9/7「文楽を楽しむ会」に出席されたM.Fさんより的を射た興味深いお便りが届きました。
→ 《今回の「文楽を楽しむ会」は義太夫特集でなんと、『曽根崎心中』の生玉の段を現代大阪弁を交えて語って頂きました(三味線・喜一朗さん)。
驚いたことに、余り違和感はありませんでした。
英大夫さんの汗ビッショリの熱演に、終には、現代語か古語かという違いを考えず、物語世界にはまり込んで聴いてしまいました。
それは、文楽の基本的な構成が大阪弁を元にしているからという事です。
逆に、大阪弁から外れるとそれは義太夫の語りからも外れてしまうそうです。
例えば、「斬れ(人を斬る場合)」という言葉について。
町人言葉であれば普通に大阪弁の「きれ(_ー)」と下から上がるイントネーションです。
東京の「きれ(ー_)」とは逆ですね。
ところが、武士言葉で語る時には「きれ(ー_)」と、パッと聞くだけでは関東風に言っている様に聞こえます。
が、それは大阪弁を武士風に言っているのであって、決して関東の言葉とは違うのです。
この場合は、イントネーションではなくアクセントを「き」に付けるのだそうです。
聞いていれば、たしかにその違いが分かります。
が、それを言い分けられるかと言えば、絶対に無理! 改めて、すごい芸だと思いました。
》← 浄瑠璃という分野の中の義太夫節は大阪弁イントネーションが基本になって、詞や節が成立してます。
町人が登場する世話物の場合にはそのまま大阪弁でいけますが、武士が登場する時代物になるとそういうわけにいきません。
所謂、武士訛りが派生します。
この訛りも大阪弁が基本になっての発声なんです。
だから、大阪弁が身に付いてないで、テープだけ聴いて武士訛りを踏襲しようとすると、おかしな発音になるわけです。
イントネーションとアクセントの微妙な取り違いが原因ですね。