祖父(若大夫)の代からのお客様・・

昼の部終演後、そのお客様と食事(神戸大丸の西村家)そして、同じ階での『鴨居玲展』を覗き、ひょんなことから、「アルバトロス」というジャズの店へ行く。
(終演後のロビーでJAZZさんと握手を交わした縁かな?)滝えり子さんのMY FOOLISH HEARTという唄が印象に残った。
私の今日の舞台は〈チャランポラン〉という自覚だったが、滅多に「良かった」と言うことのないそのお客様が誉めてくれて単純に嬉しかった。
「錦糸さんの三味線も良かったネエ~」とも言ってられました。
10時半に帰宅。
明日は姫路。
8時に起きて、本読み〔勉強〕して11時に出発!これから入浴して●2月27日~3月15日地方公演 

倉敷の初日

いやあバテました。
終演後楽屋でヘタリました。
《すし屋》の奥は最初から飛ばしまくりますから、酸欠状態を引きずったまんまなのです。
特に初日には、肝心の場面の、権太の述懐『結んだ縄もシャラほどけ、いがんだ俺が直(すぐ)な子を、持ったは何の因果ぢゃと・・』のところで、どまんなか席の7、8人がドカドカと帰った時には、精神的にも肉体的にも、死の一歩手前までいきました。
終演後、嶋大夫兄が苦笑しながら「雄ちゃん(ボクの名前)あれにはマイったやろ!しかし、バスの時間とか、言っていたわ」とホォーして下さり助かりました・・

英・旅日記オープン!

(●準備版の時、WEBマスターへのメール経由で寄せられたもので、実際は2月28日6時43分に英さんがメールで下さったものです)。
●ボクのアイモードから、直接ホームページへ書き込み出来ることが可能ならば、全国各地からボクの簡単な一日の日記を二日に一回位のペースで載せたいのですが・・いかがなものでしょか?意外な人が見ていて、《 はなぶさ本人の言葉の欄》のようなものがあれば毎日でも見たい!とのことなのです。
ご検討下さいませ。
昨日、春の巡業が、倉敷から始まりました。
ボクは義経千本桜の『すし屋の段』の後半の部分という大役を勤めております。
二日おいて、3月2日から神戸、それから姫路、広島、佐賀、戸畑、7日は移動日で、8日から豊橋、富士市、それから3月10日が東京の大田区、11日が千葉の成東、13日から上越市、富山市て゛15日の金沢市が千秋楽です。
昨日は巡業の初日で疲れました。
(以上、WEBマスターによる代理掲載)

21世紀の三番叟

なぜ、三味線は、16回(あるいはそれ以上)の繰り返しを、末席の清丈まで、一糸乱れず清治の手の速さについていけるのだろう。

つまり、新しい年、新しい始まりを寿ぎ、その豊かな実り、幸福を祈ると共に、舞手自身がこれら神的存在を象徴し、あるいはこうした祝福を与える側の存在となる、という興味深い二重性が見られる。

まず千歳が進み出でて舞う。 英の声は清やかに響き、千歳はそれにふさわしく、一点のかげりもない、清新さ、すがすがしさにあふれる舞。 さきがけとしてその場を鎮め、春を呼ぶにふさわしい。

英は、初日からしばらくは、まだ声に前月の疲れが残っていたようだが、しり上がりに調子を上げ、見事に語り勤めた。 清之助は千秋楽近くなっても、舞台の直前まで、舞台袖で出の動きを繰り返し繰り返しさらっていた。 こうした日々の修練と心がけが、こうした舞台の充実を生み出すのだろう。

三番叟の動き、種蒔くしぐさ、向き合っての、また隣り合っての、その一見単調な動きが、繰り返しのリズムに乗って、次第に動きも大きく激しくなり、その律動に心が躍ってくる三味線のユニゾンが、このリズムを繰り返し繰り返し、最初は1フレーズが30秒、2回繰り返し続いて25秒に、23秒に、最後は20秒を切るかと思われるこの緩急自在の動きを、6人の三味線が一糸乱れず奏でる、見事としか言いようがない。 それとともに、三番叟の動きがその緩急に合わせて、次第に大きく、激しくなる。 まだまだ、もっと、もっと、と、見る者がその中に、自分自身を移入するかのように、演じる者の激しさに没入していくのがわかる。

