カテゴリー別アーカイブ: 美芽の“若”観劇録

闘う者たちの夏(7・8月大阪公演)

森田美芽

 

2024年夏。かの花の都ではアスリートたちの熱い戦いを聞く中、大阪では猛暑とコロナの再燃の困難を抱えつつ、一同が「芝居のある夏」のために闘う。

 

第二部『生写朝顔話』「宇治川蛍狩の段」口、聖太夫(後半薫太夫)、清公。聖太夫は声が素直に前に出る。詞を一つひとつ丁寧に、意味が伝わるように語る。清公もきっぱりとよく響く手で合わせる。最初の人物紹介としての役割をきちんと。奥は睦太夫、勝平。浪人の狼藉者に襲われるピンチを二枚目が救うという、恋に陥るドラマ設定を、起伏を明確に、面白く聞かせる。玉延、簑悠、川に落とされる浪人がユニーク。僧月心の文司が休演で代役は文哉。

「明石浦船別れの段」。芳穂太夫、錦糸。宇治川で別れたはずの二人がなぜ明石の浦で再会するのかがいまいちわかりにくいものの、芳穂太夫の語りは凛としてさわやか。錦糸の糸もこの若い二人の恋路を優しく彩る。しかし僅かなためらいと不運が、二人を引き離す。船頭の玉征の、二人の色模様を前に目のやり場に困る仕草が可愛い。

「浜松小屋の段」呂勢太夫、清治。零落した深雪の哀れさ。「哀れや深雪は数々の憂さ重りて目かいさへ、泣き潰したる盲目の力と頼むものとては、僅かに細き竹の杖、あるにかひなき玉の緒の切れも果てざる三味の糸、露命を繋ぐよすがにと背に結ひかけしほしほと、心の闇時辿り来る」の描写そのままに、闇の広がり、暮れていく空気、「明石浦」と打って変わった深雪の姿、もはや良家の娘ではなく、里童からも「乞食」と蔑まれる恥じ、苦しみ、それらを語る呂勢太夫。清治の三味線には彼女の労苦の日々の記憶がこの時間の重さと闇の広がりとさえ重なる。自分を探し求めてきた乳母浅香にさえわが身を恥じ入り正体を明かせぬ苦しみを、切ないまでに伝えるお二人。(追記、7月29日、鶴澤清治が体調不良のため休演。代役は藤蔵)後、輪抜吉兵衛の登場から小住大夫、清馗。小住太夫は声が大きく語りもこせつかない。清馗の端々に見える鋭さは師譲りか。

簑二郎の浅香はこの場の手強さ。主人を思い深雪を支える力強い働き。だが輪抜吉兵衛との格闘で深手を負い、無念の死を遂げるが、この後の宿屋の段、大井川の段における戎屋徳右衛門の忠義がこの物語の鍵となる。輪抜吉兵衛は玉勢、短い登場だが、深雪のここまでの苦難を示す役柄。それにしてもこの場の子供たちのいじめの場面はやはり心痛む。

「嶋田宿笑い薬の段」中咲寿太夫、寛太郎。下女2人、手代松兵衛、徳右衛門、そして萩の祐仙、岩代多喜太と多彩な人物を語り分けなければならない、短いが重要な場。咲寿太夫は頑張っているが、やはり松兵衛や岩代といった男の表現にまだ課題を感じた。しかし千穐楽には驚くほどよくなっていたことを追記したい。次、織大夫、藤蔵。人形は勘十郎の独壇場。しかし織大夫には力量が問われる場。祐仙の滑稽味を強調する。間合いはうまい。だが、まだ、表現しきれていない気がする。

 

「宿屋の段」錣太夫、宗助。切場語りとして、錣太夫は情味ある場をたっぷりと語る。「むざんなるかな秋月の」の哀れさ、「露の干ぬ間の」の唱歌の調べなど、この人の本領であろう。宗助とのコンビが冴える。清允の琴が哀れを誘う。

 

「大井川の段」千歳太夫、富助。ここは深雪の愁嘆が強いが、むしろ戎屋徳右衛門が自らの素性を明かし、娘の浅香が主君である秋月家のために忠義を尽くしたと聞き「ヲヲでかしたな」というその一言が響いた。富助は情も義理も強さも弱さも手の内に備えて外さない。

人形では和生が深雪というのは珍しく思ったが、娘の一途さと落ちぶれても秋月の娘の品格はさすが。玉男の宮城阿曾次郎は、後の駒沢次郎左衛門になってからが辛抱立役の本領発揮。玉也の戎屋徳右衛門がやはりしっかりと舞台を引き締め、玉志の岩代の憎さげな強さ。

 

第三部『女殺油地獄』

「徳庵堤の段」掛け合いだが、三輪太夫の与兵衛、語り出しの「船は新造の乗り心」からの心地よさ、与兵衛の若い苛立ちと幼稚さ、周囲への甘えがよくわかる。津國太夫は、弥五郎は軽薄さ、森右衛門の実直、七左衛門の腹立ちと、さすがに男の表現の幅。文字栄太夫も茶屋亭主、会津の大尽など、それらしい雰囲気がにじみ出る。「コレ小菊、殿」の調子など見事。南都太夫のお吉、世話女房らしく、与兵衛に対しても姉のように遠慮のない話しぶり。裏で与兵衛が悪口を言うのも甘えの表れのように聞こえるほど。織栄太夫も花車、小栗八弥、娘お清など、語り分けの基本を懸命に学んでいる。三味線は鶴澤清友。これだけの役の出る場を見事にまとめ、場の雰囲気を作り上げる。

「河内屋内の段」口、亘太夫、團吾。ユーモラスでちょっと息抜きのような楽しさのある個所。亘太夫、良い味わい。軽みはあるが、真面目にやってこそこの滑稽味が生きる。團吾は丁寧にリードしている。

奥靖太夫、燕三。靖太夫は初日、最初から声がかすれ気味だった。こうした重みのある場を語るのにふさわしい声の使い方を学んでほしい。千穐楽には調子を戻していたが、首ごとの音の変化はまだ課題が残る。兄太兵衛、継父徳兵衛の沈痛、その中で稲荷法印の滑稽味が入る。与兵衛の、家族に対する時の横柄で自己中心的な姿勢、詞。どれ一つとっても難しい場を、燕三が導く。それにしても、継父徳兵衛の詞はどうだろう。義理の子のしでかすことを予想し、それがことごとく当たっている。にもかかわらず継父にも妹にも暴力を振るう与兵衛のクズっぷりが痛々しい。母おさわも義理をわきまえるゆえに厳しく与兵衛に当たるが、その思いも通じない。

「豊島屋油店の段」若太夫、清介。旧暦の五月五日、節句の前夜の闇の深さ。娘を世話するお吉。ふと櫛の歯が折れる。これは不吉のしるしである、さらに七左衛門がいったん帰ってきて、慌ただしく集金を渡し、立ち酒を飲む。それは野送り、つまり葬送の作法である。何かこの家に不吉なしるしが立て続けに起こる。これらの伏線がじわじわと観客に伝わる。

与兵衛が暑苦しく、乱れた形。大見得を切って家を出たものの、すさんだ暮らしを想像させる。綿屋小兵衛の登場。これが実に利いている。短い言葉で、与兵衛が父の判を使って、明日になれば元利合わせてざっと5倍というとんでもない高利で金を借りたことが語られる。
「河内屋与兵衛男ぢや男ぢや、当てがある」と強がる。そこには3つの含みがある。脇差を持っていた与兵衛は、いよいよとなれば自害するつもりかもしれない。しかしそうすれば、親のところに借金取が行く。そうなれば近隣や組合にも知られ、商売を続けることができないほどの不名誉となる。「一銭の宛もなし、茶屋の払ひは一寸逃れ」と、「一升差さぬ脇差も今宵鐺の詰まりの分別」。もはや先の見通しも立たず、いまを逃れることしか目にはいらないという末期的な状態に追い込まれた彼は、「世界は広し二百匁などは、誰ぞ落としそうなものぢや」と、いよいよ自分の都合のいい願望に逃避せざるを得ない。この弱さというか、幼稚さ。

そこに思いがけず継父徳兵衛が現れ、慌てて身を隠す与兵衛。その継父の言葉が労しい。与兵衛の性根を知り抜いた上で、先代の父(徳兵衛にはお主)への義理のゆえ、何とか与兵衛をかばおうとする。「二人の子供に心を尽くすは皆旦那への奉公。いま与兵衛めを追い出だし、一生荒い詞も聞かぬ親方に、草場の陰より恨みを受くる、無果報はこの徳兵衛一人。」この継父は、先代の主人への義理のゆえに、継子の与兵衛を何とか真人間にと画策するが、与兵衛はその継父の願いをことごとく裏切る。

