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意味の迷宮―近松半二「本朝廿四孝」の世界

森田美芽

 半二の作劇法のひとつに、対位法がある。一人の人物はもう一人と符合し、裏表あるいは真実と影の関係に対比される。
 さらに男の野心と女の恋、親の義理と犠牲になる子。こうした関係が輻輳して繰り返され、劇としての序破急を作り出す。
 一見親不孝なならず者が実はこの上ない親孝行者であったり、貧しい百姓に身をやつした男が実は重臣となり、車遣いは君主の子で武家の嫡男が実は家臣の取替え子である。

 同じ名を持つ2人の弾正は、長尾と武田を治める執権同士。
 一人の人間はその一人に留まるのでなく、だれかの影であり、もう一人の自分、ドッペルゲンガーである。
 近代の自己意識は自分を唯一の人間としてしか意識しない。半二の世界では、人は二つの可能性をもち、そのどちらでもあり、どちらでもない。そこに人間の運命を見る。

 私は私であって、なおかつもう一人の私がそこにいる。自分がたどるはずの運命を誰かが肩代わりし、自分が遂げることの出来なかった愛を誰かが実現する。その陰でそれらのすべてを操る陰の演出家が存在する。
 運命が回転し、人は思いもよらぬ方向へと自分の生を向けられる。
 その中で、無垢なる者が犠牲となっていく。
 痛ましい犠牲、愛の重さ、それらをこえて歴史を作り出す力の本質が存在する。

 わけても二段目、勝頼切腹の段の痛ましさ。自ら死を選んだ運命の青年。彼は自分が本当は誰であるかを知っていたのだろうか。知っていてなお自死を選んだであろうか。誰が自分を死に至らしめた張本人であるか、その陰謀をはかったのは誰か、彼は誰一人責めず、ただ自分を犠牲とすることで、彼を死に至らしめたものの惨さを無言で非難している。
 彼だけが、負い目なしに純粋であることができる。若さの純粋さと老獪の対比。

 もう一つ、この物語は、濡衣の運命の物語でもある。
 将軍暗殺の真犯人の娘、武田の奥女中として贋勝頼と通じ、しかも真の勝頼とともに長尾のスパイになる。彼女の正体は物語のなかで謎に包まれていながら、実は自らが契った贋勝頼への貞女であり、その点で八重垣姫と恋の表裏を演じている。
 彼女は自らの恋人に生き写しの、しかもいまは別の姿に身をやつしている、自分の恋人がそのために死んだ主君の息子と同志の関係で、しかも使命を果たすために、いまの主君の八重垣姫を利用しようとする。
 実はこの女こそ、陰の主役という気がしてならなかった。

 半二のもう一つの主題は、土地の神と伝説即ち土地の力、そして女の恋の情念のもつ力である。
 『妹背山婦女庭訓』の大和、『奥州安達原』の奥州、『日高川入相花王』の熊野、そしてお三輪、清姫の恋と犠牲。そして「廿四孝」では、諏訪の神と八重垣姫。

 いくつもの屈折を経た関係のなかで、唯一真実に思われるのは八重垣姫の勝頼への一途な愛である。
 彼女はそのゆえに狐に憑かれ、あられもない狂態を示す。昔の人は、高貴の姫君が、恋に憑かれて狐憑きになることを、下世話な意味でも面白がったに違いない。
 だが、高貴の姫といえど恋する上は何の変わりもない。
 何より「例へ狐は渡らずとも、夫を想ふ念力に神の力も加わる兜」これが奇跡の意味である。男の権力への野心が引き裂いた世界を救うのは、女の一途な恋の情念である。

 これに比べて、勘助住家のくだりは、どうしても現代では受け入れにくい感覚が残る。
 孝行者の弟より、ならず者の兄を偏愛する母。そのゆえに自らの愛児を捨てさせられる弟。その彼も、忠義を全うするために自分の子を殺す。この場で心底感情移入できるのは、紋寿の遣ったお種であった。

 舞台そのものについては、いろいろと心に堪えるものはあったが、それを越えて一つに繋ぐ主題がまだ見出せていないので、印象のみを記す。

 まず吉田簑助の八重垣姫。正直言って、やはり、多くを望んではならないのだ、と思わされた。
 確かに美しい。だが、以前なら、じっと座って控えている時でさえ、なにかみなぎるものがあった。役になりきったその緊張感、性根ともいうものが、それを支える精神性が確かにあった。いまは、それが見えなかった。
 だが、体は動いている。よくあれほどまでに回復できたと思う。いや、それだけではない。「狐火」の激しさ。単なる約束事ではない、あの動き。
 それを支えたのは、練達の左遣いと気鋭の足遣いの力ではなかったか。

 『狐火』の左は前半が清之助、後半が蓑太郎、簑助門下の最精鋭にして次代の立女方の二人。師匠のどんな動きにも瞬時に的確に反応し、師匠をサポートする。何の不自然さも感じさせないばかりか、まるで八重垣姫自身が動き出しているように、その動きから目が離せない。
 後半の足の簑紫郎。若さと情熱そのままに、激しい動きは最後まで衰えない。何という師弟の絆、そこに生まれるものの美しさ。そして段切れの狐を従えてのきまり。
 玉佳、紋秀、紋若、簑次。一糸乱れぬその美しさにため息をつく。これは簑助一門の総力を示した「狐火」であると思った。

 玉女の武田信玄、勘寿の長尾謙信。玉女は一筋縄ではいかぬ法体の信玄の大きさと智謀を、勘寿は腹に一物の謙信の老獪さを描く。和生の高坂妻唐織、武家の奥方の品位と、それでいて夫の策謀に加担する冷徹さがよい。
 勘弥の越名妻入江、八汐首の意地悪さと悪のおかしみ。玉女の高坂弾正、大きく品位あり。文司の越名弾正、金時の強さと単純さ、よい性根を表現している。彼らは十分に力を発揮した。

