森田美芽
遅れていた桜が満開を迎え、花曇りの空に鮮やかな幟がはためく。2024年4月6日、豊竹呂太夫改め11代豊竹若太夫の誕生である。それを知らしめるのは、先代若太夫の襲名と、初代若太夫の記念碑とも言える『和田合戦女舞鶴』の「市若初陣の段」である。まずは舞台成果についてのみ書いておく。
中、希太夫、清公。時代物三段目の重い語りだしと、その緊張とは裏腹な腰元の掛け合いに笑いを取る。
場所はなぜか尼君の館。尼君はなぜ、我が娘斎姫を殺した荏柄平太の妻と子をここに匿うのか、その謎解きがこの後展開されるが、ここではまだ暗示である。綱手が出て腰元を諫めるが、その微妙な立場を暗示する、複雑な感情を希太夫は見ごとに色づける。その陰翳を深める清公の糸。84年ぶりに復活されたというこの場を生き生きと演じる。
板額登場。
緋色の着付に陣羽織、鉢巻という女武者姿。ここで「誠口ほど健気なら公暁を刺し殺し、その身も自害したがよい」と言い切る女丈夫。女としての甘さは微塵も感じさせない強さ、忠義の論理。しかしこれが、後にそっくりそのまま返ってくるとは。
そして夜討ちかと思えば幼い子どもたちの軍勢という意味不明な事態。
その中に我が子市若がいないことに気づき、板額は将軍実朝の母への複雑な思いを理解する。ここが現代人には理解しにくいことだが、まず、主殺しの平太の一族を捕えなければ天下の法を乱すことになり、さりとて母の政子に敵対すれば不孝となる、そのためにわざと御家人の子どもたちだけの軍勢を送りこんだわけだが、理と情の背馳というには、子役の武者姿はあまりに稚く、アンバランスと見える。この微笑ましい場面が暗転するとは。
切、若太夫、清介。
鮮やかな緑の肩衣に「豊竹」の紋。ゆっくりと清介の三味線に導かれて語り出すのは市若の出。緑地の着付、鎧兜に身を固める11歳。いまなら小学生、そのあどけなさ、単純さ、それゆえの純粋さ。そして我が子に向かう時の板額の、打って変わった母親としての顔。兜の忍びの緒を締めなおそうとして緒が切れる、その不吉さに「わしや討死をするのかや」不安を表わす我が子を抱き上げ、屋敷に入る板額。
ここらはむしろ淡々と進んでいく。いや、抑揚がないのではなく、あまりに自然で、その一つ一つに意味があることが、見る者にも次第に迫ってくる。そのような語りの構成の見事さ。
「子を捨つる藪はあれども身を捨つる」と下手に浅利与市。ここで彼は「見る」役である。彼が見ているのは、密かな計画が成るかどうかであるが、まだここでは見えない。
一間で板額が尼君に向かい、ようやく尼君の口から真実が明かされる。まず、公暁丸が実は先将軍頼家の子善哉丸であり、現将軍実朝には子がないため、この子を跡目に残したいこと、荏柄平太夫妻の子と偽っていること、それを夫は知っていること、自分だけが何も知らされずにいたこと。そして夫が市若丸の兜の忍びの緒を切れるようにしたのは、市若を公暁丸の身代わりに首を討てということなのだと板額は理解する。その「ホイ、ハツ」の一言に板額の驚きと、一瞬にして絶望に変わる思いが見える。
それに畳みかける、尼君の「一人の孫を先立てば」「助けてたも板額」、公暁の「我が命終はるは厭はねども、共にとある祖母様のお命が助けたい、よきに頼む」と言われ、板額一人にその責が負わされる。それも「『仰せ否』とも言ひかぬる」母としての板額は追い詰められ、嘆く。しかし夫の与市は外で「おれが心を推量せよ」と自分の苦境を訴えるのみ、実際に我が子を手にかけよ、と自分の手を汚さずに妻に求める。母である彼女にどれほど残酷であるかを想像すらしないように。
だが、そこから板額が、一途に手柄を求める市若を見て、「涙を忠義に思ひかへ」る。彼女は忠義の論理に従わねばならない。そこから逃れるすべはない。そして市若に対し、一世一代の芝居を打ち、彼を自害へと追い詰める。そのために、自分が平太の子なら、と考えさせ、「主を殺した者の子と、指差しにあはうより、潔う腹切つて、さすがは武士と言はるる気」という言葉を引き出す。板額はそれに「ナニ腹切つてか」と、「腹」を繰り返す。この一言が耳に残り、そこに我々の意識が集中するように。
市若を上手に帰し、板額の一人芝居。誰も、その意味を分からず、下手の与市、奥の尼君と綱手、上手の市若、全ての人が板額の一挙手一投足を、その言葉を聞き取ろうとする。
その緊張の中、板額は市若が公暁の取替子であると語る。それを聞いた市若は絶望し、自身が語った通りに自刃する。それは市若にとって、自身と母の面目を保つ、武士の子としての唯一の道であるから。しかしやはり子として、母に回向を頼み上げます、と語るいじらしさ。
板額は市若に、先将軍の子の身代りであると真実を語り、そして「何の荏柄の子であろうぞ。与市殿と我が仲の、ほんの、ほんの、ほんの、ほんの、本ぼんの子ぢやわいなう」と張り裂くばかりの嘆きで応える。ここで拍手が起こる。こんな理不尽なのに、現代人なら納得できないほどの理屈なのに、ここでは忠義や義理を超えた母の思いが、理屈抜きに胸に刺さる。
