カテゴリー別アーカイブ: 美芽の“若”観劇録

熊谷の涙―2022年11月公演―

森田美芽

時代物の主題は、主人公の男性が父であり夫である前に、主従関係の下にある者に負わされる苦悩と葛藤である。それがどんなに残酷であろうと、その理不尽な命令を下す主君も、従わざるを得ない部下も苦しむ。それ以外の解決はないのだろうかと思わされる。にもかかわらず、その悲劇に心惹かれるのは何故だろう。11月文楽公演を見ながら思った。

 第一部『心中宵庚申』
「上田村の段」千歳太夫、富助。「五月雨」「落とし水」「玉水」と重なる言葉の流れと節が美しい。のどかに見える中に、父の病、妹の突然の帰郷、緊張を含んで、お千代の出。うちしおれた風情、姉はなかなか気づかない。「恥づかしや、また去られて」の「また」が深く残る。妊娠中なのに姑去りの仕打ちを受けるお千代の痛ましさに、父平右衛門の情けが染み入る。自身も明日をも知れぬ病でありながら、「案じらるるは子の身の上。」と娘を労わる。
そこへ事情を知らぬ半兵衛が訪れる。父が娘ゆえに婿に迫る。「今こそ町人八百屋半兵衛、元は遠州浜松にて山脇三左衛門が倅。武士冥利商ひ冥利」と、半兵衛にとって決定的な一言を告げる。この武士としての矜持のゆえに、彼は、舅平右衛門への言い訳と、養母への言い訳に逃げ道を失うことになる。水杯と門火の、悲劇の予兆。「灰になつても、帰るな」の一言が痛々しい。全体に流れる哀切さと父の思いを託す富助の糸。
千歳太夫の、父島田平右衛門の情愛のこもった語りが胸に響く。姉おかるの造形がやや軽く感じた。彼女もまた、惣領娘としての矜持と人を使う苦労を知る者なのだ。そこに現れる、父としての島田平右衛門(玉也)の厳格さと思いやり。『野崎村』の婆の父バージョンのようだが、ずっと厚みがある。娘可愛さのゆえに、「あれが何の武士の果て、鰹節の削り屑。人でなし」と婿の半兵衛を罵る。豪農としての器量、格、その厳しさと矜持。姉のおかるはやや軽い感じで、姉というより妹のような感じになる。簑二郎はよく遣っているが、勘十郎が圧倒的すぎるのだ。
「八百屋の段」呂勢太夫、清治。呂勢太夫の人物が生き生きとして聞こえる。新靭の日下がり、町の賑わいや町内衆の雰囲気、その中で独特の雰囲気で登場する八百屋女房。悪婆の首だが、どこか憎めない愛嬌は勘壽の業。だがその言葉の端々に、この家の問題が案じされる。八百屋の主人伊右衛門は「寺狂ひ」つまり現実逃避しており、女房は口やかましく一人店の使用人を追い立てる。西念坊の斧右衛門かしらの面白さを表出する亀次の確かさ。
戻った半兵衛の、婆への必死の「十六年この方たつた一度の御訴訟」。なぜこれほど婆はお千代を嫌うのだろう。嫁と姑が分かり合えないのは昔からとはいうものの、この一家の場合は母と息子がすでに生さぬ仲であり、義理の関係である。そのために半兵衛が、どれほどこの家で気を使い、義理の父母の気に逆らわぬようにしてきたか、切ないほど感じられる。本当なら、彼にとっても唯一心を許せる家族であったはずが、その妻が義母と不仲である。現在であれば、不仲であれば別居するか、嫁も自己主張できるのに、と。あるいは、もしお千代がこの時代であっても、抵抗する強さを持っていれば、事態は変わったかもしれない。彼女は従順でありすぎた。

それを言っても詮無いことだが、いったいいつ、半兵衛は死を心に決めたのだろう。それは上田村で、舅である島田平右衛門になじられた時ではなかったか?お千代を離別したくはない、しかしあの母を説得するすべもない。親二人への義理を立てること、それが、お千代を離別して心中することだった。何という痛ましさ。本来なら、若い夫婦と、その間に生まれる子にこそ未来はあるべきものを。この家を去る、がこの世を去る、に、なぜ、ならなければならなかったのか。

近松はこの嫁姑問題の理由を明らかにはしていない。ただ、どうにかならなかったか、という思いだけが残る。婆の一瞬の優しさやけたたましさも含め、これほど、人の心はすれ違うのかという悲しみを描いて余りある清治の糸。
「道行思ひの短夜」お千代を芳穂太夫、半兵衛を南都太夫、ツレ咲寿太夫、聖太夫、薫太夫。三味線は錦糸をシンに勝平、友之助、燕二郎が並ぶ。南都太夫の半兵衛の詞が、「つらい目ばかりに日を半日、心を伸ばすこともなく、死のうとせしも以上五度。」の切なさ、嘆き、苦衷をじんと心に堪えさせる。
人形ではやはり、勘十郎のお千代。受け身的で自らの意思を強く出さない、勘十郎の得意な動きも押さえて、それでもその一つ一つが胸に迫り、哀れに動かされずにはいられない。対する玉男の半兵衛。武家の生まれという矜持、義理を立てるために、我が身と命は惜しまないという生き方を貫くため、自分だけでなく、最愛の妻も、その子も失うという悲劇。不器用なというより、そうしなければならない、に追い詰められていく潔さと性急さ。

第二部『一谷嫰軍記』三段目のみの上演。「敦盛出陣」も「陣門」も「組討」もない。すでに終わってしまったことへの、残された人々の悔いと嘆きの物語である。
「弥陀六内」睦太夫、團吾。弥陀六の一癖ありそうな佇まいを玉助がうまく表出し、簑紫郎の小雪の愛らしさが目を引く。清五郎の敦盛が出から凛々しく、品格を感じさせる。これらの人々の動きをわざとらしくなく、自然に運ぶ睦太夫の語り、團吾の、人物一人一人に沿った糸。良質の始まり。

「脇ヶ浜宝引の段」咲太夫休演につき織太夫が代わり、燕三が支える。ツメ人形での人物一人一人の個性を表出して笑いのうちに進める。これを語りきる織太夫の勢い。いまや、語りの勢いという点では、師にも勝るだろう。だが、やや冗長にも見える。これが生きるのは、序段からの流れの中のチャリ場だからだ。百姓たちのおかしみも、前段の深刻な悲劇があってこそである。それでもこれだけの長丁場を語り切る力は素晴らしい。勘市の番場の忠太、前半玉彦の須股運平など笑わせてくれる。

「熊谷桜の段」希太夫、清丈。このところ進境著しい希太夫だが、ここでも見事。マクラの「行く空もいつかは冴えん須磨の月」の声がよく伸び、「一つも読めぬ」の呼吸の良さ、相模と藤の方の再会の語り分けも自然に聴かせる。清丈も全体をわきまえ場に応じた三味線が良く響く。
そして名実ともに三段目切の「熊谷陣屋の段」。前、錣太夫、宗助。ここまでですでにある程度時間が経過している。その重さを熊谷の歩みが示す。語ることのできない事情、あくまで秘めなければならない事実の重さ、錣太夫は情を込めて語る人なので、「討って無常を悟りしか」や「手傷少々負うたれども」「もし急所なら悲しいか」など、どこかにその肚を感じさせてしまう。宗助は熊谷の物語、「さても去んぬる」からの三味線が見事。また、ここでの藤の方(一輔)の嘆きと相模(和生)の対比が皮肉にも見える。