 簑太郎の常盤井御前、奥方の品位と母の思い。
 勘緑の村上義清、武人の荒々しさと抜け目なさを大きく遣う。
 清之助の盲勝頼、出色の出来。この青年の純粋さがこの物語の要諦である。
 玉也の板垣兵部、陰謀をめぐらしながらどこかそれに徹しきれず、息子を亡くしたと聞いて嘆くあたりに人間味を感じさせる。
 玉輝の花守り関兵衛実は斎藤道三、まだ謎めいたこの人物を描ききれてないが、実直に遣っていると見た。

 床では、「諏訪明神百度石」の咲甫大夫の開口一番がしっかりと聞けた。声に厚みも出てきたように思う。
 車遣いや供侍の演じるのは若手3人組、相子大夫、つばさ大夫、睦大夫。こうした動きのある詞では相子がうまい。つばさは声を少し痛めているようだが、まっすぐに声を出そうとする姿勢がよい。睦はどの役のときもよく勉強している。
 始大夫、新大夫、短いがしっかりと語っている。三輪大夫、さすがにこの短い場で存在感を出す。松香大夫はこうした人物像を的確に描く地力がある。

 「桔梗が原の段」口、貴大夫、弥三郎。伊達大夫、寛治の前場で選ばれたのであろう。前受けを狙わず、忠実で丁寧、実力派の両者にふさわしい。
 貴大夫はとりたてて美声というわけでないのに、ふと気づくと物語の世界に引き込まれているのを感じる。
 伊達大夫、寛治は無論持ち味が自在に現れているのだが、伊達の声も衰えが隠せないし、寛治もかつての馥郁たる音色の妙にかげりがある。

 「景勝下駄」は失礼ながら省略。(十分集中できなかったので)
 「勘助住家」住大夫はこうした情味と義理の内容を語るのは確かに地力であろう。だが、最前列の中ほどにいて、やはり不分明に聞こえる部分があった。さすがに詞は見事。錦糸の三味線はあでやかに美しい。
 後半の十九大夫、清治。十九大夫は段切れの言葉のたたみかけるような強さはあるが、それが十分なカタルシスに至らないのは、内容のせいでもあろうか。清治の三味線はこうした迫力を十二分に堪能させてくれる。

 二部、信玄館。御簾内の咲甫大夫、喜一朗。マクラも明確で気合の入った語り。「村上上使」英大夫、宗助。
 英は声も語りも好調。短くとも、村上義清、常盤井それぞれの思いを的確に伝える。村上の武辺者ながらの抜け目なさ、常盤井を追い詰めるやりとり、朝顔を切る風流。
 「勝頼切腹」は綱大夫、清二郎。清二郎の三味線が印象深い。そしてこうした複雑なからくりの上のからくりといった内容なら、綱大夫にふさわしい。

 四段目、「道行似合の女夫丸」津駒大夫はこの場の中心。さすがに聞かせるものがある。
 津国大夫は道行き向けの声ではないが真正直。団七、清友ら、息の会った美音を合わせる。

 「謙信館景勝上使」文字久大夫、清太郎。文字久も努力し、真面目に語っているが、人物の描き分けなどあと少し、という気がしてならない。
 「鉄砲渡し」呂勢大夫、清志郎。最初、呂勢には首をかしげた。何かが違う。無論この場は、ここだけ別の流れであるため、処理しにくいと思ったが、どうも十分人物の性根が見えなかった。

 「十種香」嶋大夫、清介。さすがに嶋大夫の十八番、たっぷりと聞かせてくれる。「呼ぶは生あるならいぞや」の美しさと切なさ。ここでも清介の三味線が光る。

 「奥庭狐火」千歳大夫、燕二郎。単に声がかすれて聞き苦しいというのでない、なにか無理やりに作って押し出している声で、八重垣姫の一途さも神の奇跡も伝わってこない。期待される人だけに、いまは十分自重してほしい。

 全体として、成果は十分あったものの、何か、もう一歩突き抜けた何かに届いていない気がする。
 もう水は杯に溢れんばかりになっている。あと一滴で、すべてが変わる。そんな時が近づいているように思われてならなかった。

魂を呼ぶ声――2001年夏公演によせて

 まるで、英大夫の声が、死者の魂に呼びかけ、亡き呂大夫がそれに応え、その魂の交流が、彼に新しい団七像を作り出させたかのように思われた。

 義平次の伊達大夫、いまやこの人のほかに、こうした汚れ役、庶民の悪のいやらしさをここまで表現できる人はいまい。義平次を作り出しているのではない、義平次そのもの。
 そして要所要所を決める寛治の三味線。もはや「遊ぶ」ともいうべき余裕の表情。こうした名人に支えられて、英大夫は鮮烈な団七を創造しえた。

 簑太郎の向こうには、父勘十郎が重なる。私は勘十郎の団七を見たことがない。
 だが、大胆にして細心、隅々まで計算された簑太郎の団七には、父を受け継ぎつつ父を超えようとする意欲がみなぎっている。 玉女には、義平次を遣う師匠玉男が。玉女のなかで、立役として長年鍛え上げられた技が、力が、師のリードに合わせ、それを受け止め、共に一つの舞台を作り上げていく。

 先人を、死者を越えていく、というより、それを心に置きつつ、対話し、自己の創造の原点としていく。
 儀式としての慰霊などではなく、文楽が、その芸の伝承の働きそのものが、そうした生ける者と死せる者をつなぐ、私たちの根本的な精神の営みを表わしているのではないだろうか。

森田美芽

 日本では、8月は死者の月である。真昼日の強烈な日差しがじりじりと照りつけ、あえぐ ように家路をたどれば、夕刻の凪の蒸し暑さ。
 命の弱ったものから容赦なく残った力を奪 っていく、残酷なまでの大阪の夏。

 夏祭の起源は、疫病や風水害をもたらす、あらぶる、 祟る神を鎮めるためであった。
 古代には、その神は多くは遺恨を持って死ななければなら なかった人間であった。現代でも、かの戦争での、原子爆弾での、また戦地での夥しい死 を見送った夏。
 そして盂蘭盆会。死者の、祖霊と現世の者が出会い、しばしの交わりを持 ったのち、火に送られてまた死者の国に帰っていく。自らの命の根源に触れる季節である。