さらに母のおさわが現れ、口では与兵衛に勘当と言いながら、実はわざと与兵衛に厳しく当たることで、「辛ふ当たりしは継父のこなたに、可愛がつてもらひたさ」と、武家の義理を立てることと、母として子と継父の間を取り持とうとする情のせめぎ合い。

しかし、親の合力、お吉の情けも、彼の直面する困難、新銀二百匁には届かない、という現実。そしてその借金は、継父を巻き込みさらに年寄五人組にまで及び継父の不名誉となるに違いない。そして、意外にも与兵衛は、継父に難儀をかけるために自害もできないという、まさにお吉に金を借りるしかない状況に追い込まれているのだ。

しかしお吉は断る。この場の始め、娘らの髪を梳きながらの、女には「鏡の家の家ならで、家といふものなけれども」が響いてくる。たとえ何十年夫婦として共に生きていても、女には自分で決める決定権はない。与兵衛の頼みを断るしかないのだ。そしてその代わりと出された樽に、油を詰めるために背を向ける。

与兵衛はこの時、お吉を殺して金を奪うことを決意したのではないか。まずは貸してくれと、次に不義になっても、と迫る。しかし彼に、本気で人妻と不義になる覚悟など見えない。方便なのは丸わかりである。最後は自分の置かれた状況を恥も外聞もなくお吉に打ち明ける。それがたとえ真実であったとしても、過去の与兵衛を知っている、また両親の思いを聞いているお吉には、金を貸すという選択肢はありえない。

刀を抜き、突き刺す。それも慣れていないのは明白だ。殺す方が怯えている。そして言う。「ヲヲ死にともないはず、尤も尤も。こなたの娘が可愛いほど、俺も俺を可愛がる親仁が愛しい。」そう、ここで与兵衛は、生みの母ではなく、さんざん狼藉をはたらいた継父に対して言っている。すまないという思いは、母ではなく継父に向けられている。しかしその思いは、最大の恩人を殺すという形でなされる。

なぜ与兵衛はこのような破滅的な生き方をすることになったのか。
成長の中で、父の不在、壁となって世間や社会のルールを知らせる父的な存在が欠けていたからか、それとも優等生の兄に対して、ことごとく劣等感を持って、ただ目立つことや勢いがよいことだけを自分の誇りにしたからか。そこには金の世の論理、金さえあれば思いのまま、という、この時すでに江戸の町人社会の中にうごめいているその論理に絡めとられているのが明白である。
派手好き、女にもてようとする、金はいくらあっても足りない。金がなければ、彼のプライドは瓦解する。だから何としても金を得なければならない。そこからくる惨劇ではなかったか。与兵衛サイコパス説もあるが、本当にサイコパスなら、あんなに下手な殺し方をするだろうか。無論、これは彼にとって初めての殺人であり、うろたえるのも当然だが、同情がない、というよりも、彼はお吉に甘えすぎでいたし、お吉もそうした与兵衛の心の機微に気づかないほど、普段は弟のように下に見ていたということではないだろうか。
彼に感じられたのは、人間の恐ろしさというよりも、自分にもどうにもならない弱さ、自分を破滅させる衝動を抑えきれないところに、彼の弱さのもたらす悲劇を感じた。

人形。与兵衛といえば勘十郎の当たり役の一つだが、今回は玉助。
お吉も一輔(休演時は簑紫郎)と、次へ向けての配役となり、両者ともこれまでの与兵衛、お吉を踏まえつつ、自分のものを作ろうとする頼もしさ。一輔のお吉は断末魔とはいえ、激しく暴れるあたり、母としての強さがよく出て、最期も蚊帳の内に眠る娘たちを案じる動きにその性根を見る。
玉助の与兵衛は、本当は人を殺すほどの根性もなかったのに、なまじ継父への恩を感じたために、目の前のお吉を殺してしまう弱さと支離滅裂さ、目の前のことしか考えられない視野の狭さ、自分で何も責任をとれず周囲に何とかしてもらおうとする甘え、にもかかわらず人の目を気にするええかっこしい、という破滅的な人物を描いた。
勘壽の徳兵衛の、先代への義理となさぬ仲の息子へのまなざし。清十郎のおさわ、武家の出らしい物堅さと、一方で駄目な息子ゆえにという思い。おかちの紋吉、いじらしい親思いの娘、無法な兄を嘆きつつ親のためにその言葉に従わざるをえないいじらしさ。文昇の太兵衛、短い時間で兄弟の対比を描く。勘助が山上講先達で勢いあり、勘市が稲荷法印、修験者の恰好はしているが、という性根のうまさ。勘弥の七左衛門、しっかりした商売人で、ややそそっかしい印象。

 

舞台は、絶えず新たな出会いと解釈を私たちに与えてくれる。与兵衛の殺しは単なるホラーというより、我々の魂の持つ弱さの深淵であり、自分との共通性を覗いたときの、目をそむけたくなる思いではないだろうか、と思わされた。

 

流浪の旅路、新たな地へ―2024年5月―

森田美芽

 北千住駅は足立区の交通の結節点に在し、JR、地下鉄千代田線、日比谷線等が乗り入れており、都心部からはやや離れるが、賑わいのある街で、その駅前に立地する千住ミルディスの11階に、シアター1010(千住)がある。ここは、これから何年かに亘る「令和の大巡業」の拠点の一つとなる。
ホール自体は音響もよく、座席も余裕があり収容700名ほどだから、規模としても適切と言ってよい。ただ、ロビーが狭かったり、芝居気分を味わうにはやや物足りない部分があるが、少なくとも関係者の努力の伺える空間である。

5年ぶりの二部制ということで、一部は『寿柱立万歳』から。咲寿太夫、亘太夫らの声が伸びやかで、太夫の簑太郎、才蔵の文昇らも軽やかに、祝祭らしい雰囲気を盛り上げる。
 『豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露口上』。内容は大阪と変わらないものの、最長老の團七の「新若太夫をはじめ、文楽のこれからを応援してください」というメッセージに心打たれる。実に芸歴70年、どんな思いを積み重ねてこられたのだろうか、と思う。文楽が二分されていたころの苦労、家族よりも長い時間を共にして苦楽を分かち合い、師匠や先輩方を見送る苦しみ、その時代を超えて、今の文楽があるのだと、生身の身体から発せられる言葉の重さ。

 十一代目若太夫襲名披露狂言『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」
夜の屋敷、何故か一人でやってくる武者姿の子ども。迎える母は陣羽織姿。そして母は息子に「手柄をさせてやる」と息子を抱いたまま屋敷に入る。ただ事ではないと感じる。
尼君北条政子の物語でようやく事件の一端が判明する。尼君の娘である斎姫を殺した荏柄平太の子を尼君が匿っているのは、実は先将軍の子、尼君の孫であると。本来ならば主殺しの犯人の子は罪九族に及ぶ昔の法に照らして死罪となる。 しかしその子が実は先将軍(頼家)の子であることを知っている現将軍(実朝)は、犯人を引き渡すようにと、子供ばかりの討伐隊を送る。孫を惜しむ尼君の心を知って、しかし天下の法を曲げるわけにはいかないから。

今回、先月よりも、父と子、家族の繋がりがより強く感じられた、というのは、私の感じ方が変わったからかもしれない。4月に見たときは、板額の母として、と武家としての葛藤に目が行ったが、父もまた、しんどいところを妻に丸投げしているとはいえ、市若の最期を見届けようとしたこと、断末魔の子に「父も来ておるぞ」と呼びかけ、お前の死は立派な手柄だ、と語り掛ける。そして今回、段切れに、板額は涙をたたえて我が子の首を、公暁丸の首として、夫の与市に手渡す。「いかいご苦労」「ご苦労」の一言に込められたこの夫婦の思いが痛いほど感じられた。終わっても、しばらく席を立てないほどの感情の捉われていた。
勘十郎の板額の造形が見事というよりほかはない。板額の母としての思い、されど忠義のために、という葛藤、その感情の一つ一つを人形で描く、この遣いがあればこそ、この語りが生きたものとして眼前に迫ってくる。
清介の三味線も素晴らしい。複雑な状況、異様な緊張、板額や市若、尼君や綱手、浅利与市のそれぞれの感情、かなり複雑な手で、それ自体魅力的だが、その内容を生かすまでに磨き上げられている。
素晴らしい舞台、の一言に尽きる。現代人にとってこれほど違和感のある演目を、そうした違和感を超えて納得させる、その三業の見事な調和による情念の迸り。

