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『封印切』の稽古

嶋大夫兄に、お稽古していただきました。
自覚としては、サイアク。
声は出えへん、節はわからん、コトバの段取りは出来ていない。
朝9時から夕方3時半まで、昼食をはさんで、5時間位、テープを聞いて本読みしましたが、サッパリですワ。
丁寧にお稽古して下さる嶋大夫兄に、誠に申し訳ありません。
こんなんで、ホンマに舞台に上がれるのか。
楽屋の隣に座っている貴大夫君に、もう『太夫』やめるワ、とつぶやいたら『去年の11月も、そう言うてましたがな・・』と、相手にされません。
『全ての事について感謝しなさい』(聖書)を、思い出し、頑張ります。

自分が、どれだけ鈍(ドン)か。

今、5月公演の最中ですが、既に、6月公演の稽古に入っています。
高い、綺麗な声を出さなければならない月に、次の公演が太い、大きい声を必要とする役柄の時等は気を使います。
稽古で声を痛めたら、芝居はブチ壊し。
この不条理に苛まれつつ、声を造っていくんですワ。
6月の『封印切』ですが、これが又、1時間もかかる超厄介な代物。
特に、枕から八右衛門が出てくるまでの、10分位のあいだの節やら間(マ)が、難解。
4月からテープ聞いて勉強しているのに、まだアヤシイ。
肝心の、八右衛門と忠兵衛のやりとり、梅川のサワリまで、まだまだいきまへん。

舞台順調。『封印切』の稽古始まる。

こんな恐ろしい難解な商売を、なんで選んだんやろう。
と、常に思ってます。
ライブというのは、コワイ仕事でんなあ。
特に、70才越えて、1時間もの間、汗水たらして語り抜く『太夫』の師匠先輩方には頭が下がります。
毎日でっせ。
体調維持や精神的圧迫をコントロールするのに費やする集中力は、並大抵やおまへんやろなあ。
《心》と《身体》のどちらか一方でも健全さを欠くと、たちまち病魔が襲ってきます。
ところで、6月鑑賞教室公演『封印切』の稽古(1日おき)を清介君と始めましたが、全然アキマヘン。
節もコトバもウロ覚え、声も蚊の鳴くような声。

これぞ《万雷》の拍手!

舞台3日目。
少し余裕が出てきた。
『呼ぶに、お初は走り寄り、ノウ徳さまか、どうしてぞ・・』の語りで、簑助兄が舞台に現れる。
拍手のコダマが重なり合い、デッカクなる。
ボクは20秒程口をパクパクしているだけ。
その少し前の語り『出茶屋の床に女の顔、初と知るより徳兵衛はそれと合点し・・』で、玉男師の登場。
万雷の拍手だ。
手を叩くという、身体による《待ってました》の意思表示が、会場にハジケ飛ぶ。
いつまでも続かない、今あるこの奇跡に、皆、感動しているのだ。
同じ時間、同じ場所で呼吸する演者、観客の心に『永遠』が、刻まれ、留まる。

今日は、アンコールはナシ・・

自分の舞台で少し気にかかることがおましたところ、廊下で簑助兄に声を掛けられましたんやワ。
兄が舞台復帰されてからはヘンに気を遣おて簡単な挨拶だけの素通りでしたのでビックリしました。
内容は、私が慮(おもんぱか)っているソノモノずばりでした。
たいした人でんなあ。
シャレの解るおっしょはん(御師匠様)ですワ。
玉男師にも呼び止められました。
『アアコレコレ、道頓堀へ寄りゃんなや』のアアコレコレを、丁稚が止まるのを待たないで、太夫の間で言うように。
『アアコレコレ』で丁稚が止まりよる。
それで『道頓堀へ・・』と繋ぐんや。
脱帽!