 文楽の夏公演を見ながら、そうしたわれわれの先祖の過ごした夏に思いをいたした。
 考 えてみれば、第一部は金太郎という身近なヒーローだが、彼は山姥と武将の間に出来た超自 然的力の持ち主であり、『鼠のそうし』は異類の悟りであり、二部の「日蓮上人御法海」は 中世の死生観というふうに、われわれの日常を超えた力との交わりを扱っている。

 そのな かで、そうした世界に最も遠いように見える「夏祭浪花鑑」が、まるで見えない力に導か れているように、そうした死者との関わりを思い出させた。

 第一部の「金太郎の大蜘蛛退治」では、清之助の金太郎、玉輝の鬼童丸、玉志の源頼光。
 清之助の金太郎は、腹掛けこそしているが、かしらは鬼若、13,4歳であろうか、少年 の持つ力の不思議さ、生命力にふさわしい遣い方。
 玉志も着実で、危なげない。
 玉輝は力 のいるこの場の蜘蛛を、怪異に見せる実力者。文楽を始めて見る子供たちも、この蜘蛛を たった3人であれほど自在に操っていることに驚異の念を持ったに違いない。
 つまり、文 楽における金太郎は、子供向けの絵本にあるほのぼのとした自然児ではなく、異形の力を 受け継ぎ怪異と戦う超自然的なものの系列に置かれることを納得させた。
 三輪大夫、南都 大夫、呂勢大夫、相子大夫、清介、清太郎、清馗、清丈。清々しい床。

 「鼠のそうし」鼠の若様の願いは、人間になること。彼はそのために、自分の正体を隠 して人間の姫君と結婚しようとするが、婚礼の夜、はからずも鼠であることを露呈してし まう。
 それも食欲という、どうしようもない弱さのゆえに。
 性と食、生あるものの宿命、その弱さ。それをどう超えてゆくかが悟りの意義である。
 彼は高野山に向かい、出家を願うが、その先は猫の上人。
 彼は、自分の運命を変えること はできないという事実を、自分と自分の属する者たちの中で、受け止めなおし、承認する。
静かに極楽浄土へと導かれていく。
 一暢の鼠、軽やかにして気品あり。玉也の郎党、ひょうきんな味わい。人形は手堅い出 来である。
 嶋大夫、津駒大夫、貴大夫、睦大夫に団七、清友、団吾、龍聿。劇的な起伏が 少ない、地味な芝居だが、それも子供向けとはいいながら、内容ある舞台を作り出してい る。

 第二部は40年ぶりという「日蓮上人御法海」と「勧進帳」。

 まず「日蓮上人御法海」。貧しさゆえに殺生禁止の区域で魚を捕ったため捕われた漁師勘 作の一家の悲劇。
 今日中に身代金を整えなければ勘作は処刑される。
 そこへ勘作の子を100 両で引き取る話がもちあがる。これ幸いと喜ぶ母、いじらしい倅経市。
 玉一郎がこのとこ ろ子役でも力を発揮し始めたのが嬉しい。
 玉也の本間六郎左衛門、実直な武士の、それで も自分の子のために人をだます悲しみを感じさせる。
 お伝が帰ってきて真相を知った母は 自分の早合点を嘆き、ついに自害する。
 勘寿の勘作母、息子を救いたい一心で、よく確か めもせず孫を犠牲にした嘆きのいたましさ。
 玉女の勘作。人形で死者の雰囲気を出す。一 目で生気がないのがわかる。
 たった一日のうちに、夫も子も姑まで失ったお伝の嘆き。
 文 雀はこうした悲劇の母親像が見事。
 玉男の日蓮上人が出て、それで大団円。水葬の亡骸を鵜がついばむ。題目の奇跡は、今 日では救いとは呼べないかもしれない。だが、人が生きるために他の生あるものを犠牲に せざるを得ない、そして死ねば逆に自分も他の生あるものの糧とされる。生あるものの宿 業。
 昔の人は、そこに慰めを見出したであろうか。
 中、千歳大夫、燕二郎。切、綱大夫、 清二郎。
 さすがに浄瑠璃の骨格を備えた語り。ただ、千歳大夫には、声を大切にして欲し い。

 「勧進帳」太夫と三味線がこれほど並ぶのは壮観である。
 十九大夫、咲大夫、清治は磐 石の構え。呂勢大夫も健闘している。
 文字栄大夫、新大夫、始大夫、咲甫大夫の四天王。 それぞれの持ち味が出ている。
 富助以下の三味線も一糸乱れぬ呼吸。
 文吾の弁慶、玉幸の富樫、紋寿の義経。
 実力派同士の顔合わせで、見ごたえある舞台と なった。

 文吾の弁慶は貫禄、玉幸の富樫は、頑固な忠義者。
 清之助の伊勢、勘弥の駿河、 清五郎の片岡、形よくさわやか。亀次の常陸坊は存在感がある。

 「夏祭浪花鑑」なんと大阪らしい芝居であろうか。なんの超自然的なこともない、市井 の底辺に生きる人々、男伊達という生き方。
 今でいえば極道と思われるが、いささか意味 が違う。
 今も昔も権力に泣かされるのはもっとも弱い庶民だが、それを助け権力と戦うの が男伊達である。
 いまも大阪弁で言うところの「やんちゃ」。彼らには彼らのおきてがある。
 男が立たないとは彼らの世界の恥辱である。それは、恩や義理ある人を裏切らないことで あり、弱い者をいじめる小悪をこらしめることであり、仲間内の義理を守ることである。
 それが、確かに大阪の庶民にとっての一つの美学であり容認された生き方であったのは、 そんなに遠いことではない。
 むしろ今のように、個人が個人だけの力で生きて行けるよう な社会の方がまれであろう。
 そして現代は、お金の力が人の結びつきに代わり、義理も恩 も考えずにすむという点で、こうした生き方は理解不可能になりつつあるのかもしれない。
 外部と内部のない、世間のない、自らの欲望しか見えない現代人のメンタリティーには遠 いものかもしれない。