「こそは入相の」から、呂太夫、清介。このマクラの内にも、「鐘は無常の、時を打つ」だけで、夕刻、夜へと急ぐ空気、複雑な女たちの思い、背景の陣屋の動きまでが込められている。青葉の笛に映る影、首実検の緊張。嘆きも見せず制札を取り女たちを制する熊谷と、平然と実検する義経。相模は先ほどと立場が逆転し、しかも泣くことも許されない。この残酷な身代わり劇と、それを強いた義経。何のためにかといえば、それは敦盛が院の忘れ形見であったから。そのために、小次郎は犠牲にならねばならず、熊谷は我が子を自分の手で殺さねばならなかった。逆らいようのない武家の倫理の酷さを、むしろ淡々と、自然体で語る呂太夫。それでいて熊谷の無念さと相模の嘆きは否応なしに迫ってくる。

さらに弥陀六が弥平兵衛宗清と自らを現し、全ての根源が自分にあることを彼も悔いる。ただ一人平家生き残りでありながら、その滅亡の原因を作ったことも。「テモ恐ろしい眼力ぢやよなあ」からの長い告白、さらに「播州一国那智高野」と畳みかけるそのリズムは、この悲劇がどちらの一族にとっても悲劇となっていることの悔いであろう。この上は熊谷には、この輪廻を逃れる出家の道しか残されてはいない。「十六年も一昔。夢であつたなあ」の一言。見えない涙が見えるように感じた。このドラマのクライマックス。そこに物語の全てが収斂するように、一人一人の思いがその熊谷の一言に集約されている。救われた敦盛も、その母藤の方も、宗清も、さらに義経も、相模もまた、戦いの続く限り、その悲劇の連鎖から逃れることはできないのだと。
『一谷嫰軍記』が名作なのは、源平の合戦の本質をそのように熊谷個人の運命と共に描き切っているからではないだろうか。呂太夫と清介は、この物語の全体を見据えての三段目切の格を作りだした。時代物の三段目は物語世界の集約であり、特に切場はそれに至るすべての人の努力がここでその意味を明らかにし、それまでに蓄積された人間関係や背後の事情や思いが収斂する、最も魅力的な場である。だからこそ、この場を語る太夫と三味線は、すべての演者の努力を担って、ここで結実させる重責がある。呂太夫と清介は、その意味でこの公演の中心たる役割を見事に体現して見せた。

人形では、玉志が圧倒的にスケールの大きい熊谷を遣い、最後まで肚を割らない覚悟と諦めを秘めた苦悩の人物を描きだし、和生の相模はすべて心で受ける演技。一輔の藤の方の品位の高さに打たれる。玉佳の義経は知将の位が勝る。弥陀六の玉助のモドリは圧巻。この人形陣のバランスも見事。

第三部『壺坂観音霊験記』「沢市内より山の段」。通常「土佐町松原」を出すが、いきなり「沢市内」だと、お里の境涯、貞女でありまめやかな良妻であること、それを周囲がどう見ているかが十分わからないで、いきなり物語の中に飛び込む感じが強い。お里が出た時も、それが誰なのかが、どう受け止めるのか、客席も戸惑いを感じるようだった。それでも藤太夫は團七の糸とともに、この小さい夫婦の住まいを包む貧しさの中での連帯を、またそれにまつわる沢市の鬱屈を、丁寧に描き出す。なぜお里は、目が見えない夫をこれほど愛しているのか、それは、単なる封建道徳などではなく、「三つ違いの兄さんと言うて暮らしているうちに」という、確かな時間と生活の積み重ね、そこで培われた信頼があるからではないだろうか。
お里にとって、他人からの評判などより、沢市と、彼との生活こそが、愛すべきもの、最も大切な守るべきものであったに違いない。だからこそ、沢市の疑いにあれほど怒り、彼を失うと思ったとき、身も世もなく嘆き、狂乱し、後を追って身を投げる。清十郎にはそうした力と情熱を秘めた女性がよく似合う。一方、簑二郎の沢市は、そうした妻の心よりも、男としてのプライドや、自分が障がい者であるという引け目のために、妻の愛を信じることができない。彼女が毎夜抜け出すことを、他の男の関係を疑うほどに。

後半は三輪太夫、清友、ツレ清允。この段切れは、観音が出てきて二人が癒される奇跡だが、それを引き起こしたのは、やはりお里の信心と愛以外の何ものでもない、という感を強くする。

一日の最後に、『勧進帳』。織太夫、靖太夫、小住太夫、津國太夫、文字栄太夫、亘太夫、碩太夫らが並び、藤蔵、清志郎、清馗、寛太郎、清公、錦吾、清方が合わせる。織太夫の弁慶の朗々たる語り、山伏問答の畳みかける激しさが、見えない戦いであることを示す。弁慶の玉助の豪快でスケールの大きいこと。左にベテランの玉佳、足は玉路。花道の引き込み、飛び六法を豪快に見せる。富樫は玉志で、対峙する貫禄十分。紋臣の義経は、やや遠慮深く見えた。理屈抜きに楽しませる力ある一段にまとまった。

この公演では、自分の思いを引き裂かれる男の悲劇がより心に迫った。泣くことを許されない男の立場の苦しさを、半兵衛は妻を殺して心中し、熊谷は出家し、沢市は自らを殺すことで、弁慶は主君を金剛杖で打擲し、そのことを悔いる。だが、その悔いはなぜ起こらなければならなかったのか。そのことにどうしても、割り切れないものが残る。悲劇を回避するすべは、本当になかったのだろうか。文楽の男の持つ悲劇性は、実はいまも続いている、「男はつらいよ」という、「強さの幻影」につながっているのではないだろうかと思える。犠牲になるのは女子どもだが、それを招いているのは男たちなのだ。なぜその運命から逃れることができないのだろう。その不条理が、文楽の永遠の魅力の基なのかもしれない。

掲載、カウント(2022/11/29より)

国立劇場さよなら公演  巷に静かに雨が降る―「白石噺」の世界-

森田 美芽

 『碁太平記白石噺』は、しばしば正月を飾る華やかな舞台である。しかし本来は、江戸浄瑠璃の仇討もの、それも由比正雪の乱や南朝の再興などの内容を盛り込んだ複雑な物語であり、その中に、華やかな廓と対照的な娘の田舎言葉、生き別れの姉妹の再会、父を殺された悔しさをぶつける妹、仇討を決意する姉妹の健気さ、それを押しとどめる親方の情ある詞など、いくつもの見せ場、聞かせどころがあり、単独で見ても面白い。というより、その難解な部分を避けて、「新吉原揚屋の段」を中心に上演されてきた。今回の国立劇場は、その発端となる「逆井村の段」を51年ぶりに上演することで、姉妹の詞の端々に匂わされてきた背後の人間関係が明確になり、物語の全体性を理解させるものとなった。

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第一部『碁太平記白石噺』「田植の段」中、咲寿太夫、友之助。遠く山々を望むのどかな田植えの風景、ツメ人形の百姓たちにも表情があり、生き生きとした笑いがある。咲寿太夫、その音程による人物の語り分けが丁寧になされている。マクラの歌もそれだけで風情を表す。友之助の変化に的確に合わせる技術。

、藤太夫、清友。この一家の無念な状況。与茂作の「土に喰ひついても稼ぎ溜めて」の貧困、娘を身売りさせていること、さらに騒動に巻き込まれて無念の死を遂げながら、証拠のない悲しさ。村人たちの「庄屋殿、ええかい」の繰り返しのリズムと強弱と間にも、身分ゆえの悲しさが漂う。清友の手がこのリズムを作り、無念を表す。
51年ぶりの「逆井村」の段。中、靖太夫、勝平。靖太夫は緊張しながらも、伸びやかに声を出す。婆の詞の難しいところをよく伝えている。勝平はよく性根を読み込んだ三味線。