若太夫はさらに板額の感情の機微に至るまで丁寧に語り、その語りの一つ一つに呼応するように勘十郎の人形は、僅かに目を伏せ、俯き、目を上げる、語られる言葉の通り、板額の思いが目の前に具現化される。それを見る者の感情に訴え、内側から揺さぶる清介の三味線。三者が一体となることで、この物語の核となる、武家の倫理の厳しさと、そのことで犠牲となる市若の純粋さ、母と父の嘆きがまっすぐに、理屈を超えて伝わる。拍手が自然に起こる。この作品を現代に甦らせた、この三者の力は特筆すべきであろう。
それもこれも、文楽全体を担う「豊竹若太夫」の名跡の襲名なればこそ、このように舞台全体、また公演全体の力が結集されたのである。こうした力こそ、この後も引き継いでいかねばならないものだと思う。そして再演の機会あれば、ぜひとも「板額門破り」や今回略された端場を復活させてほしいと願う。

このあと、『近頃河原の達引』「堀川猿廻しの段」。前、織太夫、藤蔵、ツレ清公。織太夫はこうした滑稽味のある語りも手慣れたものだが、あまりに笑いに傾きすぎるように思う。むしろここは、貧しい暮らしの中、気の弱い正直者としての与次郎や、貧しい中にも子の幸せを願う母の、笑いの中にも情愛が沁みとおる場である。「まだまだまだまだ」も、母への思いやりが滲むところだ。おつると母の掛け合いもたっぷり。さらに、故咲太夫の域を目指してほしい。藤蔵もここは派手さよりも余情が勝る。
後半は錣太夫、宗助、ツレ寛太郎。錣太夫は情趣たっぷりだが、やはり与次郎の造形が、滑稽さを強調することになってしまう気がした。でも「よい女房ぢゃに」はやはりジンと来る。宗助と寛太郎の三味線に、愛らしい子猿。
与次郎は玉助。善良な、妹思いの、だが臆病者というキャラクターをよく遣っていた。文司の母も、貧しさの中に情も理もわかる庶民の優しさを示した。今回伝兵衛の一輔は育ちの良さと義理堅さ、娘おしゅんは清十郎が、遊女となっても愛する者への一途な思いに生きる純粋さを感じさせ、この二人が心から結ばれていることが見える。

「道行涙の編笠」は、三輪太夫、小住太夫、碩太夫に團七、團吾、友之助、清允。おしゅんと伝兵衛の切ない思いは十分伝わるが、結末が見えない終わり方なのが少し残念に思う。

第二部は『ひらかな盛衰記』の半通し。あまり出ない「義仲館」は籐太夫と勝平が物語へと無理なく導入し、義仲、巴御前など、この物語の軸となる人物が存在感をもって描かれる。特に巴御前は、板額と並ぶ女丈夫、勇ましい武者姿で現れ、簑紫郎が凛々しく強い女武者を見事に遣う。
二段目の口、「楊枝屋」も36年ぶりの上演となる。靖太夫と燕三が、浪々の身を嘆くお筆の父鎌田隼人の活躍を生き生きと語る。 ここでも猿が活躍する。
「大津宿屋」は掛け合いで、希太夫、津國太夫、南都太夫、文字栄太夫、聖太夫、薫太夫、まとめるのは清友、ツレ錦吾。お筆が緊張しているのが、ここまでの経緯があることで納得できる。権四郎の武骨な、漁師の風情も、その強さも納得できる。そして暗闇の中での子どもの取り違えの悲劇。「笹引の段」は呂勢太夫・清治。和生のお筆が獅子奮迅の働きをする。主君を喪い、父を殺され、また取り違えられた子が犠牲となる、その重荷を一人背負うお筆の気丈さ、笹引きが哀れに美しい。
「松右衛門内」睦太夫、清志郎は冒頭の村の嬶たちの面白さから松右衛門の出のどこか秘密を含んだ憂いを語り、千歳太夫、富助は無論、松右衛門の詞は強く迫力あるものだが、その前に権四郎とお筆のやりとりが、ここまでの経緯を見ているのだから、もっと両者の思いに沿っていてもよいのではないかと思う。
「逆櫓の段」は芳穂太夫、錦糸。三味線の技に、また玉男の樋口の勇壮さに、拍手が起こる。ただ、最後の権四郎の詞の省略があったのは台本のせいだが残念。
玉男の樋口は当代きっての力強さと熱い忠義。玉也の権四郎は、娘を愛し孫を愛しむが、義理を通す男の強さが樋口と好一対。およしは勘壽、庶民的な女房だが一本芯の通った強さ。和生のお筆は、板額、巴御前と並ぶ女丈夫としての顔よりも、その困難にもめげず前を向こうとする凛々しさ。玉佳の隼人も古武士らしい芯の強さ。勘市の家主が飄々とした味わい。

しかし今回、土曜の午後というのに、客席が埋まりきらないことに大きな危惧を覚えた。十一代目豊竹若太夫襲名披露というおめでたい公演である。しかし大阪の四月、東京の五月という主要公演で、襲名披露の部は大入りでありながら、それ以外の部に観客が少ない。これは東京ではこれまであり得なかったことだけに、私にはショックが大きかった。

第一に場所の問題がある。北千住は比較的便利ではあるが、第二部が終了してからでは、最終の新幹線には間に合わない。都内でも遠方の人なら、やはり躊躇するだろう。そうした時間距離の問題がある。しかしそれ以上に、やはり国立劇場は、公演とそれに至る全ての準備や研究が一体化しているからこそできていたことだと気付く。
シアター1010は便利にできているとはいうものの、公演の主体ではない。あくまで場所を貸しているというスタイルである。だから、芝居を楽しむ空間としてはやはりしんどいものがある。コンサートならせいぜい2時間程度だが、芝居は4時間から4時間半をその劇場で過ごすのだから、作りや設備もコンセプトが変わってくる。

国立劇場が休館中で
各劇場を渡り歩くことをどう活かせるか

ある方が、こうした場所の問題を、「トポス」であるか否か、と表現された。まさに劇場は、演じる人、作る人、見る人、それらがエネルギーを出し合って、それがぶつかり合って相乗効果を生む、二つとない興奮を生み出すものである。それが人を引き寄せ、場に活気を与える。だから、幕間の時間をゆったり過ごせるとか、初心者にも見巧者にも新たな発見があるとか、気持ちよいアメニティがあるとか、客を飽きさせない、不快にさせない配慮が必要だが、公共の多目的ホールの場合、そこまで望むことは難しい。

もう一つ、これは演目に関してだが、国立劇場でやるなら、通しや半通し、復活狂言は実にふさわしい、というより、それが国立劇場のアイデンティティの一つである。必ずしも見てわかりやすくないとか、現代の感覚では面白いとは思えないという作品もある。しかし歴史的に行われてきた通しの形態や内容を発掘、上演することで、文楽とは、義太夫節とは、という最も根本的なものを守っていく作業を行っていく。たとえば、アカデミックな学問の作業と似たところがある。言わば、文楽のスタンダードを作っているのである。
国立劇場は、それを半世紀以上に亘って続けることによって、そうした知と業の集積を作り出し、こうした芸能の正統、正系というものを守っていく、そうした権威を持つ存在である。見る者も、このような前提を理解し、時にはとっつきにくい作品であろうと、それを楽しむ余裕がある。

しかし現在それが可能なのは、国立劇場だけである。それらは人から人への芸の継承、そのための対面での稽古の場の保障、貴重な資料の整理と保管、必要な時いつでも閲覧できる環境、それらを専門的に対応する職員、それらが揃って初めて生きる。芸の継承から実際の公演、その記録に至るまで一体となってできるから意味がある。
しかし、国立劇場が建て直しのため閉場し、PFI方式による建て替えを予定しているが、2度にわたる入札は不調に終わり、3度めが予定されているが、これもはっきり言って見通しは暗い。つまり、国立劇場としての機能が停止したまま、公演だけを継続していることになるが、それははっきり言って片手落ちである。
危惧されているように、このまま仮に10年後に国立劇場が再開したとしても、その時、技芸員がどれだけいて、どのように公演できるか、お客が戻ってきてくれるのか、極めて危うい状態にあると言わざるを得ない。コロナで3年、不自由な時期があっただけでも、客足に大きく影響しているのだ。その意味では閉場は拙速であったとしか言いようがない。

