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森田美芽先生からは、今年の提尾を飾るお便りが寄せられてます。
すりょんさんと大矢さんは僕の毎日義太夫発声ゼミの生徒。
すりょんさんは人の意見に左右されず、自分の感性を確固たる座標軸においてるところが、えらい。
できるようで、できない。
松香大夫兄の新口村の孫右衛門のサイゴの絶叫、津国大夫さんの弥次喜多の和尚、今回の京阪文楽での貴大夫さんのコトバ、…評価の視点が独特で面白い。
大矢さんは多忙で教室を最近欠席しているが、僕を《お日さんのような明るい、オーラのあるオヤジ》ととらえてくれていて、嬉しくなる。
桂川さんは東京にお住まいの、幼少時からの筋がね入り古典芸能ファン(クラシカル日本映画にも精通)です。
先日、CSで1972年の東京国立劇場での通し上演「菅原伝授手習鑑」の録画を御覧になった、とか。
僕は大どっさりの「大内天変の段」を語っていたのですね。
25歳の僕が、退座された勝之輔兄さんの三味線で語っていたんや。
そういえば、あれ以来、あの段の上演はありません。
僕、入門五年目ですか。
よく調べてはりますねえ。
「大内天変の段」は先代の寛治師匠に住吉のお宅でお稽古していただきました。
桜丸夫妻の亡霊が出てくるところは、鼓唄という珍しい節がついていて、熱心に教えていただいたのを覚えてます。
そう、勝之輔兄さんは僕より少し年上の腕っ節の強い人でした。
辞めはれへんかったらなあ…。
人形遣いさんでも、勘十郎さんや玉女ちゃんと同期の昇二郎君という立役も退座せずに今いてたら凄い人形遣いになっていたやろなあ…もったいない。
それからあの当時まだ地下鉄有楽町線やら半蔵門線は開通しておらず、JR四谷駅やら地下鉄丸の内線の国会議事堂前から歩いて劇場に通ってましたわ。
そうそう、終演後の劇場バス(新宿・四谷・赤坂見附行き)というのもありましたなあ。