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井上達夫さん寄稿「市若初陣の段」断想

*井上達夫氏より師匠に寄せられたものでここに掲載します

「市若初陣の段」断想

呂太夫師匠

12月15日、紀尾井ホールでの「市若初陣の段」素浄瑠璃公演、感動いたしました。
来年の若太夫襲名披露においても、先代若太夫が得意とされたこの曲を語られるとのこと、師匠のこの作品への思い入れには並々ならぬものがあるのだろうとは感じていましたが、まさに大熱演というべきエネルギー全開の公演だったと思います。

私自身についてはもちろん、会場全体が感動の波に巻き込まれたと存じます。
特に、板額が、我が子、市若を、将軍の妹殺しの大罪人たる荏柄平太の子とだまして切腹させ、瀕死となった我が子に、次のように語り掛ける箇所は圧巻でした。

「なんの荏柄の子であろぞ。与市殿とわが中の、ほんの、ほんの、ゝゝゝほん本の子じゃわいな」

師匠が「ほんの、ほんの」を、臓腑からこみあげてくるように、何度もしゃくり上げて語られたとき、大阪よりも反応がおとなしいと言われている東京の観客が、このときはみな、ためらいを忘れて大きな拍手喝采を送りました。
私もスタンディング・オベーションしたいくらいでしたが、さすがに立ち上がるのは自制しました。

本段がクライマックスとなる並木宗輔作「和田合戦女舞鶴」は、鎌倉幕府三代将軍、源実朝の下での北条と和田の抗争を背景とした時代物で、「荒唐無稽」と批判されたこともあると司会の児玉教授が紹介されたように、不自然で無理筋と思わせる部分がありますが、師匠の義太夫語りで演じられると、そんなことは忘れるほどの、生々しいリアリティをもった人間ドラマに昇華されました。

「ありえない話」を、いかにもいまそこにあるかのように感得させる「語りの芸の魔術性」については、師匠による他の文楽作品の公演で、これまでもたびたび感じ、師匠にもお伝えしてきましたが、今回はまた特に強くそれを感じました。

ただ、並木宗輔の本作品自体も、「荒唐無稽」とは言えない独自の戯曲構造をもつとして、もう少し内在的に再評価されるようになったと、児玉教授が指摘され、その例として児玉教授の恩師、内山美樹子氏の評論「和田合戦女舞考」が挙げられ、その抄録が本公演のパンフレットに掲載されています。

この内山評論、興味深く読ませていただきました。
本作品を、並木宗輔の他の作品や、他の文楽作者の作品と比較対照して、その独自性を解明する議論は、さすがに専門家とうならせる博識と分析力を示しており、大変、勉強になりました。

とはいえ、内山氏の議論に違和感を抱かされる面がないわけではありません。
素人が専門家の意見に口を出すのは差し出がましいかとは存じますが、文楽は専門家の独占物ではなく、広く民衆に開かれた芸術で、素人談義も吸収してくれるのがその生命力の源泉の一部かと思いますので、ご参考までに、2点触れさせていただきます。

1)文楽における「悲劇性」

一つは、これが根本的に重要な点ですが、文楽作品における「悲劇性」についての内山氏の理解の問題です。

内山氏は「近松およびそれ以後の時代浄瑠璃の戯曲構造を説くにあたっては、普通その根本に善悪二者の対立葛藤のあることを指摘し、……従属的人物の犠牲死が葛藤を根本的に解消させるために如何に役立っているかということで、その作品の悲劇的価値を評価する」方法がとられ、この犠牲死によって、善の秩序が回復されるという風に作品の構想が捉えられることになるとされます。
その上で、「和田合戦女舞鶴」は、このような「単純な善悪葛藤論」ないし「勧善懲悪劇」論によっては解明できない戯曲構造をもつとされます。

ここまで読んだ時点では、内山氏は、勧善懲悪劇を超えた真の悲劇性をもつ作品として「和田合戦女舞鶴」を高く評価されるのかと思いました。
しかし、どうも内山氏の結論は違うようで、以下のように断じられます。