さらに、もっと根本的には、文楽のような古い価値観や世界観に基づく舞台を、今日の感覚へと橋渡しすることが極めて困難になっているといるのではないか。命より名を重んじる、義理を重んじる、親子の情より忠義を取る、そのために子供が犠牲になる、そうした一見、反近代的な世界観に抵抗を感じる、というより、技芸員たちの努力によってその間を埋めることが難しくなっているのではないか。
無論、いまの観客にとって、自分を抑圧されたり、自分が他者の犠牲になったり、ということは耐え難いことであるかもしれない。しかし、そうした自由な時代を生きていても、そうした封建的な論理で描かれた世界の中に、現在の自分たちと共通するものを見出す、あるいは時を超えて存在するものを発見し、新たな自分を知る、そのような出会いが起こるのが、古典の醍醐味である。
しかしそれが続くためには、少数精鋭の演者のたゆまぬ芸の修練と、現代への橋渡しのための関係者一同の努力が必要である。そのために、国立劇場は、通しの復活や後継者の育成、普及と資料整備などの大変な仕事を、半世紀以上に亘って実施し続けてきた。それだけでも関係者の努力は感謝以外のなにものもない。だが、そうして継承されてきた芸の世界が、いま、かつてない危機に直面している。
昔は、国立劇場がなくとも、一般人の中で、『忠臣蔵』も『千本桜』も人口に膾炙しており、常識であった。その伝統は崩れてしまっている。だからこそ、人々の足を文楽に向けるには、ただ通しを復活させるとかだけでない、人々の中に入り、関心を持ってもらい、劇場に来てもらうための努力が必要なのだ。幸い、文楽には全国どこへでも行こうという固定客も一定数おられる。その人たちを力に、また新しい観客が文楽との出会いを作ることができる。

「令和の大巡業」。新しい国立劇場が完成する日まで、東京での公演は、地方巡業のように、あちらこちらの劇場を渡り歩くことになる。
かつて、文楽が分裂していた時代、様々な劇場、様々な地を巡って演じ続けたように、その困難をチャンスに変えるには、行く先々で、土地の人を新たなお客とすることだ。しばらくは、観客に興味を持ってもらいやすい演目や、短い番組を用意する、さらにインバウンド客を取り込む試みも必要だろう。現に大阪公演での三部は客席に外国人の方が多く見られ、『増補大江山』の鬼と頼光の対決には観客が沸いていた。

新たな彼らの地にたどり着くまで、その努力は続く。私たちは再びそうしたトポスを作り出すことができるように、この流浪の日々をも、共に歩んでいきたいと願う。

掲載、カウント(2024/6/19より)

魂の芸―11代豊竹若太夫襲名披露公演『和田合戦女舞鶴』―

森田美芽

遅れていた桜が満開を迎え、花曇りの空に鮮やかな幟がはためく。2024年4月6日、豊竹呂太夫改め11代豊竹若太夫の誕生である。それを知らしめるのは、先代若太夫の襲名と、初代若太夫の記念碑とも言える『和田合戦女舞鶴』の「市若初陣の段」である。まずは舞台成果についてのみ書いておく。

 

中、希太夫、清公。時代物三段目の重い語りだしと、その緊張とは裏腹な腰元の掛け合いに笑いを取る。
場所はなぜか尼君の館。尼君はなぜ、我が娘斎姫を殺した荏柄平太の妻と子をここに匿うのか、その謎解きがこの後展開されるが、ここではまだ暗示である。綱手が出て腰元を諫めるが、その微妙な立場を暗示する、複雑な感情を希太夫は見ごとに色づける。その陰翳を深める清公の糸。84年ぶりに復活されたというこの場を生き生きと演じる。

板額登場。
緋色の着付に陣羽織、鉢巻という女武者姿。ここで「誠口ほど健気なら公暁を刺し殺し、その身も自害したがよい」と言い切る女丈夫。女としての甘さは微塵も感じさせない強さ、忠義の論理。しかしこれが、後にそっくりそのまま返ってくるとは。

そして夜討ちかと思えば幼い子どもたちの軍勢という意味不明な事態。
その中に我が子市若がいないことに気づき、板額は将軍実朝の母への複雑な思いを理解する。ここが現代人には理解しにくいことだが、まず、主殺しの平太の一族を捕えなければ天下の法を乱すことになり、さりとて母の政子に敵対すれば不孝となる、そのためにわざと御家人の子どもたちだけの軍勢を送りこんだわけだが、理と情の背馳というには、子役の武者姿はあまりに稚く、アンバランスと見える。この微笑ましい場面が暗転するとは。

、若太夫、清介。
鮮やかな緑の肩衣に「豊竹」の紋。ゆっくりと清介の三味線に導かれて語り出すのは市若の出。緑地の着付、鎧兜に身を固める11歳。いまなら小学生、そのあどけなさ、単純さ、それゆえの純粋さ。そして我が子に向かう時の板額の、打って変わった母親としての顔。兜の忍びの緒を締めなおそうとして緒が切れる、その不吉さに「わしや討死をするのかや」不安を表わす我が子を抱き上げ、屋敷に入る板額。

ここらはむしろ淡々と進んでいく。いや、抑揚がないのではなく、あまりに自然で、その一つ一つに意味があることが、見る者にも次第に迫ってくる。そのような語りの構成の見事さ。

「子を捨つる藪はあれども身を捨つる」と下手に浅利与市。ここで彼は「見る」役である。彼が見ているのは、密かな計画が成るかどうかであるが、まだここでは見えない。

一間で板額が尼君に向かい、ようやく尼君の口から真実が明かされる。まず、公暁丸が実は先将軍頼家の子善哉丸であり、現将軍実朝には子がないため、この子を跡目に残したいこと、荏柄平太夫妻の子と偽っていること、それを夫は知っていること、自分だけが何も知らされずにいたこと。そして夫が市若丸の兜の忍びの緒を切れるようにしたのは、市若を公暁丸の身代わりに首を討てということなのだと板額は理解する。その「ホイ、ハツ」の一言に板額の驚きと、一瞬にして絶望に変わる思いが見える。
それに畳みかける、尼君の「一人の孫を先立てば」「助けてたも板額」、公暁の「我が命終はるは厭はねども、共にとある祖母様のお命が助けたい、よきに頼む」と言われ、板額一人にその責が負わされる。それも「『仰せ否』とも言ひかぬる」母としての板額は追い詰められ、嘆く。しかし夫の与市は外で「おれが心を推量せよ」と自分の苦境を訴えるのみ、実際に我が子を手にかけよ、と自分の手を汚さずに妻に求める。母である彼女にどれほど残酷であるかを想像すらしないように。

だが、そこから板額が、一途に手柄を求める市若を見て、「涙を忠義に思ひかへ」る。彼女は忠義の論理に従わねばならない。そこから逃れるすべはない。そして市若に対し、一世一代の芝居を打ち、彼を自害へと追い詰める。そのために、自分が平太の子なら、と考えさせ、「主を殺した者の子と、指差しにあはうより、潔う腹切つて、さすがは武士と言はるる気」という言葉を引き出す。板額はそれに「ナニ腹切つてか」と、「腹」を繰り返す。この一言が耳に残り、そこに我々の意識が集中するように。

市若を上手に帰し、板額の一人芝居。誰も、その意味を分からず、下手の与市、奥の尼君と綱手、上手の市若、全ての人が板額の一挙手一投足を、その言葉を聞き取ろうとする。
その緊張の中、板額は市若が公暁の取替子であると語る。それを聞いた市若は絶望し、自身が語った通りに自刃する。それは市若にとって、自身と母の面目を保つ、武士の子としての唯一の道であるから。しかしやはり子として、母に回向を頼み上げます、と語るいじらしさ。
板額は市若に、先将軍の子の身代りであると真実を語り、そして「何の荏柄の子であろうぞ。与市殿と我が仲の、ほんの、ほんの、ほんの、ほんの、本ぼんの子ぢやわいなう」と張り裂くばかりの嘆きで応える。ここで拍手が起こる。こんな理不尽なのに、現代人なら納得できないほどの理屈なのに、ここでは忠義や義理を超えた母の思いが、理屈抜きに胸に刺さる。
それが舞台全体から、客席全体へと広がる。市若の無垢の死とその母板額の嘆きに、全ての人の心が溢れ一つになったように。