、千歳太夫、富助。変化が多く様々な要素を求められる難しい段。しかも嘆きが多く、最後にそれを転換させねばならない。そうしたエネルギーと情熱のいる一段。千歳太夫はよく語りきった。たとえば「聞き分けよヨ、ヨイヤイヨ」のところは「忠臣蔵 身売り」の婆の嘆きのようでもあり、また「それでも早う姉を取り戻さにや」などのあせり、殺された与茂作を前にごまかす七兵衛と自分の思いで語るところは、「野崎村」の目の見えない婆のようでもある。それに対し、自分の妹に向けて嘘を言いながら「南無阿弥陀仏」と挟む、その切り替えの面白さ。
さらに谷五郎が戻ってきてからの立ち回り、台七との対決、段切れは兵部之助が正体を現し、2人が決まるところは『尼崎の段』の段切れを思わせる。こうした変化の端々に、富助の切っ先が冴える。
人形では玉志の兵部之助の怪しさと清十郎の谷五郎のさわやかさが好一対。玉也の七郎兵衛が誠実さと妹一家への情味を、簔二郎のおさよが哀れさと嘆きを好演。玉勢が台七の悪を大きく遣い、玉輝は武氏かしらの与茂作の実直と無念を示す。玉峻が休演で代わった玉路が軽快な動きで百姓七助を遣う。
第二部「寿柱立万歳」三輪太夫、團七をシンに、希太夫、薫太夫、文字栄太夫、寛太郎、燕二郎、清方らが並ぶ。国立劇場新築の寿ぎの入れ事も含め、1本から12本までの柱を4人の太夫がリレー式に語り、三味線もそれに合わせる。太夫は文哉、才蔵は簔一郎。根が真面目な人が揃い、大真面目に笑いを取る。ユニークで楽しい一幕。團七師匠にはぜひお元気で舞台に立ち続けて頂きたいと願う。
『碁太平記白石噺』浅草雷門の段。口、亘太夫、團吾。亘太夫はしっかりと発声し、どじょうや観九郎といった小悪党の面白さ、娘おのぶの愛らしさがよく聞こえる。團吾は楽しく聞かせるが、惣六の出などに重みを感じさせる。

、咲太夫、燕三。無論不足のあろうはずもないが、やや声に疲れを感じる。どじょうと観九郎のやり取りなど、もう少し笑いが起こってもいいはずのところ。また、この2人の背景も気になる。燕三もよく支えているが、白湯汲の席での咲寿太夫の真剣な眼差しが印象に残る。どじょうの勘市、切れのよい動き、キャラクターが立っている。観九郎の紋秀、表情を変えないが、抜けたところのある悪党の面白さ。惣六は後述。

切、「新吉原揚屋の段」呂太夫、清介。冒頭、華やかな色町の三味線も節も大阪とは違う。呂太夫のマクラ、「入相の鐘さへ早く」で色が変わる、時が動く。「廓のうちは万燈会」でほっと光が差し、「歌舞の菩薩の色揃へ」で、廓の女たちの世界が人びとにとって優しく魅惑的に広がる。全盛の宮城野太夫の美しさ、位、その中にある品格、色っぽさよりも、もとは武士の娘との香が漂う。一転して賑やかな、女郎たちの会話。その中で無理やり        引きたてられてくる娘おのぶのおぼつかなさ、不安。

おのぶの詞が素晴らしい。この東北訛りの特殊な詞をユーモラスに、しかもおのぶの純情が伝わるように、的確で心温まるな語り。「塗りこべえた」「色(いんろ)のよさア」「皸(あかぎれ)さあ引つかかって、うつ切れべつちや、おやつかなたまげ申す」のアクセント、もちろん意味がすぐ分からなくとも、おのぶの必死さがよくわかる。
そして「父(だだあ)」「母(があま)」「赤はらはたれ申さぬぢゃア」というキーワードの印象深さ。この言葉で宮城野が、自分の故郷の人だと納得したのがわかる。宮城野も、長く家族と生き別れ、再会の時を待っていたことが胸に迫る。だからこそ、このあと二人になって、互いを認め合う時も、一旦姉のしるしを求め、そうしてようやく再会を喜べる、そんな境涯に置かれた悲しみも。

おのぶの姉への打ち明け話、「父は犬死に」「8月18日に、悲しやつひに御死にやり申いた」の痛ましさ。その悔しさに「何の奉公どころかい」と呻くような語りに呼応して、姉宮城野の詞も、わずか12歳で身を売らなければならず、親の死に目にも会えなかった悲しみが伝わってくる。そのあとの「姉が許嫁の夫この江戸に居やしやんすとのこと」が、立体的に響いてくるのは、その前の「逆井村」があるから。

そして惣六の裁き、情に溢れ理を説く長い詞も弛緩なく、曽我物語を引いて仇討の気持ちを理解しながらも、いまはその時でないと納得させる懐深さ、ここは勘壽の人形も相まって、後半のクライマックスとなる。
「逆井村」と合わせて見ることで、これらの詞の背後にある思い、人間関係が明確になり、伝わるものがさらに立体的になる。おのぶの性根がより強く、彼女のしっかりとした姿勢、親から引き受けたものの重さ、宮城野の格の意味するものが伝わる。呂太夫の語りはしっかりとその物語の全体性を踏まえた奥深さをより強く感じさせるものとなった。ただ、これでも物語全体ではないため、全通しに近い形での復活は望めないだろうか。

段切れにまた三味線の独奏が、物語を華やかに締めくくる。宮城野の和生は手慣れたものだが、やはり遊女といってもその品格が伝わる。おのぶの一輔、愛らしく可憐な中に、父母を殺されて仇討に向かう強い気持ちがしっかりと出る。
客席を見て、東京公演にも拘らず空席が多いことに、まだコロナの影響が大きいことを切実に感じる。9月の雨が続き、晴れやらぬ空に思いも沈む。来年、国立劇場は改修のため長い休館となり、その間の公演のことはまだ詳細はわからない。懸念されるのは、やはり文楽専用の劇場でなければ、できない演目や役場があるのではないかということ。
7年後の再開時に文楽はどうなっているだろう。拠点のない状態で、腰の据わった修行ができるのだろうか。いま、一人ひとりが力の限り舞台に向かっているのは言うまでもない。だがそれだけではない。この20年ほどに上演が絶えている演目、通しの復活、適切な配役による芸の継承、それらの課題を一つ一つクリアしていかねばならない。その見通しはまだ明らかではない。
ただ、雲の彼方の青空のように、確かに見失ってはならないものを、私たちは見つめ、それを手放さないこと。彼らの舞台を見る、それは暗鬱な世にも、希望があると信じたいから。

掲載、カウント(2022/9/19より)