「板額の苦悩や市若の死は、単に……秩序の局部的破綻を繕ったという以上に、和田北条の確執解消や藤沢入道の滅亡に直接何の働きもしていない……人間はただ、秩序の重みに引きずられ、一方的にこれに規制されるものとしてのみとらえられ、人間の主体的努力によって、失われた善の秩序が回復されるという積極的方向に対しては、構成上の関心がほとんど払われていない作品である」(パンフレット14頁上段4行目‐下段5行目)

結局、勧善懲悪劇にある善の勝利への楽観が放棄され、強固な封建秩序により犠牲にされる人間の無力性の受忍という悲観的世界観が本作の眼目とされているようです。
これだと、「和田合戦女舞鶴」は勧善懲悪劇を超えた文学的価値をもつ作品というよりは、逆に、「封建的秩序による人間性の蹂躙劇」を超えて犠牲死によって自ら善とする生を貫く人間の倫理的主体性を描くという、近松の中期以後の時代物に見られると内山氏が指摘される戯曲構造に背を向けて、「封建的秩序による人間性の蹂躙劇」に再び退却した作品ということになってしまいます。
本作の「悲劇性」も、封建秩序によって蹂躙される人間たちの悲惨性の描写にあるということになるでしょう。
このような見方を仮に「封建秩序一方的規制論」と呼ぶことにします。

近松など他の作者との比較については、私にはコメントする能力はありません。
ただ、「和田合戦女舞鶴」全編のストーリーを踏まえて「市若初陣の段」の床本を読み、師匠の義太夫を聴かせていただいた上での感想を言えば、本作の登場人物たちが「秩序の重みに引きずられ、一方的にこれに規制される」だけの主体性なき無力な存在とはとても思えません。

ここで重要なのは、「封建的秩序」なるものは一枚岩の静的な規範体系ではなく、その内部で多様な価値が対立競合する動的で多元的な倫理的世界だということです。
そこでは、例えば「忠」と「孝」が葛藤し、両者がまた「愛(恋)」の絆とも葛藤します。
「忠」・「孝」・「愛」それぞれの内部でも、異なった相手への忠義・孝行・愛情の絆が葛藤します。

「倫理的葛藤(moral dilemma)」とは、「あっちを立てれば、こっちが立たない」という二律背反状況ですが、これは「あっち」も「こっち」も、ともに立てなければならないという規範的要求が個人に課されるからこそ生じます。
どっちも立てなければならないのに、それが不可能だからこそ、ディレンマに陥るのです。
文楽作品において度々描かれる人間的葛藤は、内山氏が「単純な善悪葛藤論」と表現されたようなものではなく、むしろ、「善」と「善」との葛藤、それぞれが「善」としての規範的要求を個人につきつける異なった価値の間の相剋です。

この倫理的葛藤状況においては、葛藤する価値の双方を充足することができない以上、いずれの価値に従うかを個人は自ら選択しなければなりません。
いずれの価値を選択しようと、他の価値を侵犯せざるを得ないという意味で、これは「悲劇的選択(a tragic choice)」と呼ばれます。
そこでは一つの「善」の選択は同時に他の「善」を侵犯する「悪」の選択たらざるを得ず、競合する諸価値の予定調和的実現は不可能です。

だからこそ、倫理的葛藤を前にして何をすべきかは、究極的に個人の決断、いわゆる「実存的決断」に委ねられざるを得ない。
悲劇的選択が不可避だからこそ、個人は、その意志によって調停不可能な価値の葛藤を裁断する「倫理的主体」として立ち現れます。

ギリシャ悲劇以来、悲劇作品の核心は、この悲劇的選択を迫られた個人の苦悩と決断を描くことにあります。
心中、親殺し、子殺しなどの犠牲死を描いた文楽作品の「悲劇性」も、まさにここにあると私は考えています。
このような見方を、「倫理的葛藤論」と呼ぶことにします。