なぜ市若は死ななければならないのか。この段で理解しにくいのは、それは、和田常盛と北条の子江馬太郎義時が斎姫を争うという、そもそもの当事者がここには出てこず、しかも藤永入道の陰謀というが、それは『菅原』の藤原時平や『忠臣蔵』の高師直のような巨悪には見えない。
そして実際には斎姫は亡くなっておらず、市若による身代わりの死とは、単に主殺しという封建秩序の回復のための犠牲としてだけでなく、尼君の「尼の身で、出家落とした厳罰と、言はれんも恥づかしく」と、孫への執着、愛着心からの行為であることが彼女の名誉を傷つけることからの救いとも見える。人々の執着と競争心、嫉妬、そうした小さな悪が積み重なり、一人の無垢な少年が、全てを背負って犠牲となる。

こうした犠牲に思い出すのは、旧約聖書の「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、/私たちの咎のために砕かれたのだ」(イザヤ書53章5節)という箇所である。

だが、犠牲とは我々の側から見た理解にすぎない。シモーヌ・ヴェイユが、かのイエスの姿に、全てから見捨てられる苦悩を味わいながらも、神に従う意志を貫いたことに、人の尊厳の原点を見出したように、この市若の死を「犠牲」としてのみ捉えることに、若太夫は全く異なる見解を持つ。
市若の死は、自己の尊厳を果たしての自己決断の行動であると。
すなわち、犠牲として悔やむのは現代人の、しかも第三者としての感覚であるが、市若の内面は、自らを武士の子として、忠義の論理に従うわなかればならない。もし主君を裏切れば、死をもって償わなければならない。もとより主君殺しは七族まで及ぶ大罪であり、死を免れ得ない。それを躊躇し死を逃れようとするのは、武士にあるまじきことである。だからこそ板額は、市若に「もしお前が公暁丸なら」と、彼自身の口から「腹を切る」と言わせるのだ。それゆえ、武士としての自分の生き方を決断し、全うしたのであると。
たとえいまの我々には理不尽であろうと、そのために板額は「涙を忠義に思ひかへ」たのであり、その信頼と武士としての倫理に答えたのが市若であると。それだけではない。自分を謀反人の子と信じ切腹した市若は、それでもなお自分を育ててくれた母の信頼に応えようとし、絆を守ろうとする。母板額への「子ぢゃと思ふて一遍の、御回向頼み上げます」はいじらしく、「そんなら荏柄の子でもなく、死ぬるも手柄になりますかや。嬉しうござる母様」は彼の思いが報いられた故の満足である。このような市若の姿勢がなければ、いまも封建時代の理不尽に踏みにじられる人間の悲劇という捉え方になるだろうが、市若の、さらに板額のこの悲劇には、その倫理の中に生きる人間の魂の叫びが、運命に押し流されるだけではなく、その中に立とうとする人間の潔さ、強さが現れる。それが、時代を超えて私たちの胸に迫ってくる。

この現代人にはすぐには共感しにくい物語を、このように新たな解釈を発見させ、現代に蘇らせた『市若初陣』の造形は、若太夫の語り、清介の三味線、また勘十郎の人形の三位一体で成立し得た奇跡のような舞台である。
若太夫の語りは、特に前半、むしろ淡々と進めているように聞こえる。しかしその中に丁寧に仕込まれた数々の謎を解く形で切場の後半が展開され、その節と、詞と、旋律が一つになって、弛緩なくすべての語りと音がクライマックスで一つの意味につながり、この感動を生み出す。いな、感動などと簡単に言ってはならない。それは私たちの胸深く貫く、言葉にならない思いであった。名づけることもできず、ただ涙を流すしかない、そんな情動が駆け抜けて行き、物語の幕引きと共にようやく正気に戻るような、感情の底が揺さぶられ、何かが湧き出てくるような経験。それを聞く者に与える、まさに「豊竹若太夫」の名にふさわしい語りであった。

無論、清介の三味線の躍動感や流麗さ、そのあわいに浮かぶ複雑な感情の絡み合いが声なき声として迫ってきたことも、また勘十郎の人形が、特にその一人芝居のところで、暗闇の中、緋色の着付で闘うように動く彼女の姿が、本当にその場に誰も居合わせないように、ただ一人だけスポットライトを浴びたように、くっきりと浮かび上がったことも、忘れられない。
市若の清廉さを見事に遣った紋吉、公暁の高貴さを描いた勘次郎、尼君の重厚さを伝えた簑二郎、最後に息子の首を受け取る哀愁を滲ませた玉志、微妙な立場の眼差しの翳りを表現した玉誉。

何と言えばいいのだろう。私はまだ、それを名状しかねている。
2023年暮れに、若太夫と清介が素浄瑠璃で語ったこの「市若初陣」を聞いた時、激しく揺さぶられると同時に、何か心の中に広がっていく、ある透明感のようなものを感じた。語るという行為と、聞くという行為と、私たちには到底できないその語りに、しみじみと浸っていくような、そういう安らいだ透明感があった。そしていま、新たに感じたそれを表現することが、私の次の課題でとなった。

掲載、カウント(2024/4/15より)

星の導き、地にある人びと――2023年夏公演

森田美芽

2023年夏公演は、体調不良者続出のため、異例の5日休演となった。演じる側にとって、命を削るような夏である。舞台はそうした不安を消すかのように続く。まるで、倒れても念を残す『妹背山婦女庭訓・三段目』の久我之助のように。

『妹背山婦女庭訓』の四段目は、四月公演からの通しの続編。四月が桜満開の吉野であったのに対し、四段目は七夕の三輪の里。
三輪山伝説を基に、三角関係の鞘当。だがそこに、国家の転覆を企てる巨悪に立ち向かう人びとの思惑が絡んでくる。そこで唯一、自らの思いのみに従い、恋を貫こうとする少女の純情が、この政争に大逆転をもたらすという、半二らしい結末を見る。

四段目は「井戸替の段」から。昔のこうした風習を知る人も少なくなっているが、酒が絡んで笑いを誘う。
玉翔の土左衛門や勘介の五州兵衛、玉路の藤六、和馬の野平らの生き生きした楽しさ。そして子太郎の玉勢が実にいい。とぼけた感じで、しかも事態の本質を突いてくる。
小住太夫は藤蔵と合わせ緊張しているか、やや調子が高めで苦労していた感があるが、「身は家主の、阿呆ぞと」など「十種香」のパロディを耳ざわりよく聞かせてくれる。家主の簑一郎はこうした三枚目もしっかり遣いこなす。紋臣のお三輪の母も底意のありそうな婆。

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「杉酒屋の段」お三輪の登場。段鹿子の振袖、華やかな簪の首、「野崎村」のお染にも似た、だがどう見ても田舎の娘。年は14、5歳だろうか。
しかし恋を知ると少女は女になる、というのがわかる。隣家にやってきた求女という男前の烏帽子折に恋して、彼の恋人を自認する、そうした自信と自意識が見え隠れする。
その恋の成就を願って、乞巧奠(きっこうでん)の苧環を飾る。その彼女が寺子屋から戻ると、丁稚の子太郎はいきなり、「忠義を言うて聞かす」と言いだす。これは無論、忠義→忠臣→注進の駄洒落だが、彼女の周囲の人間関係を思うと、実に風刺の効いた駄洒落である。
子太郎にとっては、求女のもとに美しい上臈が通ってくることをお三輪に伝えるのはまさに忠義だが、その子太郎は、求女を訴人しようとするお三輪の母や家主には不忠者ということになる。
お三輪は一人前に、恋人に忠義を尽くそうとするが、その恋人は自分以外の女を引き入れる不忠者である。この三角関係、芳穂太夫はお三輪に重点を置いて語る。母が求女を追っていこうとして酒樽の呑み口が外れるのに手間取っている、そんな笑いまで錦糸の糸は美しい。逃げていく上臈、追う求女、それに遅れじとお三輪。
「道行恋苧環」お三輪を呂勢太夫、橘姫を織太夫、求女を靖太夫。聖太夫と初舞台の織栄太夫がツレ。清治をシンに、清志郎、清公、清允、清方と並び、末席にこちらも初舞台の藤之亮。負けじと声を張り合い、糸には緊張が走る。

