の数ある中で、あまりわかりやすいともいえない一段を、こう も説得力ある舞台に仕上げた彼らの実力には、ひたすら敬意を払う以外何ができよう。

 『近頃河原の達引』
 「四条河原の段」松香大夫、清友。松香大夫は地味だが誠実な語りで短い場面で的確に人 物を浮かび上がらせる。清友は忠実に三味線の役割を聞かせる。この場面、京都四条河原 の闇、ほのぼの明けて行くその時間の重みを感じた。官左衛門を遣った玉也、こうした悪 のいやらしさを見事に表現する。玉佳の仲買勘蔵、確かな存在感。井筒屋伝兵衛を遣うの は紋豊、芸域の広い人だが、こうした無力な二枚目を遣わせるとまた一味違う。単なる「金 と力はなかりけり」ではなく、町人でありながら武家の争いに巻き込まれ、殺人を犯して しまうという運命に振り回される人間の悲しさを感じさせる。廻しの久八を遣う玉志、こ の人も最近とみに地力を発揮してきた。

 「堀川猿廻しの段」住大夫、錦糸、ツレ清馗。赤貧洗うが如き、という言葉の意味を、今 の日本人の大半は想像もできないだろう。だが住大夫の語りのはしばしに、そんな暮らし の匂い、ともいうべきもの、感覚的にそれらを納得させるものがある。貧しく、一家が肩 寄せあってかろうじて生計を立てるという暮らし、裏長屋の生活の匂いとでもいうべきも のが確かにある。そんな暮らしの中で、人の情け、実直さというものの意味が迫ってくる。 確かに活きている人間の真実な姿である。錦糸の三味線はむしろ洗練された匂いかもしれ ないが、その響きの心地よさ。清馗は勢いあるツレを聞かせてくれた。

 後、千歳大夫、清介、ツレ清志郎。千歳大夫は与次郎の詞がよい。貧しさのゆえに、好 人物なるゆえに、悲しみも滑稽さになるその人物を納得させる語り。清介の、あれこれ言 う余地もない見事な三味線。清志郎は精一杯ついていこうとする若さとすがやかさ、いつ か彼が本役でこの三味線を弾く日が来たらと思わずにおれない。

 簔紫郎の遣う娘おつるの愛らしさに客席がわく。玉英の与次郎の母のあわれさ。簔太郎 の与次郎は今日の眼目。たっぷり見せて笑わせ、泣かせる、笑いと泣きが一体になる、そ うした与次郎を見事に遣った。娘おしゅんは和生、下級女郎にしては上品過ぎるかと思っ たが、まめやかな貞女として遣った。愛らしい小猿は勘緑ときく。

 今回、体調が整わず、舞台をじっと見ていることができないとき、しばしば目を閉じて、 三味線の充実、それぞれの心に託された音のバリエーションの美しさに耳を傾けた。三味 線は、太夫を語らせ、その最もよいものを引き出す良き助け手であることを、しみじみと 感じた。
 響き合う音色と声。その豊かな深まりが、物語の奥行きを、手ごたえを、作り物 の舞台に真実な花を咲かせ、あるはずのない香りを生み出す。その心地よい律動に身を委 ね、ふと思いをはせる。彼らの10年後、20年後に託された夢を。

 時間が取れず、『御所桜堀川夜討』『冥途の飛脚』を十分見られなかったことが残念でな らない。そして去年の秋、そこには越路師匠がいて、舞台を見守っておられた。2年前、鶴 沢八介は元気で舞台を勤めていた。3年前の秋、呂大夫がそこで語っていた。刻々と刻まれ ていく時の重さをかみしめつつ、またこの1年を送る。