楼門の床本の整理

楼門は昭和55年に燕二郎さん(研修生を経て入ってきて間もない頃と思う)と若葉会(当時の若手技芸員19人の素浄瑠璃勉強会)で初めて語った。
難関やし、エライし、これ終ったら大夫辞めるわ、とかいいながら毎日、燕二郎さんと稽古していたなあ。
丸太町の越路師匠直々のお稽古の時は決死の覚悟だった。
夏で、汗が吹き出し、浴衣でびしょびしょ。
稽古のあと、師匠に苦笑されながら、シャワーを浴びろ、と言われ、妙にホットしたことを覚えている。
あれ以来だ。
和籐内は大音無比、錦祥女は高音至難節遣い、じいさんばあさんにはハラが要る・・。
気ばかり焦る・・。