 「住吉鳥居前」口、津国大夫、弥三郎。津国大夫の語りが心に触れてくる。大阪の下町 の庶民の風情を情深く描く。
 泥臭い、だが庶民の生活感と心情に触れる語り。「江戸を見ぬ 者と牢にはいらぬ者は男の中の男じゃないわい。」という三婦の親父らしさ、お梶の女房ぶ り。弥三郎も手堅い。
 後、松香大夫、喜左衛門。三婦の表現が見事。
 こうした味わいはや はり年功か。
 玉幸の三婦。こうした下町の親父を描いては逸品。一暢のお梶。団七と徳兵 衛をさばく姉御肌のきっぱりしたところが小気味いい。
 こっぱの権、なまの八は勘緑、清 三郎。いきいきとバランスよく遣っていて楽しい。
 大鳥佐賀右衛門は幸助。権力を嵩に来 たいやなやつ、という役どころをうまく遣った。
 文吾の一寸徳兵衛。団七と張り合うとこ ろが若々しい力に満ちている。
 「釣船三婦内」口、文字久大夫、喜一朗。丁寧で、祭りの浮き立つような気分が出てい る。
 磯之丞と琴浦の、すねたじゃれあいが、ほほえましく感じる。「据え膳と河豚汁を食わ ぬは男のうちではないわい。」などと強がるあたりが、いかにもおぼっちゃんである。
 勘寿 がいい味を出している。
 琴浦は和生。傾城といっても、うぶな生娘にも見える。
 三婦の女 房おつぎには紋寿。亭主の気性を飲み込み、下の者からは姉さんと慕われる、しっかり女 房の典型である。
 簑助のお辰。日傘に日差しを避けながら、扇子をゆったり動かす。今回のお辰は、鉄火 と心意気の極道の妻というより、やさしさ、女らしさを併せ持つ面がより強く出ていた。
 磯之丞を預けられないといわれ、三婦に立ち向かう心意気。
 色気があるゆえ義理を欠くか もしれない。
 思い余って鉄弓を顔に押し付ける。
 その一瞬のためらいが、心の震え、この 女の、いじらしさとけなげさを思わせる。そして傷ついた顔を、そっと隠す恥じらいも。
 切の住大夫、錦糸。さすが、こうした世話場を語らせては、右に出るものはない。
 奥を咲 甫大夫、清志郎の若手に取らせ、一気呵成に幕切れへと導く。
 咲甫は人物の変わり、勢い などよく勉強している。あとはこうした世話物の風情をよりよく学んで欲しい。
 「長町裏」。前にこの芝居がかかった97年夏、この場の団七は呂大夫、義平次は相生大 夫であった。その見事さを忘れることはできない。
 文楽は古典。そして古典には、ゆるぎ ない権威と正統がある。
 呂大夫も相生大夫も、その古典としてのあるべき姿の一つを、納 得させてくれた。文楽は、取り返しのつかない人をなくしたのだ、といまさらながら思い 知らされている。
 そして今回、呂大夫の弟のような英が団七を語る。簑太郎と玉女がダブ ルキャストで団七を遣う。
 今、伸び盛りの中堅層の、花ある競演。
 この舞台を聞いて、不思議なことだが、私には、英大夫が、故呂大夫と呼び交わしてい るような気がした。
 今回の英大夫は、4月の又助以来の「男」の表現の集大成のようであ る。
 低く強い男の声で、瞬発力と持久力をもち、男らしさ、耐え忍ぶ強さ、爆発する強さ を表現する。
 そして掛け合いの呼吸、大きさ、幾重にも重なった思いが、彼としての団七 の表現を示している。
 男として侮辱され、出自をけなされる悔しさ、それでも親だからと 必死に耐え忍ぶ。
 そして堪忍袋の緒が切れる、その瞬間の絶妙さ。
 一度はとどまりながら、 「毒食わば皿」となってしまう。

 ゆっくりとしたメリヤスにのせて、スローモーションで 見せるような殺し場。
 「ちょうさじゃ、ようさじゃ」という掛け声と共に、花道からつめ人 形のかつぐ神輿が出てくる。
 まるで、この場面全体が、真夏の夜の夢であるかのような錯 覚を抱いた。
 その祭りの喧騒に紛れ、しかしふと心づく。
 「悪い人でも舅は親」の叫び。
 な ぜこの手にかけてしまったのか。
 祭囃子の焼け付くようなリズムが、暑さが、理性を失わ せる。
 心の奥では願っていたかもしれない、しかしそれを自分の手で、勢いで、犯してし まったという、その悪夢のような瞬間。後悔、戸惑い、恐れ、おののき、それらのすべて が込められた一言。
 それはまるで、英大夫の声が、死者の魂に呼びかけ、亡き呂大夫がそ れに応え、その魂の交流が、彼に新しい団七像を作り出させたかのように思われた。

 義平次の伊達大夫、いまやこの人のほかに、こうした汚れ役、庶民の悪のいやらしさを ここまで表現できる人はいまい。
 義平次を作り出しているのではない、義平次そのもの。

 そして要所要所を決める寛治の三味線。もはや「遊ぶ」ともいうべき余裕の表情。
 こうし た名人に支えられて、英大夫は鮮烈な団七を創造しえた。

 そして人形。玉女の団七は大きさと勢いを、簑太郎の団七は、男の色気と無念をより強 く感じさせた。
 簑太郎の団七は、隅々まで解釈が行き届いており、些細なふりでも団七の 心情を強く感じさせる。
 碇床でのさわやかな登場も、徳兵衛との立引きも、義平次との必 死のやりとりも。
 その刺青の体が、極道の無残さよりも、色気を感じさせる。
 これは、簑 太郎の感性と技術と創造的意欲が作り出した団七である。

 これに対し、玉女の団七は、な によりもその呼吸が、その勢いが団七そのものである。まっすぐに団七という役にはまっ ている。
 そして簑太郎の向こうには、なぜか父勘十郎が重なるように思われた。私は勘十郎の団 七を見たことがない。
 だが、大胆にして細心、隅々まで計算された簑太郎の団七には、父 を受け継ぎつつ父を超えようとする意欲がみなぎっているように思えた。
 そして玉女には、 義平次を遣う師匠玉男が。これが、師匠の弟子に対しての最大の贈り物。
 玉女のなかで、 立役として長年鍛え上げられた技が、力が、師のリードに合わせ、それを受け止め、共に 一つの舞台を作り上げていく。
 玉男の義平次。師匠もまた、愛弟子に伝えようと持てるものを出し切る。
 だが、それ以 上に、簑太郎にも玉女にも、十分に遣わせ、その表現を十分に引き出させる。
 なおかつ自 在に義平次を遣う。
 その中に生まれるものが、彼らの団七を生かしめている、そんな風に 思われてならなかった。