簑太郎、玉女。その動きの一つ一つに意味がある。 この三番叟の動きから、われわれの先祖がどれほど豊かな実りを、大地の恵を祈願したかわかる。 彼らの思いを、感覚を共有できたと思える一瞬だった。

単なる伝統礼賛でもない。…彼らが自分の舞台に、いのちがけでぶつかっていくとき、また観客も、予備知識の有無でなく、心底そこに見出そうとするなら見えてくる、魂の交歓がある。

21世紀の三番叟

森田美芽

 なぜ、三味線は、16回(あるいはそれ以上)の繰り返しを、末席の清丈まで、一糸乱 れず清治の手の速さについていけるのだろう。
 なぜ、三番叟の玉女と簑太郎は、最後まであんなに激しい動きにも関わらず、ぴったり 呼吸を合わせ、舞い続けられるのだろう。
 見るたびに、聞くたびに、心が躍動する。2001年初春公演、21世紀を寿ぐ「寿式三番叟」、 その力に触れて、思わず胸が躍るのを抑えられないのは、私だけではないだろう。今回は その「三番叟」の魅力を探ってみたい。
 文楽の「三番叟」は、能の「翁」にその淵源を持つ。物語ではなく、天下泰平、国土安 穏の祈祷曲として舞われ、あわせて嘉例延年の祝福がもたらされる、という。

 本来は仏教の儀式、南都興福寺の維摩会に、仏教の奥義を表現するために考案されたと いい、父尉(釈尊)・翁(文殊)・三番(弥勒)の順に呪師(じゅし)によって舞われた三 番猿楽であり、後に父尉と延命冠者を伴うようになり、また稚児が露払いを勤めるなどの 変更があり、室町期に現行の「露払い(千歳)、翁、三番猿楽(三番叟)」となったといわ れる。
 また「風姿花伝」には、秦氏の子孫が村上天皇の御代に66番の申楽のうち、3つを 選んで「今の世の式三番これなり。則ち、法・報・恩の三身の如来を象り奉るところなり」 とある。
 つまり、新しい年、新しい始まりを寿ぎ、その豊かな実り、幸福を祈ると共に、 舞手自身がこれら神的存在を象徴し、あるいはこうした祝福を与える側の存在となる、と いう興味深い二重性が見られる。

 人が神になる。キリスト教ではイエスだけに認められる排他的な神秘である。
 それが、 日本では、共同体の長老である「翁」によって担われる。
 祈るものが同時に祝福を与える ものとなる。
 それは祭りという非日常の時空において、神々との交わりにより人間が超日 常的な力を得る、という思想を現す。それを「翁」の面を掛けることによって表現したの である。

 従って「翁」には、われわれの先祖がもつ神への意識、切実なる祈り、共同体の 祝祭としての面が、色濃く見て取れる。
 現行の文楽では、この様式を受け継ぎつつも、より視覚的、感覚的に訴えるものとなっ ている。
 明和年間(1764~72)にすでに上演の記録が見える。
 三番叟が二人立ちに なったのは明治以降と見られている。
 現行の華やかな演出は、むしろ歌舞伎からの逆輸入 になっているという。

 だが、それでも、なおそこに感じられる何か、私たちの先祖の表現 し、感じ、見たもののなごりが、形にならないまま、胸に迫ってくる。それは何なのだろ う。
 舞台は松羽目、能の橋懸りを模して、3本の松の作り物。なにより船底をつかわない平面 の空間は、何かに満たされることを待っている。
 最初に登場するのは面箱をかかえた千歳。紫の梅模様の着付けに紅梅白梅のかざし、若 男のかしら。清之助はしずしずと進み出る。
 続いて翁。かしらは孔明。厳かに歩み出で、正面で平伏する。これはいつも思うのだが、 観客に対してではなく、劇場正面の櫓に降臨する神に対しての礼ではないのか。(渡辺保『女 方の運命』参照)
 そうすると、客はここで拍手をすべきではないことになる。いまは櫓そ のものが形式化しているが、こうしたいわれは忘れたくはない。
 三番叟登場。先に検非違使の玉女、後に又平の簑太郎。きびきびした動き。このペアの 見事な対象性が、文楽の三番叟の魅力である。

