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豊竹呂大夫を偲ぶ――私らが受け継ぎ得るもの

9月9日を前に 森田美芽

 「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時・・・(聖書、コヘレトの言葉3章1、2節)

 9月9日、重陽の節句が近くなると、思い起こさずにおれない、というより、いまだ整理できない思いがこみあがって来る。
 豊竹呂大夫の3回忌を前に、あの時には語ることもできなかった悲しみと、今になって感じられる彼の存在の大きさ、これからの文楽のことなど、取り留めないまま書き連ねておこうと思う。私には、義太夫の歴史や風を語る力はない。ただ、素人の耳にも鮮やかに残されているあの出会いの意味をもう一度考えてみたい。

 この夏、日本を離れ、日本語を耳にすることも使うこともない環境で、彼の「道行初音旅」を聞いたとき、その日本語の美しさと力強さに、改めて感嘆させられた。
 力と気品、そして古典としての厳然たる規矩を供えた語り。言葉が詩となり物語となり、目前に海が広がり、あまたの兵船が赤幡に彩られ、陸には白幡が翻る、絵のような風景がさっと広がる。
 血なまぐさい戦いが、もののふの凛然とした戦姿とその潔さに変わる。そうした言葉の魔術のような義太夫節。さらに、それが彼の30代でなされた業績であることを思うとき、さらなる感嘆の念を禁じずにおれない。
 言葉の意味と、音と、感情がひとつになり、物語を形作る、古典としての文楽の厳しさと風格、そして何よりも、確かな技術に裏打ちされた魅力的な声。
 そこには、われわれの先祖が生み出した、誇るべき文化的伝統が、厳然として現代に存在しうる、その理由の全てが存しているように思えた。
 その彼の最後の日々に間に合ったことを幸運を呼ぶべきであろう。たった一度耳にしただけなのに、それはいまも、心に迫る深い充実と内容を持っている。あの「楼門」「殿中刃傷」「盛綱陣屋」「碁立」「政岡忠義」「帯屋」その「白鳥の歌」ともいうべき「国言詢音頭」・・・
 個人的には、最初に呂大夫を意識したのは、平成8年正月公演の「政岡忠義」である。この話は歌舞伎でも当代中村鴈次郎の政岡で見たことがある。
 だがそのとき、我が子を失った政岡の口説きの嘆きの深さ、「三千世界に子を持った親の心は皆一つ」という、知っていた筈の言葉が痛く胸に突き刺さり、いつまでも消えないような感覚に襲われた。
 それは自分自身が子を持つ立場になったからその気持ちに感情移入できたせいかと思えたが、そうではなく、感情移入させる語りのせいであったことにあとで気づいた。
 このとき私は、言葉が言葉として、その意味以上の感覚を呼び覚まし、それが聞くものの人生の感覚と重なって感動を引き起こすということを、初めて体験したのだった。
 それについて4月公演で聞いた「碁立」。歌舞伎の時には気づかなかった、人物造形の深さと時代物のスケール、強さ。きっぱりと力強いその語りが、通奏低音のように響き、切場の十九大夫・清治につながっていったのを、忘れることはできない。
 「楼門」については、それこそこれが模範演技、とでもいうものを聞かせてもらった。
 そのマクラにいくつかの型があり、そのどちらも十分に語りうると聞いた。風という形のないものに命を与える、あるいはそれの持つ意味を語りの中で伝える、それが語り手の責務であると知らされた。
 親子の情と義理のせめぎ合い、父との絆と武家の奥方の気概、相反するこれらの論理の衝突を描きつつ納得させること、時代物の大きさと課題の難しさを教えられたのもこの人の語りだった。
 晩年、体の不調を押して語っていた、その緊張がそうさせたのか、内から収斂する力が語りににじみ出て、何ともいえない迫力がこもっていた。
 あの「帯屋」の奥、前半を英大夫が、後半を彼が語り分けた、高槻の地方公演。その2日後の尼崎公演から彼は休演し、弟子の呂勢大夫が代演した。天の情けとも言うべき出会いであった。
 前半のコミカルな部分を英大夫が、たっぷりと笑わせた後の彼の、長右衛門の沈痛な述懐に、たたみかけるような燕二郎の三味線がかぶさる。この物語が、この男の秘密から始まったこと、そしていま、かつての心中相手と身代わりのように、14歳のお半との心中を決意する男心の動きが、どれほど切実に感じられたことか。
 呂大夫といえば時代物が第一に心に浮かぶが、このとき舞台は、英大夫とのコンビネーションや、吉田簑太郎らの人形の見事さも加わって、忘れがたい舞台として心に刻まれている。
 世話物の中の的確な人物描写、詞の力。
 大阪で見た最後の本格的な時代物は、99年11月の「盛綱陣屋」の後だった。この物語を、いま感動とか共感を持って見られる人は少ないだろう。
 骨肉の争い、武士の体面、わが子を犠牲にする計略、いかに時代物の名作と謳われても、進んで見たいとは思えない作品の一つだった。
 しかし、このとき、十九大夫―清治、呂大夫―富助で聞いたこの物語は、武士の論理のむごさ、家族の絆を引き裂かれるその悲しみと、意気に感じるもののふの志の潔さが、段切れの近江八景を読み込んだ詞章の中から鳴り響いてくるように思えた。
 あれが呂大夫の真骨頂であったと思う。

 そして2000年夏、「国言詢音頭」の「五人伐」の端場。あれが「白鳥の歌」となるとは、われわれも、そして本人も思ってもみなかっただろう。
 あの、けだるい夏の夜、人を狂気に陥れる廓の色恋のやるせなさ。舞台を見終えて劇場を出たところで、偶然呂大夫に出会い、思わず「ご体調はいかがですか」と声をかけてしまった。
 「あまりよくありません」と。それが私にとっては2度目の、そして最後に交わしたことばだった。
 東京公演の「忠臣蔵」の初日、彼は逝ってしまった。「七段目」の平右衛門を演じるはずだった。55歳、あまりに早すぎる死。
 どれほど無念であっただろう。あの声をもう二度と聞くことはできない。師匠の越路大夫にとっても、自分より30歳以上も年下で、将来の文楽を背負って立つはずの彼が先立ってしまうとは思わなかっただろう。
 その越路大夫も鬼籍に入り、泉下で愛弟子と、語り合っているのだろうか。

 私が呂大夫から学んだもの、それは文楽の、義太夫節の芸の深さ、底知れなさであり、それが同時に現代に生きる芸術であるということ、そして言葉というものの底力であった。
 300年間伝えられてきたものが、いま、生きて私たちの心を揺さぶる、それほど力ある言葉のわざであることを、これほど痛切に感じさせた人はいない。
 それは、彼が戦前と戦後をつなぐ転換点にいる一人であったからと思われる。
 呂大夫は、豊竹咲大夫、鶴沢清治らと共に、戦前の文楽の系列に直接に連なる、そしてその最良の伝統を受け継ぐ一人であった。
 英大夫らその後の世代との決定的な差は、呂大夫らは、いわば、幼少期から選ばれてその伝統を受け継ぐものとなったのに対し、英大夫らは、成人した後に、自ら発見して自覚的に選んだことである。
 社会的にも、彼らは一度、文楽以外の価値観と世界を経験し、その上で選んだ。自らのうちに、時代に背を向けて何かを作り出す、あるいは受け継ぐことを見出すことが必要だった。
 自由な社会と団塊世代の反逆の洗礼を受け、その中で文楽の価値を新しく見出し、再構築しなければならなかった。
 彼らの間の差は、入門年齢の10年以上の開きとなって表れている。呂大夫と英大夫は、実年齢では2歳しか違わないにもかかわらず、それが、彼らの置かれた立場を決定的に違うものとしている。