「和田合戦女舞鶴」においても、登場人物たちは、善性を独占する一枚岩の秩序の重みに押しつぶされて人間性を蹂躙される無力な存在としてではなく、調停不可能な諸価値の葛藤を自らの意志的決断によって裁断する倫理的主体として描かれていると思います。

そもそも、本作の悲劇の原因となったのは、二代将軍源頼家の落胤、善哉丸の誘拐隠匿事件と、三代将軍源実朝の妹、斎姫殺害(偽装)事件です。
この二つの事件双方の「実行犯」となった荏柄平太の一見矛盾した行動を、「封建秩序一方的規制論」によって説明するのは不可能です。

平太は、善哉丸誘拐隠匿事件では、尼君北条政子の要請に従って、子のない実朝の後継者要員にすべく、鶴岡八幡宮別当僧阿闍梨の庇護下にあった善哉丸を誘拐して政子に託し、阿闍梨の追及をかわすために、善哉丸を平太の子(公暁丸)として偽装しました。
しかし、その後、平太は父、城九郎資国の命に従い、斎姫を妻にしようと争う北条義時と和田常盛から彼女を隠して、彼女が恋い慕う為氏と結ばれさせるために斎姫殺害事件を偽装します。

平太の後者の行動は、北条義時と和田常盛、さらに彼らを抗争させて漁夫の利を得ようとする藤沢入道のような時の権勢家に歯向かうものであるだけでなく、斎姫殺害の大罪を犯したとなれば自分の妻子も連座で処刑されること、したがって、自分の子として偽装した頼家落胤の善哉丸に累を及ぼし、尼君政子の命に背くことにもなります。
当然、平太もそのことが分かっていたはずです。

なぜ、平太はこんなことをしでかしたのか。
平太は時の権力者たちの命に無抵抗に従ったのではなく、権力者たち相互の抗争がもたらす忠義の葛藤、権力者たちへの忠義とそれに対抗する命を下す父への孝との葛藤、そして斎姫と為氏の恋の成就の要請と、それを妨害する権力者への忠順やそれにより犠牲にされる自分の妻、綱手への夫婦愛との葛藤、これら諸々の葛藤を自ら引き受け、父の命に従い斎姫と為氏を結ばせる価値を優先する悲劇的選択をしたのです。

しかも、本作後段(小倉山荘の段)で描かれるように、平太は義時・常盛と通じた強欲な義父母(綱手の両親)の妨害を排して、斎姫と為氏の恋の成就と実父の命の成就という自ら選択した価値の実現に成功します。
彼は決して秩序の重みに押しつぶされた無力な存在ではなかったのです。

他方で、平太の選択は、尼君政子、平太の子「公暁丸」に擬せられた善哉丸、そして妻たる綱手を犠牲にする危険をもたらします。
この危険に対して、政子と善哉丸を救うという使命を自らに課したのが、善哉丸誘拐隠匿事件で平太の共犯者でもあった阿佐利与市です。
与市は、平太とは逆に、政子への忠義を優先する選択をします。
その実現のために彼は妻である板額を離別し、我が子市若を「公暁丸」の身代わりにするという犠牲を引き受けるという点で、与市もまた悲劇的選択をしています。

しかし、与市は市若を身代わりにするという選択の実行役を離別した板額に委ねる意志を、市若に被らせた兜の忍びの緒の操作という暗号的手法で伝えます。
はじめは夫の真意を測りかねていた板額も、尼君政子から「公暁丸」が実は、頼家の落胤善哉丸であり、そのことを与市も知っていることを知らされて夫の悲劇的選択の意味を悟ります。

我が子を犠牲にするという悲劇的選択をしながら、その実行役は離別した妻に丸投げするという与市の姿勢は、「男はずるい、格好だけつけて、自分の手を汚そうとはしない」と、観客の我々ですら、腹立たしくなるところです。
板額も、与市が市若に兜の忍びの緒を母に結んでもらえと言ったのは、与市が自分との復縁を望んでいる印と最初は思っただけに、与市のこの真意を知って、失望だけでなく、強い怒りを感じたはずです。