 まず千歳が進み出でて舞う。
 英の声は清やかに響き、千歳はそれにふさわしく、一点の かげりもない、清新さ、すがすがしさにあふれる舞。
 さきがけとしてその場を鎮め、春を 呼ぶにふさわしい。
 英は、初日からしばらくは、まだ声に前月の疲れが残っていたようだ が、しり上がりに調子を上げ、見事に語り勤めた。
 清之助は千秋楽近くなっても、舞台の 直前まで、舞台袖で出の動きを繰り返し繰り返しさらっていた。
 こうした日々の修練と心 がけが、こうした舞台の充実を生み出すのだろう。

 匂うやかな、あでやかな千歳。
 翁の舞。面をつけることで神格を得る。
 本来は族長としての人物であり、祈る代表であ る。短いが文雀はさすがに貫禄と威厳のある翁。十九大夫は大きさと柄と格あるシンの役 割をつとめる。

 三番叟の舞。
 揉みの段と鈴の段。三番叟が踏みしめる。
 大地を踏みしめ、そのいたる所 を踏みなおす。
 あるいは速く、時には大きく、大地の豊穣を祈願して、その恵みを「わが このところより他へはやらじとぞ思ふ」と、力強く踏みしめる。
 このリズムの心地よさ。 三番叟の動き、種蒔くしぐさ、向き合っての、また隣り合っての、その一見単調な動きが、 繰り返しのリズムに乗って、次第に動きも大きく激しくなり、その律動に心が躍ってくる 三味線のユニゾンが、このリズムを繰り返し繰り返し、最初は1フレーズが30秒、2回繰 り返し続いて25秒に、23秒に、最後は20秒を切るかと思われるこの緩急自在の動きを、 6人の三味線が一糸乱れず奏でる、見事としか言いようがない。
 それとともに、三番叟の動 きがその緩急に合わせて、次第に大きく、激しくなる。
 まだまだ、もっと、もっと、と、 見る者がその中に、自分自身を移入するかのように、演じる者の激しさに没入していくの がわかる。

 津駒、千歳、共に次代を担う語り手であり、前に出る語りはその力を思わせる。
 だが、 少し力が入りすぎでは、と思う時もあった。
 こうした祝祭芸では、太夫は声の器に徹しな ければならないのではないか。
 人物や感情移入でなく、またいたずらに自己を顕示するの でなく、求められる声の器としておのれを無にし、明確に言葉を言霊として扱うこと、わ れわれ近代人にとって、これほど困難なことはない。
 が、なおそれに徹するところに共同 体の祈りとしての意味が伝えられるのではないだろうか。
 そして簑太郎、玉女。その動きの一つ一つに意味がある。
 この三番叟の動きから、われ われの先祖がどれほど豊かな実りを、大地の恵を祈願したかわかる。
 彼らの思いを、感覚 を共有できたと思える一瞬だった。

 私たちが文楽の舞台を良いと評するとき、そこにはいくつかの要素がある。
 まず、技芸員たちの芸が十分に練られ、磨かれたものであること。
 そうした技芸が十分に 発揚されるとき、私たちはしばし夢の世界にあそぶことが出来る。
 鍛え抜かれた声、ゆる ぎない一瞬の緊張を作り出す三味線、わずかなかしらの動きで、魂を込められる人形。

 第二に、一人一人の技芸が、全体としての舞台を、物語を作り出し、そこに古い物語の 持つ世界の意味を十分に伝えること。
 彼らの演じている人物が、その関係が、背景が、そ の世界のも
つ論理が、今日と違っていても、違っているということ自体、十分に伝えられ ること。  夫婦愛の奇跡、親子の情、武家の義理と親子の情の葛藤、等々。

