楠本さんからのコメントをシェアさせていただきます。いやあ、僕の思いまさに代弁してくださってます。僕も吉右衛門さん、菊之助さんの「引窓」を観て感動しました!が、婆の演技にも興味を持ってましたが、まるで婆に華がない。ビックリしました。あ、これは婆で目立ってはいけないんやなあ、と理解しました。しかし、ご指摘のとおり僕はこの芝居は婆が主役ちゃうか?とも思ってます。これを初めて勉強会で語った時、引退されていた越路師匠に、「婆、良かったよ。お前の婆の語りをとりたい」、と言われました。その詞、僕の宝です。(画像の下)
11月文楽公演一部へ
このところ、歌舞伎で観ていた演目が文楽で「目から鱗」
ということが続いている。
漫然と歌舞伎を観ていた、ということか
浄瑠璃を聴く耳が少しは育ってきた、ということか
「引窓」は歌舞伎で何故かよくかかるが、あまり好きでなかったので、敬遠することが多かった。
役者がやると、どうしても濡髪や与兵衛(十次兵衛)に人気立役者が配される。
だが今日文楽で観ていて、あれ?この場の主役って「母」なのでは、と。
歌舞伎ではどうしても婆のできる役者があたる訳で、脇にならざるを得ない(というか、主を喰えない)
この場の主眼は、実の母子、なさぬ仲、嫁の四人が互いを思いやるがあまりの本音と建前の、エンドレスな『賢者の贈り物』で、それを一人で語り分ける 豊竹 呂太夫 師匠の技によって、母の思い、母への想いがくっきりと浮かび上がるのだった。
終わって近くの席の知らないおじさまが、感に耐えないといった感じで「ええ芝居でしたなぁ」と話しかけてこられた。
残念ながらお席に余裕があります、何卒。