本田竹広氏。昨日の続き。

竹広氏は《クラシックを目指していた国立音大の学生時代にジャズを知り、転向。
渡辺貞夫さんに抜擢された・・・78年にネイティブ・サンを結成し、和製フュージョンの先駆けになった・・・山下洋輔さんは「本田君はクラシックでもすごいピアニストになっただろう。
だが、結局、ジャズに向いていた。
荒ぶる神だ、と私は思っている」と話す・・・》←朝日の追悼記事より。
2003年の9月に吉祥寺のライヴハウスでゲスト出演して彼と義太夫でセッションした。
あの時は石川さんと辻君も駆け付けてきてくれたなあ。
息子の本田珠也さんのドラムも凄かった。
あの時の録音もCDにして保管している。
それから、2003年2月の『お彼岸ゑ』。