 こうして、文楽の芸は受け継がれてゆくのだろう。
 だが、それだけではない。彼らはも う一度、それを自分の手で受け取り直し、創造し直すのだ。
 彼らを生かしめている命の根 元を、芸という彼らのいのちを。

 死者を越えていく、というより、それを心に置きつつ、 対話し、自己の創造の原点としていく。
 儀式としての慰霊などではなく、文楽が、その芸 の伝承の働きそのものが、そうした生ける者と死せる者をつなぐ、私たちの根本的な精神 の営みを表わしているのではないだろうか。
 そんな思いに心を熱くしつつ、また夏を送る。

3つの物語――「勧進帳」再発見(南座公演)

南座公演の「勧進帳」は、中堅・若手がいま、与えられている課題をどのようにこえていくかを確かめることのできた舞台であった。彼らのうちにみなぎる力と、挑戦への思いが、この一期一会の舞台を作り出した。

この3つの物語
の出会いの要は、弁慶である。弁慶の性格にリアリティが感じられること、一見無理な設定でも、それを納得させるなにかを感じさせること。この弁慶は、玉女(人形)の、次代の立役としての試金石でもあった。

玉女は、延年の舞など、洒脱なおもしろみやゆとりには欠けるかもしれないが、六方の引き込みの迫力といい、弁慶の大きさ、立役の風格を十分に感じさせる好演であった。

英の弁慶(太夫)。……富樫ならば何の問題もなかっただろう。だが、最も苦しい音域で、たたみかけるような立詞が続く弁慶。息の使い方、声の使い方、30年を超えるキャリアをもってしても、困難な課題であったと思う。しかし、……とりわけ津駒の富樫との丁々発止の問答の、息もつかせぬ迫力を、忘れることができない。三段目語りとしてのステップを、彼は、一つ越えることができた。

清治の三味線が、舞台の全体を率いる。英大夫の言葉を借りれば、「磐石の間」。名手清治なればこそ、初役の太夫も人形も、安心して力を出し切ることができたと思う。

森田美芽

 「勧進帳」とは、なんと美しいのだろう。登場人物は男ばかり、魅力的な色恋も目を見 張るような派手な仕掛けもない。しかし、久しぶりにそのおもしろさを再発見した。
 20 01年7月、この南座公演の「勧進帳」は、中堅・若手がいま、与えられている課題をど のようにこえていくかを確かめることのできた舞台であった。彼らのうちにみなぎる力と、 挑戦への思いが、この一期一会の舞台を作り出した。

 「勧進帳」は、3つの物語の出会いである。
 一度は英雄とされながら、兄に裏切られ落剥 の身となった悲劇の武将義経の物語。
 悲運の主義経に忠節を尽くす弁慶の物語。
 そしてそ の主従との出会いで、生涯一度の職務命令違反を犯す官吏、富樫の物語。
 この3つの物語 の出会いの要は、弁慶である。弁慶の性格にリアリティが感じられること、一見無理な設 定でも、それを納得させるなにかを感じさせること。この弁慶は、玉女の、次代の立役と しての試金石でもあったと思う。

 まず簑太郎の富樫の登場。人物の骨格、人柄、一目でわからせる要を得た遣い振り。さ わやかな出。知、勇ともに優れ、心ある武将の風情を描き出す。人形の遣い方が大きい。
 清之助の義経。出てきただけで、義経の孤独が痛いほど伝わってくる。
 兄に裏切られ、 部下たちをこのように苦労させる、主である苦悩とそれを担う孤独。それでいて、若々し い色気を失っていない。清之助は気品ある若武者のこうした悲しみを、どうしてこうも的 確に表現できるのだろう。花道の引き込みも、富樫に会釈し、はっとして笠で顔を隠す仕 草も美しい。

 玉女の弁慶は、一言で言えば、義経の信頼に応えようとする誠実さを第一に出した弁慶 である。
 富樫は、義経を哀れと思ったからでなく、この弁慶の、心で泣きながら主を杖で 打つ、それほどまでの忠節に心を揺さぶられたのだ。
 もしこの弁慶に出会わなかったら、 彼は有能な官吏として、忠実に職務を果たしはするが、面白みのない人物として終わった に違いない。
 あるいは、富樫自身も、心ひそかに、義経主従に惹かれていたのかもしれな い。
 自分を認めず、こんな田舎に埋もれさせている無能な上司への反抗の気持ちを持った のかもしれない。
 弁慶の、理屈も計算もない、ひたすらな献身と純情が、彼にそうした気 持ちを起こさせた。それを納得させる弁慶であった。
 無論、まだ延年の舞など、洒脱なお もしろみやゆとりには欠けるかもしれないが、六方の引き込みの迫力といい、弁慶の大き さ、立役の風格を十分に感じさせる好演であった。
 左の玉志、足の玉佳も健闘した。

 英の弁慶。
 今回の彼の課題は、声で弁慶の「男」を感じさせること。声は驚くほど真実 を表わす。
 十分な声量、太く強い声を出す瞬発力と持久力、そして弁慶の一途な忠節を表 現すること、富樫ならば何の問題もなかっただろう。
 だが、最も苦しい音域で、たたみか けるような立詞が続く弁慶。
 息の使い方、声の使い方、30年を超えるキャリアをもってし ても、困難な課題であったと思う。

 しかし、迫ってきたものは、弁慶の忠節、問答の強さ、気迫、それを最後までもちこた えること、そして掛け合いの太夫の全体をまとめること、それを彼はやり遂げた。
 とりわ け津駒の富樫との丁々発止の問答の、息もつかせぬ迫力を、忘れることができない。
 三段 目語りとしてのステップを、彼は、一つ越えることができた。

