千秋楽、無事終えました。感謝します。法哲学の井上達夫東大名誉教授からまたまた貴重な感想をいただきました。手前味噌とは思いますが、その一部を読んでいただければ幸いです。〜
仮名手本忠臣蔵の早野勘平をめぐる挿話の真の主人公は早野勘平ではなく、与市兵衛女房とだけ記された名もなき一人の老女であり、彼女こそがこの挿
話の悲劇的な戯曲構造を支える中心的人物であるという感想を私は抱いております。
いずれにせよ、この老女房を演じられ声の芸の広さと深さには驚きました。
そもそも老女を他の登場人物から演じ分けること自体が難しいと思いますが、本作において、この老女自体が劇的に変容します。
大金をもちながら帰宅の遅い老夫を心配する老妻、女衒に引き連れられていく娘を案じる老母、信頼する婿が帰宅して一瞬安心する義母、夫が死体で運びこまれ驚き嘆く妻、婿への疑惑を募らせていく剣呑な姑、婿の犯罪を確信して怒りを爆発させる姑、事の真相を知って再び婿に信義を尽くそうとする義母、夫にも婿にも死なれ、身売りした娘からも離れて生き残ることを拒否して婿の後を追おうとしながら、夫と婿の追善供養に励めという促しを受け入れる孤愁の老女。
「乙姫七変化」ならぬ「老女八変化」を演じ分けるのは至難の業かと思われますが、聴いている私には、師匠の声の秘芸のおかげで、この老女房の姿が登場人物の中で最も鮮やかに浮かび出てきました。
勘平は「悲劇的人物」、つまり、両立不可能な価値の間の倫理的葛藤を自己の意志により裁断し犠牲を引き受ける人物ではなく、言わば「偶然性に振り回された男」です。
「哀れ」な死に追い込まれながらも、死後の祈願成就で救われた男として、ある種の同情の対象にはなりますが、「救いなきディレンマ」を自己の意志で裁断する悲劇的人物が引き起すような畏敬の念と深い次元での共感を抱かせる存在ではないように思われます。
これに対し、与市兵衛女房はこの作品において、不運な偶然性に翻弄されながらも、根底において自己の倫理的意思を貫く強い主体性をもった人間として描かれています。