もう一人の「辻」―2022年夏公演―

森田 美芽

呂太夫、清介の『花上野誉碑』「志度寺の段」を見て、また、眩暈のする感覚に襲われた。三味線が低く、その旋律を繰り返している。太夫は、「南無象頭山金毘羅大権現」「南無金毘羅大権現」と繰り返す。
その狂気のような激しさで全身全霊を込めて祈るのは、清十郎の乳母お辻。馬鹿げている、これは仮病で、伯父の指示で口のきけないふりをしているだけなのに、と、心のどこかで冷笑していたはずが、あまりの迫力に、お辻の哀れさ、執念、狂気じみた激しさに、それを忘れ、夢中で見つめ、思わず拍手してしまう。
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文楽の、いわゆる切場というのは、現代のわれわれから見れば不自然なことも多い。だがそれにも拘らず、というより、理不尽で不自然なことだからこそ、現実を超えたリアリティを直接的に感覚に知らしめ、納得させるものがある。この「志度寺」においてもそれを感じ、同じ名を持つヒロインで、前に呂太夫・清介コンビで上演された『摂州合邦辻』の「合邦住家の段」における玉手御前(本名はお辻)をふと思い出した。

両者はともに忠義のために命を懸ける烈女であり、周囲の制止も聞かず暴挙に及ぶ。そして刃に刺されて死ぬ。しかし玉手御前はあくまで自分が書いたシナリオのための暴挙であり、その目的は夫高安左衛門尉通俊への忠義のために継子の俊徳丸の命を助けることであり、激しければ激しいほど、その奥にどうしても自分を刃で刺させなければならない理由とそのための計算がある。
それに対し乳母のお辻は、盲目的な母性愛と、そのために自分を金毘羅大権現への犠牲とする。彼女自身はあくまで坊太郎の病気の本復を願うためであり、薬も祈祷も効かず、最後の手段として金毘羅大権現に祈誓をかけ、そのために胸に刃を突き立て、水垢離を取りながら必死の祈りを捧げるのだ。だからこそ内記が真実を告げた時、お辻は「艱難辛苦も水の泡」と絶望する。その絶望の深さが痛々しくも哀れである。

無駄死にというなら、これほどの無駄死にはないとさえ思える。思えば、出の時から、彼女は断食のためやつれ果て、しかも底に自害の覚悟を定めていたことになる。主君の、またその子の敵討ちのためなら、何という痛ましい犠牲であることか。
彼女が最期に見る金毘羅大権現の降臨も、彼女の一念が引き寄せた幻影ではないかとさえ思える。それほどこの物語は、お辻の一念のみがそのリアリティを与えている。そして、その絶望からの遥かな希望への転換を生み出したのが、この彼女の一念なのだ。そのことを納得させられるか否かがこの芝居の成否を分ける。そしてそれを可能にしたのが、演者の力である。

の希太夫、人物を的確に語り分け、その性根を示す。「昔の姿いつしかに」の節の綺麗さ、民谷源八の死の無念、「志度の浦風に、磯浪寄せる如くなり」も、切場へのよき備え。清友の丁寧な導きで全く不安なく聞ける。

、藤太夫、藤蔵。「泣く泣く立つて行く」のマクラからの菅の谷の思い、「そなたのその親切が、届かいで何とせう」が響く。その後の森口源太左衛門の悪人ぶりがよい。坊太郎に向かって「業晒しめ」と罵詈雑言、だがどれほど高慢であっても、所詮田舎武士の性根が分かる。藤蔵も力を籠め、方丈の貫禄、菅の谷の気品、団右衛門の軽薄さなど、スケールの大きい描き方である。

、呂太夫、清介。前半の、お辻の坊太郎への思いを込めた語り掛け、「いかに頑是がないとても」と嘆きつつ、父の無念、侍の子たる誇り、何としても敵討ちさせたい、なればこそこの不始末は、との思いがあふれ出る。
だからこそ、桃を盗んだ言い訳を見て「よう盗んでくださった」と矛盾したような、しかしそう言わずにはいられない思いが伝わる。ふっと笑いが入る。一転してかの水垢離の場面も、この思いが一念としてあればこそ、というのが伝わる。清介は、「合邦」の時と似て、ここも三味線の独壇場ともいえる場面が続く。清介の、弛緩なくクライマックスに持っていく、またその強さを維持する集中。

呂太夫の語りは、この集中を生み出している。見る者をも引き込み、異なる次元の論理を否応なしに納得させる、不思議な強さ。息を詰める、太夫は語っているが、その語り自体に呼吸と意識と声が一つの方向に向かって揺るぎない世界を作り出すその集中。そして切場語りとして、この二つの「お辻」の狂気の中の真実と救いを描き出す力を強く感じさせられた。

そしてお辻の人形を初役で遣う清十郎も、武家の誇り、親の縁の薄い子への母性溢れる優しさ、それだけでない、狂気に至るその一念を見事に遣った。
その目に見えた金毘羅大権現が彼女の真実であろう。坊太郎の後の敵討ちの成功に、彼女は直接関わってはいない。なのに彼女がそれを実現させたように思える。狂気の中の真実、絶望の中の希望。不思議な弁証法がここに成り立つ。
この三業一体の「集中」の生み出した時空の奇跡。それにしても、清十郎の「戦う女」の強さの表現はどうだろう。『ひらかな盛衰記』のお筆以来、「気品」「清らかさ」だけではない女の強さがさらなる深みを増し、この人の表現がさらに広がっていることを、長年見ている身にも本当に喜ばしく思われる。

人形では、森口源太左衛門を玉志と玉助が交代で遣い、悪の力を見せる。槌谷内記を簑二郎。形は美しくすっきりと遣うが、この訳は源太左衛門に対抗する大きさと肚をもっと感じさせてよい。菅の谷は勘弥休演で紋秀が代わったが、なかなかの好演。うち萎れた風情にも奥方の品格がある。坊太郎は簑太郎が遣い、後半の成長をきっちりと見せる。

打ち出しに『紅葉狩』。コラボ企画で小烏丸の人形が小狐丸と並んでロビーに展示され、歌舞伎でも同じ演目で比較できるようになっている。床は呂勢太夫、芳穂太夫、南都太夫、聖太夫、薫太夫。三味線、錦糸、清馗、錦吾、燕二郎、清允と、華やかで陶然たる旋律の妙。何も考えずに没入できる喜び。

更科姫を一輔、左を簑紫郎、足を簑悠。前のしとやかな深層の姫君から、後半の悪鬼への変化が見事。初めてこれを見た1999年11月、主遣いは故一暢、左は清之助時代の清十郎、一輔は懸命に足を遣っていた。次に2006年11月には、主遣いは清十郎、一輔は左遣いであった。今回、その一輔が主遣いとして更科姫を遣うのを見るのは感慨深い。世代を繋ぐ人形の伝承の有様を見ることができた。

平惟茂は、前半玉助、後半玉志。玉助は華やかで見栄えがし、玉志は武人たる風格を見せる。山神は玉勢。動きは悪くないが、後半の足拍子が少しずれ気味なのが気になった。
腰元は紋吉、勘次郎。明るく楽しいが、もう少し両者の首の性根をはっきり出してもよいのかもしれない。
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第二部『心中天網島』。文楽劇場の本公演でこれを見るのは、もう6度目になる。1997年7月、2000年11月、2006年11月、2009年11月、2013年11月、2015年4月、2019年11月。しかもそのほとんどが、「河庄」は住大夫、「大和屋」は咲太夫と、極めつけの芸を見、また聞いてきた。今回、咲太夫を除き一気に太夫が若返り、その真価を問われることになった。

「北新地河庄の段」中、睦太夫、勝平。前、呂勢太夫、清治。後、織太夫、清志郎。確かにそれは「世界」が違うとしか言いようがない。
住太夫の「河庄」は、冒頭から運命の重さを、その地名に込められた世界の意味を、胸に刻みつけていた。300年前の大坂の商家で、その幾重にもなる義理と親子の絆の縛めの中で生きるということが、どんな意味を持つのか、治平衛の愚かさと見える行為も、小春の死への思いも、孫右衛門の義理も、全てが必然であると聞こえる語りで、誰も真似のしようもない、住大夫独特の世界だった。それが強烈すぎて、まだ客観的な評価ができないのはわかっている。だから、感じたことだけを記しておきたい。

