蘇る身体―「投影と踏襲」、その試みを問う―

森田美芽

 魂と形はどちらが先にあるのか。
土方巽は形あるいは動きが、大野一雄はいのち=魂が先にあるという。

2012年3月17日 神戸ジーベックホール「投影と踏襲」落語と文楽、文楽と舞踏、形と魂、その関係性を身体と言葉の深みにおいて探ろうとした意欲的実験。仕掛け人は伴野久美子氏、応えたのは、豊竹英大夫、鶴沢清友、桐竹勘十郎、落語の桂雀松、舞踏の由良部正美、その意味を総括したのは、建畠晢。
第一部。ワークショップ「落語」「義太夫」「三味線」の後、桂雀松の落語「どうらんの幸助」と「桂川連理柵」の「帯屋」の前。  この二つが続けて語られる。
「どうらんの幸助」が「帯屋」が人口に膾炙しているのを前提に作られた噺であり、同じ節を落語家と太夫が語る。重なり合う言葉。それだけではない。ワークショップで自ら語ったように、言葉をイマジネーションで描き出す、目ではなく心で「見る」。その世界が言葉により重なり、目の前に浮かんでくる。
酒が飲みたいばかりに喧嘩をする二人、それを仲裁する幸助の得意げな表情、眼差し、義太夫の稽古に行く人々の表情、明治初年の呉服屋のたたずまい・・・。雀松による見事なイマジネーションの展開。

「帯屋」。義太夫節は三味線がリードする。言葉の前に、まずその音が空間を切り裂く。異なる次元をつなぐ穴をあけるように。今日は清友の三味線が、その深さと潔さをもって鋭く迫る。
そして語られる言葉は、きわめて明確な、人の思いと行いをストレートに表すもの。にもかかわらず、その言葉のなかから立ち上ってくるものは何だろう。重なり合う言葉の中に響きあうもの。それが何かを確定できぬままに、勘十郎の遣う「長吉」が登場する。
スポットライトの当たる、ただ一人、三枚目、その動きだけを注目していたことはなかった。しかし長吉の動きだけに集中されたその語りの全体を担う動き。儀兵衛とのやりとり、その滑稽さが見える。おきぬ、おとせ、繁斎、長右衛門、その眼差しとそれぞれの思いが。

第二部。舞踏の創始者、天才と謳われる土方巽の姿を、わずかに残された映像資料で見る。
1968年の「肉体の叛乱」と1972年「疱瘡譚」、適切な解説は慶応大学アートセンターの森下隆氏。初めて見る、その強烈さ、衝撃。
赤瀬川源平によれば『オブジェを放棄したとき、オブジェが蜂起する』といわれるような、暴力的なまでの、頭を直撃される、否応なしに巻き込まれ、恐ろしいと思いつつもそこに向かざるを得ないような力。
思い出す、1968年当時、時代を変えようと渦巻いていたエネルギー、破壊と創造に向かう意欲、そのもろもろの試みの中で、「天才」と呼ばれたことの意味。建畠晢によれば、土方は歌舞伎を好み、その動きを取り入れている。あるいはタタラを踏む、ナンバと呼ばれる、右腕と右足、左腕と左足を同時に動かす動き、さらに文楽人形の動きを取り入れていたこと。明らかに、西洋のバレエやモダンダンスの動きではない。
もっと地に足のついた、それでいて極度に抽象化された、その彼方へと届こうとしている。

当時それに影響を受けた、写真の細江英公、文学の渋沢龍彦、詩の吉岡実、高橋睦郎、現代美術の横尾忠則など、数々の異なるジャンルのアーチストらが土方に刺激を受け、そこに多くの交流と創造が生まれたことが納得できる。この解説がこの試みの方向を観客に理解させる大きな力となった。