 そして何より、呂大夫の入門当時に、義太夫節は少なくとも、人々を感動させる芸として今よりずっと社会的に認知されていた。
 その価値観が崩れ、義太夫節なり文楽がその現代における存在意義を示していかねばならなかった。また、彼ら自身も、自らの受け継いだ伝統の意味を問い直し、継承していくべきものを見出さざるをえなかった。
 呂大夫の語りの中には、そうした厳しい自己への問い直しの結果継承されてきた、伝統というものへのゆるぎない信頼と確実性があったのではないだろうか。
 義太夫節のもつ体系と論理を実践の立場から確認し、そのよりよきものを、私たちの目に見える形で示してくれたという点で、彼の業績は大きい。

 呂大夫について、私の非力では、語り尽くせないことが多すぎる。ただ、生き残った者は、先立った者の意志と事業を継いでいかねばならない。
 今、英大夫に求められるのは、確かに、呂大夫のもっともよきものを受け継ぐこと、とりもなおさず、義太夫節の正統を受け継ぎ、それを次世代に伝えていくこと、そしてその成果を、社会的に認知されること、新たな文楽の存在意義を示すことである。
 彼はその大きな責任を担っている。
 この数年、彼の進境は著しく、課題とされた男性の詞の表現も強くなり、人物造形に深みが出てきた。あと一歩を望むなら、時代物の品格とスケールを備えた語りを、と言いたい。

 とりわけ正統な技術的継承については、いま、発声においても音使いにおいても、正しい技術の継承には、大きな課題がある。
 ことに太夫には。芸は風邪引きではないから、いくら汗を流してもそれだけで良くなるものはでない、といったのは岡鬼太郎であったか。
 確かに、どんなジャンルでも、正しい指導と同業のプロ集団による厳しい批判が作り出す水準の維持が絶対的に必要なのだ。
 いまの文楽で、どこがどう問題なのかは詳細にはいえないが、少なくとも、「よくやった」「がんばっている」以上の成果を聞き分けるよい観客、見巧者、聞き巧者(そんな言葉があればだが)が必要であろうと思う。これは私自身への自戒も含めて、彼らの努力を正当に評価し理解する努力が必要であろう。

 第二に、文楽の社会的意義について。
 それは、世界でもっとも美しい言語芸術のひとつであり、人類にとってかけがえのない財産であること。
 その中に、日本人が持つ義理と人情の葛藤という、もっとも普遍的な人間的主題が、見事なまでに表現されているという芸術性の高さ。
 そして、志ある生き方を示していること。
 この便利さのみを追求する世の中で、あえて50年も60年もかけて芸の完成を追及するという生き方の尊さ。それを伝えていくことが、彼らに課された責務であることを思う。
 呂大夫は、海外公演で、人々が各自の感性でそれを感じ、ダイレクトに反応してくれることを評価していた。
 彼は、文楽というものが、掛け値なしに人類にとっての普遍的な価値あるものであることを自覚し、またそれを世界に発信しうる人物であった。
 いま、私たちは、その重さを改めて自覚すると同時に、私たちの受け継いでいるものの本質を見直し、伝えていかねばならないのではないか。

 文楽は、生きた人間による、本当に一代限りの、表現低術である。それだけに、活きた形で伝承していくことは難しい。
 だからこそ出会える美しさ、一度限りの感動がある。それが単なる一時の興奮、一時の気晴らしに終わらないのは、その芸術水準の高さによる。
 呂大夫の舞台に出会えたことは、私にとって生涯の宝である。そして英大夫が、彼の弟子たちが、若い技芸員たちが、力を合わせてこの芸を守り続けてくれることを期待し、応援してやまない。
 それが、泉下にいる呂大夫と、師匠の越路大夫に報いる最高の道であろうと信じる。

曽根崎の闇を貫く――国立文楽劇場、6月「文楽鑑賞教室」より

 中堅と呼ばれる人たちの底力を知らされた。
 彼らは、伝えられてきたものを消化して現代に提示し、その感覚を共有するだけのものを備えている。
 そこに「魔」を感じさせる。
 だが、見る側に、その「魔」を受け止める力が失われつつある。それは、死をもってしても失いたくない真実が、命かけて悔いない愛があるという感性が失われつつあるということではないだろうか。

森田美芽

 「曽根崎心中」には、人を酔わせる力がある。
 ほかのどの狂言とも違う、不思議に人を引きずり込む魅力がある。観客は、いつのまにかお初と徳兵衛に感情移入し、まるで彼らと同じ情熱に引き込まれ、惨たらしい結末までも一種の陶酔感に包まれ、幕が下りてもなおその熱さが体を去らない。
 舞台と一体化したような感覚。それが、物語の分かりやすさとか、単純さという言い方はしたくない。

 それは、たった一昼夜の出来事である。
 第一、お初には、徳兵衛と心中しなければならない義理はない。
 九平次とて、徳兵衛を死に追いやると知っていたら、そこまで人を欺いただろうか。だが、理屈ではない。というより、そこに理屈を超えて、人を痺れさせる感覚が起こされる。それは、舞台の上のお初と徳兵衛だけでなく、人形遣いにも、太夫と三味線にも、観客一人一人までも巻き込んでいく、官能にも似た力である。

 そうした力を秘めた曽根崎の深い闇路を、見出すことができるかどうか。
 国立文楽劇場、6月恒例の「文楽鑑賞教室」、前後半の2部、今回初役を演じる彼らは、そうした課題を負わされている。そして彼らは、その期待に十分応えた。

 前半(B班)、簑太郎のお初のなんという美しさ。「生玉」で徳兵衛を案じて駆け出るさま、「天満屋」で徳兵衛を打ち掛けに隠して店に招じ入れるさま、九平次に悪態を返す場面、ひとつひとつ、自信に満ちた美しさにはっとする。
 徳兵衛と縁の上と下で、心ひそかに交わす約束の、なんというひたむきさ。
 そして前半少し押さえ気味だったかと思われるほど、無駄な動きをせずお初の純真さを印象付けて、「天神森」でそれらを解き放つかのように見せる動きのはなやかな美しさ。このお初にとって、この心中は、自分たちの愛の勝利だと感じさせた。
 世間に負けたのではなく、むしろ胸をはって世間を見返してやろうとさえ言っているような、この女の強さ。そしてそれに呼応するかのように、玉女の徳兵衛は、「春を重ねし雛男」を納得させる男の色気を感じさせた。
 汚れない、わるびれない若さ。九平次の悪巧みにやすやすとかかりながら、それでもひ弱さは見せない。単なるおめでたい善人ではなく、恥を知る男。
 自らは恥を漱ぐためでも、自分についてきてくれるお初に、心からの愛おしさを感じ、もはや死ぬことにためらいはない。
 それでも、いざ刃を向けたときの心の逡巡。お初を殺すことを一瞬ためらうさまに、お初への思いを感じた。両者とも、隅々まで人物が生きている、その確かさを感じる。

