カテゴリー別アーカイブ: “若”旅日記

『勧進帳』の弁慶のお稽古、無事終了!

清治兄との一対一の稽古が、一時間程前(3時10分から4時35分)に終わりました。
なんせ、清治兄の芸の『間(マ)』は『カチッ』としてまんねん。
磐石です。
丁寧に色々、教えて下さいました。
曖昧なところが少しでもあると、見逃されません。
今出来なくても、チェックだけはしてくれます。
ゴマカシが利きまへん。
結構、大きい声も出し続けました。
今日は24日の若手会の立稽古で、清治兄も弁慶の稽古の後、立ち会いに行かれました。
兄の稽古は、明日と明後日もあります。
有り難いことです。
少しホットしましたが、今日のチェックポイントを明日は是正してなくてはなりません。
『封印切』の方は、終演後、口数の少ない貴大夫さんが『今日が一番良かったです』と、ポツリ言ってくれて非常に気をよくしています。
声もうまく使え、客観的な感情移入も知らん間に出来ていたようです。
早く寝て、明朝4時位から勉強しますワ。
(そやけど、阪神・巨人戦が延長になってまんなあ…)。

青息吐息、四日目終了。

十九大夫兄が楽屋にお見えになり、弁慶のお稽古の日取りが決まる。
明日からは、いよいよ三味線の節のところを主にして、清治兄の稽古(勧進帳)が始まる。
もう、どないしょう。
しかも、『封印切』の最中だっせ。
勧進帳も最後の部分は全然テープ聞いてないし(今夜、家で猛勉強)・・。
舞台終わって十九兄に挨拶に行くと『楽しんでたな』と言われ、『何言うてはりまんねん、禿(かむろ)が出てくるまでもう嫌で嫌でアキマセンのですわ』と言ったら『アソコはどないにもならんやろ、知らん顔してやらなしゃあないで』と言う有り難い励ましのお言葉が返ってきました。

少し慣れてきました。

舞台の方は昨日は休みで、今日、三日目でした。
声も少しずつ直ってきました。
なにより、発声する劇場の空間の感じが、つかめてきた。
これから日毎に『無我夢中』から這い出て、人形の動きやら、客席からの反応も把握出来るようになるでしょう。
玉男師が初日(15日)の玉女ちゃんの忠兵衛(D班)を見て、『そのうち慣れてくるやろ』と言いはったらしい。
エエ言葉でんなあ。
そのひと言に、スベテ(叱咤激励・愛情)が込められてまっせ。
そやけど、今日も『必死』がありました。
明日もあさっても『必死』がおまっしゃろなあ。
ところで今、心は『勧進帳』に傾きかけています。
富樫との問答やら大勢での合奏、弁慶の大音声。
やれまっかいなあ。

43年振りに会った3人

大阪市立東粉浜小学校の同窓会の打ち合わせ。
5人で会いました。
その内3人(女性一人)とは、43年ぶり。
頭がクラクラのタイムスリップ状態。
男同志は名前は呼び捨て。
唯一の女性からは『林君』と呼ばれる。
3時間あまり、秋波を送ったとか送られたとか、お嫁さんになってくれと言ったとか言わなかったとか、ガキの時分の話で盛り上がり、打ち合わせどころではなかった。
別れる頃には、皆、すっかり小学生の顔になっていた。
人間の本質は、あまり変わらんもんでんなあ。
生まれて初めて脳を掃除したような気分。
10月末の同窓会当日は、どんなんやろ。
人生アットいう間。
体を大事にせんとあきまへん。

1時間、ホンマに苦しいですワ。

『封印切』二日目終了。
たいへんシンドイ。
途中で死ぬかと思う。
『必死』という意味がよくわかります。
お客さんが最後まで、よう黙って聞いてくれてはりますなあ。
枕のあたり、禿(かむろ)が三味線を弾き始めるまでの、梅川がウジウジ、モジモジ心境吐露しているところが、難しい・しんどい・エライ・辛い。
窒息寸前。
『中之島の八右衛門』が出てくるとホットする。
芝居らしい動きが劇場全体に派生。
ところが、出てこんでもエエ忠兵衛の登場。
これまた、大問題。
八右衛門との激しいやりとり。
終に300両の封印を切りよった。
えろうて息の根が止まる寸前、降りてこんでもエエのに、2階から血相変えて梅川が降りてきよる。
『情けなや忠兵衛さん、なぜそのように、のぼらんす…』長いサワリが始まる。
心身共に、おつりなし。
ヘタでも、クソでもせえだいゆうておくんなはれ。
最後まで語り切れたら『良し』とせんならん。