そして現代において、その「舞踏」の源流が新たな交流と創造を促している。
まず、文楽の「日高川」を、素浄瑠璃と人形を持たない人形遣いの動きで。素浄瑠璃は言葉と三味線で物語を立ち上げ、思いを語り人物を鮮やかにイメージさせるが、英大夫の手馴れた、清姫と船頭のやりとり。三味線は夜の暗さ、不安から、清姫の嫉妬、蛇身への変身へと続く。
しかしそこには、清姫の人形はなく、黒衣の三人の人形遣いは、不在の人形を遣っている。さらされる人形遣いの身体。人形を持たない勘十郎の手から、清姫の動きや表情が伺われる。首をかしげ、空を見上げ、月を眺めるその視線や、安珍を思って、でもためらう首の動き、裾をもって歩みを表現する仕方まで、これまで人形で見えなかった人形遣いの身体の動きが顕わにされる。
見てはいけないものを見るという感覚ではなく、そこに人形がなくとも、正確にその動きをなぞる。抽象化された身体の動きそのものに還元された人形遣いの技は、極限まで切り詰められた、物語ろうという意志として立ち現れる。
その三人の人形遣いが次第に視界から消えていくように控え、由良部正美が登場。英大夫の語りが、土方巽「病める舞姫」よりの、シュールな言葉に変わる。
「言っておきたいことがある。もっと大事なことがある。ずるずるずるっとだまされる。みすみすわかってだまされる」。短くもわれわれの本質をえぐる言葉が、語りによって言葉にいのちを吹き込む太夫の声によって、見る者のうちに突き刺さる。
「焦げた煙のようになって私たちは歩いていた。」「屋根の上を走っている大人がいる。/プレスの後の縞がついてる新しいバケツの中で魚が死んでいる」
ありえない現実が言葉の中で現実となる。「目の裏に雷の光がはいっても安心して寝ていられるのは死人だけだからか」そう、私たちは死人も同然なのだ。私たちに襲い掛かる衝撃を平気でやりすごすために。「握り飯が泣いていると思えば、口に出してしゃべるまでも無(ね)!」語られた言葉に身震いする。
簡単に語ってはならないのだ。言葉に触れるとき、私たちは自分のうちに突き刺さる刃を覚悟し、そこに醜い自分のもう一つの顔に著効面せざるを得ないのだ。語られた言葉、その一つ一つが、これほどの重みをもって、しかも意味を超えて迫ってくる。英大夫、義太夫語りの真骨頂。
由良部は赤と青の布を身にまとい、しかしその身体はもう一つの秩序を語るかのように自在に動く。不在の清姫の眼差しを受ける安珍が、鐘の中で炎に身もだえし、その魂が昇天していくように。滅びた身体から、新しい身体が生まれ、鼓動を大地に踏むように。演者は一人であって二人に、対話からモノローグへ、演じつつ語る、語りが二重化させ、身体が対象化される。

最後に、人形を入れての「日高川」安定した形と動き、私たちの目に映るものが変わってくる。目の前で見ている、それはいつもの見慣れた舞台ではない。
人の動き、人形の動き、素のままで現れたそれらの威力、極限まで切り詰められ、塊(オブジェ)として世界に投げ入れられた抽象が、また再び意志と力をもって、新たに世界を結び合わせるものとして現れてくる。
見えているものがすべてではない、その背後に、無数の抽象化され断片化されたものを一つにつなげるものがある。それを語るのが義太夫節の言葉であり太夫の語りである。そして物語は、清姫がガブの首で鱗の衣装のまま、安珍を追ってゆく余韻を残して閉じられる。どこまでも恋人を追い求める執念が、そこに残っているかのように。

舞台の後、アフタートークの場に現れた彼らに、観客から鋭い質問が飛ぶ。「動きが先か、魂が先か」と。
人形遣いの勘十郎は言う、まず「動き」をマスターすることから始まる。人形遣いは足修行から始まるが、次第に役が重くなるとそこに初めて「性根」を入れる、即ち役の魂を入れなければならないと。
由良部が言う、かたちがいのちである。形は客観、世界に関わる自分は主観。そして踊るときにその主観と客観が一体化するときがあると。
希大夫は言う、自分はまだまだ形を追う段階にすぎないと。

言葉だけではない。彼らの語ろうとしているものを、私たちは見た。そこで聞いた。
語りはイマジネーション、音のつながりに還元されたものが、聞く人の中で意味と感情において再構成され、物語として共有され、新たに共鳴しあう。そして再構成された言葉は、われわれを存在の原点に引き戻す。何物でもない自分、その暗闇の中から生まれ出ずる、自我というものの萌芽。
土方の映像から明らかにされたのは、1960年代のはじけるようないのちと魂のぶつかり合いのなかから、詩、写真、舞踏、絵画といった様々なジャンルの異なる芸術が生まれ、暴力的なまでのエネルギーが次の創造を呼び起こしていたこと。
そしていままた、人形なしの人形遣いの動きを通して見えるのは、こうした異世界のぶつかり合うところに、普段隠されている文楽というもののもつ力の原点が見出されたこと。人形遣い自身の動きと、人形の動き、そして舞踏において表現される、人の身体そのもののもつ力、形がいのちへと昇華される瞬間、そのいのちを、われわれは目の当りにしたのだ。
神戸ジーベックホールのホワイエには細江英公の写真によるこうした試みへの空間構成、英大夫が背負うのは、黒の背景にひときわさえる故・元永定正氏の手になる屏風。
あらゆる形でこの試みを芸術的冒険として仕掛けようとした伴野久美子氏のプロデュースと、それに応えた一流のアーチストたち、それを評価し、創造の現場を楽しむ理解力を持つ観客の出会い、この場が新たな芸術といのちの創造の原点とならんことを祈る。

カウント数(掲載、カウント12/03/22より)