『桂吉朝独演会』and『虚実皮膜』について。

今日は久し振りの全休日。
平安な心持だが、台風の目の中にいるよう。
午前中、4時間ほど『重の井』の本読み(自習)。
昼食後昼寝したあと、郵便やチケット関係の用事。
夕方から吉朝さんの独演会へ。
ピッコロシアター(塚口)。
だしものは『鷺取り』『宿屋仇』『かぜうどん』。
よろしおました。
CDを聴いて感受した、『かぜうどん』の寒い暗夜のイメージ。
実際、目でみたら又別の感動がありました。
この人の芸は大きい。
近松は『本』で『虚実皮膜』を表現し、新しい境地を開いた。
しかし、舞台で演じる者も、写実に演じようとすればするほど、そこに落とし穴があることを思はされた。
吉朝さんの芸には写実を超えたものがあった。
だから芸が大きい。
なまの院本(まるほん)やら口伝の型をデフォルメし『おのれなりの真実』に置換していく。
しかもその『置換』の際、『笑い』や『泣き』等の感情移入にあまりにも真面目に取り組んだらアカンということ。
豊富な人生経験よりも、本人の人生模様の見つめ方が大事でんなあ。
『禍福(吉凶)はあざなえる縄の如し』。
悲劇、喜劇は当人の思い込み次第でっせ。