 富樫は津駒。
 持ち前の美声のみならず、うまさが加わってきた。
 そう、簑太郎とともに、 弁慶にだまされたふりをする、情けを知る男としての器量、富樫の深みを感じさせる描き 方である。この富樫あればこそ、この弁慶あり。見事な出来であった。
 義経は呂勢。
 呂勢 はこの日3度目の舞台だが、声に衰えもなく「道中双六」の美しさ、「吃又」の口の人物関 係に加えて、この落剥の武将を切実に語った。

 番卒、四天王は新、咲甫。いずれも歯切れよい語り口で、すみずみまで明確に聞こえる。 声が十分に響く。人形の玉輝、簑二郎、幸助、亀次、それぞれに性根を伺わせる。
 そして清治の三味線が、舞台の全体を率いる。
 英大夫の言葉を借りれば、「磐石の間」で ある。そこに一点の曖昧さも乱れもない。絶対の信頼関係。
 名手清治なればこそ、初役の 太夫も人形も、安心して力を出し切ることができたと思う。
 宗助をはじめとする若手の三 味線陣(清太郎、清志郎、清馗)も、何の不安も迷いもなく、力いっぱい付いていけばよ い。その音色が清々しい。
 この成功の第一の功労者は清治であることは疑いない。

 彼らのひたむきな芸のぶつかり合いが、彼らの総力が、新しい舞台を作り出した。
 この 物語を生かそうとする力が、古い物語に命を与えた。
 次代の三段目語りへ、切語りへ、座 頭へ、立女方へ、伸び行く力が理屈ぬきに充実となる。
 この幸福な出会いを、七夕の夜の、 年に一度の逢瀬のように待ち望んで、そして与えられた。

 文楽を見る喜びはここにあった。

もう一つの意志表示――6月鑑賞教室より 「冥途の飛脚」を観・解く

森田美芽

 近松の人物像は近代的といわれる。だが、それでも現代のわれわれには理解しがたいことが多い。「曽根崎」にしろ「天の網島」にしろ、そこまで追い詰められる義理の論理が現代社会ではかなり崩壊してきている。
 では、「冥土の飛脚」はどこが近代的なのか。

 人間がその生まれた土地、育った風土、何代にも渡る人間関係から切り離され、都市という、金と色と現在という、ある意味できわめて単純明快な関係に移されたときどうなるか。
 その色と金の誘惑は、人をどのように破滅させるのか。
 それを知っていた昔の人は、一方で義理という住民同士のしがらみ、もう一方で厳罰主義という枷をもって縛ろうとした。

 「封印切」の物語には、預かった金の封印を切れば死罪という厳しい前提がある。それは、自分のものでない金を扱うことを商売とする者が、必然的に陥る誘惑の深刻さを物語っている。
 金があればかなわぬことのない一方で、金がなければ人間として扱われない。
 義理も人情もそこには存在する余地がない。金を手にすれば、つかの間でも全能感を味わえる。色里では、金をもてば生活の鬱屈も癒される。かりそめの恋でも楽しむことができる。
 この快楽を知った人間は、もはや「かたぎ」の生活にもどれない。
 この人間の弱さと転落を描いているという点で、確かに「冥土の飛脚」は名作である。

 しかし、それが舞台にかけられたとき、納得できるかどうかは別である。そのためには、技芸員たちは、そうした内容を自分で消化し、納得できる人物像を作り上げなければならない。
 それがなされているかどうかが、この舞台に共感し、感動できるかどうかを分ける。

 パンフレットには、忠兵衛を「超短気な男」と書いてある。
しかし、どんな短気な人間でも、自分の命と引き換えの金をそう簡単に私するものか。それを納得させられるかどうかが、成否の分かれ目である。
 今回の興味は、初役の彼らがその役をどうこなすかだけでなく、彼らが一人の芸術家として、自らの創造の営みをどこまで若い観客たちに提示しうるかの試みでもあったと思う。

 「羽織落とし」を独立させて段書きする。
 上手小幕の暗がりから、吉田簑太郎の遣う忠兵衛の白いかしらが浮かび上がる。身のうちに何かが走った。この忠兵衛は、すでに正気ではない。
 わずかに上を向いた視線、心ここにあらぬ足取り、「魂抜けてとぼとぼうかうか」ではないが、見る者はそれだけで忠兵衛が物狂おしい情念に捉われていることが分かる。
 新町の灯を前に、ふと心づくが、「おいてくりょ・・いてのきょ・・」のためらいも、彼の心をとめるわけではない。犬につまづき、羽織を落とす、恋につかれた忠兵衛。

 「封印切」和生の梅川の登場にはっとする。なりは遊女だが、なんと可憐な、愛らしい娘だろう。愛する忠兵衛のことを案じ、一方で田舎客に請け出されるかと気が気でない。
 かむろの浄瑠璃、廓の恋は誠が嘘になり嘘が誠になる、それも男次第の身の哀れさ。

 八右衛門の登場。私はこの八右衛門が男気ある人物と思っていた。少なくとも「淡路町」では。
 しかし、この場のふるまいは、友情などではない。彼にとってもっとも知られたくない懐具合を公表され、50両の不始末を公にされ、あまつさえ梅川を別の客に請け出させようとする。
 もし本当に忠兵衛を思えば、彼の面目を潰さぬ配慮があったはずだ。
 梅川と失いたくない。ここで忠兵衛の理性は切れ、懐の金を渡そうとする。さらに追い討ちをかける、八右衛門の一言。
 「さだめてどこぞの仕切金」。そう、ここまでいわれては、逆に手を止めればかえって彼の言葉を肯定したことになってしまう。八右衛門の言葉はみな道理である。にもかかわらず、それがすべて忠兵衛を追い詰める方へ向かっている。
 そう、「正しすぎてはいけない。」と聖書にある。
 正しいから受け入れられるのではない。むしろ正義に攻め立てられると、逆上して正義を否定するのが人の心。ましてここで梅川に自分の状態を悟られては、尚さら引っ込みはつかない。こうして正しさのゆえに、梅川の情けのゆえに、忠兵衛は罪人となってしまう。