義太夫節としては、睦太夫も呂勢太夫も織太夫もそれぞれ正攻法の浄瑠璃であり、音程や語り分けもしっかりと基本を守っている。
睦太夫は当初声を痛めていたようだが、後半改善された。マクラの詩情の一言一言を丁寧に語り、浄瑠璃の骨格を作り出す。ただ、高音部の発音が不安定に聞こえる時があった。正確に、ということを心がけているのは分かるが、まだ余裕がない感じ。「御堂様の太鼓」「茶屋の段梯子」「紙屑屋のおんごく」が響いてくるような大坂の町の広がりが感じられるよう、これからも精進してほしい。勝平はこれらの変化に忠実に伴う。

清治の三味線の響き。色町の翳りよりも、これから二人が踏み迷う道の暗さと小春の純情を糸に載せて、呂勢太夫が語りだす。
「小春に深く大幣の、腐り合ふたる御注連縄」のやるせなさ、「魂抜けてとぼとぼうかうか」のリアリティ、「覗く格子の奥の間に」のはっとするような間。孫右衛門が小春に「心中する心と見た」と言い切る鋭さに、小春が真実を語りだす(と思わせる)説得力。小春の「その恥を捨てても死にともない」に小春の二重の翳り。

そしての織太夫、太平衛、善六のくだりはさすが。
だが、詞が速すぎてついていけない。治平衛の愚かさ、あるいは恋の盲目状態は見事だが、孫右衛門の落ち着き、弟のみまらず一門を配慮する重みにはまだ。あるいは「擲かれうが蹴られうが、そこをぢっと辛抱せずば、この条の客への義理が立つまい、立つまいがの、小春殿」の叫びが、遠く壁となって小春の前に立ちはだかるような悲しみ。清志郎、華やかで、いたわしい、その手の二重性。

「天満紙屋内の段」
、咲寿太夫、後半小住太夫、寛太郎。咲寿太夫は「天神橋」のリズムが心地よく、商家の日常、人々の動き、人物が生きている。小住太夫は泰然とした風情が聞こえる。寛太郎の手の人の思いに沿う優しさ。

、錣太夫、宗助。おさんの強さと健気さが生きる語り。長いおさんの詞に、その決意と誇りを滲ませ、憂いと情に満ちたおさんの造形が見事。対比しての治平衛の前半の情けなさもうまいが、夫婦仲が強まった後の五左衛門の詞が耳を離れない。段切れのおさんの「桑山飲ませてくだされ」の哀切も。宗助の「着物づくし」の美しさ、哀しさ。

「大和屋の段」咲太夫、燕三。この段は謎が多い。なぜ身請けがすんだはずの小春が、太和屋で治兵衛と会えるのか、それも二人が死ぬであろうことが想像できるであろうに。しかしその風情は美しい。咲太夫の調子はやや低いが、それでもこの段の構造は誰よりも理解している。
人が変わったようにきっぱりとした治平衛の詞、兄の不安と子の姿にも、もはや引き止める力がないのが分かる。その森々たる夜の深さと、真夏なのに感じる寒さを描く燕三の糸。

「道行名残の橋づくし」三輪太夫、睦太夫、津國太夫、咲寿太夫、文字栄太夫、團七、團吾、清丈、清公、清方。

三輪太夫の小春、なおもおさんへの義理を立てようとする健気さ。誰のためにもならないのに、死を選ばざるを得ない苦しみ。死は救いであろうか。そうした近松の眼差しさえも感じられる。團七の優しさと團吾の緊張感の対比。

人形ではまず、勘十郎の小春。目に見える華やかさや器用さを押さえ、小春の内面を描こうとする姿勢。「河庄」での内面の深さに性根を置く遣い方が目を引く。玉男の治平衛、こちらも色気よりも、幼ささえ感じる一途さ。
それに対し玉也の孫右衛門の大人の男としての貫禄と思いやりの厚み、和生のおさんは誇り高い商家の女あるじだが、治平衛のために着物を出して数えていく時、唯一の装身具と言える簪を抜いてその荷物に入れる時の哀しげな風情が愛おしい。
五左衛門は勘壽。いつもは婆に回るこの人が「にべもない昔人」の頑固さと計算高さを見せる。太兵衛は文司、このあたりの憎まれ役も的確。善六は簑一郎、軽薄さと調子の良さ。玉誉の下女子、おっとりしたところと、こましゃくれたところと。

 

コロナの影響で、舞台の充実に比してまだ客足は乏しいが、徐々に戻りつつある。そして劇場で舞台を楽しむ余裕というか、雰囲気の温かさが戻ってきたように思う。
まだ飲食ができないことや歓談を慎むなど、以前のような娯楽としての雰囲気はまだ戻りきらないものの、多くの方がコロナの中でも、節度を保ちつつ舞台を共に楽しむ日々を思い出しておられることの尊さ。再び劇場が閉鎖される日々があってはならないと思う。そのための工夫と戦いは続くけれど、ひとたび幕が上がれば、すべてを忘れて没入できる舞台が保たれていることの尊さ。そして再び、通しで『千本桜』や『忠臣蔵』の世界を堪能できる日の来たらんことを祈念しつつ。

掲載、カウント(2022/8/16より)

「三つの春、新たな道」―2022年4月・切場語り昇格初公演

森田美芽

文楽劇場の春は、華やかな舞台こそがふさわしい。文楽座命名百五十周年と銘打って『義経千本桜』『摂州合邦辻』『嬢景清八嶋日記』『蝶の道行』と見応えある狂言、そして豊竹咲太夫の文化功労者顕彰、何よりも、三人の切場語りの誕生。ようやく、と待ち望んだ春の到来。

2204こうえん

第一部、『義経千本桜』二段目「伏見稲荷の段」から四段目「道行初音旅」「川連法眼館の段」に繋げる。無論筋だけ追えば、三部制の二時間半ほどにまとめなければならないからとは言うものの、やはり『千本桜』の世界全体の構成から言えば不自然であり、単に筋が通ればよいというものではないと思う。序段の堀川御所での悲劇や二段目の大物浦での試練と知盛との対決や、三段目の巻き込まれた一家の悲劇があって、四段目が輝くのだが。

「伏見稲荷の段」、靖太夫、清志郎。清志郎は物語の始めに緊張感と妖しさを作り出す。
「昨日は北闕の守護、今日は都を落人の」の義経主従の身の転変を、靖太夫が低く、品格をもって語りだす。舞台には下手に紅梅白梅の凛たる姿、伏見稲荷の鳥居、静御前のクドキに、義経主従の存在感が増す。文哉(前半)の武蔵坊が「ハッと恐れ入りけるが」の表情が本当に悔いに満ちて、玉誉(後半簑太郎)の駿河次郎が、鼓を忠信に渡す仕草が丁寧。

「道行初音旅」切語りに昇格した錣太夫をシンに、忠信を織太夫、ツレは小住太夫、碩太夫、文字栄太夫。宗助に率いられ、勝平、寛太郎、清公、清允。桜の肩衣、桜の吉野山の遠景。フシオクリがとりわけ高く華やかに旅の広がりを伝える。「慕ひ行く」の碩太夫の一声。錣太夫の静の嫋やかさと芯の強さ、この人の実力を遺憾なく発揮する。
艶物語りというだけでなく、道行に込められたそれまでのドラマの重さを踏まえた、情ある語りの艶やかさ、深みを感じさせる。織太夫は物語に兄の無念を込める。太夫三味線ともども、ここに至る悲劇の重なりを忘れさせる一幕。

