「義太夫熱患者たち」

2014年8月22日(金)
8/30の「はなつる会」発表会のパンフレットができました。 落語作家の小佐田定雄先生より挨拶文を寄稿していただきましたのでご紹介し ます。
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【義太夫熱患者たち】
「小佐田ハン。英大夫さんとお話したことあります?」
四角い顔でそう話しかけてきたのは桂吉朝さんでした。
「えっ! 英大夫さんて、文楽の? 豊竹の?」
と矢継ぎ早に質問する私に、吉朝さんは
「そうそう。河内の狭山の治右衛門さんの孫」
と落語ファンしかわからないシャレを言うてくれましたが、興奮していた私は 「治右衛門やない、若大夫さんの孫ですっ!」
と突っ込んでしまいました。
なぜ私が、せっかくの吉朝さんのボケを無視するほど興奮していたかと申し ますと、へそ曲がりな私は、最近の文楽では聴けなくなった豪快な若大夫師の 義太夫が大好きで、そのお孫さんである英大夫さんはとても気になる存在だっ たのです。
それに加えて、私と英大夫さんは同じ町内に住んでいた時期があるのです。具 体的に申しますとお隣のマンションの住人でした。ある日、近道をするために お隣のマンションの集合ポストの前を通りかかった私の目に、なぜか「豊竹英 大夫」という名前が燦然と輝いて見えたのです。学生時代から文楽に通ってい て、お名前だけは存じあげていた私は
「文楽の太夫さんも御殿やのうてマンションに住んではんねん」
と勝手に親しみを感じてしまったのです。でも、それから数十年経って後、そ のお人に
「世話甲斐もなき、役に立たず」
などと叱られながら義太夫のお稽古に励むことになろうとは、神ならぬ身の知 るよしもありませんでした。
それにしても、浄瑠璃ちゅうもんは難しいもんですなあ。三十年以前、枝雀 師匠のお誘いで、池田に住んでおられた女流義太夫の竹本角重師のもとに何年 か通わせていただいたこともあるのですが、『妹背山婦女庭訓』金殿の、お三 輪が豆腐買いに道順を教えてもらうくだりで挫折してしまいました。それ以 来、長らく入鹿御殿で迷子になっていたところを英師匠に助けていただいたの が二〇〇一年のことでした。
ところが今度は、尼崎のお寺の湯殿に入る前に行き方知れずになってしまい まったのです。私が怠けているスキに周りの同窓生たちはぐんぐん成長しては ります。その手近な例がうちの奥さん…くまざわあかねです。ひまがあったら 自分の部屋に籠って越路大夫や山城少掾といった名人の義太夫のCDを聴いて おりますが、ある日のこと、部屋から出てくるなり、私の顔を見て感に堪えた 様子でこう言いました。
「いやあ、山城は上手ですねえ」
…この人はいったい何になるつもりなんでしょうか? こんな義太夫熱の患者 さんたちが集まっての「はなつる会」です。
お師匠はん。お疲れさんです。
三味線の師匠方、お大事に。
いずれ私も患者として再診を受けに参りますので、その時はよろしゅうに。