井上達夫先生から「女殺油地獄」につき

東大名誉教授(法哲学)の井上達夫先生からのメッセージを頂戴しました。
以下、掲載させていただきます(WEBマスター代理掲載)。

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呂太夫師匠

一昨日の国立劇場公演「女殺油地獄」、堪能させていただきました。

昨年10月に国立劇場で同じく近松作品である「冥途の飛脚」の「封印切りの段」を素浄瑠璃で鑑賞させていただいたとき、床本を読んで全く共感できなかった忠兵衛が、師匠の語りを通じて、真に悲劇的な人物として我が心中に刻まれたとお伝えしました。

今回の近松の「女殺油地獄」の主人公、河内屋与兵衛は忠兵衛以上にまったくひどい男で、シネマ歌舞伎で片岡仁左衛門に次いで与兵衛を演じた新・松本幸四郎が「人格破綻者」だと形容したほどです。
私はもっとはっきり、「人格障害者(psychopath)」だと言いたいですね。

しかし、このひどい男が、さんざん自分が裏切り踏みつけにしてきた養父と実母の彼を思う真情に触れて、自分の偽手形で親にこれ以上の辛苦を負わせるのを避けるために、これまで世話になり憎からずとも思っていたお吉を殺して金を奪うという犯罪に走る。
自分が親に働いてきた罪業の責めを償おうとして、恩ある女性を殺すという別の罪業を働いてしまう。
与兵衛が、最も残酷な殺害の場面で、まさにギリシャ悲劇以来の、二律背反を前にして「悲劇的選択(a tragic choice)」を行う人物として近松によって描かれています。

しかし、近松が描く与兵衛の「殺しの論理」はきわめて自己中心的なもので、床本を読むだけでは私の心にピンと伝わってきませんでした。
血と油にまみれながら、赦しを乞うお吉を追ってその喉を刺し、腹を抉る与兵衛は、やはりただの人格障害者、いや道徳心が全く欠如した最悪の「社会的人格障害者(sociopath)」だという思いが消えず、観客が意識下にもつサディスティックな加虐指向に訴えようとする悪趣味に近松も浸っているのではないかとさえ感じていたほどです。

ところが、「豊島屋油店の段」で切としての師匠の語りに触れるや、その声が描く世界に引き込まれて、私のこのような「もやもや感」は霧散し、与兵衛が離脱不能なディレンマにもがきつつ凄惨な罪を犯す真に悲劇的な人物として立ち現れました。
ここで、決定的なのは、「親の真情」に触れて与兵衛が人格変容したことを観衆に体得・感得させうるだけの迫真性をもって、「親の真情」が表出されることです。
与兵衛が隠れて聞く養父徳兵衛と実母お沢がお吉を前にして見せる「愁嘆」。
夫婦が勘当したドラ息子に当座の多少の支援を親からとは言わずお吉から渡してくれと頼む姿が見せる与兵衛への断ち難い愛情。
そして愛するが故にこそ、息子にきつく当たらざるを得ない不幸に苦しむ親の悲しみ。
このような親の真情が師匠の語りによって切々と私の心に浸透して、この場面で私の目頭は熱くなり続けていました。

人形の動きも見事でしたが、親のこのような真情を観衆の心に浸潤させるのはやはり師匠の声の力です。
熱くなり続けていた私の目頭からどっと涙があふれたのは、母お沢が与兵衛に渡すようお吉に頼んだ金と粽について、お吉が「アア、お沢様の心、推量した……ここに捨てておかしやんせ。わしが誰ぞよさそな人に拾わせましょ」と言ったのに対し、お沢が次の応答をしたときです。
「アア、忝いとてもの御情け、この粽も誰ぞよさそな犬に、喰わせてくださんせ」

師匠はこの「犬に、喰わせてくださんせ」を「犬に、く、く、くわせてくださんせ」と「喰う」の「く」音を何度も詰まらせながら繰り返して語られました。
母たるお沢の与兵衛への愛をこれほど深く伝える表現はありません。
金の支援もさることながら、女親にとっては、我が子が腹を空かしていないかという心配が、身体に浸み突いた思いとして突き上げてくるのです。

与兵衛の実父に番頭として使えていたため「主筋」の養子与兵衛に遠慮しがちな夫徳兵衛にお沢は与兵衛を厳しく勘当することを求め、自分も侍の血筋として与兵衛を天秤棒で叩きつける厳しさを示しながら、やはり、彼女は子を思う母の愛を断ち切れない。
我が子を「犬」と呼びながらも、泣き崩れながら「犬に喰わせてくださんせ」と頼むお沢の建前に隠された親の本音としての愛が、隠れてその愁嘆を聴いている与兵衛の心を突き刺したことが、この師匠の語りによって私の心にも突き刺さりました。

浄瑠璃は床本というテクストを字面で読んだだけでは「ありえない虚構」を人間的真実として立ち表せる声の芸術であることを師匠の公演から感得させられたことを前に申しました。
今回の「女殺油地獄」の切場の公演では、この思いをさらに強くいたしました。

文楽の世界に触れるのが遅すぎたことを我々夫婦は悔いておりますが、それでもボケないうちに触れることができてよかったねと喜んでおります。
また師匠のような卓越した表現者からこの世界のすばらしさを学ぶ機会を頂いている好運にも感謝しております。
コロナ禍が執拗に続きますが、ご自愛されつつ、「切語り」として今後とも文楽の発展を牽引されますようお祈り申し上げます。

井上達夫
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「女殺油地獄」清濁混合する人類全ての雛型

「女殺油地獄」。最初の枕あたりから、近松は所々に不吉さを暗示してますね。その暗示の箇所、特に大げさに表現するよう試みてます。与兵衛はお吉の家での両親のやりとりを外から見ていて、ホンマ、改心した部分もあるのでは?と思います。同時に相変わらずの無頼も存在してる。清濁混合する人類全ての雛型かもしれません。