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『土肥隆一、クリスマスパーティ』に出席。

神戸の三宮近くのラッセ ホールで。
大勢の人が集まりました。
外務委員長として国会討論で田中外相の横でテレビに顔が写ったりすると、なんか風格が出てきたような感がします。
しかし、ご本人はとても穏やかな人です(キリスト教の現牧師でもある)。
私も友人として俄かに舞台で紹介され、賛美義太夫のひと節を披露しました。
おみやげの紙袋の中に『新しい社会福祉と理念』という本があり、帰りの阪急電車の中でぺらぺら流し読み。
→《阪神大震災直後は学校といい図書館といい全部人間で埋まっていた。
死体置場として体育館などを使っていたが、その間にも家族の方が寝ているわけです。
そんな中に私のような政治家が入り「どんな具合ですか、何が問題ですか」「障害者用のポータブルトイレがない」というと急いで持っていったりするんですが「おまえ何しているのだ、さっさとやらんかい」と、もう殺されかねない。
ところが天皇が来たらみんな涙を流して喜ぶのです。
ああ、天皇制というのはこういうもんだなと思いました。
総理大臣だった村山さんだってネクタイを引っ張られたのですから》

『桂吉朝独演会』and『虚実皮膜』について。

今日は久し振りの全休日。
平安な心持だが、台風の目の中にいるよう。
午前中、4時間ほど『重の井』の本読み(自習)。
昼食後昼寝したあと、郵便やチケット関係の用事。
夕方から吉朝さんの独演会へ。
ピッコロシアター(塚口)。
だしものは『鷺取り』『宿屋仇』『かぜうどん』。
よろしおました。
CDを聴いて感受した、『かぜうどん』の寒い暗夜のイメージ。
実際、目でみたら又別の感動がありました。
この人の芸は大きい。
近松は『本』で『虚実皮膜』を表現し、新しい境地を開いた。
しかし、舞台で演じる者も、写実に演じようとすればするほど、そこに落とし穴があることを思はされた。
吉朝さんの芸には写実を超えたものがあった。
だから芸が大きい。
なまの院本(まるほん)やら口伝の型をデフォルメし『おのれなりの真実』に置換していく。
しかもその『置換』の際、『笑い』や『泣き』等の感情移入にあまりにも真面目に取り組んだらアカンということ。
豊富な人生経験よりも、本人の人生模様の見つめ方が大事でんなあ。
『禍福(吉凶)はあざなえる縄の如し』。
悲劇、喜劇は当人の思い込み次第でっせ。

知立から国立文楽劇場へ。越路師匠語録『自分をイジメル』

11月13日以来、久しぶりに清介さんと二人だけで『重の井』を稽古。
なんだかムチャクチャでした。
早い早い。
テンポがまくれてもうて。
しかし、ハラのかけどころが、少しわかってきたようなところが芽生えました。
←ヘンな日本語でんなあ。
ところで内弟子時代(丸4年)の越路師匠の印象的なコトバに『自分をイジメル』があります。
『雄治(ボクの名前)なあ、自分をどうやってイジメルかということは大事なことやぞ。
ワシはある意味でそれに心地よさを覚えて苦境を乗り越えてきたんや。
自分を自分で甘やかしたらアカンぞ』