 第三に、それが現代の我々に語りかける何らかの必然性を、すなわち同時性をもつこと。
 技芸員たち自身は、それぞれに異なる人生をもち、昔のような人権無視の修行時代を送っ たわけでない者たちも多い。
 彼らもまた、私たちと同じ世界に生きる人間である。
 その彼 らが演じるのは、いまでは見失われつつある日本の精神的伝統であったり、義理の論理で ある。
 そうした、自分たちの論理以外のものを演じるとき、彼らはその違和感を、自分の 内面でなんとかして埋めなければならない。
 ある者はそれを非現実と割り切り、ある者は 昔の確かだったものを思い起こそうとする。
 だが、単なる懐古趣味でも、伝統礼賛でもな い。確かに見失われてならないものがあり、それをすることによって今生きている自分自 身の取り戻し、あるいは再発見させるものがある。
 演じるものにも、見るものにも、それ は与えられる。

 彼らが自分の舞台に、いのちがけでぶつかっていくとき、また観客も、予 備知識の有無でなく、心底そこに見出そうとするなら見えてくる、魂の交歓がある。

 第四に、彼らの伝える芸の内容が、有形無形に伝える精神の伝統を、共に出来る場をも つこと。
 そこに祝祭芸としての意味がある。
 単に見て楽しむ、というのでなく、そこに参 加するものとされること。自分たち自身のうちに、それらに呼応する何かを見出すことが できる、我々がある精神性のうちに生まれ、養われていることを見出す。
 無論、日本人だ から当然、という捉え方はしたくない。それが特定のイデオロギーに結びつくものであれ ばなおさら。
 しかし、私たちの受け継いでいるものが、この世界の中で、何をあらわし、 また何を担っているのかを自覚することは意味がある。

 私たちが見失ってならないものは、 その個別の精神性をその場としつつも、それを超えてあるのだから。
 そして文楽が、その 伝統を通して、それを見せてくれる、貴重な芸脈であることはいうまでもない。
 今回、「三番叟」の充実を通して、そうした思いが与えられた。
 そしてまた、その「何か」 を見出すために、私は劇場へ向かい、彼らの舞台に向き合いたいと願う。
 よき新しい年で あることを願いつつ。

まだ見ぬ未来へ――「ゴスペル・イン・文楽」によせて

 前半「艶容女舞衣―酒屋の段」・宗岸の娘への思いと半兵衛の偏屈。見せ場のお園のさわり。ここまでの芝居がしっかりしていなければ、このさわりは空虚である。だが、切々と心を打つ出来。特に最後に門口まで出て、夫に呼びかけるところは、お園の運命まで暗示するような切なさであった。

 後半「イエスの生涯」・文楽の新作は困難であるが、その伝統的技法や表現様式は、十分現代に生きるものであることと、現実にそれが、商業公演として成り立つかどうかという問題。こうしたさまざまの課題を抱えて、どれほどのことができるのか、という疑問に脅かされつつ、この日を迎えた。

 ・清之助は娘かしら、下げ髪、白の着付けのマリアを遣う。わが子を抱き上げ、まっすぐに見つめる。ここでは、処女の清らかさと、母としての慈愛と、一人の人間として、困難な決断を悔いない強さを表すという、大変困難な為所である。端的には、清之助のマリアは、前2者の表現は美しかったが、それに第三番目の強さと精神的葛藤を加えることは、彼の腕をもってしても困難であろうと感じた。

 ・われわれは、知らぬうちに愛するものを裏切る。そんな弱いわれわれに対して、イエスの眼差しは限りなくやさしい。そして、人の心の真実を見つつ、その責めを身代わりに負って下さったことを納得させる。勘寿はまたしてもここで地力を見せた。彼の遣うペテロは、本当に、どこにでもいる、罪深いわれわれ自身だった。そんな小さいものが、イエスと出会い、イエスに許されることで、命を得る。この物語のエッセンスを凝縮している。

  ・忘れてはならない。力強い三味線で、太夫を支えた清友、出すぎず、しかも負けることなく連れ弾きをこなした喜一朗、そして2つの語りを、その主題を明確に、隅々まで情の、血の通った浄瑠璃で、ただ一人で語りきった英大夫を。