   和生の梅川は、この男の短慮を嘆きつつ、こうなればどこまでも、という一途な思いを見せる。
 梅川が「二人で死ねば本望」と言うのに、忠兵衛は「生きらるるだけ添わるるだけ、たかは死ぬると覚悟しや」といいつつ少しでも逃げて生き延びようとする。
 梅川には恋に殉じる覚悟があるのに、忠兵衛は、まだ自分のしでかしたことを受け止め切れない不安定さがある。
 そう、ここの忠兵衛は、自らの身うちの狂気に捉われ、道を踏み外した者として描かれた。自らも持て余すほどの恋の狂気、その妖しさ、それに取り付かれた人間の弱さを、簑太郎は見事に描いて見せた。和生は、その品ある遣い振りで、遊女なれど心は貞女の梅川の愛らしさ、恋する女の一途さを表現しえた。

 そして英大夫の八右衛門の造形。
 理をもって迫ればかえって相手を抜き差しならぬ悪へと追い詰め、踏み出させる。近松の他の悪役―「曽根崎」の九平次の世俗悪や「油地獄」の与兵衛の放埓とは違う、世知に長けた、一見善意の顔をして迫ってくる敵。
 なんと近松は、人の心に精通していたことだろう。
 言ってみれば、ここでは、身のうちに潜む恋の狂気に捉われた忠兵衛が、八右衛門に代表される世間の理(義理ではない)という壁にぶつかり、かえってその狂気を顕わにし、結果として滅亡へと陥ってゆく、運命の残酷さであり、人の内なる狂気への恐れを描いている、といえるのではないだろうか。
 英の語りはこうした人の心の複雑さ、やるせなさを見事に描くものであり、清介の三味線は、物語の全体を見通して舞台を引き締めた。

 さらに、この次の班の舞台を見て、もう一度驚かされた。全く違う忠兵衛、もう一人の梅川、それが生きて輝いていたからだ。
 玉女の忠兵衛は、都会の水になじんだとはいえ、どこか純朴さを残す好青年である。
 彼は努力して、大阪の商家のしきたりになじみ、風雅も一人前にこなすようになった。だが、どこか自分の出自にコンプレックスを持っているのではないだろうか、と思わせられた。
 忠兵衛は確かに梅川への思いに捉われているが、どこか甘い。封印を切るほどの覚悟は最初はなく、ただ単に近所まで来てしまってやはり離れがたく感じて、うかうか来てしまった。
 そこで彼は、信じてきた友の裏切りに会う。義母の前では男気ある友であった八右衛門が、自分の値踏みをし、あまつさえ自分と梅川の仲を裂こうとしている。
 養子である彼には、養家の身代を値踏みされることも、面目を潰されることも、自分をまるごと否定されるような想いであったに違いない。
 もし実の子であったら、こんなもんや、ですますこともできたかもしれない。そう、玉女の忠兵衛は、友を信じるほどの純粋さを持った青年が、裏切られ、恥をかかされ、自分の全存在を否定された、その怒りで封印を切ったように思われた。

 そして清之助の梅川。出の貫禄と憂いの表情。
 この梅川は、自分が遊女であることを自覚している女だ、と思った。
 確かに忠兵衛に惚れてはいるが、自分が遊女であるために、彼を窮地に陥れていることを知っている。彼と結ばれることを願うのは、かえって彼を苦しめることになる。そのことが梅川を苦しめる。
 彼女には、そうした自責の念がほの見える。だから、忠兵衛が他人の金を横領して自分を身請けしたと知ったとき、彼女はその罪責意識から、忠兵衛と共に行くことを決意するのである。幕切れに二人が抱き合う姿の、なんと美しくいじらしいことか。
 こうした梅川像を創造できたのは、三輪大夫の品ある、大きい語りのゆえであると思う。
 彼の浄瑠璃には嫌みや臭みがない。人の善意を信じられる。しかしそうした純粋な若者たちが、金やら色里の仕組みやらによって足をすくわれ、滅んでいく悲劇として納得させた。清友の三味線が、その豊かな情味を聞かせた。

 私は彼らの舞台を見た後、身震いする思いだった。30年を超える芸歴、優れた資質、絶え間ない努力、そして自分の役柄への理解を通して、何かを表現しようとする意志の激しさ。
 確かに、大師匠たちのそれとは違う、彼ら独自の「冥土の飛脚」を伝えられた、と思った。

 無論、どちらの舞台も、若手の健闘が光っていた。
 かむろを演じた玉翔は何かしら目を引きつけられるし、幸司も腕を上げた。
 花車の清五郎、和右もしっとりと、心で受ける演技。敵役は演じにくかろうが、文司は芸達者な所を見せる。
 文字久、南都は忠兵衛の甘さや心の動きを魅力的に聞かせる。
 だが、それでも、まだ彼らは英、三輪、簑太郎、玉女、清之助らのレベルに達していない。届きそうで届かないその差。そこに、彼らが修行を続ける意味がある。
 たとえば緑大夫や鶴沢八介らのように、道半ばで倒れることがあっても、それでも上を目指し、どこがどう違うのか、自らの身体で会得したもののみが、その差を越えることができる。
 その狭い道を、歩んでいく覚悟があるのか。

 そう、この舞台は、彼らの、もう一つの意志表示であったのだ。
 終わりない芸の道を歩んでいくことへの、そしてその困難を引き受け続けることへの。そして私たちも、その意志を受け止め、彼らの舞台を見つめ続けていきたい。

