「引窓」光の行方―2021年9月公演―

森田 美芽

  「情」を聞く、とは何だろう。文楽は「情を語る」「情を弾く」としばしば言われる。それについて語ることは難しい。その「情」の成立する人間関係の基盤そのものがあまりに変化している。そして義理の重さを解さない現代人にとって、それはまったく異なる価値観の世界である。

九月東京公演、久しぶりの『双蝶々廓日記』の「引窓」を聞く。そして感じたのは、何よりも胸に沁みる母子の情愛、継子と実子の義理、そして深い「情」の世界である。

「引窓」は心理劇である。親子の間の、それとは語らず命を助けたいという思いと、義理を通して死を覚悟する男の孤独、その情のせめぎ合いを、静かに八幡の里の月が見守る。

「難波裏喧嘩の段」を希太夫と清馗が受け持つ。希太夫はこれら多数の登場人物を破綻なく語り分ける。吾妻の娘、与五郎の源太、端敵や小団七、男伊達の長五郎の文七まで、不自然なく声が前に出る。清馗の糸がはっとするほどふくよかで美しい。玉翔の長吉が若々しい鬼若かしらを生かし、勘介が端敵を面白く遣う。玉志の長五郎が、安定感ある男の誠実さ、哀愁を見せる。

「引窓の段」中靖太夫、錦糸。

中は「欠け椀」と呼ばれる。ひそかに暇乞いに現れた濡髪の長五郎が、子のために料理を用意しようとする母に、「欠け椀で一杯ぎり。つい食べてかえりましょ」という科白に基づいている。これは犯罪人が牢で出される食事のこと。そこに至るまでに、昔なじみのおはやに、廓勤めを上がって思いあう南与兵衛と結ばれたことを「ソレハ幸せなこと。同じ人を殺しても、運のよいのと悪いのと、ハテ幸せなことぢやの」と、あるいは「イヤ相撲取りと申す者は」と、自らの罪を例え、「何時知れぬ身の上、これが御別れにならうも知れず」と別れをほのめかす。靖太夫はこの呼吸、間の取り方で、長五郎の心情をよく表現している。

冒頭の母とおはやのやりとり、武家の誇りを大事にしている母と、いまだ廓ことばの抜けないおはやの微妙な距離感も。

奥、呂太夫、清介。この段はいくつもの山場がある。派手に見せることのない、しかし呂太夫が、一言ひとことが心に迫る密度で微妙な心の葛藤を描き出し、清介の糸がその揺れ幅を正確に導いていく。

「二階へ」の「へ」、「萎れゆく」の「お」と「ゆ」の産み字が、この八幡の里、月の光、静けさの中に起こる事件へとわれわれを引きこんでいく。そして一転して「人の出世は時知れず見出しに預かり」で急に調子が変わる。ここは技術的にも極めて難しい、と聞く。呂太夫の語りは、はっとするほど明確に、ここから南与兵衛の家の物語であることを知らせる。ようやく武士に返り咲いた南与兵衛、その陰に苦節数十年の労苦の日々があること、そこからようやく認められたという喜び、誇り。それは「中」で語られた、母の忍耐と義理の故に引き裂かれた親子の苦悩とは別次元の事実のように見える。武士となった南方十次兵衛に与えられた任務は長五郎を捕らえること。それを聞いた母と嫁が、十次兵衛には知らせず長五郎をかばおうとする。そのためらい、何とか思いとどまらせようとする二人の説得、十字兵衛は自分の出世を妨害するように受け止めたのではないか。

しかし、南与兵衛が手水鉢の水に映った姿を見て、長五郎がこの家にいることを悟る。そして母が、「なんとその絵姿わしに売つてたもらぬか」と必死の思いで申し出たことで、この母に長五郎がどうかかわっているかを悟る。