 ・この「イエスの生涯」は、文楽作品として、まだまだ表現を洗練する余地がある。わくわくしてくる。毎回、違った演出を試し、ふさわしい表現を作り上げていく。その創造の営みが、われわれをいざなう。……何より、会場整理やCD販売にあたったボランティアの方々の熱意とお働きが、なんとも言えず暖かい雰囲気を作り出していたこと。

森田美芽

 「ゴスペル・イン・文楽」が終わった。関係者たちの、この1年余りの労苦を思うとき、 言葉にならない思いがこみ上げてくる。そして期待にたがわぬ好演であった。
 身内に、そ の余韻が、まだ残っている。だが、書き留めておきたい。書かねばならない。何が起こっ たか、何が見えたのか、何を語り継ぐべきか、その場に居合わせたものだけに許された幸 いを。
 この試みは、何をめざしていたのか。
 第一に、日本の伝統文化、古典芸能によるキリス ト教の表現という、新しい試みであること。その第一の接点は、「ことば」にある。文楽と いう、言葉の芸術が、どこまでキリスト教の「言葉」に迫れるかということ。
 第二に、なぜそれが可能か、その根拠を見出すこと、それは文楽そのものの見直し、そ こに表現されている人間の普遍的なものの再発見となるはずである。
 それは、人間の普遍 的な情、経験、愛といった内容において見出されるだろう。
 第三に、文楽の新しい可能性を探ること。文楽の新作は困難であるが、その伝統的技法 や表現様式は、十分現代に生きるものであることと、現実にそれが、商業公演として成り 立つかどうかという問題。
 こうしたさまざまの課題を抱えて、限りある人の力によって、 どれほどのことができるのか、という疑問に脅かされつつ、この日を迎えた。
 第二点からいえば、「艶容女舞衣―酒屋の段」と「イエスの生涯」(原題は「イエスの生 誕と十字架」だが、もう、この名で呼んでよいだろう)を結ぶものは、「無垢」であり、「犠 牲」であり、「絆」である。
 無垢は、処女の純潔と、神の前に罪なきものであることの二重 の意味がある。肉体の無垢は精神の無垢に通じる。知らないものだけが、負い目なしにい られる。
 お園の一途な思いは、この負い目なさの表現である。しかし彼女の半七への思い は報いられることがない(少なくとも現世においては)。
 一方、マリアの純潔は、西洋の2000年の歴史が育ててきた夢であり理想である。
 彼 女は「恋」なくして「母」となる。
 現実には、通常の母として以上の苦しみを背負いなが ら、その処女性と母性を神格化され、ついには天の女王の位に上げられた、とされる。そ の陰に見過ごされてきたのは、過酷な運命に立ち向かう、ナザレの貧しい少女の、信仰の 決断である。単なる無知な従順、無責任な応答ではない。
 無論、彼女は自分の決断の全体 を、その歴史的意味の全てを知って「諾」と答えたわけではない。少なくとも「未婚の母」 になることの困難だけは想像できたであろう。
 彼女にとって、マイナスしかもたらさない 決断、なぜあえて彼女はそれを選んだのだろうか。
 そこに、恋人ではない、神へのまっす ぐな信頼、自分の能力不足をなげくより、自分の至らなさを口実にするより、神を信頼す るという、それこそ稀有の、ただ神にだけ向かう、純粋な意志である。
 しかもそれは、長 く長く、30年以上にわたって続く決断である。彼女の息子が、無残な死を遂げるまで。
 愛とはまさに犠牲を払うことである。だがその犠牲が報われるとは限らない。それでも 人は、愛する者のために、帰らぬ息子のために、神のために、神の民であるまだ見ぬ人の ために、自分を犠牲にする。それはなぜ?
 目に見えない絆、親子の、夫婦の、神との、そ の絆を守ろうとして。
 高原氏の司会で、まずこの主題が語られる。そしてその主題が、きわめて明確に感じら れたのは、紋寿のお園、勘寿の半兵衛女房、そして勘寿のペテロである。
 紋寿のお園は、本当に純粋に、ただ半七のことだけを思っているのがわかる。人妻ではあ るが娘時代のなりをし、愛らしい。だが一度婚家の生活を経験して、何も知らない娘では ない。それでいて処女であることは一目瞭然である。
 彼女をこの家の人々とつないでいる のは、ただ彼女の半七への思いだけである。その、切れそうな絆を取り戻そうとする、た よりなさとひたむきさを表現する。ただ座っているだけで、そんなお園の思いが伝わって くる。さすがに紋寿である。
 宗岸は娘をいとおしく思う。半兵衛もそんなお園をいじらしく思う。だからこそ、復縁 させるわけにはいかない。半兵衛の身代わりを知ってからの女房も見事。勘寿の遣う半兵 衛女房で、私ははじめて理解した。この場での唯一名前の与えられていない、為所も少な いが、この女房次第でこの舞台が生きも死にもすることを。
 勘寿の女房は、半兵衛の述懐 を聞きながら、手ぬぐいで涙をぬぐう。それだけの仕草で、人の良いこの女房の思い、母 としての嘆き、姑としてのつらさが表現されている。勘緑の宗岸と亀次の半兵衛、ともに 健闘している。
 宗岸の娘への思いと半兵衛の偏屈。
 見せ場のお園のさわり。ここまでの芝居がしっかりしていなければ、このさわりは空虚 である。
 だが、切々と心を打つ出来である。特に最後に門口まで出て、夫に呼びかけると ころは、お園の運命まで暗示するような切なさであった。三味線のメリヤスに細棹のアシ ライが入り、そのまま幕。