三輪の里から芝村、釜が口を経て布留の社(石上神宮)で求女は橘姫(彼女は求女には敵である入鹿の妹)に追いつく(実際、かなりの距離である。奈良の地理に詳しい友人曰く「奈良マラソンやるお姫様」)。
三輪山伝説では、夜のみ通ってくるのは男である。その逆となる、夜のみ現れる美しい女は、実は政敵の妹である。語るに語れぬ政治的事情を解さないお三輪が、嫉妬にかられ求女を奪おうとし、奪い合う。彼女にとっては恋敵が、どれほどの存在であるかわからない。それほど盲目的な恋である。
その鞘当に、女が逃げ、求女が苧環の糸を付けて彼女を追う。「縁の苧環いとしさの、あまりて三輪も悋気の針」、この苧環を頼りの男を追っていくお三輪の、嫉妬と怒りの情念。

「鱶七使者の段」口、碩太夫、燕二郎。碩太夫は音の高低で仕丁二人のコミカルなやり取りを語り分け、燕二郎は鋭く入る。

、錣太夫、宗助。「花に暮らし、月に明かし」からの入鹿の絶頂と増長を的確に描き、鱶七の豪胆にはユーモラスな味わいも。「鱶七という漁師、漁師」の詞に、その本性をちらりとのぞかせる巧みさ。宗助の変化の親わしさ。

「姫戻りの段」希太夫、勝平。ここで求女は淡海、上臈は橘姫と正体を現す。だがここでは、淡海は恋をも自分の計略の道具とする。橘姫に十握の御剣を盗み出すことを求める。その代償は「尽未来際変わらぬ夫婦」という言葉。しかし何と悪い奴か、と思ってしまう。
女にもてる魅力を自分の目的のために利用する、それがたとえ天下国家のためでも、自身を犠牲にして廉直を貫いた久我之助と対比されるだろう。希太夫はこの求女という男のしたたかさをしっかりと聞かせた。勝平はこの微妙なすれ違いの綾を聞かせる熟練。

「金殿の段」、切呂太夫、清介。
お三輪は行き着いた御殿で、彼女がいかにして「疑着の相」の持ち主となったのか。ここは現代人にとって理解しがたい難題の一つだが、豆腐の御用との出会いから官女のいじめに至るプロセスが、彼女の中で嫉妬と怒りと恥と悲しみが凝縮され、凄まじい怒りと嫉妬の情念が、鱶七(実は金輪五郎)の巨躯さえも乗り越えようとするエネルギーとなったのが見える。

しかし彼女は、自分では理由もわからぬままぬまま、刃に倒れる。そしてその苦痛の中で、恋人が別世界の人間であることを知らされることになる。「天晴れ高家の北の方」と呼ばれて喜んでも、彼女の心は依然として求女にある。彼女の目には、天下国家も、国の忠臣も見えない。自分の恋する人、それも藤原淡海であると正体が知られれば、永遠に失われたにも拘わらず。

呂太夫の語りには、この二重の不条理、彼女の目にだけ見える、求女との恋が現実のものと思えるほどの、彼女の強い思いが、一人の村娘にすぎないこの少女が、その伝説の里の名を担って、不思議な犠牲となり世界を変えることを納得させる。
写実ではなく、幻想ではなく、現実と憧れと言い知れない大地の超自然の力が、一人の少女の存在を通して不思議な調和となることを聞かせる。
しかし同時に、人間としての骨格、健気で一途な、怖れを知らない少女としての一面を見せて落ち入る、その繊細な表現力と、その両面性を描き切る呂太夫の語りの魅力、それこそが義太夫節の魅力ではないだろうか。そしてこの荒唐無稽・牽強付会な物語を、大序からここまでの歩みを含めての世界を構築した清介の手裁きの妙にため息をつく。

「入鹿誅伐の段」睦太夫、南都太夫、芳穂太夫、咲寿太夫、薫太夫、文字栄太夫のベテランと中堅と若手、それぞれに個性的な6人を團吾がまとめる。ここまでの全ての悲劇と犠牲が、ついに鎌足とその家来たちによって大団円を迎える。ここは最も非現実的なホラーの一場と言ってよい。

しかしその重みはこの段までに十分積み重ねられている。爪黒の鹿のために犠牲とされた少年とその結果見出された神鏡、「疑着の相」を持つ女の生血、さらには入鹿の横暴のため若い命を散らせた久我之助と雛鳥の悲劇、さらにはめどの方の悲劇、それを思えば権力闘争のいかに空しいことかと思わされる。
そして入鹿が自らを天子とした僭上も、また狂気というべき権力欲であり、その根元に超自然的なエネルギーがある。
それらをなだめるために、かくも不合理な犠牲が積まれ、さらなる超自然的エネルギーを生み出す必要があったのだ。

だからこそ、このお三輪の死は、他の死とは異なる強さ、そうした生命の根源に当たるものの持つ不可思議な力を象徴する。だからこそこの少女に理屈抜きに感情移入せざるを得ない。
自分に対し不実な恋人、平気で他の女と通じる軽さ、その意図が、入鹿討伐のため、天下国家のためという大義であろうと、彼女にとっては、永遠にただ一人の恋人なのである。
この純粋さ、ひたむきさが、陰謀と策略に満ちたこの物語を浄化していく。三段目で若い恋人同士が互いを思いやって死すべき運命を受け入れたことで両家の対立を和解させ思いを入鹿討伐に向けさせたように。
だがこの少女の恋は独り相撲であり、成就するのは幻想の中だけにすぎない。それを成立させる恋の熱情。それこそが、人間を超えた悪として描かれた入鹿を倒す力の根源であった。

勘十郎のお三輪は、そうした激情と憧れのアンバランスな少女の中に現れる情念の不思議を感得させる、見事な造形であった。
師簑助のお三輪は、間違いなく少女でありながら女であったが、この勘十郎の場合、さらにその少女と大人の女の間の不安定さ、不可思議さをエネルギーに変える強さを感じた。
これに対する一輔の橘姫、気品ある仕草と姿、そこにアンバランスなまでの恋の情念、もう一つの恋の姿を清冽に描く。
玉助の求女は、そうした腹に一物の色男と政治家の一面を見せる魅力的な造形。玄蕃の玉誉は力強さを増し、弥藤次の勘次郎はすっきりと色気ある姿。入鹿の玉輝は悪の権化の強さ、玉志の鱶七はスケールの大きさの反面、細心さを感じさせた。豆腐の御用は簑二郎、愛嬌はあるがもう少し自分のペースでよいと思う。鎌足の文司は孔明かしらの性根。玉彦の玄上太郎もよい形。

『妹背山』四段目の夏が、七夕の光に貫かれるのに対し、『夏祭浪花鑑』の夏は、凄まじい暑さ、それも湿気がまとわりついて、特に「長町裏の段」では晴れることのない陰鬱さを湛えている。

「住吉鳥居前の段」口亘太夫、錦吾。亘太夫、こうした世話の世界の面白さをしっかりと描けるまでになってきた。特に三婦の詞が説得力あり、磯之丞の若さもよい。他の人物もきっちりした語り分けができている。錦吾は出の足取りや場面転換の色が見えてきた。

、睦太夫、清友。

睦太夫は丁寧に、多くの人物の出る場を語り分けるが、徳兵衛の方が声を若くしているのだろうか。それが少し団七と張り合うこの場の中では少し重みに欠けるのではないかと感じた。清友は変わらず誠実で手堅く支える。

「釣船三婦内の段」千歳太夫、富助。

千歳太夫の熟練。三婦の詞の端々に、酸いも甘いも嚙み分けた男の底力を感じさせる。対して磯之丞の甘さやこっぱの権たちの調子の良さ、おつぎとお辰の女の友情のような美しさ、そしてお辰の詞。「サ、ササ、立ててくだんせ、親仁さん」の気風のよさ。
それに対しお辰に磯之丞を預けられぬという、その精一杯の配慮に満ちた詞の重さ。だからこそ、後に引けないとお辰が自ら鉄弓を取る段取りも、説得力もじんと迫る。富助、この場の緊張感。

アト、咲寿太夫、寛太郎。
ここで場面が動く。義平次の企みにひっかかるおつぎ、それを知った団七の怒りの変化。一気呵成にまとめる若さの語りの心地よさ。

「長町裏の段」織太夫、藤太夫、燕三。
このところ、織太夫がこの場の団七を語ることが多い。そしてこれまで、大きな声で迫力を出すことが眼目であったように思えたが、今回、追い詰められていく団七の苦しさ、義平次への義理に苦悩する思いが、すっと伝わってきた。
藤太夫の義平次の巧みさ、憎々しさにもよるが、殺し場から祭りの興奮に紛れ、さらに「悪い人でも舅は親」が強く響いた。
次代の切語りに向けて、また一つ階段を上ったように思う。燕三の巧みな糸が、この夏の夜の物狂おしさの生み出した惨劇を彩る。