しかし、政子と善哉丸が、共に、自分は死んでもいいから他方を助けてくれと板額に懇願するに及んで、板額も、こんな「ずるい前夫」の悲劇的選択を自らの選択として引き受け直します。
板額が自らの選択として引き受けたという点が、ここで重要です。

板額は尼君政子が指図した善哉丸誘拐隠匿事件の策略は全く知らず、その共犯者となった与市にも離縁されているわけですから、我が子を身代わりに殺せという「ずるい前夫」のむごい要求など、我関せずとして拒否することもできたでしょう。
また、板額は斎姫殺害事件が平太の偽装だとは知らず、彼が大罪人だと信じていたし、「公暁丸」が平太の子だと信じていた段階では、板額は「公暁丸」の首を差し出せと政子や綱手に要求していたわけですから、斎姫殺害連座責任を負う平太の妻綱手に、身代わり役が欲しければ、自分で別の子の首をとってもってこいとして、我が子を犠牲にすることを拒否することもできたでしょう。

それにもかかわらず、板額が我が子市若を身代わりにすることを選んだのは、源氏の血統が三代で絶えれば、有力御家人勢力の間の抗争が激化して鎌倉幕府分裂崩壊の危機を招くという懸念から善哉丸を何が何でも助けたいという政子の、初代将軍頼朝の妻としての思いに共感し、この状況の下で、善哉丸救済の現実的方法として可能なのは、男勝りの胆力を持つ自分が市若を身代わりにすることしかないと判断したからでしょう。
(実際の歴史では、僧籍に入った善哉丸が長じて公暁と改名し、実朝を暗殺して源氏の血統を絶やすことになったのは皮肉としか言いようがありませんが。)

板額も、「秩序の重みに引きずられ、一方的にこれに規制される」ような無力な存在ではなく、逆に、権力抗争で分裂崩壊しかねない脆い秩序を再確立させるための方途について自ら考え、その手段として、我が子を犠牲にするという悲劇的選択をあえて遂行するだけの強い倫理的主体性と意志をもった女性です。

2)板額の母性愛

以上、本作の戯曲構造についての内山氏の理解に疑問を呈しました。これが本質的問題ですが、そこから派生する問題として、板額による市若切腹誘導に関する内山氏の解釈への疑問があります。

市若を身代わりにする決意をした後、板額は市若にまず、お前がもし平太の子だったらどうするかと問うて、それなら切腹するという我が子の答えを引き出した上で、闇の中、あたかも平太が来たかのように装って、彼とのフェイク会話の中で市若が実は平太の子であるという嘘を市若に聴かせて、我が子を切腹へと誘導します。

このような欺罔的手段により「少年に無用の精神的苦痛を与えた上で切腹させるとは、嬲り殺しに等しい残酷さではないか……技巧にのみ走って母性愛という人情を二の次にした結果である」という本作に向けられる典型的な批判に対して、内山氏は、「この場の主題」を「そのような母性愛の詠歌」に求めること自体が誤りだとします。

その上で、内山氏は、作者並木宗輔の意図が、板額を「もはや外に働きかける可能性はことごとく封じられ、我が子を殺害すべき条件は完全に調えられ、ただこれを実行する職能だけが彼女に与えられ」るという状況に追い詰めつつ、それへの反動として、「何か彼女自体の意志に基づく行動をなさしめ、その鬱積した情熱を発散させようと試みた」ことにあると見ます。
そこから、内山氏は、板額の市若に対する行動について、次のような解釈を打ち出します。

「かくて彼女の内に鬱積した激しい意欲は、ついにその突破口を、自分自身を、さらには自分のもっとも愛するものを、盲目的に破壊し、ヒステリックにいじめぬくという自虐的な行為に見出さざるを得なくなったのである。板額の行為が前記の非難のごとく残酷に感じられるのは当然で、むしろ、そういう残酷な感触こそ、宗輔はこの作に求めていたのである。」(パンフレット16頁下段17‐22行目)