 第2部が「イエスの生涯」。
 「イエスの生誕」暗闇の中に、うっすらと光がさし初める。舞台中央の飼葉桶に眠る嬰 児イエスの姿が、ぼんやりと見え始める。そしてマリアの登場。清之助は娘かしら、下げ 髪、白の着付けのマリアを遣う。舞台奥から進み出る。そしてわが子を抱き上げ、まっす ぐに見つめる。
 マリアは何を思ったのだろう。生まれてみれば、普通の貧しい家に生まれた子となんら 変わりない。力なく、弱く、母の乳を求めてやまぬみどりご。しかし、おそらく誰にも信 じてはもらえない、処女のままの受胎と出産という秘密。腕に抱いた我が子は、「ダビデの 王座につくべき子」であるという。
 その不可思議さ、圧倒されそうな事実の連続に、彼女 は戸惑わなかっただろうか。しかしみどりごイエスを見つめる彼女の目には、そうした迷 いはない。ここでは、処女の清らかさと、母としての慈愛と、一人の人間として、困難な 決断を悔いない強さを表すという、大変困難な為所である。
 端的には、清之助のマリアは、 前2者の表現は美しかったが、それに第三番目の強さと精神的葛藤を加えることは、彼の 腕をもってしても困難であろうと感じた。
 この清らかさは冷たさではない。ただ一つを望 む心の純潔そのものだから。
 「救い主イエス」を素浄瑠璃で聞かせ、最後の晩餐で紋寿の遣うイエスの登場。かしら は「俊寛」。
 ユダの裏切りは象徴的に、人形はイエスの一体だけで表現する。そして囚われ たイエスの後をペテロが追う。群集に迫られイエスを裏切るペテロ。しかし彼は、自分が 何をしたかまだ気づいていない。それに気づくのは、イエスの眼差しを感じた時である。
 責めるのでなく、恨むのでもない、その眼差しに触れて、初めて彼は自分がイエスを裏切 ったことに気づき、嘆き悲しむ。
 イエスの十字架は、「あけぼの」「一天にわかにかきくもり」を背景の照明で表現する。
 イエスの苦悩と十字架の苦しみは、通常と逆に、足が頭より高くなるほどの苦悶で表現さ れる。この左と足を遣った亀次、紋秀も努力も特筆されるべきであろう。
 クライマックス の「エリ エリ ラマ サバクタニ」の苦悶も、真に迫る動き。今回は十字架は背景の象 徴にとどめ、地に伏しのたうつ苦悶で表現する。