人形では、まず玉男の団七。大阪下町の、侠客と呼ばれる男っぷりのよさ、それでいて舅との関係に苦悩する。それが実にしっくりくる。そして大柄の男の人形を遣って、微塵も不安を感じさせない強さと大きさ。
この5月東京での勘十郎の団七と比較しては失礼かもしれないが、両者は全く対照的で、それぞれに魅力的である。玉男の団七は、こうした人物のパターンがあって、その中から本質を表出する。勘十郎は一人一人の役柄の性根からその形が生まれる。
玉男の遣い方は、その型に内実が伴わなければ感動は生まれない。この20年ほどの玉男の「男」の充実を見て、本当に努力の人であり、師の先代の型を追いながら、それを自分のものとしていく過程で、新たな魅力を感じさせるようになったと思う。

和生の義平次、意外なほどこの厭らしさが生きている。団七とのバランスが見事。玉助の一寸徳兵衛、形よくさわやか。この後、団七を救おうとする男としての魅力も。玉也の三婦は貫禄。三婦は、若いときにはさぞブイブイ言わせていただろう、という底力を感じさせる。
いまでこそ丸くなっているとはいうものの、達引になれば今も若い者を簡単にあしらえる経験値や鍛えた腕力を感じさせる。何より、修羅場をくぐった迫力が段違いである。
勘壽の女房おつぎ、この侠客の女房ならでは、度胸もあるし、夫の気性を誰よりも理解し、若い者には姉さんである。だが、少し判断が甘いところが見える。
勘彌のお辰、やや崩れた色気、黒の衣裳にまばゆい白さ。そして一旦預かると約束しながら、それを撤回されたときの三婦への迫り方の強さは只者ではない。しかし、むしろ傷ついた顔を隠すように恥じらう仕草が印象に残った。

団七女房お梶、一輔も母親らしさと、団七と徳兵衛をさばく強さが印象的。
清五郎の磯之丞は色男らしく、紋秀の琴浦はいじらしく、簑之の佐賀右衛門は紋吉のこっぱの権、簑太郎のなまの八、本当に大阪のチンピラらしい首そのもの。玉峻、役人でまずは形を整え、清之助の倅市松が愛おしく見える。

そして今回改めて「釣船三婦内」の面白さに気づく。この場は、「長町裏」に対し、やや大人しく見える。だがいかにも大阪らしい風情、やり取り、仕掛けがある。

この舞台の直前、NHKの「芸能百選」において、呂太夫・清介のこの「釣船三婦内の段」の放送があった。そこで呂太夫がこの芝居について語ったこと。

「僕は住吉の浜口の育ちですから、この住吉鳥居前の雰囲気が懐かしく感じるんです。本当に、あの三婦やらこっぱの権やら、あんな感じの人たちがいたんです。語る時はその人たちの顔をイメージしながら語っています。昔は本当にキャラが濃い、あんな感じの人たちが街にいたんですよ。
それから、おつぎとお辰、二人の老女形のかしらの語り分けが難しいですね。おつぎがやや年上のように語ります。
そしてこのお辰という女性の詞、好きですねえ。『一旦頼むの頼まれたと言うたからは、三日でも預からねばわしも立たぬ。アイ、立ちませぬ。サ、ササ、立ててくだけんせ、親仁さん』ほんま、太夫冥利に尽きますわ。」

そしてこのお辰の行動も、単なる意地ではなく、義理であると指摘する。
彼女が必死になるのは、単に一度請け合ったことを翻させるからではない。それはお主の大事だからである。
備州玉島の恩義のある主人、玉島兵太夫の子息であるからには、何か何でも磯之丞を守らねばならない。だからこそ、何がなんでも引き受けなければならないのだ。もしこれを引いたら、夫の顔が立たない。だからここで彼女を動かしているのは、単なる自分の意地ではなく夫への愛である。だから自分の顔と引き換えにしても、磯之丞を預からねばならなかったのだ。

それを聞いて、長らく疑問に思っていた、お辰への「なぜ」が氷解する。単に意地だけで、女の命ともいうべき顔を傷つけるのだろうか。それを即断できるのだろうか。それが「義理」のためであるなら、命をも賭けなければならない。
二人は街の侠客、何よりも義理において筋を通さなければならない立場であり、そのための犠牲なのだ。三婦もそれをわかっているからこそ、「出来た」と称賛する。だがその後、少し寂し気に、「親の生みつけた顔を」と悲しみの表情を見せる、そのいじらしさがまた何とも言えない。

「夏祭」の魅力は、こうした市井に生きる人々の豊かな表情、人間性を実にリアルに描いており、その一つ一つが大阪の魅力とつながっていることにある。
「妹背山」の天上人らの世界にお三輪という少女が闖入しその世界の犠牲となった「忠義」に対し、地を這うように生きるその侠客たちの論理が、実は「忠義」にあるということ。そのことが、「長町裏」での舅殺し、つまり「親孝行」の逆であることと対比される。またそれも、この物語の仕掛けではないだろうか。

掲載、カウント(2023/8/13より)

半二の宇宙と曾根崎の夜―2023年4月公演に寄せて

森田美芽

『妹背山婦女庭訓』は近松半二の最高傑作の一つと言えよう。
そこには義理と情に引き裂かれる人間の悲劇が、超自然と人間関係の現実のない交ぜの世界を背景に描かれる。それも大和の四季と名所を効果的に配置し、全体として「半二の宇宙」とも形容すべき世界観が展開される。そしてそれを舞台で演じる時、個々の演者も全身全霊をもってその技芸を発揮することで、その小宇宙に新たな、いくつもの始まりが起こる。

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第一部序段「大序・大内の段」大阪では久しぶりのこの段、若手の修行場。亘太夫、薫太夫、碩太夫、聖太夫、小住太夫。三味線は燕二郎、清方、清允、錦吾。
亘太夫は真正面からぶつかる潔さの中にも詞をしっかりと聞かせ、薫太夫は素直に教えを守り、碩太夫は采女の詞が印象的、聖太夫はしっかりと自分の声を出し、小住太夫は一日の長。燕二郎の時おり聞かせる切っ先鋭い撥さばきが心地よい。

この場が出ることで、右に蘇我蝦夷子(文哉)、左に中納言行主(清五郎)、大判事(この場は玉翔)という対立の構図が視覚化され、その真ん中の帳を押し開けて出てくる采女(紋臣)の気品に圧倒される。

「小松原の段」若草山と小松原(飛火野のようにも見える)、秋の紅葉。

掛け合いで久我之助を靖太夫、雛鳥と采女を咲寿太夫、この二人の出会い、想いを交わし合う若さの美しさ、それをしっかりと聞かせる。咲寿太夫は、最後の采女の詞が届いているのが後の段への展開として重要。腰元小菊が南都太夫、桔梗が文字栄太夫、玄蕃を津國太夫、こんなところにもベテランの味わいは楽しい。合わせるのは團吾。安定感がある。

「蝦夷子館の段」口、亘太夫、清公。蝦夷子の詞の口さばきがよく、対する久我之助に清公の三味線が小気味よい。

、藤太夫、清志郎。雪の御殿。ここで蝦夷子という巨悪に対するめどの方(文昇)のいじらしさの対比、そして安倍中納言行主に陰謀を暴かれ、自刃するもその行主を殺し、父を超える悪の権化としての入鹿の登場。この入鹿の大望は帝位の簒奪である。『ここぞ大事』の大判事の決意。それらを必然の流れとして描き出す藤太夫、劇的構成力を増した清志郎の糸。人形では蝦夷子の文司はスケールと古怪さが前に出て、玉志の入鹿は自惚れの強さを感じさせる。

 二段目は零落した天智天皇の運命、采女の失踪、あばら家を御所と誤魔化す笑い、すべて序段からの、蝦夷子、入鹿親子の悪の繁栄との対比として描かれる。その流れがしっかりと受け渡される。
「猿沢池の段」は希太夫、寛太郎。ここで鎌足の子、淡海が何とも掴みどころのないキャラクターで出てくるのが後に生きる。
「鹿殺しの段」碩太夫、錦吾。ここは一気呵成に。三作の描き方が好ましい。「掛乞の段」靖太夫、清馗。貧乏所帯を隠れ家にする臣下の苦労も知らぬ気の官女や大納言(勘市)に絡む米屋(簑紫郎)の巧まざる笑いを生かす。

