末端のひとりまで――2007年正月公演

森田美芽

 正月が休みでなく寿ぎの時であると知ったのはいつのころからだろう。普段と異なる、ほんの少し緊張があり、儀礼があり、特別な時を楽しむ。まるで世の中に何も憂いがないかのように。いや、憂いと苦しみの世であるからこそ、つかの間にそれを忘れて楽しむのだと。

 「花競四季寿」春は万才、すっきりと伸びた紋豊の太夫、ひょうきんで愛嬌ある幸助の才蔵。夏、清之助の海女の愁い、やさしさ、恋に悩む思いに蛸とのからみ。蛸は勘市と聞く。秋は関寺小町。文雀の独壇場。冬、降りしきる雪の中、あでやかに色を添える勘十郎の鷺娘。
 四季の豊かさをその場に立ち上げる、津駒大夫の声の豊かさ、それを包み込むように世界を広げ共有する、寛治の糸。千歳大夫が季節を彩り、喜一朗が夜を支える。新大夫、始大夫、文字栄大夫、相子大夫、希大夫、清志郎、清丈、龍爾、寛太郎、清新なハーモニーのこころよさ。

 「御所桜堀川夜討」弁慶上使の段。中、松香大夫、宗助。このところ、地力を発揮している松香大夫、おわさのしゃべりにも母としての情がにじむ。宗助は堅実な糸。
 奥、伊達大夫、清治。実は私の聞いたときは、語りだしがいかにも苦しかったが、その後、日を追うごとに良くなっていったと聞く。清治の糸は、その導きの手を決して緩めない。大夫の声が開いて、その人の声になっていくまで、決してペースを落とさず、歩み寄るという感じではない。それなのに、その三味線がやがて呼び水のように伊達大夫の声を引き出していく。そしてその切っ先の鋭さ、強さ、久しぶりにこの人の突っ込んだ三味線を聞いた。
 そして伊達大夫は、信夫のけなげさ、侍従太郎夫婦の老獪と苦衷、おわさの必死の思い、父としての弁慶の悲しみを、一つ一つ血の通った人物に仕立て上げた。ともすれば大時代な、残酷な親子の別れを、片袖のユーモラスに包んで表現した。
 人形では、紋臣の卿の君の愛らしさ、簑二郎の信夫のけなげさ、文司は花の井の奥方の気品を、それぞれ評価したい。玉輝の侍従太郎の孔明かしらは前月の千本桜を思わせた。和生のおわさ、母としての強さに性根をおいた形。
 玉女の弁慶、スケールの大きさと強さ、今回は「こんな顔でも・・・」という父の性根を感じさせた。

   「壺坂観音霊験記」土佐町松原の段。咲甫大夫、清馗兄弟、言わずとも通い合う何かを感じる。
 そして咲甫大夫にとっては何度目かのこの場だが、何か以前とは違う。これは住大夫の型であると聞いた。清馗も心得たもの。茶店の客とお里との会話に、ほのぼのした味わいを感じる。
 沢市内より山の段。切、ここは極め付けの住大夫、錦糸。もうこれは、住大夫の完成された世界なのだと思う。沢市の、現代人から見ればマイナス思考としかいいようのない暗さ、でもそれは、貧しさを知る、その中での自分の身の置き所のなさを感じている、そういう人間の哀しみにほかならない。
 そしてそういう底辺の人々の通い合い、それこそ住大夫の世界である。錦糸はこの世界になくてならない助け手であると感じた。
 後半は十九大夫、富助、ツレ龍聿。どうもここで世界が変わってしまう。まったく持ち味が違うのだ。それは山の段の緊迫した場にふさわしいが、その変化についていけなかったというのが正直な感想である。人形では、文吾の沢市の切なさ、文雀は見た目本位でない情の表出、観世音は初役の勘次郎と玉若。

 第二部、「二人禿」。三輪大夫の艶、清友の芯、さわやかなアンサンブル、10分ほどの佳品を隙なく仕上げるベテラン勢に混じって、咲寿大夫の直ぐなる眼差し、清公の緊張した眼差し。玉英と和右の禿の美しいこと。それでも玉英の確実さを示した舞台。
 「嫗山姥」口、呂勢大夫、喜一朗。安心して聞いていられる。この感情移入しにくい説明的な描写も、確実に聞かせる力を持つ。
 切、嶋大夫、清介、ツレ清丈。一部の「弁慶上使」のおわさに続いての女方のくどき、しかし女のくどきはやはり嶋大夫、その大げさな話をいつの間にか引き込んでしまう力。そして簑助の八重桐に尽きる。この長いくどきを、まったく飽きさせない、それどころか人形でその内容を見せてしまう、そして後半のガブへの変身からは、女方がここまでと思うほどの活躍を見せる。それに比べ、夫の時行のなさけないこと。その情けなさを説得力で見せる、これは和生の力。ワキを固める清三郎、清五郎、簑一郎、紋秀、玉志らの存在感も。

 そして「冥途の飛脚」。なぜ忠兵衛は封印を切ったのだろう。また八右衛門は悪人か善人か、この解釈の別れるところである。これが今回の「冥途」の眼目であろう。
 勘十郎の忠兵衛は「狂気」に捕らわれている。実は、淡路町でのこの出のとき、すでに忠兵衛は罪を犯している。梅川を思って人の金を使い込み、今度はその埋め合わせに苦心する、それはすでに犯罪である。
 計算づくでそうしたのでなく、狂気のなかに巻き込まれて身動き取れなくなっている。そんな苦境を、飯炊きのまんへのじゃれかかりで表現する。紋豊の母妙閑は町家の女房、義理も世間もわきまえ、この生き馬の目を抜く大阪で商売をすることの怖さを知り、それを守っていることを誇りにしている。彼女には、遊女に狂って商売の金に手をつけるなど、理解も同情もできまい。そして八右衛門はこの場では男気あるように見える。
 しかし金を届けるはずがいつの間にか新町に来てしまう。戻ろうとし、また行こうとする、その迷いのうちにも、ああ、この忠兵衛は行ってしまうだろうなと思わせる。そして廓で八右衛門の話を聞き、封印を切ってしまう。
 そのすべてが、「狂気」のなせるわざだと感じさせる。八右衛門の話はいちいち道理なのだ。財産を詮索されることも、その将来も、すべて真実なのだ。だが忠兵衛には、その真実こそが彼を追い詰める刃となる。

