高校野球と『堀川猿廻し』の勉強。

朝、平安と明徳の試合を観る。
平安の服部投手の落ち着きはタダモノではない。
攻めの精神は必要不可欠。
昼から近くの公民館で堀川猿廻しの勉強。
枕が終って直ぐの『鳥辺山』のくだり、メチャ難関。
三時間で数行しか進まず。
昭和53年の正月の若手向上会での掛け合い。
ぼくは与次郎で、越路師匠に6日間、胴身の震え上がる稽古を受けた。
その時の『おつる』役が中途退座した文字登大夫君。
いまから考えると、彼、入ったばかりでよく『鳥辺山』を覚えて師匠の前で語りよったなあ。
あまり怒られてなかったゾ。
そんなことおもいだした。