カテゴリー別アーカイブ: 美芽の“呂”観劇録

悲歌拾遺――追悼、鶴沢八介

森田美芽

 思えば、この2年の間に、文楽はかけがえのない人々を相次いで失っていった。
 緑大夫、相生大夫、呂大夫、そして鶴沢八介、さらに吉田文昇まで。
 悲しいというより、その一人ひとりの死と共に、もはや取り戻しようのない何かが、永遠に失われていく・・文楽は一体 どうなるのだろう。わけても鶴沢八介の死は、道半ばで、しかも49歳の働き盛りで、とい う痛ましさと、三味線陣のなかでいま、最も必要とされていた、ベテランと若手をつなぐ 立場の人を失ったという苦しさで、内心忸怩たるものがある。
 鶴沢八介という人の芸風を、一言では表わしにくいが、その端正な舞台姿に思いを致す 人は多い。派手ではないが着実な人、端場の大夫を助けて物語の骨格を作りだし、道行で あれば2枚目あたりで変化を面白く聞かせ、ベテランと若手をつなぎ、共に支える、貴重 な役割を、淡々と、しかし見事にこなした人だった、と思う。
 英大夫とのかかわりで言えば、忘れがたい舞台が2つある。
 一つ目は、1997年1月の研修発表会で「合邦」の奥を丸一段弾いたこと。「英旅日記」 によれば、暮れ正月を返上しての50回以上の稽古であったという。むべなるかな、と思っ た。このときの「合邦」は、私にとっても衝撃であった。
 この英―八介の「合邦」を見た とき、私は人間のドラマとしての「合邦」に惹きつけられた。それほど、実感をもって感 じられたのだ。
 玉手は、俊徳丸に恋しているのかいないのか、思わずくらくらとなるよう な玉手の思いの複雑さ。そう、恋してはならないと自らを鎖しているのかもしれない。そ のこと自体が、溢れるような想いの現われではないか。
 そして、そういった情念を浄化す るような、犠牲としての死。その間に封印された玉手の想い。解釈としては、むしろ明快 であった。ひとつの完結した世界として提出されていたと思う。
 だが、私にとっては、か えって玉手の謎は深まった気がする。
 そう、割り切れないことが、この場の誘惑なのだと。
 八介の三味線は、本当に気迫のこもった、一貫した主張が感じ取れる、そういう三味線だ った。
 そして太夫が三味線をリードし、三味線が太夫に挑む、その中から生まれてくる見 事な調和。このとき、二人の間に、自らの芸の高みを求める、太夫と三味線の戦いを感じ ずにはおれなかった。
 もしこのとき、この三味線が八介でなかったら、私は英大夫と出会 わなかったかもしれない。そんな深い情熱を、心に持つ人だった。
 その一年前、同じ研修発表の時、彼は「御所桜堀川夜討・弁慶上使」の奥を弾いていた。
 その時、三味線の10年と20年はこうも違うものか、と聞いた。
 悪いというのではない。
 だが、技巧がどうのという以前に、この世界は、どうしようもなく年功によってしか磨か れていくことの出来ない何かがあるのではないか、と思われた。

 そんな形で、文楽の厳し さと美しさを、この拙い耳に教えてくれた人であった。
 もう一つ、1997年8月、大東市市民会館における青少年芸術劇場の「野崎村」(英・八介) のこと。つまり「野崎村」の地元で演じられたときのこと。
それにしても、と思った。
 どうしてこんなにこの物語の世界から隔たってしまったのだろう、とため息をついたのを覚 えている。
 野崎参りの歴史、お染久松の悲恋、大阪人の心に深く刻まれたこの物語が、こ の当地で、どうしてこんなに遠く感じられたのだろう。
 それは演じる人々のせいではない。 だが、もう義太夫は、大阪人の共通の精神基盤ではなくなっているのだ。そんな悲しさを 覚えた。
 舞台の方はむしろのびのびと演じられていたように思う。二人の幼い恋、切々と訴える 父、自ら身を引く健気な犠牲。そしていよいよ段切れ、三味線の連れ弾きでの聞かせどこ ろ。
 生き生きと美しく、はぎれよい八介の三味線に呼応して連れ弾きの団市の音色の小気 味よさ。その三味線の華やかな合奏が、かえってその悲しみを際立たせる。
愛し合う二人 の未来の絶望と、それと知らぬ気の駕籠と船頭のチャリめいた仕草。その距離、それを眺 める精神の距離を感じることができた。
 こうなると予測し、それにたがわぬ響きに身を委 ねることができる。うっとりとその喜びをかみしめることができた、幸いな一時であった。
舞台後、不躾にも紹介もなしに楽屋を訪ねた私に、八介氏は快く応対し、サインを下さ った。用意がなかったので、持ち合わせた「艶容女舞衣」の文庫本に。
また連れ弾きをさ れた団市氏にも並んで書いていただいた。それから数年を経ずして、八介氏は早世、団市 氏も病のため廃業された。
 このサインは、あまりにも貴重な記念となってしまった。