 そして復活。復活後、初演では白い衣を着せたが、今回はそのまま。そのかわり、はっ きりと手に釘の跡を見せる。そしてマリアが暗闇の象徴を脱ぎ捨て、清い喜びを表す。
 イ エスと目を合わせることを避けていたペテロが、イエスの眼差しを受け、再び人として立 ち上がる。このペテロに人間的共感を覚える者は少なくないだろう。
 われわれは、知らぬ うちに愛するものを裏切り、しかも自分を守るために嘘をつく。そんな弱いわれわれに対 して、イエスの眼差しは限りなくやさしい。そして、人の心の真実を見つつ、その責めを 身代わりに負って下さったことを納得させる。
 勘寿はまたしてもここで地力を見せた。彼 の遣うペテロは、本当に、どこにでもいる、罪深いわれわれ自身だった。そんな小さいも のが、イエスと出会い、イエスに許されることで、命を得る。この物語のエッセンスを凝 縮している。
 このペテロが入ることで、劇的な起伏と、共感と、主題が明確になった。そ して、前後半を通じて、人々の善意にもかかわらず、悲劇へと向かう人間の悲しみと、そ れを超えて人の絆を回復するイエスのいのちを、感じることができた。
 忘れてはならない。この日、力強い三味線で、太夫を支えた清友、出すぎず、しかも負 けることなく連れ弾きをこなした喜一朗、そして2つの語りを、その主題を明確に、隅々 まで情の、血の通った浄瑠璃で、ただ一人で語りきった英大夫を。
 私自身は、この物語を、素浄瑠璃の段階から聞いている。素浄瑠璃の場合、言葉の力が 直接的に聴覚から心へと、意味へと深く食い込んでくる。魂はそのなかに沈潜する。義太 夫の言葉と聖書の「ことば」は、たしかにそこで切り結んでいた。
 そして今回、人形の表 現によって、新たな可能性が加えられた。
 それは、見る者が、舞台にもう一人の自分を見 出すことである。これは見ることが距離をおくことになり、人が自分を見直す余裕を持つ ことになるからである。それをするためには、われわれに近い人物がいなければならない。
 まことに、ペテロを登場させたことは天の配剤であった。そしてこの物語は、キリスト教 の日本文化における表現として、ひとつの可能性を示すものであったといえよう。
 この舞台が実現するまでに、数々の困難があった。十分な準備や資金があったわけでは ない。しかし、どうしても実現したいという強い彼らの意志が、この試みを成功させた、 それを支えたのは、多くのファンであり、それぞれの家族・友人たちである。
 こんなあた りまえのことが、文楽の原点ではなかったか。
 伝統を守る、型を継承する、その前に、語 るべきもの、演じるべきものを見出す、それが、今日においても、文楽を現在形の、生き た営みとする。演じる人々にとっても、見る人にとっても、支える人にとっても、リスク を負うことを決断し、かつそれへと力を結集することにより、かけがえのないものが生み 出される。
 この「イエスの生涯」は、文楽作品として、まだまだ表現を洗練する余地があ る。
 人としてのイエスをどう表現するか、マリアをさらに生かすには、他の弟子や群集を ツメ人形で出すことはできないか、等々。
 わくわくしてくる。毎回、違った演出を試し、 ふさわしい表現を作り上げていく。その創造の営みが、われわれをいざなう。
 また、原曲 の作詩者である丹羽孝氏、今回の「イエスの生涯」を作った川口真帆子氏、照明の民部吉 章氏の見事な演出、最後まで手話通訳で、ある意味で語りの真髄を実演してくれた土屋徳 子氏と小笠原雅博氏、総合司会として、この会の全体の意味を明確に語り知らせた高原剛 一郎氏らの功績を特記しておきたい。
 何より、会場整理やCD販売にあたったボランティ アの方々の熱意とお働きが、なんとも言えず暖かい雰囲気を作り出していたことも。
 そして、それを作り出す現場を共にすることで、われわれは、もう一度、自分が一人で は生きられないこと、多くの人とつながりあっていること、そのためにこそ、彼らがこの 芸の道に命をかけて戦っていることを見出すであろう。
 それこそが、この作品を上演した ことの意義であるに違いない。