 なぜ八右衛門がこうしたか。英大夫は、それは「嫉妬」であるという。田舎者の色男に対する嫉妬であると。確かに、この場は忠兵衛と梅川に焦点をあてがちだが、陰の主役は八右衛門である。そしてそうした暗い情念が、わざと真実を持って忠兵衛に迫り、封印を切らせてしまう結果となる。それを活写した玉也の見事さを指摘したい。
 そしてついに封印を切ってしまう。悪は悪を呼ぶ。最初は友人だから何とか埋め合わせがつくと思ったからかもしれない。だが一度犯した悪は、二度目は彼を破滅させる。
 八右衛門に裏切られれば、彼はすでに死罪になるしかないのだ。悪は悪を呼び、増幅させ、自分の意識を越えて、統制を超えて悪の結果を生み出す。金を落とす仕草も、金をまき散らすのも、心ここにあらず、自らの罪におびえ、おののくのみ。恋の狂気に捕らわれ、罪の深みに入り込む、深層心理では破滅願望というかもしれない、これが勘十郎の忠兵衛である。
 これに対し、玉女の忠兵衛は、あくまで端正に、色男としての型を崩さない。玉女の忠兵衛を見ていると、むしろ善人である忠兵衛に同情したくなる。
 友人の金を使ったのも、やむをえないことできっと返すだろう、という善人らしさがにじみ出る。だからここでの八右衛門は、より小意地の悪い性根が見える。玉女の忠兵衛の場合、封印を切ったのも、狂気であるよりは怒り、それこそ出来心、という言葉がふさわしい。
 愛する女のために、追い詰められて、という悲劇が成立する。しいて言えば、勘十郎は心理から入り、玉女は型から入る、という二人の芸風の違いであろうが、そのどちらも説得力をもって迫ってくるところに、この二人の素晴らしさがある。

 この二人の忠兵衛に対する紋寿の梅川は、どちらかといえば古風な貞女を思わせる。この年で、親のため周囲のためと犠牲になり、自分の意志をもつこともできず、流されるままにきた女、だが忠兵衛の犯した罪に引きずられたか、それを契機に、一人の愛する女となる。
 勘緑の手代伊兵衛、玉佳の国侍甚内、馬方までその風情を生きている。亀次の花車の年輪、遊女の勘市、一輔らの遊女のなかの可愛さ、禿は玉翔と玉誉。太鼓持の簑次もそれらしい味わいを見せる。
 しかし驚くべきは、この二人の忠兵衛の、いずれの解釈をも納得させた、淡路町の段の咲大夫、燕三、封印切の段の綱大夫、清二郎であろう。
 大阪の商家の風情、飛脚屋という商売の動き、忠兵衛の人となり、それらが耳から入ってまったく違和感なくそのまま目で見ているように感じ、その人物解釈のどちらをも納得させる。
 こうした悲劇の果ての道行は、景事というより一幅の絵、短い一幕の芝居である。英大夫の高音の安定した美しさ、文字久大夫の忠兵衛の悔い、狂気にせよ短慮にせよ、ここではようやく二人は自分を見いだし、わずかな時の間を生きている、その通い合う思い。つかの間でも、二人は幸せだったかもしれない。団七の音の中には、冷たい風の中で震える手、積み藁の匂い、日の翳りまでも含まれている。

 さて、終わってみれば充実したといえる舞台のはずなのに、心にかかることは晴れなかった。
 なぜ、この舞台なのか?と思えることのいくつかがある。なぜ景事が3つも入るのか、なぜ昼夜で同じ趣向の演目をするのか、そしてもっと上演すべき演目があるのではないか、という思いである。これは文楽をプロデュースする劇場の側の課題であろうが、それが果たしてどうなるかが見えないのがこの不安の種である。
 不覚にも、11月公演から吉田玉一郎の名が消えていたことに気づかなかった。玉一郎の役で、印象に残っているのは、99年11月、「盛綱陣屋」の段切れでの榛谷十郎、2003年9月の「義経千本桜」の善太、2006年4月の「寺入り」の下男三助などである。
 いずれも、舞台行儀のよい、気持ちのよい遣い方だった。やはり寂しさを禁じえない。
 ここのところ、櫛の歯を引くように、いつのまにか顔を見なくなる人が多い気がする。それも多くは若い人たちだ。そのことに危機感を覚える。
 玉一郎も、他の世界なら若手とは呼ばれない年代だった。そんな人たちが、人それぞれの事情はあるにせよ、自分の芸というものを出し切れないまま文楽を去っていくことを、劇場は、責任ある立場の人は、どう思っているのだろうか。
 「なぜなら、生きている者こそ神の誉れだからだ」という言葉がある。私たちはいま、ここで生き、舞台に命をかけている人たちにこそ尊敬を払う。しかしその人々の末端の一人をないがしろにして、そのようなものが続いていくはずがない。
 舞台は総合力である。その一人ひとりが力を尽くし、生きた感動を生み出すために、「この小さい者」の一人までもが生きて甲斐ある舞台を守り続けてほしい。それこそが国立文楽劇場の使命であると信ずる。

カウント数(掲載2/3、カウント2/4より)