生きる勇気――「京阪文楽」「11月公演」

森田美芽

 師走も押し詰まった12月23日、吉例の京阪文楽を見る。これがこの1年の文楽納めかと思うと感慨深いものがある。

 この1年、彼の舞台を十分に見、聞き、その成果を十全に語ることもできなかった。
 多忙は人の世の常とはいえ、そのことが口惜しい。このような悔いとも嘆きともつかぬ思いを抱いて、人は年を重ねていくのだろうか。
 そんな思いで向った会場で、聴きなれた筈の「新口村」で、なんともいえない感慨に捕われた。決して文楽向けの会場ではなく、音響も良いとはいえない。足拍子も響かないし、幅一杯を使っても足りない。
 だが、不思議に満たされて会場を出た。いな、この1年の彼らの舞台との出会いが静かに迫ってきて、その時々に満たされていたあの空気を、手ごたえを思い出していた。

 彼は「新口村」を何度も語っている。鑑賞教室で、西宮で、これまでも折に触れて取り上げている。
 私は正直言って、こうした親子の情を正面から取り上げる作品は苦手だった。しかし今回、この小さい会場で、燕二郎の三味線を正面から受け止め、舞台の隅々まで見ている間、その小一時間が最も充実し、短く感じていた。
 たとえばマクラの「落人の」の産み字の間が、ここにいたるまでの二人の時間の重さ、長さを感じさせる。
 忠三女房のせりふの呼吸とテンポの良さ、この笑いが一層悲劇を強調する。「京の六条数珠屋町」のクドキが、梅川の隠れた思いを明らかにする。また忠兵衛の無力さとともに、親にも妻にも憂き目を見させる男の悔いをにじませる。
 紋豊の忠兵衛の見事さは、さりげない中にもそうした性根を感じさせるところにある。道場参りの人々を梅川に教えるくだりも、自分の境涯にひきかえての嘆きがこもる。

 孫右衛門の登場。文司の代役を評価したい。親の苦衷、子への思い、怒りをぶつけるところがやはり老骨の一徹さを感じさせる。しかし何よりも、義理を重んじつつも子を思うその情に泣かされる。
 そして極めつけの紋寿の梅川。遊女であったという前身を感じさせない孝行な嫁であり娘としての性根、そのなかにもにじみ出る色気と美しさ。

 「平沙の善知鳥血の涙、長き親子の別れには、安方ならで安き気も、涙、涙の浮世なり」は圧巻であった。
 長く彼の浄瑠璃を聞いている身にも、語尾まで明確に、言葉尻がびしっときまって小ゆるぎもせず、腰のすわった浄瑠璃であることが感じられた。そして燕二郎の気迫が細部までこもる。
 師匠の名を継ぐべき責任感が加わり、一層の迫力となったのではないか。

 「日高川入相花王・渡し場の段」は、三挺三枚の編成だが、燕二郎の気迫に団吾の艶麗、喜一朗の力強さが加わって絶妙のアンサンブル。
 呂茂大夫は力強く声を出すが、そこに人の歩んできた重みが加わるよう精進してほしい。
 清之助の清姫はこの会場の狭さが気の毒だが、男を思う熱意から怨みへの転換が丁寧で、川を渡る迫力が見事。照明にもう一つの工夫があればもっと生きただろう。

 これほどの密度で生かされる時間がある。そう思ったとき、あの時、言葉にできなかった数々の舞台が胸に蘇ってきた。
 それはこの1年、舞台の中で与えられてきた、生きている充実感というものではなかったか。

 思えば、この1年、英大夫にとって、本公演でこれが今年の代表作、といえるものがあっただろうか。
 道行のシンであったり、「酒屋」の中であったり、昨年の「平右衛門」のような、内外に印象付ける一役、という形が思い出せない。
 その中で彼の力は内への充実と外に向けては共演者を生かすという役割に向けられたのではないか。
 これまで学んだことを再度確認し、未来に受け継ぐために、これらの時があったのではないか。
 そして、11月の「本朝二十四孝」の道行の心地よさ、艶やかさ。あれは彼らがのびのびと力を発揮していたからではないか。南都大夫の美声が豊かに伸び、久しぶりの貴大夫もためらいなく声を出す。咲寿大夫のさわやかな一声、団七の三味線の幾重にも響く豊かさ、団吾の手からあふれる響き、舞台上の紋寿と玉女のしっとりした風情。
 あの充実感は、あの長い通し狂言をいささかも苦痛と感じさせなかった。
 いまも思い出す。玉女の横蔵と勘十郎の慈悲蔵、あの見事な競演を。玉女の山本勘助の豪胆と知略、勘十郎の山城直江之助の涼やかなる深謀遠慮、それに紋寿の母の気丈が加わって、住大夫、十九大夫の至芸が花開いた。嶋大夫で簑助の八重垣姫を見ることの出来た幸いはいうまでもない。
 大序から狐火まで、入り組んだ構成の中に人の運命と表裏を織り込んだこの作品を弛緩なく上演できたという奇跡を今も思う。これが文楽の持つ底力なのだ。
 一瞬に、その一秒に、一生をかけた彼らの芸が火花を散らし、素人には判別不可能ながら、その芸の精度を保ち続ける。
 見えずとも内容があり、それを納得させる芸がある。そこに、無から有を立ち上げる彼らの底力がある。
 それこそが私たちに生きる勇気を与えてくれるのだ。むなしいと思える日々の苦役と労働の中に、神の時があることを、その充実に向けて生きているのだと。あの胸に迫ってきたものはそれに他ならなかった。

 痛いほどの冬の冷気の中に生駒山の山並みがくっきりと浮かび、その向こうに連なる葛城と金剛、紀州の山並みへと続いていく。
 それは彼らの道の険しさと厳しさを象徴しているかのようだ。
 英大夫のような38年以上のキャリアの持ち主でさえ、まだまだ歩むべき道程があり達すべき目標がある。
 ちなみに紋寿で55年(文楽座のみで)、紋豊で50年、清之助で35年であるが、若い弟子たちには気の遠くなる目標かもしれない。
 だが、そういう道を通るしか、芸に生きる人として本物にはなれないし、何より彼らは人類すべてのためにこの「無形遺産」を伝承する責務がある。一層の精進を期待し、すべての文楽の精鋭の方々に新年の幸多かれと祈る。