凄い!→中江兆民著『一年有半・続一年有半』井田進也校注。岩波文庫

執筆経緯を年譜で辿ってみました。
明治34年(1901)1月上阪。
越路太夫の『寺子屋』を聴く。
4月大阪にて喉頭癌余命一年半との診断を受ける。
この間、堀江明楽座で大隅太夫の『鮓屋』、文楽座で越路太夫の忠臣蔵『七段目』と『九段目』を聴く。
5月文楽座で越路太夫の忠臣蔵を妻と共に二度聴く。
また明楽座で大隅太夫の『太十』を聴く。
気管切開手術を受ける。
6月『一年有半』の執筆開始。
明楽座で大隅太夫の『壷阪』を聴く。
8月『一年有半』脱稿。
9月『一年有半』が幸徳秋水の周旋で博文館より刊行され、初版一万部を3日で売り尽す。
帰京。
余命四ヶ月の診断。
『続一年有半』を10日余りで脱稿。
10月『続一年有半』を博文館より刊行。
11月症状一時好転するも、下旬意識混濁が始まる。
12月13日悪液質性衰弱により死亡。
享年55歳。
17日青山会葬場で告別式(無宗教『告別式』の嚆矢といわれる)。
←死迄の八ヶ月間の凄い集中力と文楽通い…大隅、越路を聴いたから死んでも悔い無し!と言う言葉の真実が伝わってきまんなあ。