内山氏には失礼ながら、この解釈に私は愕然としました。
「窮鼠、猫を噛む」の逆で、「窮猫、狂乱して子猫を鼠のごとく嬲り殺す」と言うべきものとして、板額の市若に対する行動を描いています。
これは論理の飛躍という以上に、板額の行動の(それについての作者並木宗輔の意図の)倒錯的曲解であるように思えます。

内山氏が、板額を「狂った窮猫」化するのは、本作において板額も「秩序の重みに引きずられ、一方的にこれに規制される」無力な存在であるとする内山氏の戯曲構造理解に規定されています。
このような存在にとって、自己の意志の発動の唯一の可能性は、封建秩序による人間性蹂躙を開き直って受容し、自己自身と自己の愛する者とを「盲目的に破壊し、ヒステリックにいじめぬく自虐的行為」に走ること、すなわち、「被虐」を「自虐」に倒錯的に転化することにしかないということになるからです。

封建秩序一方的規制論の色眼鏡を外して、素直に本作と向き合うなら、板額が市若を切腹させるこの場でこそ、まさに、内山氏が「この場の主題ではない」と言い切った――そして、本作への典型的批判がその欠損を難じるところの――「母性愛の詠歌」が強い響きをもって我々に伝わってきます。

先に触れた瀕死の市若に板額が語る言葉、「なんの荏柄の子であろぞ。与市殿とわが中の、ほんの、ほんの、ゝゝゝほん本の子じゃわいな」は、紛れもなく母性愛の結晶です。
呂太夫師匠によるこの言葉の語りが、「おとなしい東京の観客たち」をも割れんばかりに拍手喝采するほど強く感動させたのは、それが悲痛なまでに切ない「母性愛の詠歌」の絶唱だったからです。

板額が市若に、もしお前が平太の子だったらどうするかと問い、切腹すると答えさせるという、あまりに欺罔的だと板額が非難されるやり取りの中にも、板額の母性愛があふれ出ています。

板額「もしやマアそなたが平太が子の公暁で、君より討手が来たりなば、マどうせふと思やるぞ」
市若「ハテ、それは知れたこと。主を殺した者の子と指さしに逢ふより、潔う腹切つて、さすがは武士と言はるゝ気」
板額「ナニ、腹切つてか」
市若「アイ」
板額「アノ腹をや、腹を」
と、言ふにしゃくり出す、涙吞み込み呑み込んで、顔打ち眺め……

呂太夫師匠が、「アノ腹をや、腹を」と板額の言葉を、声を絞り出すかのように語られたとき、私は打ち震えました。
板額の我が子市若への痛切な愛の振動に、私も共振してしまったからです
私はイクメンを標榜しませんが、それでも多少は育児参加し、三人の子供たちを赤ん坊のころ風呂に入れたりして、子供の柔らかいお腹の感触を忘れることはできず、それが子供の愛おしさと不可分に結びついています。
男親の私ですらそうですから、母親として市若を育ててきた板額にとっては、なおさらでしょう。
数え11歳、今で言えばまだ10歳の市若が、乳児のころから彼女がさすって可愛がってきたその腹を切ると言ったとき、市若への彼女の身体化された母性愛が突き上げられ、板額は「涙を呑み込み吞み込んで」慟哭せざるを得なかったのです。

では、なぜ、板額はそれほど愛している市若を騙してまで、切腹へ誘導したのか。

倫理的葛藤論の視点からは、答えは、「まさに、愛していればこそ」です。
板額は、善哉丸救済という「善」のために、愛する我が子の命という「善」を犠牲にする悲劇的選択をしたからこそ、犠牲にされた「善」に償いをしなければならなかった。
夭逝させられる市若への償いとは、市若に、「一人前の武士」としての尊厳を与えることです。