「川連法眼館の段」中、呂勢太夫、錦糸。錦糸の、何と艶やかで、憧れと思いに満ちた音色。呂勢太夫はこの場の格を保ちつつ、詞の多いこの場を、性根を違わず語る。「八幡山崎」のくだりの美しさ、悲劇に伴うこの艶やかさに魅了される。

、咲太夫、燕三。これを最後という覚悟の語り。分けても忠信の長い詞、身の上を明かし鼓に両親を慕う切々たる思いの詞の重さ、「アッと申して去なれませうかい」に至る長いイキの生かし方、すべてが見る者聞く者の基準になるだろうと思える語り。これが「切場語り」の意味なのだと改めて思う。それを語らせる燕三の、狐の躍動も親子の情も見事に描き出す構成力。

勘十郎の狐忠信の至芸。「伏見稲荷」の登場から、この物語の蔭の主人公である狐の親を求める物語が、まさに家族の絆を求める義経と重なる。普段なら「道行」の登場での狐の動きを「伏見稲荷」で見せるなど、全段を通じて狐の動きの中にその性根を構造的に表現する。段切れの動きも歌舞伎のようにケレンで見せるというよりも、狐としての自己を余すところなく表現できる大きさと喜びを感じさせる。獣でありながら人間よりも人間らしい情を、という主題にふさわしい遣い方。
対する静は簑二郎が健闘。仕草の美しさ、型の決まりなどよく研究しているのがわかる。ただ、「道行」でも主従という関係でいうなら、静が「主」の貫禄を見せないと芝居にならない。この場では特に、狐忠信が圧巻過ぎて、忠信のワンマンショーと見えてしまう。そうではなく、勘彌の義経ともども、その悲劇の経糸を通す貫目が必要なのだと思う。他では清五郎の忠信の涼やかで端正な使いぶり、紋吉(後半玉翔)の亀井六郎が一癖ありそうで、勘市の逸見の藤太の鼻動きの軽妙さも印象に残る。

2016_夏休み公演_配役ちらし-裏面-4校-校了

第二部、『摂州合邦辻』 「万代池の段」
合邦を三輪太夫、俊徳丸を希太夫、浅香姫を南都太夫、入平を津國太夫、参詣人と次郎丸を咲寿太夫、三味線は清友と清方。
この段があることで、物語の全体が凝縮される。この物語の焦点が玉手御前の個人的な恋愛云々の問題ではなく、天王寺という土地と仏教の精神性であることが明確になる。

三輪太夫は合邦道心の、教化の愛嬌と力強さと温かさを語り、思わず耳を傾けさせる年功の確かさ。もっと評価されてよい人だといつも思う。希太夫は「前世の戒業拙くて」以下の詞の綺麗さに代表されるように、俊徳丸の絶望と零落の中でも品位を失わない姿勢を印象付ける。「思ひ切つても」の嘆きが一層労しい。
南都太夫が浅香姫の心の動き、どこまでも俊徳丸を慕う思いを好演。津國太夫は若々しさとは言えなくとも、奴の一途な忠誠心にふさわしい。咲寿太夫は参詣人と次郎丸の音程を変え、無理ない発声で三輪太夫との掛け合いを聞かせる。清友の音色の奥行の深さ、一人一人に沿った弾き方を、清方はツレ弾きで懸命に追う。折り目正しく正確なリズムで今後が期待される。

合邦住家の段 中、睦太夫、清馗  、呂勢太夫、清治   呂太夫、清介
睦太夫は楷書の芸。隅々まで行き届いているが、「差別」は「しゃべつ」と発音した方がよいのではないか。大阪言葉の味わいの深さへあと一歩。合邦の詞「アアいやいや、涙は出ねど」の意地と娘思いの両面もよく聞かせた。清馗は講中のしゃべりの調子さえ心地よいリズム。
呂勢太夫、玉手のクドキは当然ながら、合邦の父親としての心情の詞が深く染み入ってくる。「無念で身節が砕けるわい」「思ひ切るに切られぬということはないわい」などの怒りの気色、必死でなだめる母親、それを聞かぬ娘、の構造が見事に描かれる。清治の糸が常にも増して、僅かな一撥ですら、その揺らぎに応じないものはない。こうして高められた思いが、切の字を受けた呂太夫の語りに受け継がれる。

呂太夫の『合邦』の特色についてはすでに昨年末の「玉手の水、俊徳丸の道」で書いているので、ここでは詳細よりも、この舞台独自の経験を記しておきたい。

呂太夫は、玉手の俊徳丸への恋ではない、と言い切る。それは床本を見れば、原作を見れば明らかである。玉手が意識しているのは、夫であり元々は主である高安左衛門丈通俊、どちらも血のつながらない継子二人の確執を、義理の母である自分がどう関わるか、である。
だが、見る人の多くは玉手が俊徳丸に恋をしている、と想像している。なぜそうなるのか。それこそは作者の仕掛けた逆転劇の妙である。玉手が俊徳丸に言い寄る姿、浅香姫との乱闘(?)、それらは真実に見えなければならない。そうでなければ父は怒りのあまり娘を刺し殺すという凶行に至ることはできない。玉手の中には、そうした周囲の人の思惑、人柄、それらを知って自分の描いた結末へと運ぶ、冷徹な計算がある。
しかしその計算、計画そのものが、ある種の狂気に満ちていると思われる。「寅の年寅の月・・・の肝の臓の生血」で癒されるなど、現代人は当然だが、昔の人でも、いささか苦しい設定であり、理論的に納得できる話ではない。ただそれを納得させるのは、「奇跡」という一回性と、玉手の情熱である。自らを殺させ、相手を救う、恋と言われればそれと紙一重の情熱。それを人は恋と錯覚するのだろう。

しかし、その犠牲に至る玉手御前の思いの純潔さがなければ、実はこの逆転のような犠牲は成り立たない。そうした逆転劇が、この「天王寺」における仏の救い、合邦が語る「地獄極楽は元来一つの世帯、善悪邪正不二といふ仏の教へはコレコレこの天王寺」の具体化である。悪が善に、邪恋が献身に、逆様事が善知識になるために、意外にも、この玉手の思いは純潔でなければならない。つまり、純粋な忠義(それも夫への)でなければならない。

呂太夫が「忠義」であるとの立場をとるのは、そうした浄瑠璃世界の逆説を表現することを理解しているからではないか。そこで初めて、この物語は単なる個人の悲恋ではなく、天王寺という寺に込められた仏の救いの教え、それを取り巻くこの地の力と一体になる。
呂太夫はこの浄瑠璃の全体性を把握しつつ、この玉手御前に込められた仏教的逆説を昇華し、表現するに至った。これこそが、切語りとして、半世紀を超える修行の中で鍛えられ、そしていま開花した、義太夫節としての合邦の世界の表現である。祖父若太夫の全身全霊を打ち込んだ語り、故越路太夫や住大夫に受け継がれた情の語り、それらに加えて、まさに物語世界に昇華する、それも舞台全体を率いて、その共同幻想に巻き込む、まさに「切語り」にふさわしいスケールと総合性を備えている。