 そしてもう一人、玉也の九平次は、特筆に価する。その憎々しさ、粋気取り、この憎まれ役が成立しないと、徳兵衛の悲劇もお初の思いも完成しない。その点で、玉也はこの難しい役を見事に演じ、舞台を納得させた。亀次のお玉も雰囲気を納得させる。

 それに対し、後半(D班)清之助が見せてくれたのは、まったく対照的なお初であった。
 それは、やさしさのゆえに運命に流されながら、その最期に思いもよらぬ強さを見せる、簑太郎のお初とはまったく違った強さを持つ女であった。
 簑太郎のお初には迷いがない。
 彼女は遊女であっても、自分を卑下することは微塵もない。徳兵衛を愛することも、自分の愛するものにまっすぐに向かっていく強さと美しさがある。
 これに対し清之助のお初は、細やかに徳兵衛の気持ちに同調していく。もしかしたら彼女は、その親たちの苦境を心に感じて、遊女に身を落とすことを同意したのかもしれない。相手の苦しみを相手以上に感じてしまうようなやさしさのゆえに、この女はその美しさや聡明さにもかかわらず、自分を追い詰めてしまったのかもしれない。
 だから、同じ「天満屋」でも、簑太郎の場合は「わしを可愛がらしゃんすと、お前も殺すが合点か」が、清之助のお初は、「徳さまに死なれて、生きていると思いやるか」が印象に残る。
 「徳様、わしも一緒に死ぬるぞや」は、簑太郎のお初にとっては、この場でのごく自然な決断であり、清之助のお初にとっては、「生玉」の「三途の川は塞くひとも塞かるる人もござんすまい」からの覚悟が自分の中に甦ってきたように思われた。

 その官能の表現に、思わず身の奥が震えた。
 そしてあなたこなたを思いやりながらも、最期にようやく自分の意思を見出し、たとえ親を泣かせても、この恋だけは捨てることができない、という自己発見と決意が、「天神森」の「はよう殺して殺して」なのだ。
 和生の徳兵衛は、「生玉」の出のうきうきした頼りなさ、「天満屋」の沈痛な決意、「天神森」のお初を思いやる情愛と、それぞれの出に性根をにじませる、誠実さのまさる徳兵衛と思われた。

 九平次は文司。危なげないが、もう少し悪の強さを見せてもよいと思う。
 簑二郎の女中お玉、芸達者なところを見せる。

 B班の「生玉」は貴大夫、弥三郎。貴大夫は詞に不安はないが、「一つなる口、桃の酒」というような、ふくよかな色気が欲しい。
 弥三郎は的確で芯ある音。
 「天満屋」は津駒大夫、清介。お初のくどきなどは津駒大夫の最も得意とするところであろう。ただ、お初が生きるためには、九平次の憎たらしさ、おどおどする亭主、朋輩女郎の善意と気遣いなども聞かせなければならない。
 たった一言にも、その人物が出るかどうか、ここが津駒大夫の正念場ではないだろうか。
 清介の三味線は、はんなりした色町の雰囲気や、段切れの切羽詰った思いまで、見事に描き出す。
 「天神森」では始大夫がお初、新大夫が徳兵衛。始大夫は高音に課題を残す。
 新大夫も、もう少しゆとりというか、色気が欲しい。
 三味線は宗助、喜一朗ら。華やかに幕切れを作り出す。

 D班は、「生玉」が松香大夫、燕二郎。
 松香大夫は円熟した語り口の厚みを聞かせる。さりげないようで、存在感ある語り。
 燕二郎は過不足なく、妙音を聞かせてくれる。

 そして「天満屋」の英大夫、清友。一連の舞台で、初めて心底安心して聞けたような気がする。どこも危なげない。いな、その声に、言葉の一つ一つに、安心して身を委ねることができる。
 その語りにのせて、お初が、徳兵衛が生きて動き出す。
 大声を出すこともなく、長々としたさわりを聞かせるのでもない。

 だが、この名作の難しさーーおそらく、この舞台で最も難しいのは太夫であろう。
 注目されるのは人形であり、三味線は野沢松之輔の良い手がついて聞かせどころが多い。なのに太夫は、どこまでもさりげなく、しかも情を込めて語らねばならない。詞と節の一つになったような流れるような美しさと、短い詞による人物の描き分け。今回ほどその難しさを知らされたことはなかった。
 そして英大夫が、こうした近松の世話物の世界を描くに十分な備えができていることに、改めて驚嘆の念をもった。
 清友は息の合ったところで、微妙な音色の変化を十分聞かせてくれた。

「天神森」は、南都大夫のお初、咲甫大夫の徳兵衛。
 改めてこの道行きの難しさを感じた。
 南都大夫は若手では最も美しい高音を使える一人であろうと思うが、その彼にして、これほど高音部で苦しんでいる。努力家の始大夫が精一杯勤めても難しかったのが改めて納得できた。
 咲甫大夫はやや低めの音域で、言葉もはっきりと語る。
 三味線は、シンが清二郎、2枚目が団吾。清二郎はこの道行きを美しくまとめ、団吾もさわやかによく弾いた。 この舞台で、改めて中堅と呼ばれる人たちの底力を知らされた。
 彼らは確かに、伝えられてきたものを自分なりに消化して現代に提示し、その感覚を共有するだけのものを備えている。
 そこに「魔」を感じさせる。
 だが、見る側に、その「魔」を受け止める力が失われつつあることは、どうしようもない事実である。それは、死をもってしても失いたくない真実が、命かけて悔いない愛があるという感性が失われつつあるということではないだろうか。
 言葉がわからないから字幕を出す。
 しかし字幕で字の形を見ても、この厳しい義理の論理、面目を失うことの意味、言葉に出すことの重みが伝わるのだろうか。

 この国では、いったいいつから人生は、計算して設計して、成功だけを求めるものになったのだろう。
 5つや6つのころから、否、生まれる前から、決まった道を通り失敗しないようにとだけ、自分の生を計算どおり運ぶことだけを考えるものになったのか。
 時間を管理し、要領よく運ぶものになってしまったのか。
 そんな人間に、恋に狂い死ぬことは、文字通り理解不能な愚かさであろう。
 そこでは死とは、偶然招きよせられた不運にすぎないのだ。

 でも「曽根崎」の闇を貫く官能性は、私たちに語りかける。生とはそれだけで終わるものはないのだと。それは、私たちの生が、その上に立っている不可思議さであると。
 もし私たちに人生が、偶然に与えられその間できるだけうまくやり過ごすものにすぎないなら、私たちはただ死に行く身を楽しませるだけでよいのかもしれない。
 しかし、S.キェルケゴールが語ったように、私たちを私たちであるようにと定めたものがあるなら、私たちの人生は、勝手気ままに設計するものではなく、その見えざる神に向かい、その関わりの中で位置付けられるものでなければならない。その私たちの生きることの土台にこそ目を向けよと。
 生とはそこに一人一人、かけがえないものとして創造されるものにほかならない。