女傑の板額にとって市若を直接殺すのは、心理的抵抗は別として物理的には容易なことですが、そうしてしまえば、市若は文字通り単なる身代わり、周囲を騙すための善哉丸のデコイとして利用されたにすぎず、そこには何の尊厳もない。
市若の死に尊厳を与えるためには、市若自身が「さすがは武士と言はるゝ気」と言ったように、彼が自らの意志により切腹することで武士としての気概を示すことが必要でした。

板額が手の込んだ芝居を打って市若に切腹する決断をさせたのは、「ずるい前夫」の与市のように、自分の手を汚したくなかったからではありません。
市若は、親に頼って他の子に抜け駆けして手柄をたてようとしたり、兜の忍びの緒が切れるという不吉な兆候に「母様わしは討ち死にをするのかいの」と怖れを示したりするなど、まだまだ幼さの残る子でした。
この子に武士らしく切腹するという気概を与えるためには、板額はあのような巧妙な芝居を打たざるを得なかったのです。

現代人から見れば、母親が年端も行かぬ子を騙して切腹させるのは、狂気の沙汰、残酷なサディズム、あるいは内山氏の言う「ヒステリックな自虐的行為」で、およそ母性愛とは相容れないものに思われるでしょう。
しかし、我が子の死が免れない状況に置かれたとき、その死に、そして死に至る短きその生に、可能な限りの尊厳を与えたいという思いは現代人にも通じるでしょう。
武士として生きることが男子の誉れであったような時代と社会層においては、切腹が尊厳ある死のかたちであったことを念頭に置くなら、板額の市若に対する行為は母性愛の悲劇的表現であることが理解できると思います。

以上、「荒唐無稽」と難じられることも多い「和田合戦女舞鶴」、特にその「市若初陣の段」が、倫理的葛藤論の視点から見直されるなら、ギリシャ悲劇以来の古典的意味における「悲劇」の王道を行くものであり、現代と表面的には異なっても、深層において現代人にも通じる悲劇的状況における母性愛の形を表現していることを示そうと試みました。

的外れな議論もしているかもしれませんし、内山評論はパンフレットに掲載された抄録を読んだだけなので、誤解もあるかもしれません。
ご批判・御叱正のほど、よろしくお願い申しあげます。
ただ、私の狙いは、内山評論を批判すること自体ではなく、それを手がかりにして、この文楽作品についての私自身の解釈を呈示することです。
こんな見方をする者も観客の中にいるんだということで、何かの参考になれば幸いです。

井上達夫 (2023年12月21日擱筆)

素人弟子の伊藤恵さんから

「ホームページに載せてくださいね。よろしくお願い申し上げます。呂太夫」ということで「素人弟子の伊藤恵さんから」というタイトルで、師匠からメールいただきました。下記掲載します

全編素晴らしいのですが、一つだけ(フグ会でも申したのですが)
■伝兵衛が、おしゅんが書いた退き状(実は書置)を読むところ
⇒兄の与次郎と婆(母)は、おしゅんから伝兵衛への離縁状だと思っているが 読み上げ進むうち、実は兄と婆へ宛ての遺書であり、またおしゅんと伝兵衛は深い愛情で慕い合っているとわかってくるシーン。

ここは、単なるストーリー展開だけではなくて、劇中劇のよう。
はじめは伝兵衛が伝兵衛として読み上げる、つまり伝兵衛の気持ちストレート。そのうち書いたおしゅんの気持ちが乗り移ってくる、いつの間にかメビウスの帯のようにおしゅんが語ってるのか、伝兵衛が語っているのか、くるりくるりと裏返る。またそこに、読み上げられて初めて、びっくりする兄与次郎と婆の気持ちが乗っかってくる。つまりただ一通の手紙(書置)を伝兵衛一人が読む間に 四人の気持ちが出ては潜り、潜っては浮かびする。
声ひとつでここまで緻密に描き出せはるんや・・。

