文楽若手素浄瑠璃勉強会。

盛会になりました。
客席も満杯。
評論家の先生方や新聞記者の皆様の顔も見え、真に感謝。
さて早速、美芽先生より感想が届きました。
→《…希大夫さんの「夕顔棚」、清公さんと共に、本当にきっちり楷書の芸ですね。
まずはしっかり声を出し、最後まで音や節を間違えず、その中で婆の詞がよく聞こえたのが印象的でした。
人物ごとの音の高さも忠実に守っておられましたね。
清公さんも技芸員になられて半年にしては立派です。
呂茂大夫さんの「花渡し」、やはり一日の長、しっかりとした発声で義太夫の雰囲気をよくつかんでおられます。
時代物の詞が見事です。
以前お師匠さんが「花渡し」で言っておられた、入鹿は軽く浮かすように、ですか。
そのあたりも忠実に守って、大笑いも息をうまく使っておられました。
大判事も定高も位取りがよく、最後まで声を保たせられたのはさすがです。
清丈さんも力の入った三味線で、雰囲気もぐっとよくなってきたように思いました。
咲大夫師のお弟子さんの南都大夫さんの「淡路町」、やはり年季の差を痛切に感じます。
世話物は、人物像も詞もぐっと難しくなりますね。
さすがに南都大夫さんは、妙閑の昔気質、忠兵衛の恋につかれた思い、この場の八右衛門の男立てなど、少しはやめの詞の端々に感じられます。
「おいてくりょ…いてのきょ」の繰り返しは、以前鑑賞教室でもされたと思いますが、ずっと忠兵衛のためらいが感じられ、地獄へ向う一歩となる皮肉を感じさせました。
三味線の団吾さんはやはり若いお二方と違い、太夫に沿って太夫を語らせ、しかも自分の自律性を失わない、穏やかに鮮やかなアンサンブルでした。
でも段切れ近くは気迫がこもり、どちらかといえば気品に勝るお二人が、何か一つ乗り越えて表現に向われていた、そんな気がしました。
また、お師匠さんとしての英大夫さまのご指導のしのばれる会でもありました。
義太夫を語ることは、本当に難しく、まずきちんとした声で最後まで語ることから始まって、文章と節を間違いなく語る段階から、その中に人物や物語を感じさせる段階、さらに物語世界に迫っていく段階、そうした上で情を伝える段階とあると思います…若いお弟子さん方に、その段階に応じて稽古をつけ、指導していく、間違いなく情を語る方向へと向けていかねばならない…お弟子さん方も、本当に師匠方の教えを守り、懸命にその段階を登っていこうとされている、その姿勢に打たれました。