他にも耳に残るのは、父合邦の側から見れば、二箇所の詞の山場。父にとっては狂気の娘を刺す、「これが坊主のあろうことかい」の繰り返し。ここまでの玉手の狂乱に応じる嘆きと悲しみで、それが深いほど、娘のモドリの告白が唯一無二のものとなる。
「オイヤイ」の二回目は、稲妻のように天を裂く。娘を理解できなかった無念と、自分だけを悪者にして夫と義理の息子を立て婚家に尽くそうとした娘を誇らしく思う気持ち、だが、その娘に手をかけたという悔い。それらが一体となって詞が突き刺さってくる。

清介の超絶技巧に酔わされる。初日はここで拍手が来て、中日以降には少し抑えめながら、この義太夫の詞章が、この三味線と渾然となり、得も言われぬ境地を作り出す。
玉手が恋をしているという解釈は、むしろこの陶酔感から来るのではないだろうか。理性で抑えきれぬものが撥先から溢れ、なおも理性で保とうとする語りと戦い合うような、不思議な経験。「合邦」のここを聞くとき、身内にそうした情念に共感が生まれるのを感じる。上手いとか下手とか、そうした態度を忘れさせる、さらにそれが人形の確かな技術と相まって、ここにしかない舞台と客席の一体感が生まれる。この全体性と一体性が、演劇をライブで鑑賞することの妙味である。それを引き出した呂太夫・清介の両者にはただただ感嘆するほかはない。

玉手御前は和生、気品を崩さず凛とした姿勢は師匠譲り。「恋ではない」という姿勢を貫く。
だからこそ「物狂い」的な場面がリアルに感じられる。合邦は玉也、こちらも持ち役。今回は正宗かしらの頑固一徹さがよく見えた。それでいて娘への思いが溢れることが端々にわかる。女房は勘壽、婆ならこの人、その切ない娘への愛。俊徳丸は玉翔の代役もよく遣っていたが、玉佳は足取りの覚束なさに思わずこの人の悲劇を思い、なおも道を求める求道者としての苦悩もにじませる好演。浅香姫は紋臣、前半は姫の気品を重視し、玉手とやり合うところは客席から笑いが漏れるほど徹底している。
奴入平は玉勢、後半簑紫郎。玉勢は姿よく凛々しく、簑紫郎は忠義に燃える賢明さが見える。次郎丸を亀次、この短い登場だけで、「合邦住家」の玉手の弁明を納得させなければならない難しさをこの人は確実に見せてくれる。

第三部、『嬢景清八嶋日記』 「花菱屋の段」藤太夫、團七。
まず團七が遊女屋の華やぎを、また女房が出てくると、その気ぜわしさ、長が出てくると鷹揚さと、雰囲気の変化が糸で描かれる。藤太夫は巧みな詞の変化を楽しませ、造形も伝わる。糸滝の哀れ、肝煎佐治太夫の軽みと熟練、糸滝の述懐に一同が涙を誘われる一瞬の沈黙が美しい。思えば残酷な話だが、人の情けに助けられ、ほっこりする一段。
花菱屋女房の文司がいい味を出している。結局この人もそんなに悪人でないと思わせる。長を玉輝、洒脱で経験豊富で、何のかのと言いながらも女房を愛しく思っている好人物。肝煎佐治太夫を玉志、又平かしらだが、様々な修羅場をくぐり抜けてきた大人の賢さに情が加わる。

「日向嶋の段」切、千歳太夫、富助。千歳太夫は幕開きからの約二十分、景清の嘆きと回向のさまをただ一人立ちあげ、保持する。その孤独と矜持の果ての日々、「春や昔の春ならん。」に重なる肩に沿えた梅と首からかけた平重盛の位牌。「業に業を果たいても」に滲む無念さ。臓腑を絞る嘆き。千歳太夫のここまでの修行の年月の現れを感じた。
佐治太夫と糸滝の登場。糸滝の造形がやや幼く感じた。娘と知りつつ「親でないぞ」の思い入れ、子であると認めても突き放す意地と誇り。だが一転、娘が自分のために身を売ったことを知り、「孝行却つて不孝の第一」という、己れの矜持の末路を見る。千歳太夫は筒一杯の語りで、景清の悲劇を描き出し、富助の撥が冴えわたり、悲劇の骨格を大きく描く。
人形では、景清は先代から受け継いだ玉男の持ち役の一つ。回向の二十分の持続を構えを崩さない大きさ、娘への思いを逆に表す矜持、最後には重盛の位牌を落としたのか、落ちたのか、今回は自ら運命を手放したように見えた。
糸滝の哀れさと健気さ、武家の娘たる誇りと父への思い、十四歳の乙女の大人びた純真さを表わす清十郎の清冽さ。文昇の軍内、簑一郎の四郎、いずれも出は普通の庶民と見せて戻りからの雰囲気の変化が見事。

『契情倭荘子』「蝶の道行」。織太夫、芳穂太夫、亘太夫、聖太夫、薫太夫に藤蔵、團吾、清丈、友之助、錦吾、燕二郎。助国を玉助、小巻を一輔。
織太夫は力まずとも心地よく響かせる。芳穂太夫もしっかりと哀れさを出すが、高音部に課題が残るか。六挺の迫力。幻想的な背景に、青を基調とした衣裳の二人の舞。文楽ならではの飛翔を伴う舞だが、もの寂しさが残る。確かに、『景清』と『蝶の道行』ではカタルシスというよりやや重い雰囲気のまま残ってしまうのが残念な気がする。これは演者の責任ではないのだが。

「切語り」とは、あらゆる伝承を踏まえ、自己の個性を長年にわたって磨き、それらが一体化するところに生まれる。正統でありながら個性的、これしかない、と思わせる語りの唯一性、そして若手や次の世代の模範として受け継がれるべき語りの模範となるもの。 呂太夫は、令和の若太夫に向けて、力強い一歩を踏み出した。その新たな門出の春を心から祝したい。

掲載、カウント(2022/4/24より)

響き、鬼、誘惑 ―2022年狂言風オペラ特別公演―

森田美芽

 2002年から続いてきた「狂言風オペラ」の試みが中断して丸2年になる。コロナの影響で様々な可能性が閉ざされ、スイスからのクラングアート・アンサンブルも来日できなくなり、公演の中止が2度重なって、何とかしたいという関係者たちの願いが、事態を動かすことになった。
今回の特別公演は、3年前に見た「フィガロの結婚」とはまた違う、魅力と新たな創造の世界を立ち上げることになった。「狂言風オペラ」と題していても、ポイントは「特別公演」の方である。本当に「特別」な舞台は、衝撃的だった。
文楽魔王

狂言
前半は各ジャンルの競演。まず狂言は「仏師」
山本義之氏の「田舎者」の鷹揚な風情、善竹隆平氏の憎めないすっぱの愛嬌。それだけでと笑いの世界に引き込まれてしまう。 さらにその言葉の明快で、身体と心にしみこんでくるような響き。テンポの心地よさ。ここでは二人が対等で、その言葉の応酬も、互いに引かず、自分を出そうとする。対話する言葉の豊かさ。すっぱが仏師と称して騙すために、何度も仏のポーズを変えるたびに笑いが広がる。結末まで予測できるのに、なぜこんなに楽しいのだろう。


