hanafusadayu のすべての投稿

NHK教育テレビの金曜フォーラム『伝統文化を考える』より

山崎正和氏(劇作家・評論家)がホンマええことゆうてはります。
→文明が『楽譜を読める』ということだとすれば、『ピアノを弾ける』というのが文化だ。
両者はまったく別のものだが、つながってはいる。
文化から文明は生まれる。
しかし、文明を先にもってきて、文化を引き戻すことも可能である。
日本の多くの西洋音楽の演奏家がヨーロッパで活躍しているのがいい例だ。
…。
文化財『保護』とか『保存』とかいうコトバには若干抵抗もあるが、現代文化であれ伝統文化であれ、『文化』というものが何らかのパトロン(援助)なしに生きた歴史は一度も無い。
ギリシャ彫刻や演劇、中世の西洋音楽などはみな国家や王様やキリスト教会による保護、支出で成り立ってきた。
『文化』というのは、マーケットメカニズムで生きていけるものではないのだ。
現在でも西洋先進国は文化に相当なお金を出している。
(続く)

嬉しいお便り二通。

一通はお便りコーナーのAK様。
格調の高いお便りで、年頭からメチャ励まされました。
もう一通は東京のある文楽ファンの方からです。
→『毎日残業の日々。
忙しさに付け加え、ムカツクコト多し。
愚痴っぽい自分に自己嫌悪。
12/31の英さんの日記の《恵み》のお話しをその度に思い出します。
感謝です。
確かに(今ある状況の中でも)沢山(恵みを)もらってます(^。
^)』→おびただしく嬉しゅうおます。
ぼくの日記を仕事の発奮材料にして下さるなんて。
涙がでます。
もっともっと書きまっせ、見てておくれやっしゃ!  「お便りのコーナー」

『原作』へのこだわりについて。

『成山忠太夫内の段』の私が受け持つ『口』の場でこういう箇所がある。
→『姉様それは栄耀ぢゃ、わしがやうに根から男のない身さへ、見事堪忍しまするぞや、殊にお屋敷行儀づよく・・』(近松の原作の通り)。
これを何十年ぶりかで復元された時の越路師匠と先代喜左衞門師匠(朱・譜面がないので新たに作曲された)のテープを聴くと、この部分が→『姉様それはわがままじゃ。
わたしがように根から男のない身でさえ、立派に辛抱しまするぞや、殊にお屋敷行儀厳しく・・』と、語っておられます。
両師の感覚の新しさにタマゲます。
謡の部分を除いて全編そういう感じo(^-^)o。
無論、現在は『原作』カチカチで、私の語りも原作通り。
賛否両論ですが・・。

西宮市生涯学習大学『宮水学園』の芸術コースの講師。

阪急夙川駅から歩いて5分の夙川公民館のホールに200人近い高齢者が集まりました。
皆様、綺麗でダンディで、はつらつとなされてます。
明るくて反応もよく、一時間半があっという間でした。
義太夫節一日体験コーナー(三味線・喜一朗君)では皆、姿勢を正し素直な声を出してはりました。
招きに応じてお二人の方が舞台に上がってこられて『なにがしは平家のさむらい悪七兵衞景清と名乗りかげ・・』と語られたのには恐れ入りました。
三味線とも合ってました。
それにしても二月公演の『松風』の謡には頭が痛いです。
ほんの数分の箇所ですが、テープを聴きまくりますわ。

『堀川波の鼓』の『忠太夫内の段』の口について

東京国立劇場の二月公演の私の役はなんでもない幕開きのプロローグのようだが、これがなかなか一筋縄ではいかない難解なシロモノ。
なにしろ、謡の『松風』が題材にとりあげられており、その謡をボクが『語ら』ねばならないんです。
能の専門のおかたに少し習いに行く予定です。
勿論、舞台では、あくまで義太夫節の謡であります。
先代の喜左衞門師匠が作曲され、越路師匠の語りで、近松の作品を昭和に復元したものです。
その後、嶋大夫兄、呂大夫兄が勤められてきた場面です。
師匠、先輩方の演奏テープを必死で聞きつつ、ノイローゼに近い状態に陥っています。
微妙な節の音程。
鼓との呼吸。