 そこに彼等の人生と、芸と、私たちの人生の切り結ぶ出会いがある。
 舞台で出会う一瞬の闇と光。そこに賭けた人生の重さと表現されたものの重み。

 私が彼らを愛するのは、まさにそのことを確かめることであると。人生は、やり過ごすものではなく、価値あるものに向かうその過程そのものであると。

男たちの嘆き、女たちの悲しみ――4月公演「菅原伝授手習鑑」を見る

 細部まで理解しているはずのこの物語を、新たな視点で見せてくれた。それは、千代ではなく、松王の嘆きの意味を納得させてくれたことである。

 だが、英大夫の語りを聞いて、「ご夫婦の手前もあるわい」と千代をたしなめた一言で、松王丸の嘆きはもっと深い、と気づかされた。

 どうしても観客は、千代に直接的に感情移入してしまうだけに、この悲劇の中心にいる松王の嘆きの意味を思い起こさせるには、そうした世界観と性根を描ききる、太夫の物語への理解と力量が必要なのだ。
 英大夫の語りは、眼目の泣き笑い、いろは送りの技術的克服だけでなく、こうした物語の骨格を納得させてくれるものであった。

 これほど内容ある舞台であったにもかかわらず、私には、英大夫がまだまだいける、と思わずにおれなかった。
 彼は、文楽に呼ばれている。

森田美芽

 2002年4月公演は「菅原伝授手習鑑」の通し。菅原道真の1100年忌や、吉田玉男一世一代の菅丞相というふれ込み以上に、新しい息吹を感じる舞台となった。
 そして英大夫が、「寺子屋」を語る。
 「菅原」の長い物語で、一日の最後を飾る場面。多くの人の期待、技術的なハードルの高さ、40分もの息もつかせぬこの場を、20日の間連日勤め上げるという持続力。役場の大きさは、太夫としての課題の大きさ(スケールの大きい芸)に深く関わっている。

 結論からいえば、英大夫は期待通り、いな、期待以上であった。
 細部まで理解しているはずのこの物語を、新たな視点で見せてくれた。それは、千代ではなく、松王の嘆きの意味を納得させてくれたことである。

 吉田簑助の千代。松王に「女房なんでほえる」とたしなめられ、上手に行き、呆けたように座り込む、そのうつろな表情。この女は、わが子を犠牲にするという企みを聞かされた時、涙かれるまで泣き尽くしたのだろう。そしてその悲しみが現実となったいま、もはや、なにも心に届かない。
 わが子を殺すために寺入りさせ、その死に際を看取ることも、死に顔に対面することもできなかった。
 忠義のためと説得されて、他に取るべき道もないと頭では理解している。だが、彼女は失ったものの大きさに打ちひしがれ、義理と外面だけを考える夫に、しんと心が冷たくなるような悲しみを抱いている。

 戸浪なら、夫を励まし自分も覚悟して加担するか、納得できなければ、自分の手で子を連れ出して逃げるだろう。この女には、そんな底強さを感じる。
 勘寿の戸浪は、初段で、かつての宮仕えの気品と気概を残しながらも、自分自身あえて不義を犯す勇気をもった女であると感じさせた。そしていまは自分の選んだ男を支え、共に戦っていこうとする女である。
 だが、千代は違う。彼女は夫に従ってしか生きられない。にもかかわらず夫は、彼女の感情を無視し、それを表現することを許さない。わが子を失ったばかりか、あの「茶筅酒」で見られた嫁舅、相嫁同士の絆も忠義のためにと断ち切られてしまった。
 もしかしたら千代は、このあと松王に離縁状を叩きつけて去るかもしれない、と思わされた。それほど、千代の悲しみに同情されてならなかった。

 吉田簑助の千代は演じているのでも遣っているのでもない。千代の心を生き、また千代という女が生きているのだとしか思えなかった。

 だが、英大夫の語りを聞いて、「ご夫婦の手前もあるわい」と千代をたしなめた一言で、松王丸の嘆きはもっと深い、と気づかされた。
 「ご夫婦の手前もあるわい」とは、単に外聞を憚ったためでなく、源蔵夫婦に心ならずも寺子を殺させたことへの配慮である。
 なぜなら、彼自身がこの企ての張本人であるからだ。前の「佐田村」で父に勘当を受け、息子を身代わりに仕立てて寺入りさせ、源蔵を追い詰めて首を打たせる。その結果を自分が確認する。父として、これほど惨い仕儀があろうか。
 泣き笑いの哀しみが痛いほど伝わってくる。
 3つ子のなかでも時平に仕えたために悪役に廻らざるをえず、わが子の首をみても、平静を装い、泣くことも許されなかった。
 彼も心一杯で泣きたかったのだ。桜丸にかこつけてでなければ、泣くこともできないその孤独。千代にその悲しみは届いているだろうか。夫婦はもう一度、その絆を取り戻せるだろうか。
 「いろは送り」の美しさ、哀切さのなかで、再びよりそう松王と千代を見て、そんなふうに思わざるを得なかった。
 文吾はそうした孤独を生きた松王を大きく遣った。それも人間松王、息子の死を、覚悟はしていても受け止める嘆きをこらえきれないいたわしさを、十分に感じさせる好演であった。
 一暢の源蔵もまた、菅丞相との心のつながりを感じさせる誠実さをにじませた。

 文楽の中心は常に男である。こうした悲劇を自らの手で為さなければならない男の、義理の影に隠れた涙を描くことができなければ、この場の悲劇は安手なものになってしまう。
 どうしても観客は、千代に直接的に感情移入してしまうだけに、この悲劇の中心にいる松王の嘆きの意味を思い起こさせるには、そうした世界観と性根を描ききる、太夫の物語への理解と力量が必要なのだ。
 英大夫の語りは、眼目の泣き笑い、いろは送りの技術的克服だけでなく、こうした物語の骨格を納得させてくれるものであった。
 燕二郎の三味線も、「いろは送り」をはじめ、たっぷりと聞かせてくれた。一つ一つ、松王の思いや千代の悲しみを描き出すような三味線であった。