続いて、大槻文蔵師の仕舞『蘆刈』より「笠の段」。すらりと伸びた姿勢に、揺るぎなく、しかも軽やかな舞の手、滑らかに舞台上をすべるように進む足、その確かな一つ一つの動きが、装束も面もなくとも、特定の人格の表現を超えたものを示していると、しかもそれが抵抗なく意識に伝わってくることに驚いた。
こうしたことは初めてではない。しかし、磨き抜かれた能楽師の方の持つ身体性は、人間の身体の持つ極限の存在感を抱かせる。静かで、淡々として、極限まで無駄を、自分を見せようとする自己意識を、わざとらしい自分の「工夫」も、全てを削ぎ落したところに成立する、この上ない身体そのものの表現。そこから感じられるのは、一つの宇宙を持っておられて、その中に全く違う時空が、その身体を通して見えてくるような、それも具体的な何か、とさえ名状できない、言葉では表現できないけれど、確かにある、そういう「何か」そのもの。
それは文蔵師がおそらく、70年になんなんとする修行を経て作られた声と身体を通したその「何か」を、これしかないという形にまで昇華されていると思われた。

地謡は武富康之氏、大槻裕一氏、稲本幹汰氏。若々しくよく揃い、複雑な節でありながら真っすぐに届く声。それが文蔵師の謡と響き交す時、背後に沈黙が広がり、その声が静かに能楽堂全体を包み込む。充実の舞台。

義太夫節
続いて呂太夫、友之助の「艶容女舞衣」酒屋のさわりに、勘十郎のお園。
友之助の三味線がこれまでになく響いてくる。もともと非常に美しい音を持っている人だが、それに加えて「浄瑠璃を語る、太夫に語らせる」間、あるいは音の幅というか、そうしたものが伝わってくる。こうした「切場」に相当する箇所は、太夫に語らせるのに技術が必要である。そうした経験を積む貴重な機会となったのであれば素晴らしいことだ。

そして呂太夫の極めつけのお園。いつもは宗岸や婆や半兵衛など、他の人物の気持ちや性格の語り分けとその情の交錯が魅力だが、ここではただ、お園の悲しみと、一途な思いだけが胸に染みわたる。
やや声の調子が悪いのかとの懸念は、そうではなく、お園の心情表現のためにわざとそういう発声にしていたとのこと。
お園の孤独、どれほど思いやりに囲まれていても、その中心にいる自分は、半七を愛しながら、半七からは同じようには愛されていないという、どうしようもなさ。諦めでも、支配でも、押し付けでもない、ただ純粋に半七を思うことだけが残る。

さらにそれを具現化するのが桐竹勘十郎の「お園」。
彼はどうしても動きのある役で目立ってしまうが、その本質は、役のそれぞれの性根を的確につかみ、表現していることである。だからこのお園では、「憂き思ひ」「いまごろは半七つぁん、どこにどうして」「恨みつらみは露ほども」といった心情が痛いほど伝わる表現。
暗い橋掛かりに姿を見せ、黄昏の町に婚家へと重い足取りで向かう時の不安、さわりに入ってからも、その憂いの表情、後ろぶりの決まりさえも、それは彼女の悲しみである。それは簑助師のそれとも、故文雀師のそれとも違って、その視線に、その憂いの中にひたすらな半七への思いをこめているお園だった。
それはまさに、呂太夫の語ろうとしたお園の姿であった。言葉が人形の身体を取って、まるで生きているように、人間以上に迫る文楽の秘奥を垣間見た気がした。

洋楽
そして、河野克典氏と穴見めぐみ氏による、シューベルトの‘Nacht und Traume’。彼だけが舞台上に立たず、階の下で歌う。
全く違う、洋楽の発声。これは空間に広がる声、そしてドイツ語の原詩を知らない者の耳には、その響きと、哀調を帯びた密かな哀しみが迫ってくる。短い歌の中で、一つの完結した世界を表現する、歌曲の本質が迫ってくる。

ここまでですでに1時間25分が経過。時間を忘れる陶酔の時であった。前半に、狂言、能、義太夫節、洋楽の歌曲と、4種類の声の使い方を聞いて、それぞれの迫力、表現力の違いを感じ、さらにその多様さが、不調和を生み出すことなく、この空間を包み、さらに延伸し広がっていく。声の、謡の、語りの、歌の、それぞれに完成された体系性を持つこれらの表現が、互いを主張するだけではなく、その内的延引性が互いを引き合い、高め合う。

魔王
後半の「魔王」、まず河野氏のバリトンで、正統派のシューベルト「魔王」。これが短い中に一つの楽劇としてイマジネーションを掻き立てる。魔王の子どもへの語り掛けは3回、次第にトーンを変え、凄みを増し、やがて焦れるように、強引に子どもを連れ去る。それが、まるでいざなうように、自分から悪に向かわせるような誘惑的な語りかけに聞こえた。
それに対し、父親のそっけないこと。子どもの必死の訴えを聞けないのは、魔王が見えない、つまり、様々なそうした超自然とのふれあいを信じない大人になっているからなのか、それとも魔王と取引でもしたのか、とさえ思いが及んだ。魔王の“Ich liebe dich.” のなんと誘惑的に響いたことか。
穴見めぐみ氏のピアノの三連符が、不安を掻き立て、その恐怖の背景を見事に描く。
義太夫版「魔王」
それに対し、人形を入れた義太夫版「魔王」においては、それは人間界と隣接して人間に働きかけ、時に悪をもたらす別世界の生き物とは違っていた。赤松禎友師の鬼の恐ろしさ。

この鬼の面は「大悪尉」であったか。ならば、解説によれば強く恐ろしげな老人という意味である。能における「鬼」は実は多様である。「安達原」のように人間の悪が凝って鬼になったのか、自分自身が悲しい運命をもってそうなってしまったのか、もはや人間の心をなくしたのか、それらの物語によって異なる面がある。あえてこの面を使ったのは、あるいは冥府の使いという意味であったのかとも思えた。昔はしばしば神隠しという現象が言われた。自然が人を飲み込むような恐怖を象徴しているともいえる。

「魔王」の原題は‘Erlkönig’即ちエルフの王、つまり西洋社会においてキリスト教に駆逐された土地伝説の中の精霊や神々、人間に対し時に暴力的な関わりをする、という恐怖がある。それは日本の伝承の中にも同様のものがあるが、少なくとも19世紀ごろまで、西洋社会もそうした恐怖にさらされていた。
そうした恐怖においては共通するものがあるかもしれないが、「魔王」は人格的な悪としての誘惑者であり、「鬼」は非人格的な脅威の対象か、人格的な破壊者なのかがここでは不分明であるが、あえて言えば、赤松氏はある意味、前者の解釈を取られたように思う。その対比が、この舞台で明確に感じられた。

義太夫での「魔王」、子への呼びかけは「若」、鬼は子にだけ見える恐怖の対象であることは変わりないが、どちらかと言えば、呂太夫の語りは、父の子への愛情が感じられるゆえの悲劇であることを伝え、勘十郎の遣う父は、馬の工夫もさりながら、息子を守ろうとする情愛深い父としてのキャラクターが明確である。
子役は簑紫郎が代役で、労しく愛らしい、それゆえの悲しみが伝わる。勘十郎の、先のお園に加え、この父親、やはり天才的な表現力と言わざるを得ない。
竹澤團吾の三味線の構成力も光った。父と子、大いなる悪に対する恐れという東西に共通の主題を得て、なおその解釈と世界は広がった。

この舞台は、それぞれの良さを集めただけではなく、その中から新しい萌芽が確かに生きていて、それを包み込むように大槻能楽堂の舞台があり、その中心に、大槻文蔵師が凛として立って、この多様な表現を結ぶ求心力となっておられたと思った。
場の力、異なる伝統の力、それらが出会うところに、過ぎ行かせてはならない感動が生まれる。その重なり合う中に飛び散る火花は、私たちを新たな創造へと導いてくれるのだ。

掲載、カウント2022/3/25より)