癒しの力、試練の輝き――2002年正月公演によせて

森田美芽

 私たちは倦み疲れる。日々のわずらいに、終わりの見えない労苦に、報いられることもない誤解と偏見による心の傷に。癒し系という言葉を最近よく聞く。だが、悲しみが深いほど、簡単には癒されない。
 本当に癒す力をもつのは、私たちより上の存在だけである。私たちの苦しみを知り、しかもそれに打ちひしがれず、勇気と希望を与えてくれる力。もし私たちの心が文楽を見て癒しを感じるというなら、それは彼らの美と芸に対する鍛えられた力とそこに表された成果のためである。

 正月公演、初芝居という響きには、そうした私たちの戦いの日々をほんの少し逃れることのできる響きがある。苦しければ苦しいほど、そうした美しい、華やかな世界に触れて一時、それを忘れたくなる。癒す側の苦しみ、葛藤など、何一つ思い出すこともなく。

 第一部「寿柱立万歳」。新年を寿ぐ万歳は、太夫が勘寿、才三を一暢。ベテランらしい、ゆったり、飄々とした遣いぶり。千歳大夫はまだ声が濁ることがあるが、少しずつ回復してきた。津国大夫は相変わらず生真面目な芸風で、何かこの太夫と才三は、役が反対のような気もした。三味線は団七がまとめ、弥三郎、清太郎らもきっちりと勘所を押えた弾きぶり。

 「国性爺合戦」の通し。様々な魅力に溢れている。

 「平戸浜伝い」掛け合いでは松香大夫が一歩抜きん出る。三輪大夫の小むつも厚みがある。喜左衛門が若手の三味線を鍛え、率いる。

 「千里が竹虎狩り」口は御簾内で呂勢大夫、清太郎。明快なことばが歯切れよく響く。奥、伊達大夫、清友、ツレ清丈、寛太郎。この段の不条理さ、時代はずれなところまで面白く聞かせる。

 「楼門」津駒大夫の第一声を聞いて、これをどう感じればいいのか、と迷った。6年前、彼の師匠であった故呂大夫のその段を聞いたとき、言葉とともに風格が、意味だけでなくそこの場所が、世界が立ち上ってくるような気がした。全くの素人の耳にも、「風」という言葉が、たとえ十分理解できないにせよ、確かにあるのだ、と感じさせるものだった。

 力の差、といえばどうしようもないのかもしれない。だが、津駒は、おそらく自分のいまの力が師匠に及ばぬと知りつつ、臆せず、力いっぱい語った。この試練が、いまの自分の力を超えたものと知りつつ、そこに自分の語るべき道を見出そうとした。後半の錦祥女のくどき、老一官妻の嘆きが胸にじんと響いてきた。鶴澤寛治の三味線が、こうした彼の語りを支え、引き上げ、輝かせる。なんと柔かく、馥郁たる音の群れであることか。

 「甘輝館」住大夫、錦糸。甘輝と錦祥女のやりとりが胸にこたえる。義理とは男性の論理であるとつくづく思う。こうした説得力をもつのは、やはり若い人では駄目なのだ。

 「紅流し」十九大夫、清治。あふれる音、みなぎる力。女の犠牲の上に成り立つ男の義。人形では、まず玉女の和藤内。まっすぐに伸びた大きさ。力にあふれ、意気盛ん。それだけでなく、「平戸浜伝い」からこの男の清冽な誠実さを感じさせた。智に優れ、武勇に勝り、義に感じるというだけではない、この男の隠れた真実の一つを見せてもらった気がする。

 これに対し、簑太郎の和藤内は、大団七のかしらの持つ若々しさ、やんちゃともいえるような溢れる力と確かな人物描写が魅力的であった。簑助の錦祥女、「楼門」でのあの気品。動かずしてすべてを伝える美しさ。「甘輝館」で夫の手にかかろうとする潔さ、協力を断られての打ち沈んだ横顔、そして決意。手負いになってからのけなげさ。まことに女性の犠牲の力として表現しようとしたもののすべてを、この人は伝えられたのだと思う。文雀の一官妻。品位と誇り。玉幸の老一官、古武士の実直。文吾の甘輝、和藤内の血気に対照的 な落ち着きと大きさある大将軍の位。今回の「国性爺」は、ベテランの力が若手の挑戦を受けてそれを花開かせた、という気がする。

 第二部は「嬢景清八島日記」で始まる。「花菱屋」は咲大夫、富助。幕開きの花菱屋女房のわわしさと長の鷹揚さ、肝煎佐治太夫といった一筋縄ではいかない廓の人物像を厚みをもって描く。実際、この物語は、娘糸滝の献身が、こうした色町の経済の論理に立ち向かい、それを動かすという、ある意味での夢物語なのだ。その説得力を作り出したのは、さすがに咲大夫と富助、そして紋寿の娘糸滝である。14歳の娘のけなげさ、一途さが、こうした生き馬の目を抜く、残酷な経済性の論理に勝つという奇跡を納得させる遣い振りであった。花菱屋の長は玉松、白太夫かしらの人のよさ。女房の勘寿は、夫のふがいなさに手を焼きつつ店を切り回すしっかり者と見た。「八百屋」の婆とも似ているが、最後に店の者に負けじと年を負けてやるところが、なんとも憎めない心地よさ。つくづく勘寿は貴重な人だと思う。肝煎佐治太夫は玉幸。駆け引きの抜け目なさと、こうした商売には珍しい人情味という役どころを納得させる。