 この段全体としては、前を語った綱大夫、清二郎親子の、芯の通った語りと音色が、この悲劇を首尾一貫して描き出す力となった。
 敵役としての松王の存在感、とりわけ首実検の緊迫感を、あれほど強く感じさせたからこそ、後半の悲劇が一層心を打つものとなった。
 清二郎の、「腕白顔に墨べったり」のくだりのメリヤスの楽しさも、その緩急を心得たものであった。
 そしてまた、二段目の吉田玉男の菅丞相と吉田清之助の苅屋姫の別れの悲劇も忘れがたい。
 初段の苅屋姫は、初々しい恥じらいに満ちている。恥ずかしさでつい目を伏せがちになるが、本当は愛しい人を見ていたい、そんなまぶしさに満ちた眼差しである。
 だが、「杖折檻」では、愛しい人を苦境に陥れ、そのために父が失脚することとなった。その原因を作った者としての悔いのために、顔が上げられない。一段と眼差しを深くする。
 母の杖を受けながら、それより深い心の痛み。
 さらに追い討ちをかけるように、自分をかばってくれた姉が殺される。なぜ、一体誰が、その途惑い、悲しみ。
 そして段切れ、丞相を見送る眼差し。
 義理の親子であるために、罪責意識はなお深い。そして帝へのはばかりもある。
だが会いたい、一目見たい。父との今生の別れに、父を見つめる。
 運命の残酷さと、悲しみのうちに顔を上げ、見送る娘。
 清之助の苅屋姫は、自分にその原因があるとはいえ、もはやどうすることもできないほど大きくなってしまったその結果に翻弄されることとなった、女の悲しみそのものを表現しているかのように思われた。
 吉田玉男の菅丞相は、自分からは仕掛けない。彼自身が、悪に翻弄される正義そのものを象徴する。
 その彼が唯一見せる人間として、父としての感情が、伏籠を見つめる、その袖でさえぎる仕草である。万感の思いがこもる。しらしらと明けてゆく朝の光が見える。
 十九大夫の位と力を備えた語り、清治の一点の揺るぎもない妙音とが一つになり、三度四度とうねるように高まってゆく舞台。今もその感動が甦ってくる。

 この二段目全体でいえば、「杖折檻」での咲大夫、富助は、覚寿の品位と義理立てる母の嘆きを聞かせる。
 「生みの親の打擲は、養い親へ立つる義理、養い親の慈悲心は、生みの親へ立つる義理」の詞が見事に生きている。
 情に流されぬこの気丈さを納得させる、厚みある語りに、富助の音が冴える。
 文雀の覚寿の品位が舞台を引き締める。
また簑太郎の宿弥太郎は、粋であって親に弱い、悪事に加担するにはどこか不安のある不思議な敵役として魅力的である。

 「東天紅」の津駒大夫、清友。津駒は十分なおもしろさ。立田の前のためらいが美しい。
 宿弥太郎の小心さ、心の動きも伝わってくる。
 清友の音色の心深さ。
 英大夫のみならず、住大夫に代わり「桜丸切腹」を語る千歳大夫、嶋大夫の途中休演を代わった呂勢大夫もまた、同じ課題を担うことになった。
 呂勢大夫は最後まで声を保ち、清介のよいサポートで物語の起伏をよく描いたと思う。
 無論、菅丞相の重さを十分出すことはまだ課題であろうが、御台所の気品、源蔵の失意、希世の軽薄さなど、よく現していた。
 なお「筆法伝授」の口は津国大夫に龍聿と清丈が交替で勤め、二人とも音もしっかりしてきた。
 また「築地」は文字久大夫に喜一朗と団吾が交替で。文字久大夫は動きがあり、人物の描き分けも前回より進歩著しい。
 喜一朗は生き生きと力強く、団吾は繊細なれど芯のある音色で、よく太夫を生かした。
 これに対し、千歳大夫は、最初声があまりに苦しそうで危ぶんだが、千秋楽には見事に復調し、さらに切腹のくだりでは息をのんだ。
 だが、最も困難なのは、白太夫の嘆きの意味である。
 ここでは、主君を失墜させたという意味では、桜丸の切腹は免れ得ない。
 しかし、白太夫の七十の「賀の祝」をすることは主君の意志でありそれをおろそかにはできない。
 その迷いは、「車曳」で咲甫大夫がすでに明確に示している。白太夫は、それと知りつつなお息子を助けたいため、その許しを神に祈願し、求めようとする。
 だが、現れる兆候は、どれもそれを許さないものとしか思われない。死すべき運命から逃れることができないと、悲しい覚悟を決めざるを得ないのである。そこを納得させるのは難しい。

 千歳大夫は、白太夫と八重の泣きでそれを伝えようとした。
 そして段切れまで、弛緩なくこの父の嘆きを持続させたのは見事である。よく演じたと思う。
 だがこれは、師の越路大夫が引退の折に語った型であり、彼にはまだまだ上を目指してもらいたい。大きくなろうとする者には、克服すべき課題もまた大きいのだ。
 和生の桜丸は、自らの運命を受け入れた静かさが胸を打つ。だがもう一歩、桜丸の強い姿勢を見せて欲しかった気もする。
 紋寿の八重は、幼な妻のおぼこさ、やさしさ、愛らしさと、この悲しみの対比が見事である。

 これに先立つ「茶筅酒」の松香大夫と団七は、ほっこりと花のほころぶやさしさとでもいえようか。3人の嫁たちのむつまじさ、愛らしさ、一暢の白太夫の好人物ぶりを的確に描き、この悲劇の前に心休まるひとときを作ってくれた。
 「喧嘩」は千歳大夫にかわり文字久大夫、宗助。文字久大夫は語りが大きくなった。梅王と松王の描き方がうまい。
 そして玉女の梅王の力強さ。長男であるゆえに、最も屈折が少なく、それゆえ真っ正直に感情を表現する。動きも生き生きとしている。
 特に「切腹」の段切れで、そっと下手で簑太郎の春と手を合わせるところが、何ともいえない風情を感じる。

 あと、簡単に印象のみ記す。
 「加茂堤」では新大夫の松王がよい。力があり、重さが表現できている。
始大夫は安定感がでてきた。
 つばさ大夫、相子大夫はまっすぐに声を出している。
 貴大夫の桜丸と南都大夫の八重、さすがに一味違う。八重の愛らしさと幼さの表出が巧み。
 人形では文司の希世が巧み。御台所の亀次も的確。

 第二部の「車曳」では津国の時平の大笑いに自然に拍手が起こり、咲甫大夫の桜丸は切腹にいたる重要な伏線を、若々しく思いを込める。
 睦大夫の杉王丸も勢いある語り。
 「天拝山」の伊達大夫、寛治。幕開きの牛の講釈はこの人ならでは。
 一転して雷神に変身する後半は、虐げられる正義から復讐する正義への大転換。

 「寺入り」は呂勢大夫、清志郎と清馗。さわやかに、控えめに語り、弾く。
 勘緑の春藤玄蕃は、権力をかさに着るいやらしさまで見せる。
 紋若の小太郎のけなげさ、紋秀の菅秀才の行儀よさ。

 舞台が終わったあと、ずっしりとした手ごたえを感じた。
そして、これほど内容ある舞台であったにもかかわらず、私には、英大夫がまだまだいける、と思わずにおれなかった。
 祖父若大夫や,師越路大夫、亡き呂大夫らを受け継ぎつつ、なおそれにとどまらない、彼自身の「寺子屋」が、この後にまだ完成されていくような、そんな予感である。
 彼は、文楽に呼ばれている。
 その奥にあるものを、形をとって聞かせるために。
 そして私たちも、そのはるかな呼び声を聞くために、また劇場へと足を運ばずにおれないだろう。私たちを魅了してやまない、そこに結集された力と命の限りを尽くした舞台に出会うために。

