連日、盛況。and、桂川あかねさんから『あれじゃ、近松

いつもの傾向だが、昼の部、ようお客さんが入ってます。
ありがたいこっちゃ。
客席の反応もいいのだ。
なにか、初めて文楽に接するひとも大勢いるようで結構な話だ。
最後の道行まで、熱心にウットリとした様子で鑑賞してくださってさえいる。
こういうお客様を大事にすべきである。
もし、自分が文楽を紹介して連れてきた愛すべき知人が、文楽来てよかった、文楽てよろしいなあ、道行も奇麗で良かった!などとゆうてくれたらどんだけうれしいか、そうでっしゃろ。
それから、桂川あかねさんから御便りが届きました!→《日記拝見しました。
松竹座の《封印切》で八右衛門の我當さん、いい味出ていた、とのことですが、こないだCSで見た十三世仁左衛門追善の堀川の猿廻しの与次郎も素晴らしかったですよ!。
あの御兄弟達というか上方の役者さんは義太夫をしっかりお稽古してるから、やはり強いですね、太棹に乗っての台詞はさすがに上手い!と思いました。
しかし、「封印切」の歌舞伎版(菅専助と若竹東工郎による改作「恋飛脚大和往来」)はあまりに近松の人物像から掛け離れていて…いくら忠兵衛かわいそう、でも、あれじゃ近松が怒る!と、いつも思います。
改作の歌舞伎しか知らないと、文楽を見たらビックリですね。
近松の原作では新口村に逃れた二人は結局追手に召し捕られて、孫右衛門の目の前で引き立てられて行きます。
これは実話だそうで、心中ではないのです。
近松の目はあまりに苛酷かも…さすがに文楽でも、「道行」は原作の捕縛は省略して、二人は心中を予感させて逃げて行きます。
また改作の「新口村」が独立してお客に支持されたのも無理ない事と思います。
それから…英大夫さんが「毛谷村」の翫雀、扇雀兄弟好印象ながら、二三ヶ所訛りが気になった事について…大阪在住の秀太郎さんがおっしゃってましたが、「翫雀、扇雀兄弟は東京育ちなので、いくら両親、親戚が上方でも、どこか言葉がネイティブじゃない」そうです。
難しいですね。
》←なかなか的を射た発言ですね。
ありがとうございます。
近松の目はあまりに苛酷かも…と、仰いますが、近松の作品は現実の人間の生きざまを確実にとらえていて驚愕の身震いを禁じ得ません。