この作品が、単に悲劇でなく、ほんのり明るくめでたい と思えたのは。
それは、書置の手紙の読み上げにより、家族の気持ちが整理されて。
兄と婆は、おしゅん伝兵衛の純愛を知り、妹・娘おしゅんが女の道を立てることへの「誇りとリスペクト」を取り戻す。
みな我が事より相手を思い遣る心ばえの美しさ、兄と婆が「でも僅かでも生きて」と一縷の希望を「祝い」にかえて送り出す。
にっちもさっちもどうもしようもない状況にあっても最後まで人の「誇り」と「生きて」の小さな灯を皆の心にともしていたい、それが作者の願いかも。

初演は1782年江戸とか。この頃江戸では明和の大火(1772)などの大火事、天明の飢饉(1782-88)、翌年浅間山大噴火(1783)江戸も降灰、大黒屋光太夫などの漂流帰国(1792海外からの圧力)など世の中がざわつく。人々は不安で貧しくどうしようもない。そんなときだからこその作品かなと。

お師匠はんの語りの緻密さ、虚飾なく、衒なく、そして隙がなく。
名人は意味を語り、情を語り、作者の本意を語る、と聞きます。

生意気なようですが、浄瑠璃の醍醐味を新年からたっぷりと聴かせて頂きました。
ありがとうございました。

余談ですが、実は元日に「私と母は生きてます!」と知らせてくれた古典好きの能登の友人が、6日に文楽劇場でばったり。彼女の勇気に感服しつつ、芸能が人の心の慰めとなることを改めて願いました。
お師匠はんの語りがたくさんの人の心に火を点しますように、楽日まで頑張って下さい。
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合邦庵室の段を聴いて