 そして「日向嶋」は綱大夫、清二郎。人形は玉男の景清。「俊寛」よりもさらにすさまじい境涯。盲目の乞食と成り果てても、鎌倉への帰順を拒む武将景清の、意地と誇り。その彼の心の拠り所は、重盛の位牌。花を手向け、合掌する、にじみ出る口惜しさ、無念。この男を生かしてきたのは、この誇りと意地にほかならない。ところが、そこに糸滝と佐治大夫が現われ、初めて親子の絆にめざめる。しかし、糸滝が百姓に嫁入りすると聞き、再び誇りを捨てるよりはと娘を突き放す。まるで自分自身の誇りを傷つけられたように。しかしそれでも、別れ際に父としての心を抑えがたく手を振る景清。そして娘の犠牲を知って歯噛みする景清。自分を支え続けたものが、いま、一人娘をさえ犠牲にしてしまったことへの嘆き。幕切れに、降参の船からかの位牌を落とすところは、彼の絶望の深さか、あるいはこの世の価値のはかなさか、自ら身を投げようとしたのか、いくつもの解釈が可能になる。それでいて理屈ぬきに胸を打つ。こうした景清をみることの出来た幸いを思う。

「お夏清十郎・寿連理の松」

 一暢のお梅。愛らしくまめまめしい働き者と存外の気の強さ。清之助のお夏。むしろ、お染を連想させる。恋する男以外は何も見えない情熱、愛らしさ。和生の清十郎には、たよりない色男の歯がゆささえ感じる。玉女の手代太左衛門、憎まれ役が生きている。しかしこういう役では、簑太郎のうまさが勝る。吉田幸助の遣った小半親方。その足遣いの生き生きとした足の運びに、ふと何かが目覚めた。白い足。そのたった一つのゆえに忘れがたいものが残る。亀次の母おかね。この人はこうした脇役でも貴重な一人となっている。大阪の後家の風情を的確に遣う。存在感を出せる人だと思う。文吾、余裕で遣う貫禄。最後に玉也の親徳左衛門が最後に出て、丸く収まる。とはいえ、二人の女の一方を本妻、一方を妾という発想は、やはり無理がある。とはいえ、これは昔の人の夢ではないか、と思った。死をもって愛を遂げようとする悲劇のやるせなさに対し、「一人も死ななかっためでたさ」というのは、現代人の感覚ではついていきにくい面は残る。嶋大夫、清介はけっして出来のよい物語でないものでも、登場人物のおもしろさ、情味、風情を実力で聞かせてくれる。

「伊達娘恋緋鹿子」

 たった10分の、一幅の絵のような、そこに凝縮された、娘の一生といのち。英大夫は短い言葉に命を吹き込む。言葉が生きて輝き始める。始大夫、睦大夫はその一言に気合を込めて語る。そして燕二郎に率いられる三味線が、充実した音のうねりを聞かせる。清志郎と清丈も、生き生きと、若さのまっすぐに届くような音色。まるでお七が、自分のしでかそうとすることに酔っているかのように。人形は前半は玉英、後半は簑二郎と、研修生の優等生コンビ。玉英は実力者で、きっちりと遣っているし、簑二郎も形をくずさない。千秋楽には、お七の不安、決意、必死さ、そして半鐘を鳴らし、降りてくるときの放心したような風情、一つ一つを感じられた。しかし両者とも、恋のゆえに禁を破り、死を覚悟した娘のすさまじさ、それを型の一つ一つを通して伝えるという点では、課題を残したように思う。

 降りしきる雪。三挺三枚、精選された三味線の響き、底から響いてくるような音の厚み。耳から来るものの充実が、魂を深い深いところで満たしていく。降りしきる音、降りしきる声、舞台が終わっても、まだ現実に戻りたくないと思わせるほど、何かを揺さぶってやまない、音と声の競演。ことばが言葉でありつつ、それを越えて語りかけてくるもの。彼らはそれを取り次いでいる。それは天上の真理ではなく、現に生きている人の、心からなることばの奥にあるもの。それと名状しがたい、言葉にすることをはばかられる、心の内なる埋もれた気高い真珠のようなものである。

 彼らの営みとは、命をかけて、人の『喜び』を作り出し、芸を継承し、自らを人にさらし続けることである。

 等しい精神のみが精神を理解する、と『精神現象学』のなかでヘーゲルは語る。私たちが何かを見えるようになるのは、そのことを理解できるよう、導いてくれた人がいるからだ。技芸員の方々は、ただ与え続けてくれている。観客がそこで行われていることが理解できるようになるまで、ただ黙っておのれの芸の完成に向かって精進し、私たちがそれを見出すのを待ってくれている。私たちは、彼らを見ているのでなく、見ることができるようにされているのだ。彼らを通して、その狭い、細い唯一つの道を行くような、そんな音と声の軌跡を心に刻むのだ。

 たとえその時はわからなくても、目にした、耳にしたそのことが、後の日に深い意味を結晶させることがある。たとえば、私が27年前に聞いた故鶴澤燕三師匠の「新口村」(注:1975年8月南座、13代片岡仁左衛門の歌舞伎公演に出演されたおりのこと、太夫は織〔現・綱〕大夫)が、ただ一度の燕三師匠との出会いであったにもかかわらず、これこそ三味線の音という、深い音色を刻みつけたように。また6年前に聞いた故呂大夫の「楼門」が、いまも心を離れないように。そしていま、燕三師匠の愛弟子の燕二郎が、その音の核を受け継いでいるのを感じ、胸の震えるような喜びと期待を禁じえない。

 彼らのいまを共にしていることを喜び、失われたものを嘆くのでなく、彼らの歩みに心を用いよう。その歩みは長く、完成は遠く、彼らの時を知るのは、その歩みを共にすることによってしかないのだから。癒しとは、そのなかに生まれてくる、生きる力にほかならないのだから。