御霊神社で素浄瑠璃

小雨のなか、正午、七部咲きの境内の桜に迎えられ儀式殿前にタクシーで到着。
雨にもかかわらず大勢のかたが来場。
朝から神社にチケットの問い合わせが数件。
当日いらしたかたは皆、お断りしたらしい。
胸が痛む。
2時から小佐田定雄先生の司会で桂雀松さんと対談。
雀松さんも小佐田先生も義太夫教室の生徒。
黒門町の桂文楽師匠から譲り受けた見台の話等。
続いて雀松さんの落語「寝床」。
これがまた絶妙珍妙。
義太夫の稽古を4年くらい続けてられる気強さも手伝い、枕のお稽古関連の話には会場がどよめく。
最後まで笑いが途切れないから、僕が出番の頃、ここがホンマの寝床になるんちゃうか?と楽屋にいて不安になった。
今日は素浄瑠璃初体験のひとがちらほら見えてるし、なにせ、「寺子屋」一段、1時間10分の語りだから。
さて、語り出しの時。
後方正面にカメラを構えるひとの姿が!コリャまずい。
去年の札幌ゴスペルを思い出した。
札幌の夜の部の折り、正面からまともに語る僕を撮り続けるひとがいて、キレて扇でやめるよう合図したことがあった。
あとで清友さんにたしなめられたが。
今日も同じや!しかし、数回シャッターを押しただけで立ち去ってくれたからほっ!逆に浄瑠璃に集中できた。
源蔵戻りのあいだ、目一杯思い入れしたので玄蕃と松王が出てきたとき、最後まで体力持つかいな?と超心配。
しかし、百姓が出てきて少し落ち着く。
首実検まではまた、息つくひまなし。
みると会場、ピタッと一心同体みたいになってる。
自分が自分でなく、全員がひとつの身体みたいな感じ。
傷心の松王が病気保養を願い引き下がると、今度は千代が帰ってきて、大愁嘆。
松王も合流し、泣き笑いへ。
すすり泣きの声か微かに聞こえるようだが、会場全員微動もしない。
イロハ送りになると声は使い果たしている。
渾身の感情勝負で段切りまで。
明治17年9月に御霊神社内に文楽座が建築された。
その見台開き(柿落とし)の時の出しものが『菅原伝授手習鑑』の通し。
「寺子屋」を語ったのが二代目越路大夫(のちの摂津大掾)。
浄瑠璃の神々が降りてきて、場にいる全員を包みこんでくれたんや。