悲歌拾遺――追悼、鶴沢八介

森田美芽

 思えば、この2年の間に、文楽はかけがえのない人々を相次いで失っていった。
 緑大夫、相生大夫、呂大夫、そして鶴沢八介、さらに吉田文昇まで。
 悲しいというより、その一人ひとりの死と共に、もはや取り戻しようのない何かが、永遠に失われていく・・文楽は一体 どうなるのだろう。わけても鶴沢八介の死は、道半ばで、しかも49歳の働き盛りで、とい う痛ましさと、三味線陣のなかでいま、最も必要とされていた、ベテランと若手をつなぐ 立場の人を失ったという苦しさで、内心忸怩たるものがある。
 鶴沢八介という人の芸風を、一言では表わしにくいが、その端正な舞台姿に思いを致す 人は多い。派手ではないが着実な人、端場の大夫を助けて物語の骨格を作りだし、道行で あれば2枚目あたりで変化を面白く聞かせ、ベテランと若手をつなぎ、共に支える、貴重 な役割を、淡々と、しかし見事にこなした人だった、と思う。
 英大夫とのかかわりで言えば、忘れがたい舞台が2つある。
 一つ目は、1997年1月の研修発表会で「合邦」の奥を丸一段弾いたこと。「英旅日記」 によれば、暮れ正月を返上しての50回以上の稽古であったという。むべなるかな、と思っ た。このときの「合邦」は、私にとっても衝撃であった。
 この英―八介の「合邦」を見た とき、私は人間のドラマとしての「合邦」に惹きつけられた。それほど、実感をもって感 じられたのだ。
 玉手は、俊徳丸に恋しているのかいないのか、思わずくらくらとなるよう な玉手の思いの複雑さ。そう、恋してはならないと自らを鎖しているのかもしれない。そ のこと自体が、溢れるような想いの現われではないか。
 そして、そういった情念を浄化す るような、犠牲としての死。その間に封印された玉手の想い。解釈としては、むしろ明快 であった。ひとつの完結した世界として提出されていたと思う。
 だが、私にとっては、か えって玉手の謎は深まった気がする。
 そう、割り切れないことが、この場の誘惑なのだと。
 八介の三味線は、本当に気迫のこもった、一貫した主張が感じ取れる、そういう三味線だ った。
 そして太夫が三味線をリードし、三味線が太夫に挑む、その中から生まれてくる見 事な調和。このとき、二人の間に、自らの芸の高みを求める、太夫と三味線の戦いを感じ ずにはおれなかった。
 もしこのとき、この三味線が八介でなかったら、私は英大夫と出会 わなかったかもしれない。そんな深い情熱を、心に持つ人だった。
 その一年前、同じ研修発表の時、彼は「御所桜堀川夜討・弁慶上使」の奥を弾いていた。
 その時、三味線の10年と20年はこうも違うものか、と聞いた。
 悪いというのではない。
 だが、技巧がどうのという以前に、この世界は、どうしようもなく年功によってしか磨か れていくことの出来ない何かがあるのではないか、と思われた。

 そんな形で、文楽の厳し さと美しさを、この拙い耳に教えてくれた人であった。
 もう一つ、1997年8月、大東市市民会館における青少年芸術劇場の「野崎村」(英・八介) のこと。つまり「野崎村」の地元で演じられたときのこと。
それにしても、と思った。
 どうしてこんなにこの物語の世界から隔たってしまったのだろう、とため息をついたのを覚 えている。
 野崎参りの歴史、お染久松の悲恋、大阪人の心に深く刻まれたこの物語が、こ の当地で、どうしてこんなに遠く感じられたのだろう。
 それは演じる人々のせいではない。 だが、もう義太夫は、大阪人の共通の精神基盤ではなくなっているのだ。そんな悲しさを 覚えた。
 舞台の方はむしろのびのびと演じられていたように思う。二人の幼い恋、切々と訴える 父、自ら身を引く健気な犠牲。そしていよいよ段切れ、三味線の連れ弾きでの聞かせどこ ろ。
 生き生きと美しく、はぎれよい八介の三味線に呼応して連れ弾きの団市の音色の小気 味よさ。その三味線の華やかな合奏が、かえってその悲しみを際立たせる。
愛し合う二人 の未来の絶望と、それと知らぬ気の駕籠と船頭のチャリめいた仕草。その距離、それを眺 める精神の距離を感じることができた。
 こうなると予測し、それにたがわぬ響きに身を委 ねることができる。うっとりとその喜びをかみしめることができた、幸いな一時であった。
舞台後、不躾にも紹介もなしに楽屋を訪ねた私に、八介氏は快く応対し、サインを下さ った。用意がなかったので、持ち合わせた「艶容女舞衣」の文庫本に。
また連れ弾きをさ れた団市氏にも並んで書いていただいた。それから数年を経ずして、八介氏は早世、団市 氏も病のため廃業された。
 このサインは、あまりにも貴重な記念となってしまった。

 ほかにも、いくつかの舞台を思い出す。
 「雪狐狐姿湖」の鮮やかな、彩り豊かな世界の描 写、「二人かむろ」のぽってりはんなりした風情、「平家女護島・六波羅」では、数多い大 夫を語らせつつまとめ、「忠臣蔵・雪転し」では、ベテラン、松香大夫と共にこの段の面白 さを聞かせてくれた。その一つ一つを忘れることができない。
 その人がいることで、確か に舞台が一本芯が通り、一枚豊かさが加わる、そんな中堅としての役割を果たしていた人 だった。

 もう一つ、触れておきたい。氏は国立劇場研修生出身者の一人として、よい成果を残さ れた。
 つまり、この研修が始まった当時、文楽を初めとする古典芸能は深刻な後継者難で あった。
 この計画が発表されたとき、幼い頃からの修行が大事、とする人たちからは、成 人になってからの入門者である彼らに、危惧する向きもあったと聞く。
 事実、1期、2期 生出身で、廃業、転業した人は多い。
 彼はその中で、まだ世間の評価も定まっていない研 修生という道を選び、誠実に努力を重ね、ここまでになった。
 成人してからでも、本人の 気概と努力により、25年を勤めれば、ここまでになりうるという可能性を、事実として 後輩たちに示しえたのである。
 それなればこそ、3期の錦糸、4期の燕二郎、5期の宗助 始め、有望な若手が続くことになったのだと思う。

 それだけに、惜しい人をなくした、ではすまないことを思う。
 彼が果たしえなかったこ とを継ぐために、研修出身者では12期以下の団吾、喜一朗、清志郎、龍聿、清丈、そして 清太郎、清馗、寛太郎、彼らの一層の奮起と精進を期待したい。
 文楽に新しい可能性を見 出すことができるとすれば、そうした彼らの成長以外にはないのだから。
(2001、6, 3)