実子を養子に出し、いままたその子が犯罪者として、継子に追われる運命。なんと惨いことだろう。現代人は、自分の子を養子に出して後妻に入るという理屈、そして実の子がいながら、なさぬ仲の養子の方を重んじなければならないということを、不条理と思うだろう。だがここでの十字兵衛は、自分の家庭のそうした運命を知って、自分は長五郎を救わねばならないと決意する。まさに、その義理ゆえに、彼は自分の継母の子、自分の義理の兄弟に対し、兄弟としての義理を尽くさなければならない。それがこの母の思いに応える唯一の手段であると。それを語りのうちに納得させる技術、それを人形のわずかな動きで表現する技術に息を呑む。

「烏の粟を拾ふように貯め置かれたその銀」、この一言に、この母の20年が集約される。呂太夫はここを、しつこく強調したりはしない。そのさりげなさに、むしろ思いがこもる。そしてその思いに応えて十次兵衛は大小を投げ出す。母が「アノ売つてくださるか」「ハアかたじけなや」と、その詞の一言の重み、ここでおはやもまた、母の思いを受けて「嫁は見る目を押し拭ひ」と、この3人の間でひそかに交された黙約。

しかしまだそれでは終わらない。ひそかに抜け道まで教えてくれた十次兵衛の情けに、長五郎はかえって縄にかかる覚悟をする。それに対する、母の詞「死ぬるばかりが男ではないぞよ」と息子の命を惜しみ、「牢に入る覚悟ぢゃな」と息子を助けようとする。まさに子を思う親の情、それも長年、自分の手から離さなければならなかった、実の息子を何とか助けたい、数十年の息子の孤独を思えばこそである。前髪を剃り落とし、さらに特徴の黒子を落とそうとするが、「わしはどうも剃りにくい。こなた頼む」と嫁に頼む。ここは少しユーモラスに聞こえる。情けでその黒子を、手裏剣で落とす十字兵衛。このカッコよさは、さすがに勘十郎の業である。

だが長五郎は、自分が縄にかかることが、十次兵衛に対する義理を果たすことであると母を説得する。相撲取りは侠客、義理を通さねばならぬ、自分の命を惜しんでいると思われてはならない、そんな運命だけでなく、義理の兄弟である十字兵衛を助けなければならない、それも義理なのだから。

「イヤナウ、一旦庇うたは恩愛。今また縄かけ渡すのはなさぬ仲の義理。昼は庇ひ、夜は縄かけ、昼夜と分ける継子本の子。慈悲も立ち義理も立つ。草葉の陰の親親への言ひ訳。覚悟はよいか」という、母の詞にこの一家の悲劇と情のせめぎ合いが集約される。母の幾重もの思いが込められたその詞。まさに呂太夫の独壇場である。

そしてその縄を、十次兵衛が切って引窓の明かりを夜明けと呼んで、放生会になぞらえ長五郎を逃がす。「それも言はずとさらば、さらば」と、最後まで、語ってはならない、親子、義理の兄弟の情愛。

呂太夫の情の深さの表現が光る。かつて故越路太夫に、「わしがお前の(語りを)取りたい」と言わせた、母親の詞。正直、母の心情に共鳴し、長五郎の孤独な男の魂に動かされ、十字兵衛とおはやの、長く望んだ出世を捨てても、その母に応えようとする、その一人ひとりの家族愛と優しさに打たれた。言葉にならない。理屈ではない、しみじみと心を包んでゆく手のような、その感覚。

泣きわめくことも叫ぶこともない、押しつけがましい感情表現などない、その静かな舞台の中に、呂太夫の語りはしみじみと、聴く者の心に深く沈んでいく。これが「情を語る」ということかと思う。不思議なことに、私たちはこうして、情という名の、形にならないものが確かに感じられる。それが静かに心に留まり、やがてそれは、私たちの中に、仄かな光として輝くように思われる。引窓から漏れる、優しく照らす八幡の里の月の光のように。そしてそれを支えた、清介の糸にも、また勘壽の母にも。勘彌のおはやも抑えた色気と優しさ。勘十郎の十次兵衛の、冷静で情ある侍の格。

人の世の情けの遠い現代なればこそ、そうした文楽の核たるものが、私たちに思い起こさせる。人は人の情けなしには生きられないのだと。

掲載、カウント2021/9/20より)