カテゴリー別アーカイブ: “若”旅日記

いろいろありました。

まさか日記がこんなに続くとは思いもしませんでした。
皆様のお陰ですわ。
そして、webマスターの三浦三千春氏、森田美芽先生、ありがとうございました。
しかし、すべて、神の御計画でっしゃろなあ。
いいことも悪いことも含めて、スーダラスイスイと神様発信のウェーブに身を任せ、むしろ悪要素をも感謝しながら今の現在ずつを生きていきまひょやおまへんか。
しかしホンマにホンマに2、3日書かないと『どないしてんねん』との心配メールが届き、励まされましたわ。
皆様にも神よりのメールが心に届いている筈でっせ。
既に、恵みは充分与えてまんがな、と。
『恵み』?そう、今の恵みに不満な人は、次の『恵み』へ到達しても不満がでてくるものらしい。
片意地はって頑張らないで、今の、神のなせる一つ一つの業を楽しみまひょ。

東京豊島区のAK様より有難いメールが届きました。

AK様よりHPのお便りコーナーにご丁寧なメール。
感謝します。
先の12月17日付の日記(梅若六郎の会『安倍晴明』へ)の中で私が『能の世界というのはなんか観客も含めて敷居が高い感じ。
シイナマチあたりの雰囲気とはだいぶ違いまっせ』と書きましたが、それに対するホントウに意義のあるメールです。
ほんま、そのご意見の通り、私の『シイナマチ』で、『椎名町』(由緒ある)を論じ、サントリーホールのお客様だけを見て能全般のお客様像とした私(能をあまり見たことのない)の先走りがありました。
せっかくこれから能のファンになるやもしれぬ方々に『能はテゴワイ』ような印象を与えたかもしれず、申し訳ありませんでした。
それより、12月公演の『重の井』と『妹背山』に各3度づつお見えになられたとのこと、そしてこの日記をご愛読とのこと、誠に誠に有難うございますm(__)m。
今後とも、文楽をどうぞよろしくお頼み申しあげます。
又、お便りお待ちしております。

門弟一同、京都の越路師匠宅へ。

お正月公演の舞台稽古終了後、小松・嶋・英・貴・三輪・千歳の越路一門が京都の師匠宅へ行きました。
舞台稽古の指導にこられた師匠と共に京阪電車に乗って皆で京都丸太町へ。
毎年の行事です(その代わり、お正月の挨拶回りはなくなりました)。
全員のお餅が飾られて、部屋が華やかです。
一年の全日程を終え、安堵の気持ちと共に昔話に花が咲きます。
三和会時代(一時、文楽が因会と三和会の二派に分裂していた)の話が主流。
人形遣いさんが(紋十郎、勘十郎、清十郎、簔助、紋寿・・)11人位しかいなくて、今の住兄以下小松兄、嶋兄も人形の左を手伝いに遣っていたとのこと。
それが浄瑠璃の勉強になったらしい。
なんと、紋十郎師の政岡やお園(サワリ以外)の左にも廻られたという。
よくもまあ、日本全国自主公演の巡業が10年あまりも成立したことである。
まだまだ持続できたとも聞いてます。
しかし、帰り道、いつもご一緒した呂大夫兄(京都在住で必ず二人で近くのそば屋に立ち寄りました)がいないのが、寂しい限りです。
この日、阪急電車で石橋まで帰る車内が私にとり、一年中でもっとも心の休まるときです。

太夫にとって大変ハードな『お七』。

演奏時間が短くて(10分足らず)節もコトバも覚えやすいが、これがなかなかの曲者。
曲全体の音程が高く、ややもすればコトバがつりあがる(しんどくてヒーヒーいうようになる)。
ある先輩は、この役が当ると『戦々恐々』とした、とおっしゃってますが、至言です。
気を引き締めて、声をブッパナさんとアキマヘン。
燕二郎さんも横に座るとえらい気迫ですわ。
今日は午前中、今年最後の教会の祈祷会に出席。
『すし屋・奥(三味線・錦糸さん)』『封印切(同・清介さん)』『勧進帳・弁慶(同・清治兄)』『重の井(同・清介さん)』を勉強させていただいた感謝を神に捧げてきました。
新年を迎えるにあたって、一旦、この年の瀬から年始にかけて世の流れが休止することの大切さを、牧師は説かれました。
アーメン(同感)です。
webマスター並びにKさん、巨人ファンのボクも来年の星野阪神タイガースには期待してまっせ。
それにしても阪神球団の経営陣は伝統的に賢明でんなあ。
恥はかいても、損はせん。