癒しの力、試練の輝き――2002年正月公演によせて

森田美芽

 私たちは倦み疲れる。日々のわずらいに、終わりの見えない労苦に、報いられることもない誤解と偏見による心の傷に。癒し系という言葉を最近よく聞く。だが、悲しみが深いほど、簡単には癒されない。
 本当に癒す力をもつのは、私たちより上の存在だけである。私たちの苦しみを知り、しかもそれに打ちひしがれず、勇気と希望を与えてくれる力。もし私たちの心が文楽を見て癒しを感じるというなら、それは彼らの美と芸に対する鍛えられた力とそこに表された成果のためである。

 正月公演、初芝居という響きには、そうした私たちの戦いの日々をほんの少し逃れることのできる響きがある。苦しければ苦しいほど、そうした美しい、華やかな世界に触れて一時、それを忘れたくなる。癒す側の苦しみ、葛藤など、何一つ思い出すこともなく。

 第一部「寿柱立万歳」。新年を寿ぐ万歳は、太夫が勘寿、才三を一暢。ベテランらしい、ゆったり、飄々とした遣いぶり。千歳大夫はまだ声が濁ることがあるが、少しずつ回復してきた。津国大夫は相変わらず生真面目な芸風で、何かこの太夫と才三は、役が反対のような気もした。三味線は団七がまとめ、弥三郎、清太郎らもきっちりと勘所を押えた弾きぶり。

 「国性爺合戦」の通し。様々な魅力に溢れている。

 「平戸浜伝い」掛け合いでは松香大夫が一歩抜きん出る。三輪大夫の小むつも厚みがある。喜左衛門が若手の三味線を鍛え、率いる。

 「千里が竹虎狩り」口は御簾内で呂勢大夫、清太郎。明快なことばが歯切れよく響く。奥、伊達大夫、清友、ツレ清丈、寛太郎。この段の不条理さ、時代はずれなところまで面白く聞かせる。

 「楼門」津駒大夫の第一声を聞いて、これをどう感じればいいのか、と迷った。6年前、彼の師匠であった故呂大夫のその段を聞いたとき、言葉とともに風格が、意味だけでなくそこの場所が、世界が立ち上ってくるような気がした。全くの素人の耳にも、「風」という言葉が、たとえ十分理解できないにせよ、確かにあるのだ、と感じさせるものだった。

 力の差、といえばどうしようもないのかもしれない。だが、津駒は、おそらく自分のいまの力が師匠に及ばぬと知りつつ、臆せず、力いっぱい語った。この試練が、いまの自分の力を超えたものと知りつつ、そこに自分の語るべき道を見出そうとした。後半の錦祥女のくどき、老一官妻の嘆きが胸にじんと響いてきた。鶴澤寛治の三味線が、こうした彼の語りを支え、引き上げ、輝かせる。なんと柔かく、馥郁たる音の群れであることか。

 「甘輝館」住大夫、錦糸。甘輝と錦祥女のやりとりが胸にこたえる。義理とは男性の論理であるとつくづく思う。こうした説得力をもつのは、やはり若い人では駄目なのだ。

 「紅流し」十九大夫、清治。あふれる音、みなぎる力。女の犠牲の上に成り立つ男の義。人形では、まず玉女の和藤内。まっすぐに伸びた大きさ。力にあふれ、意気盛ん。それだけでなく、「平戸浜伝い」からこの男の清冽な誠実さを感じさせた。智に優れ、武勇に勝り、義に感じるというだけではない、この男の隠れた真実の一つを見せてもらった気がする。

 これに対し、簑太郎の和藤内は、大団七のかしらの持つ若々しさ、やんちゃともいえるような溢れる力と確かな人物描写が魅力的であった。簑助の錦祥女、「楼門」でのあの気品。動かずしてすべてを伝える美しさ。「甘輝館」で夫の手にかかろうとする潔さ、協力を断られての打ち沈んだ横顔、そして決意。手負いになってからのけなげさ。まことに女性の犠牲の力として表現しようとしたもののすべてを、この人は伝えられたのだと思う。文雀の一官妻。品位と誇り。玉幸の老一官、古武士の実直。文吾の甘輝、和藤内の血気に対照的 な落ち着きと大きさある大将軍の位。今回の「国性爺」は、ベテランの力が若手の挑戦を受けてそれを花開かせた、という気がする。

 第二部は「嬢景清八島日記」で始まる。「花菱屋」は咲大夫、富助。幕開きの花菱屋女房のわわしさと長の鷹揚さ、肝煎佐治太夫といった一筋縄ではいかない廓の人物像を厚みをもって描く。実際、この物語は、娘糸滝の献身が、こうした色町の経済の論理に立ち向かい、それを動かすという、ある意味での夢物語なのだ。その説得力を作り出したのは、さすがに咲大夫と富助、そして紋寿の娘糸滝である。14歳の娘のけなげさ、一途さが、こうした生き馬の目を抜く、残酷な経済性の論理に勝つという奇跡を納得させる遣い振りであった。花菱屋の長は玉松、白太夫かしらの人のよさ。女房の勘寿は、夫のふがいなさに手を焼きつつ店を切り回すしっかり者と見た。「八百屋」の婆とも似ているが、最後に店の者に負けじと年を負けてやるところが、なんとも憎めない心地よさ。つくづく勘寿は貴重な人だと思う。肝煎佐治太夫は玉幸。駆け引きの抜け目なさと、こうした商売には珍しい人情味という役どころを納得させる。

 そして「日向嶋」は綱大夫、清二郎。人形は玉男の景清。「俊寛」よりもさらにすさまじい境涯。盲目の乞食と成り果てても、鎌倉への帰順を拒む武将景清の、意地と誇り。その彼の心の拠り所は、重盛の位牌。花を手向け、合掌する、にじみ出る口惜しさ、無念。この男を生かしてきたのは、この誇りと意地にほかならない。ところが、そこに糸滝と佐治大夫が現われ、初めて親子の絆にめざめる。しかし、糸滝が百姓に嫁入りすると聞き、再び誇りを捨てるよりはと娘を突き放す。まるで自分自身の誇りを傷つけられたように。しかしそれでも、別れ際に父としての心を抑えがたく手を振る景清。そして娘の犠牲を知って歯噛みする景清。自分を支え続けたものが、いま、一人娘をさえ犠牲にしてしまったことへの嘆き。幕切れに、降参の船からかの位牌を落とすところは、彼の絶望の深さか、あるいはこの世の価値のはかなさか、自ら身を投げようとしたのか、いくつもの解釈が可能になる。それでいて理屈ぬきに胸を打つ。こうした景清をみることの出来た幸いを思う。