それが舞台全体から、客席全体へと広がる。市若の無垢の死とその母板額の嘆きに、全ての人の心が溢れ一つになったように。
なぜ市若は死ななければならないのか。この段で理解しにくいのは、それは、和田常盛と北条の子江馬太郎義時が斎姫を争うという、そもそもの当事者がここには出てこず、しかも藤永入道の陰謀というが、それは『菅原』の藤原時平や『忠臣蔵』の高師直のような巨悪には見えない。
そして実際には斎姫は亡くなっておらず、市若による身代わりの死とは、単に主殺しという封建秩序の回復のための犠牲としてだけでなく、尼君の「尼の身で、出家落とした厳罰と、言はれんも恥づかしく」と、孫への執着、愛着心からの行為であることが彼女の名誉を傷つけることからの救いとも見える。人々の執着と競争心、嫉妬、そうした小さな悪が積み重なり、一人の無垢な少年が、全てを背負って犠牲となる。
こうした犠牲に思い出すのは、旧約聖書の「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、/私たちの咎のために砕かれたのだ」(イザヤ書53章5節)という箇所である。
だが、犠牲とは我々の側から見た理解にすぎない。シモーヌ・ヴェイユが、かのイエスの姿に、全てから見捨てられる苦悩を味わいながらも、神に従う意志を貫いたことに、人の尊厳の原点を見出したように、この市若の死を「犠牲」としてのみ捉えることに、若太夫は全く異なる見解を持つ。
市若の死は、自己の尊厳を果たしての自己決断の行動であると。
すなわち、犠牲として悔やむのは現代人の、しかも第三者としての感覚であるが、市若の内面は、自らを武士の子として、忠義の論理に従うわなかればならない。もし主君を裏切れば、死をもって償わなければならない。もとより主君殺しは七族まで及ぶ大罪であり、死を免れ得ない。それを躊躇し死を逃れようとするのは、武士にあるまじきことである。だからこそ板額は、市若に「もしお前が公暁丸なら」と、彼自身の口から「腹を切る」と言わせるのだ。それゆえ、武士としての自分の生き方を決断し、全うしたのであると。
たとえいまの我々には理不尽であろうと、そのために板額は「涙を忠義に思ひかへ」たのであり、その信頼と武士としての倫理に答えたのが市若であると。それだけではない。自分を謀反人の子と信じ切腹した市若は、それでもなお自分を育ててくれた母の信頼に応えようとし、絆を守ろうとする。母板額への「子ぢゃと思ふて一遍の、御回向頼み上げます」はいじらしく、「そんなら荏柄の子でもなく、死ぬるも手柄になりますかや。嬉しうござる母様」は彼の思いが報いられた故の満足である。このような市若の姿勢がなければ、いまも封建時代の理不尽に踏みにじられる人間の悲劇という捉え方になるだろうが、市若の、さらに板額のこの悲劇には、その倫理の中に生きる人間の魂の叫びが、運命に押し流されるだけではなく、その中に立とうとする人間の潔さ、強さが現れる。それが、時代を超えて私たちの胸に迫ってくる。
この現代人にはすぐには共感しにくい物語を、このように新たな解釈を発見させ、現代に蘇らせた『市若初陣』の造形は、若太夫の語り、清介の三味線、また勘十郎の人形の三位一体で成立し得た奇跡のような舞台である。
若太夫の語りは、特に前半、むしろ淡々と進めているように聞こえる。しかしその中に丁寧に仕込まれた数々の謎を解く形で切場の後半が展開され、その節と、詞と、旋律が一つになって、弛緩なくすべての語りと音がクライマックスで一つの意味につながり、この感動を生み出す。いな、感動などと簡単に言ってはならない。それは私たちの胸深く貫く、言葉にならない思いであった。名づけることもできず、ただ涙を流すしかない、そんな情動が駆け抜けて行き、物語の幕引きと共にようやく正気に戻るような、感情の底が揺さぶられ、何かが湧き出てくるような経験。それを聞く者に与える、まさに「豊竹若太夫」の名にふさわしい語りであった。
無論、清介の三味線の躍動感や流麗さ、そのあわいに浮かぶ複雑な感情の絡み合いが声なき声として迫ってきたことも、また勘十郎の人形が、特にその一人芝居のところで、暗闇の中、緋色の着付で闘うように動く彼女の姿が、本当にその場に誰も居合わせないように、ただ一人だけスポットライトを浴びたように、くっきりと浮かび上がったことも、忘れられない。
市若の清廉さを見事に遣った紋吉、公暁の高貴さを描いた勘次郎、尼君の重厚さを伝えた簑二郎、最後に息子の首を受け取る哀愁を滲ませた玉志、微妙な立場の眼差しの翳りを表現した玉誉。
何と言えばいいのだろう。私はまだ、それを名状しかねている。
2023年暮れに、若太夫と清介が素浄瑠璃で語ったこの「市若初陣」を聞いた時、激しく揺さぶられると同時に、何か心の中に広がっていく、ある透明感のようなものを感じた。語るという行為と、聞くという行為と、私たちには到底できないその語りに、しみじみと浸っていくような、そういう安らいだ透明感があった。そしていま、新たに感じたそれを表現することが、私の次の課題でとなった。
掲載、カウント(2024/4/15より)