舞子ビラへ妻と

今月は舞台オフ。久しぶりに別荘代わりにしている「舞子ビラ」へ妻と行きました。翌日はいつも行く明石の魚棚(うぉんたな)をパスして須磨浦山上遊園へ。人影まばら、澄んだ空気、紫陽花がきれいでした。着いた日も帰ってきてからもグッスリ眠れました。
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井上達夫先生から感想

5月東京公演の千秋楽においでくださいました法哲学の井上達夫先生からありがたい感想をいただいております。
「人間としての己の価値が女の色気にではなく、魂の潔癖さにあることを証明するためにこそ〜」!。
以下、先生の許可を得て、転載させていただきます。〜
5月30日の「夏祭浪花鑑」堪能させていただきました。
特に、「釣舩三婦内の段」の、徳兵衛の女房、辰が己の顔に焼き鉄をあてるシーン、女の意地というより、女の自尊が壮絶かつ美しく表出されており、圧倒されました。
床本を読んだときには、夫の義理ある人の依頼を引き受けるために、なぜ辰が顔に焼きを入れることまでするのかと思う気持ちもありました。
しかし、師匠の語りを聞いて、辰が自分の美貌を傷つけてでも守りかったのが、夫の義理を果たす妻としての義務などではなく、三婦によって軽んぜられた辰自身の尊厳だということがよく分かりました。
辰が顔を焼いたのは、三婦が心配するような醜聞の可能性を絶って三婦を安心させるためというのが辰の表向きの理由ですが、本当の理由はそうではなかった。
三婦がそんな心配をするほどの、「匂いたつような女の色気」をもちながら、人間としての己の価値が女の色気にではなく、魂の潔癖さにあることを証明するためにこそ、美貌を傷つけざるを得なかった。
ある意味でフェミニズムを先取りするような人物像です。
文楽作品の人間描写の深さと先端性を改めて感じさせられました。
だんじり祭りの賑わいを背景にして繰り広げられる人間物語、いかにも大阪という雰囲気が濃厚に漂い、これも大いに楽しませていただきました。

山根秀宣様のコメントシェア

朋友の山根秀宣様のコメントをシェアさせていただきます。皆さま、よろしくお頼み申し上げます。
文楽の太夫は竹本か豊竹。
竹本の元祖・竹本義太夫は古来名乗る人は居ません。
言わば永久欠番。
豊竹の元祖が豊竹若太夫。
竹本義太夫の弟子にして独立して豊竹座を開いた最強のライバルです。
古地図にも「若太夫の芝居」とのこります。
そんな大きな名跡が、大きな時代が、やってこようとしています。

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