「万歳の段」咲太夫に代わり織太夫、燕三。ここをやりすぎず、万歳の楽しさと、後半の芝六と淡海のやり取りの緊張が明確。燕三と燕二郎の息の合った万歳。

「芝六忠義の段」千歳太夫、富助。ここで鹿殺しの詮議を巡り、三作が自身を父の身代わりとして訴人させ、引かれていく。また芝六が鎌足への忠誠のために我が子の杉松を殺す、という二重の悲劇の果てのどんでん返しが起こる。
忠誠の証のため我が子を殺すという論理は現代人には納得できない。しかも鹿の命が人間より重いのだから。その芝六の熱い忠節と苦悩を語ってやまない、千歳太夫の見事さ、富助の強さ。

お雉が我が子の処刑の時を刻む鐘の音に苦しむさまがいたわしい。勘弥のお雉の強さといじらしさ、玉彦の三作の健気さが胸を打つ。簑二郎の芝六は忠義のための苦悩の肚の底がさらにほしいところ。
鎌足の玉也は、これまた入鹿に対抗するだけの、一筋縄ではいかないその孔明かしらの見事さ。清十郎の淡海はつかみどころのなさが何とも言えない娘にとっての魅力となるのだろうと思わせる。

第二部は三段目

「太宰館の段」睦太夫、勝平。睦太夫は初日、声が不安定に聞こえたが、1週間後に聞くと長足の進歩。「根に持つ遺恨、互いに折れぬ老木の柳」の強さなど、大判事と定高の確執の深さと、それぞれ弱みを見せない意地の張り合い。そこに入鹿の、大人二人を手玉に取る邪知深さ。「入鹿の大臣寛然と、上段の褥より遥かに見下ろし」の傲慢さ。
二人の親のそっと見せる蔭。大笑いに拍手が起こった。勝平の手強さが出陣までを支える。玉翔の注進の動きが大きい。

三段目切、「妹山背山の段」

吉野の春は、長く厳しい冬を乗り越えた喜びのように、薄紅の桜が山一杯に広がる。だが舞台では、その桜を押し分けるように、中央を川が貫く。
桜の花の溢れる中でも、『義経千本桜』の「道行初音旅」のような、幻想的で陶酔感のある桜ではない。「川」は引き裂くものとして、容赦なく流れている。それを挟んで両側に2つの空間。それぞれの緊張あるやりとり。それらが並行して進む。
歌舞伎では「吉野川の場」とされ、文楽では「山の段」と呼ばれるこの段は、2つの交わらない世界の決定的な悲劇の象徴でもある。

主な登場人物の4人が4人とも、それぞれに苦悩を抱え、重い決断を迫られている。親は子の思いを誰より理解している。そうすれば相手の子がどんな選択をするかも予想できる。
この親たちは、知らぬ間に確執を忘れ、自分の子の願いを遂げさせるために相手の子の無事を願う結果となる。

まず脊山、久我之助の織太夫。舞台の華やかさに比べ、沈鬱な表情。その複雑な心境を描くのは藤蔵。

続いて妹山、雛の祭りの賑わいもなく、ひたすらに久我之助を思う雛鳥の一途さを、呂勢太夫、はんなりと響かせる清治。

大判事の出。呂太夫、清介。「花を歩めど武士の心の嶮岨刀して、削るが如き物思ひ」この一言一言の重みが突き刺さる。十分な息と強さでもって大判事の政治的な、さらに父としての苦境を表わす。定高に対し、「心解けるか解けぬかは、今日の落居次第」と呼びかける。

「身の中の腐りは殺いで捨つるが跡の養生」と言い、定高も「枝ぶり悪い桜木は切って接木をいたさねば、太宰の家が立ちませぬ」と答える。その覚悟のほどが知られる。そして定高は娘に「今そなたの心次第で…久我之助は腹コレ腹を切らねばならぬぞや」と迫る。愛するゆえに、相手を生かしたければ、自分が犠牲になるしかない、という迫りに、雛鳥は覚悟を定める。

一方脊山では、子の切腹の覚悟を前に、大判事は「天下の主の御ためには何倅の一任など葎に生ふる草一本引き抜くよりも」と言いながら、「子の可愛うない者が凡そ生ある者にあらうか」と、武士としての忠義と父の情の間に引き裂かれる。それをさらに深める久我之助の潔さ。一生の名残の愛する者の顔を見るよりも雛鳥を生かすことを願う息子。
織太夫の久我之介の清廉さが生きる。その偽りの花を見た妹山では、定高は娘の思いを貫かせ、娘の首を落とす。そして親同士は、子同士が純愛を貫き、さらに忠義に命を散らせたことを知り、嘆きに沈む。

呂太夫はこの場で、「大判事は細切れに一字一字に渾身の力を込めなければなりません。特に久我之助が腹を切って雛鳥が母親に首を斬られてからのひとことひとことが。『首ばかりの嫁御寮に、対面しょうとは、知らなんだ』」が特に難しいと語る。なぜなら、ここは四人のそれぞれの思いを、最終的に大判事が受け止めて代表し、そしてそれを入鹿征伐へと向ける、この段全体の主題を担っているからである。

雛鳥は単純と言えば最も単純である。彼女は愛する久我之助と結ばれることだけが望みである。母の定高は、それと共に太宰の家を守るという大義名分があるが、娘の幸福には変えられない。
久我之助は他を責めずただ自分が政治的責任を担って死なねばならないゆえに真っ直ぐにその論理に従い、同時に雛鳥を守ろうとする。しかし大判事は、政治的局面からは入鹿に一度降りながらその実は鎌足側であり、息子の忠節を誇りに思いながらも、父としては無残に息子を死なせたくはない。しかし最終的に入鹿を倒すためには、久我之助を生かしておくことはできない、という苦渋に満ちた判断をしなければならない。

現代人から見て「理不尽」という声が多い。
なぜ死ななければならないか、なぜ逃げないのか。それができないからこその悲劇であり、死んだ二人の純粋さは永遠に讃えられる。

織太夫の久我之助は派手さを抑えた廉潔さが前面に出て、呂勢太夫の雛鳥の一途さに打たれ、錣太夫の後室定高は、誇り高さと娘への思いに泣かされる。さらに「山」の4人の思いを全て受け止めて入鹿征伐を期する大判事の思慮と肚を語られる呂太夫の語りの深さ。咲太夫が出られない現在、一人一人の語りと三味線の全てを受け止め全てを生かしつつ、全体を把握し配慮した語りをリードする、まさに「紋下」の語りにふさわしい。

人形陣もすべて納得の出来。一輔の雛鳥、玉佳の久我之助の清冽さ、和生の定高の情が一層冴え、玉男の大判事は屈指の名演となった。
このように床、手摺ともにバランスの取れた名舞台はなかなか見られないと思った。

それというのも、やはり大序からの「通し」で、あるべき場所にあるべき語りがあり、その全体性を把握して、この悲劇の全体が成り立つことが見えるからだろう。そして夏に四段目を独立させたことが、吉と出るか凶と出るか、これは今後の「通し」上演の在り方を考えさせるものである。

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第三部『曾根崎心中』近松門左衛門の三百回忌とはいえ、春の宵に『曾根崎』はいささか季節外れというか、違和感がぬぐえない。ただ舞台成果は見事なものである。曾根崎の闇の深さの中に、お初の手が、その白い足が浮かび上がるように。

「生玉社前の段」三輪太夫、團七。お初のいじらしさ、徳兵衛の若さ、九平次の悪辣さ、少しも嫌味なく聞かせる力がある。
「天満屋の段」呂勢太夫、清友。死に向かうお初の覚悟、「徳様の御事なら」のお初の真実。だが気になったのは九平次の「どうで野江か飛田もの」に込められた悪意がもう少し強くてもよかったのではないか。

「天神森の段」芳穂太夫、希太夫、小住太夫、聖太夫と薫太夫が前後半で。錦糸、清丈、友之助、清公、清方。よく揃ったアンサンブルで、段切れへ向けての悲劇性が高まる。

勘十郎のお初に尽きる。徳兵衛は為助、健闘しているが、お初にリードされる徳兵衛になっている。玉輝の九平次の敵役が生きている。

『曾根崎心中』の好評さもあり、普段よりも夜の客足が多かったと聞く。しかし願わくは、半二の描いた大和の四季とその宇宙を味わう機会をより多くの方に持っていただきたかった。
特に「妹山脊山」は出る機会が少なく、キャスティングが難しい。私には、これこそ文楽ならではの世界であり、残し続けなければならない作品であると思うのだが。

掲載、カウント(2023/5/9より)