「お夏清十郎・寿連理の松」

 一暢のお梅。愛らしくまめまめしい働き者と存外の気の強さ。清之助のお夏。むしろ、お染を連想させる。恋する男以外は何も見えない情熱、愛らしさ。和生の清十郎には、たよりない色男の歯がゆささえ感じる。玉女の手代太左衛門、憎まれ役が生きている。しかしこういう役では、簑太郎のうまさが勝る。吉田幸助の遣った小半親方。その足遣いの生き生きとした足の運びに、ふと何かが目覚めた。白い足。そのたった一つのゆえに忘れがたいものが残る。亀次の母おかね。この人はこうした脇役でも貴重な一人となっている。大阪の後家の風情を的確に遣う。存在感を出せる人だと思う。文吾、余裕で遣う貫禄。最後に玉也の親徳左衛門が最後に出て、丸く収まる。とはいえ、二人の女の一方を本妻、一方を妾という発想は、やはり無理がある。とはいえ、これは昔の人の夢ではないか、と思った。死をもって愛を遂げようとする悲劇のやるせなさに対し、「一人も死ななかっためでたさ」というのは、現代人の感覚ではついていきにくい面は残る。嶋大夫、清介はけっして出来のよい物語でないものでも、登場人物のおもしろさ、情味、風情を実力で聞かせてくれる。

「伊達娘恋緋鹿子」

 たった10分の、一幅の絵のような、そこに凝縮された、娘の一生といのち。英大夫は短い言葉に命を吹き込む。言葉が生きて輝き始める。始大夫、睦大夫はその一言に気合を込めて語る。そして燕二郎に率いられる三味線が、充実した音のうねりを聞かせる。清志郎と清丈も、生き生きと、若さのまっすぐに届くような音色。まるでお七が、自分のしでかそうとすることに酔っているかのように。人形は前半は玉英、後半は簑二郎と、研修生の優等生コンビ。玉英は実力者で、きっちりと遣っているし、簑二郎も形をくずさない。千秋楽には、お七の不安、決意、必死さ、そして半鐘を鳴らし、降りてくるときの放心したような風情、一つ一つを感じられた。しかし両者とも、恋のゆえに禁を破り、死を覚悟した娘のすさまじさ、それを型の一つ一つを通して伝えるという点では、課題を残したように思う。

 降りしきる雪。三挺三枚、精選された三味線の響き、底から響いてくるような音の厚み。耳から来るものの充実が、魂を深い深いところで満たしていく。降りしきる音、降りしきる声、舞台が終わっても、まだ現実に戻りたくないと思わせるほど、何かを揺さぶってやまない、音と声の競演。ことばが言葉でありつつ、それを越えて語りかけてくるもの。彼らはそれを取り次いでいる。それは天上の真理ではなく、現に生きている人の、心からなることばの奥にあるもの。それと名状しがたい、言葉にすることをはばかられる、心の内なる埋もれた気高い真珠のようなものである。

 彼らの営みとは、命をかけて、人の『喜び』を作り出し、芸を継承し、自らを人にさらし続けることである。

 等しい精神のみが精神を理解する、と『精神現象学』のなかでヘーゲルは語る。私たちが何かを見えるようになるのは、そのことを理解できるよう、導いてくれた人がいるからだ。技芸員の方々は、ただ与え続けてくれている。観客がそこで行われていることが理解できるようになるまで、ただ黙っておのれの芸の完成に向かって精進し、私たちがそれを見出すのを待ってくれている。私たちは、彼らを見ているのでなく、見ることができるようにされているのだ。彼らを通して、その狭い、細い唯一つの道を行くような、そんな音と声の軌跡を心に刻むのだ。

 たとえその時はわからなくても、目にした、耳にしたそのことが、後の日に深い意味を結晶させることがある。たとえば、私が27年前に聞いた故鶴澤燕三師匠の「新口村」(注:1975年8月南座、13代片岡仁左衛門の歌舞伎公演に出演されたおりのこと、太夫は織〔現・綱〕大夫)が、ただ一度の燕三師匠との出会いであったにもかかわらず、これこそ三味線の音という、深い音色を刻みつけたように。また6年前に聞いた故呂大夫の「楼門」が、いまも心を離れないように。そしていま、燕三師匠の愛弟子の燕二郎が、その音の核を受け継いでいるのを感じ、胸の震えるような喜びと期待を禁じえない。

 彼らのいまを共にしていることを喜び、失われたものを嘆くのでなく、彼らの歩みに心を用いよう。その歩みは長く、完成は遠く、彼らの時を知るのは、その歩みを共にすることによってしかないのだから。癒しとは、そのなかに生まれてくる、生きる力にほかならないのだから。

意味の迷宮―近松半二「本朝廿四孝」の世界

森田美芽

 半二の作劇法のひとつに、対位法がある。一人の人物はもう一人と符合し、裏表あるいは真実と影の関係に対比される。
 さらに男の野心と女の恋、親の義理と犠牲になる子。こうした関係が輻輳して繰り返され、劇としての序破急を作り出す。
 一見親不孝なならず者が実はこの上ない親孝行者であったり、貧しい百姓に身をやつした男が実は重臣となり、車遣いは君主の子で武家の嫡男が実は家臣の取替え子である。

 同じ名を持つ2人の弾正は、長尾と武田を治める執権同士。
 一人の人間はその一人に留まるのでなく、だれかの影であり、もう一人の自分、ドッペルゲンガーである。
 近代の自己意識は自分を唯一の人間としてしか意識しない。半二の世界では、人は二つの可能性をもち、そのどちらでもあり、どちらでもない。そこに人間の運命を見る。

 私は私であって、なおかつもう一人の私がそこにいる。自分がたどるはずの運命を誰かが肩代わりし、自分が遂げることの出来なかった愛を誰かが実現する。その陰でそれらのすべてを操る陰の演出家が存在する。
 運命が回転し、人は思いもよらぬ方向へと自分の生を向けられる。
 その中で、無垢なる者が犠牲となっていく。
 痛ましい犠牲、愛の重さ、それらをこえて歴史を作り出す力の本質が存在する。

 わけても二段目、勝頼切腹の段の痛ましさ。自ら死を選んだ運命の青年。彼は自分が本当は誰であるかを知っていたのだろうか。知っていてなお自死を選んだであろうか。誰が自分を死に至らしめた張本人であるか、その陰謀をはかったのは誰か、彼は誰一人責めず、ただ自分を犠牲とすることで、彼を死に至らしめたものの惨さを無言で非難している。
 彼だけが、負い目なしに純粋であることができる。若さの純粋さと老獪の対比。

 もう一つ、この物語は、濡衣の運命の物語でもある。
 将軍暗殺の真犯人の娘、武田の奥女中として贋勝頼と通じ、しかも真の勝頼とともに長尾のスパイになる。彼女の正体は物語のなかで謎に包まれていながら、実は自らが契った贋勝頼への貞女であり、その点で八重垣姫と恋の表裏を演じている。
 彼女は自らの恋人に生き写しの、しかもいまは別の姿に身をやつしている、自分の恋人がそのために死んだ主君の息子と同志の関係で、しかも使命を果たすために、いまの主君の八重垣姫を利用しようとする。
 実はこの女こそ、陰の主役という気がしてならなかった。

 半二のもう一つの主題は、土地の神と伝説即ち土地の力、そして女の恋の情念のもつ力である。
 『妹背山婦女庭訓』の大和、『奥州安達原』の奥州、『日高川入相花王』の熊野、そしてお三輪、清姫の恋と犠牲。そして「廿四孝」では、諏訪の神と八重垣姫。