寄稿 井上達夫

「合邦 庵室の段」の通し素浄瑠璃、堪能させていただきました。
昨年の「すしや」にも強く感動いたしましたが、それ以上に緊迫した「くどき」の場面が多い本作の公演、圧倒されました。
紀尾井町ホール
冒頭の「しんたる夜の道、恋の道には暗からねども」の語りだし、いつもの師匠より声が細められており、一瞬「おや」と思いましたが、しんしんとした夜の静けさ、頬かむりして実家を訪ねる玉手御前の世を忍ぶ姿を伝えるとともに、後で何度も押し寄せる昂揚の場面のために、エネルギーをためておられるのだろうと思いました。
鼎談では最初は声がよく出なかったと説明されましたが、この作品についてはこういう語りだしもありではないかという印象をもっております。
その後だんだんと声に勢いがつき、いくつもの「くどき」の場面で、まるで演じられる人物の霊が乗り移ったかのような熱演となり、自分だけでなく満席の観客がみなその世界に惹き込まれ(というより飲み込まれ)てゆくのが感じられました。
「大阪よりおとなしい東京の観客」から何度も拍手が起こったのは、むべなるかなです。
いくつもの「くどき」の中で、私が一番感動したのは、合邦が、嫉妬の乱行におよんだ自分の娘、玉手御前を突き刺した時の語りです。
「……このやうな念の入った大悪人を、まだおのりゃ子じゃと思ふかい、おりゃもう憎うて……」と言いつつ、合邦はこう続けます。
「……十年このかた、蚤一匹殺さぬ手で現在の子を殺すも、とっともう浮世の義理とは云ひながら、これが坊主のあらう事かい、これが坊主のあらう事かい、これが坊主の……」
極まる怒りとあふれかえる悲しみがぶつかり合うこの合邦のリフレイン、これを合邦その人がいままさにそこで叫んでいるかのごとく師匠が絶唱されるのを聴いて、私は嗚咽しそうになりました。
周りの人たちが拍手するなかで、私は拍手できませんでした。
嗚咽するのを抑えるために、両手で自分の胸を抱えていたのです。
娘の悪行の真意が身を犠牲にして俊徳丸と次郎丸双方を助けることにあったと知った後の合邦の嘆きも感動的でした。
しかし、玉手御前を大悪人と信じ、怒り心頭に発して成敗の刃を突き立てながら、我が娘を手にかけざるを得ない父親としての悲嘆、その根底にある娘への捨てきれない愛を、僧侶の不殺生義務という理屈に隠しながら吐露するこの場面の合邦の語りは、ギリシャ悲劇にも勝る人間的葛藤の究極の表現です。
公演後の鼎談で、玉手御前が純粋に利他的な自己犠牲をしただけなのか、俊徳丸への許されざる恋情もあったのか、という古典的問題について、師匠は、司会の児玉さんがクリスチャンとしての解答と形容された「純粋利他説」を説かれました。
今井さんたちとの5人の公演後の会食で、このことが話題になりましたが、この点ではみな、師匠とは異なり「恋情説」でした。
私も基本は「恋情説」です。
スタンダールの『恋愛論』の中に、たしか「プロヴァンスの恋の物語」という表題だったと思うのですが、次のような挿話があります。
奥方が小姓に恋をしているのを知った領主が、小姓を狩猟に連れ出して殺します。
狩猟から帰った後、今日の獲物の心臓の料理と称するものを奥方に食べさせます。
奥方が食べ終わった後で、領主はいまのはお前が愛した小姓の心臓だと知らせます。
奥方は動じることなく、「美味しゅうございました」と一言つぶやいて、バルコニーに行き、身を投げて死にます。
きわめて残酷な話ですが、私はここに恋愛というものの、唯一ではありませんが、一つの究極の姿を見ます。
プロヴァンスの奥方は愛する者の生命の象徴を己の内部に吸収することで、もはや離れることのない完全な一体となり、至福の内に死にました。
玉手御前の場合は、自分の肝臓の生き血を俊徳丸に吸わせて彼を本復させることで、俊徳丸の身体の一部となりました。
彼女は個体としては死にましたが、俊徳丸の身体の中に吸収され、彼自身の一部として転生し、もはや誰も二人を切り離すことのできない完全な一体化を成就する……
少なくとも玉手御前はそのように信じていたのではないかと私には思えてなりません。
師匠の利他的自己犠牲説と、小生のような「合体恋情説」は矛盾しないと思います。
玉手御前においては、究極の自己犠牲が、究極の恋の成就でもあったのです。
師匠がクリスチャンであることを児玉さんが言うまで忘れておりましたが、私のような見方はキリスト教とも矛盾しないと考えております。
カトリックの儀式に「聖体拝領communio)」があります。
パンがキリストの「肉」であり、赤ワインがキリストの「血」です。
これは単なる象徴的記号ではなく、儀式の決定的瞬間において、パンがキリストの肉と化し、赤ワインがその「血」と化すというのが少なくとも古くは正統解釈だったと聞いています。
キリストの肉を食べ、血を吸う事によって、信者は人間を救済するために「生贄の羊」となったキリストの自己犠牲に思いを致すだけでなく、キリストへの、ひいては神への「愛」を心身合一という形においても成就する。
いまのカトリック教会が何というか、プロテスタントがどういうか、私は知りませんが、神への純粋な愛においても、究極の利他的自己犠牲の礼賛と、神的存在との完全な合一を求める「聖なるエロス」とが結合されており、玉手御前の究極の恋と一脈通じるものがあるように思います。
「恋の狂気」は自己も他者も破滅させる醜い罪性を持つことが通例ですが、ときにそれは、「宗教的光悦」の次元にも昇華し、他者を救済すると同時に、愛する他者との一体化への自己の深い欲求の成就ともなると思います。
真面目なクリスチャンからは叱られそうですが、師匠が演じられた玉手御前の姿から、師匠の解釈とは異なる人間の愛の形を読み取らせていただきました。
精力的に活動再開されている御姿、何よりですが、無理して体調を崩されたりしませんよう、どうぞご自愛くださいませ。
乱文ながら、御礼にかえて。
  
 
呂太夫より 12月4日大槻能楽堂、17日紀尾井小ホールで、素浄瑠璃「合邦」を語りました。法哲学の井上達夫先生、お忙しい中、おいでくださり感謝します。
感想をいただきましたので、ご本人の許可を得て公開させていただきます。

掲載、カウント2021/12/26より)