素人弟子の伊藤恵さんから

「ホームページに載せてくださいね。よろしくお願い申し上げます。呂太夫」ということで「素人弟子の伊藤恵さんから」というタイトルで、師匠からメールいただきました。下記掲載します

全編素晴らしいのですが、一つだけ(フグ会でも申したのですが)
■伝兵衛が、おしゅんが書いた退き状(実は書置)を読むところ
⇒兄の与次郎と婆(母)は、おしゅんから伝兵衛への離縁状だと思っているが 読み上げ進むうち、実は兄と婆へ宛ての遺書であり、またおしゅんと伝兵衛は深い愛情で慕い合っているとわかってくるシーン。

ここは、単なるストーリー展開だけではなくて、劇中劇のよう。
はじめは伝兵衛が伝兵衛として読み上げる、つまり伝兵衛の気持ちストレート。そのうち書いたおしゅんの気持ちが乗り移ってくる、いつの間にかメビウスの帯のようにおしゅんが語ってるのか、伝兵衛が語っているのか、くるりくるりと裏返る。またそこに、読み上げられて初めて、びっくりする兄与次郎と婆の気持ちが乗っかってくる。つまりただ一通の手紙(書置)を伝兵衛一人が読む間に 四人の気持ちが出ては潜り、潜っては浮かびする。
声ひとつでここまで緻密に描き出せはるんや・・。

この作品が、単に悲劇でなく、ほんのり明るくめでたい と思えたのは。
それは、書置の手紙の読み上げにより、家族の気持ちが整理されて。
兄と婆は、おしゅん伝兵衛の純愛を知り、妹・娘おしゅんが女の道を立てることへの「誇りとリスペクト」を取り戻す。
みな我が事より相手を思い遣る心ばえの美しさ、兄と婆が「でも僅かでも生きて」と一縷の希望を「祝い」にかえて送り出す。
にっちもさっちもどうもしようもない状況にあっても最後まで人の「誇り」と「生きて」の小さな灯を皆の心にともしていたい、それが作者の願いかも。

初演は1782年江戸とか。この頃江戸では明和の大火(1772)などの大火事、天明の飢饉(1782-88)、翌年浅間山大噴火(1783)江戸も降灰、大黒屋光太夫などの漂流帰国(1792海外からの圧力)など世の中がざわつく。人々は不安で貧しくどうしようもない。そんなときだからこその作品かなと。

お師匠はんの語りの緻密さ、虚飾なく、衒なく、そして隙がなく。
名人は意味を語り、情を語り、作者の本意を語る、と聞きます。

生意気なようですが、浄瑠璃の醍醐味を新年からたっぷりと聴かせて頂きました。
ありがとうございました。

余談ですが、実は元日に「私と母は生きてます!」と知らせてくれた古典好きの能登の友人が、6日に文楽劇場でばったり。彼女の勇気に感服しつつ、芸能が人の心の慰めとなることを改めて願いました。
お師匠はんの語りがたくさんの人の心に火を点しますように、楽日まで頑張って下さい。
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