 いくつもの屈折を経た関係のなかで、唯一真実に思われるのは八重垣姫の勝頼への一途な愛である。
 彼女はそのゆえに狐に憑かれ、あられもない狂態を示す。昔の人は、高貴の姫君が、恋に憑かれて狐憑きになることを、下世話な意味でも面白がったに違いない。
 だが、高貴の姫といえど恋する上は何の変わりもない。
 何より「例へ狐は渡らずとも、夫を想ふ念力に神の力も加わる兜」これが奇跡の意味である。男の権力への野心が引き裂いた世界を救うのは、女の一途な恋の情念である。

 これに比べて、勘助住家のくだりは、どうしても現代では受け入れにくい感覚が残る。
 孝行者の弟より、ならず者の兄を偏愛する母。そのゆえに自らの愛児を捨てさせられる弟。その彼も、忠義を全うするために自分の子を殺す。この場で心底感情移入できるのは、紋寿の遣ったお種であった。

 舞台そのものについては、いろいろと心に堪えるものはあったが、それを越えて一つに繋ぐ主題がまだ見出せていないので、印象のみを記す。

 まず吉田簑助の八重垣姫。正直言って、やはり、多くを望んではならないのだ、と思わされた。
 確かに美しい。だが、以前なら、じっと座って控えている時でさえ、なにかみなぎるものがあった。役になりきったその緊張感、性根ともいうものが、それを支える精神性が確かにあった。いまは、それが見えなかった。
 だが、体は動いている。よくあれほどまでに回復できたと思う。いや、それだけではない。「狐火」の激しさ。単なる約束事ではない、あの動き。
 それを支えたのは、練達の左遣いと気鋭の足遣いの力ではなかったか。

 『狐火』の左は前半が清之助、後半が蓑太郎、簑助門下の最精鋭にして次代の立女方の二人。師匠のどんな動きにも瞬時に的確に反応し、師匠をサポートする。何の不自然さも感じさせないばかりか、まるで八重垣姫自身が動き出しているように、その動きから目が離せない。
 後半の足の簑紫郎。若さと情熱そのままに、激しい動きは最後まで衰えない。何という師弟の絆、そこに生まれるものの美しさ。そして段切れの狐を従えてのきまり。
 玉佳、紋秀、紋若、簑次。一糸乱れぬその美しさにため息をつく。これは簑助一門の総力を示した「狐火」であると思った。

 玉女の武田信玄、勘寿の長尾謙信。玉女は一筋縄ではいかぬ法体の信玄の大きさと智謀を、勘寿は腹に一物の謙信の老獪さを描く。和生の高坂妻唐織、武家の奥方の品位と、それでいて夫の策謀に加担する冷徹さがよい。
 勘弥の越名妻入江、八汐首の意地悪さと悪のおかしみ。玉女の高坂弾正、大きく品位あり。文司の越名弾正、金時の強さと単純さ、よい性根を表現している。彼らは十分に力を発揮した。

 簑太郎の常盤井御前、奥方の品位と母の思い。
 勘緑の村上義清、武人の荒々しさと抜け目なさを大きく遣う。
 清之助の盲勝頼、出色の出来。この青年の純粋さがこの物語の要諦である。
 玉也の板垣兵部、陰謀をめぐらしながらどこかそれに徹しきれず、息子を亡くしたと聞いて嘆くあたりに人間味を感じさせる。
 玉輝の花守り関兵衛実は斎藤道三、まだ謎めいたこの人物を描ききれてないが、実直に遣っていると見た。

 床では、「諏訪明神百度石」の咲甫大夫の開口一番がしっかりと聞けた。声に厚みも出てきたように思う。
 車遣いや供侍の演じるのは若手3人組、相子大夫、つばさ大夫、睦大夫。こうした動きのある詞では相子がうまい。つばさは声を少し痛めているようだが、まっすぐに声を出そうとする姿勢がよい。睦はどの役のときもよく勉強している。
 始大夫、新大夫、短いがしっかりと語っている。三輪大夫、さすがにこの短い場で存在感を出す。松香大夫はこうした人物像を的確に描く地力がある。

 「桔梗が原の段」口、貴大夫、弥三郎。伊達大夫、寛治の前場で選ばれたのであろう。前受けを狙わず、忠実で丁寧、実力派の両者にふさわしい。
 貴大夫はとりたてて美声というわけでないのに、ふと気づくと物語の世界に引き込まれているのを感じる。
 伊達大夫、寛治は無論持ち味が自在に現れているのだが、伊達の声も衰えが隠せないし、寛治もかつての馥郁たる音色の妙にかげりがある。

 「景勝下駄」は失礼ながら省略。(十分集中できなかったので)
 「勘助住家」住大夫はこうした情味と義理の内容を語るのは確かに地力であろう。だが、最前列の中ほどにいて、やはり不分明に聞こえる部分があった。さすがに詞は見事。錦糸の三味線はあでやかに美しい。
 後半の十九大夫、清治。十九大夫は段切れの言葉のたたみかけるような強さはあるが、それが十分なカタルシスに至らないのは、内容のせいでもあろうか。清治の三味線はこうした迫力を十二分に堪能させてくれる。

 二部、信玄館。御簾内の咲甫大夫、喜一朗。マクラも明確で気合の入った語り。「村上上使」英大夫、宗助。
 英は声も語りも好調。短くとも、村上義清、常盤井それぞれの思いを的確に伝える。村上の武辺者ながらの抜け目なさ、常盤井を追い詰めるやりとり、朝顔を切る風流。
 「勝頼切腹」は綱大夫、清二郎。清二郎の三味線が印象深い。そしてこうした複雑なからくりの上のからくりといった内容なら、綱大夫にふさわしい。

 四段目、「道行似合の女夫丸」津駒大夫はこの場の中心。さすがに聞かせるものがある。
 津国大夫は道行き向けの声ではないが真正直。団七、清友ら、息の会った美音を合わせる。

 「謙信館景勝上使」文字久大夫、清太郎。文字久も努力し、真面目に語っているが、人物の描き分けなどあと少し、という気がしてならない。
 「鉄砲渡し」呂勢大夫、清志郎。最初、呂勢には首をかしげた。何かが違う。無論この場は、ここだけ別の流れであるため、処理しにくいと思ったが、どうも十分人物の性根が見えなかった。

 「十種香」嶋大夫、清介。さすがに嶋大夫の十八番、たっぷりと聞かせてくれる。「呼ぶは生あるならいぞや」の美しさと切なさ。ここでも清介の三味線が光る。

 「奥庭狐火」千歳大夫、燕二郎。単に声がかすれて聞き苦しいというのでない、なにか無理やりに作って押し出している声で、八重垣姫の一途さも神の奇跡も伝わってこない。期待される人だけに、いまは十分自重してほしい。

 全体として、成果は十分あったものの、何か、もう一歩突き抜けた何かに届いていない気がする。
 もう水は杯に溢れんばかりになっている。あと一滴で、すべてが変わる。そんな時が近づいているように思われてならなかった。