カテゴリー別アーカイブ: “若”旅日記

義太夫節の発声は、健康に良い

年に2回の「英大夫を囲む会」(大阪)も、この29日で15回目を迎える。
始めはボクの出身の東京都立小石川高校の関西在住の先輩方中心で、毎回10人前後の集まりだったのが、門戸を卒業生以外にも解放したのと、義太夫節の発声練習コーナーを設けたことにより、今や30人程の集まりになりました。
会場の関係でこれ以上は無理ですが、『思いぞ出づる壇の浦の、海に兵船(ひょうせん)平家の赤旗、陸(くが)に、白旗(シラアハ~タア~)』と80才位の先輩と若い人達とが、一緒に声を張り上げている光景は、なんとも浮き世離れしたいいものです。
義太夫節!

稽古二日目

少し、役の感触がわかりだした。
しかし、まだ、蚊の鳴くような声しか出ない。
人物と人物の区切り目が、難しい。
言い切って、次の人間のコトバにかかる時、まず、息を引くが、そのときすでに次に語る人間の感情で息を引いていなければならない。
勿論、前の人物の語りは最後の一字まで前の人物の感情で語り終えてのことだ。
三味線弾きさんと協調して語る、節の部分も難しいが、コトバだけのところが、一番難しい。
なかなか、登場人物のコトバにならないんですわ。
一人だけではなく4人5人と、姫やらサムライやら、ジジ、ババが出てくる。
大小高低太細の声

初めての稽古!

燕二郎さんとの稽古初日。
初日は、恥ずかしい。
節はウロ覚えで、声も蚊の鳴くような声しか出ない。
無力感がこのうえもなく漂う。
日にち薬で、段々出来上がってくるもんです。
こんどの役のように30分もかかる端場は珍しい。
燕二郎さんは太夫の気持ちを汲んでくれる三味線弾きさんだ。
太夫というのは、横で、三味線弾きさんに、一瞬でもヘタやなあとか、もう少しウマク語ってくれたら、ウマク弾けるのに・・。
なんて思われたら、もうその先語れなくなりまんねん。
明日頑張ります!

今日は参考までに「上方芸能」への寄稿文を紹介します。

私の師匠、越路大夫が、常々おっしゃるコトバ。
『上下かまわず誰の浄瑠璃でも聞け。
どんな下のもんでも必ずよい所があるから、それを盗まんとアカン』まさに、至言だ。
ごく稀に、我々舞台人の名を呼びすてにして、「アイツはアカン、コイツは聞いてられん」などと平気で言う人がいる。
又、ごく稀に、文楽見始めのお客さんの初々しい芝居感激評に、通ぶって、毒々しいひとことを発し、せっかく伸び始めようとする鑑賞眼の芽を、つもうとする人がいる。
「芸に生きるとは、気楽で残酷な観客の評価と、決して目利きでない人々の気まぐれに、生涯さらされて生き続けることだ」とは、森田美芽氏(哲学者)のコトバ。
映画評論家の故淀川長冶氏は、どんな映画作品にも感嘆の賛辞を送っておられた。
要するに、「鑑賞姿勢」とか「発するコトバ」は、その人の人格、品格の問題に帰すると思う。

花粉症の薬

4月公演の役『又助住家の段』の中(なか、と読む、俗に立端場・タテハバといい、メインの場面・切場への導入部)は30分位かかり、結構、覚えるのに暇がかかりそうだ。
巡業中は手に付かなかったから、焦ってまんねん。
今まで勤められた、小松・嶋・呂各兄の録音テープを念入りにチェックする作業から勉強が始まる。
夜、花粉症の薬を飲んで、テープを聞いていたら、そのまま寝てしまった・・不覚・・