 ほかにも、いくつかの舞台を思い出す。
 「雪狐狐姿湖」の鮮やかな、彩り豊かな世界の描 写、「二人かむろ」のぽってりはんなりした風情、「平家女護島・六波羅」では、数多い大 夫を語らせつつまとめ、「忠臣蔵・雪転し」では、ベテラン、松香大夫と共にこの段の面白 さを聞かせてくれた。その一つ一つを忘れることができない。
 その人がいることで、確か に舞台が一本芯が通り、一枚豊かさが加わる、そんな中堅としての役割を果たしていた人 だった。

 もう一つ、触れておきたい。氏は国立劇場研修生出身者の一人として、よい成果を残さ れた。
 つまり、この研修が始まった当時、文楽を初めとする古典芸能は深刻な後継者難で あった。
 この計画が発表されたとき、幼い頃からの修行が大事、とする人たちからは、成 人になってからの入門者である彼らに、危惧する向きもあったと聞く。
 事実、1期、2期 生出身で、廃業、転業した人は多い。
 彼はその中で、まだ世間の評価も定まっていない研 修生という道を選び、誠実に努力を重ね、ここまでになった。
 成人してからでも、本人の 気概と努力により、25年を勤めれば、ここまでになりうるという可能性を、事実として 後輩たちに示しえたのである。
 それなればこそ、3期の錦糸、4期の燕二郎、5期の宗助 始め、有望な若手が続くことになったのだと思う。

 それだけに、惜しい人をなくした、ではすまないことを思う。
 彼が果たしえなかったこ とを継ぐために、研修出身者では12期以下の団吾、喜一朗、清志郎、龍聿、清丈、そして 清太郎、清馗、寛太郎、彼らの一層の奮起と精進を期待したい。
 文楽に新しい可能性を見 出すことができるとすれば、そうした彼らの成長以外にはないのだから。
(2001、6, 3)

悲劇の構造――2001年4月公演を見る

 一見女同士の争い、遺恨と見えた「草履打」が、陰謀を持つ者とそれを知る者との間の鞘当であり・・・言ってみれば、五段構成の時代物の浄瑠璃世界には、中空のような中心があり、悲劇はその中心においてではなく、それを巡る周辺において、その中心からはじき出された者においておこるということを知らしめた

 いつも思う。清治の三味線で、一度たりとも不足とか、不安とかを感じたことがない。彼の三味線はいつも、音がそうなるべきところに、0.1ミリの狂いもなく入っている、という感がある。その音色の多様多彩なことはいうまでもない。まるで太夫の語りに合わせて、千も万も引き出しがあり、そこからふさわしい唯一つの音色を引き出してくるようだ。

 かつて故六世中村歌右衛門は、この廊下の引き込みの「羊の歩み」を、歌舞伎座の花道を8分かけて引き込んで表現したという。「腹で泣いて表面は何ともない」ふうに、というが、8分もかければ「何ともない」など見えようはずもない。だが、桐竹紋十郎の尾上は、わずかに草履を見つめて、下手へと引き込むだけで、「死以外は考えていない女」を表現したという。このときの玉男の尾上もそうであった、と思う

 権力の中枢からも、政治向きの情報からも締め出されるような下級武士が、結局その権力闘争に巻き込まれ、その手駒としてその忠義を利用され、相手に加担することになったばかりか、自らの基盤を失ったことである。又助の子と妻、その痛ましい献身と犠牲が、無意味なものになった。その悲劇の構造を、英―十九は明らかにしてくれた。そしてこの又助一家の嘆きを心に同調できた。全体として、端場での性根の確かさが切場での悲劇の格を作り出した

 権力闘争の中心人物は姿を見せない。その空白の中心に向けて、この悲劇は問いかける。この国では、いまもなお、同じ構造の悲劇が繰り返されているのだと。そのゆえにこそ、この物語は今日的な「読み」をもって共感し、再創造できる物語であると

 悲劇の重なりの後の、打ち出しの「千本桜・道行」。中堅・若手の床の見事な成果。清友をシンとする5挺の三味線、津駒・三輪の生き生きとした美声、さらに簑太郎、玉女の今を盛りの力強い舞台に酔わされた

森田美芽

 春4月、満開の桜と花冷え、去る人と動く人、様々な不安定さが、かえってその思いを 駆り立てる。吉田玉男文化功労者顕彰記念と銘打たれた2001年の4月公演は、床、手摺と もその充実ぶりを示すと同時に、未来に向けてのある種の危うさ、各々の抱える課題の大 きさをも感じた。

 今回の収穫は、まず第一に、「加賀見山旧錦絵」の「又助」のくだりを成功させたこと。

 この作品は、加賀藩の権力闘争を脚色した江戸浄瑠璃である。お家騒動にからむ、下級武 士又助の悲劇を描いた前半と、召使お初の敵討ちを描く後半。通常後半部分のみ歌舞伎で もよく上演されるが、又助の件は珍しい。しかし、一見別の物語のこの2つの物語が上演 されることで、この物語世界の描く悲劇の構造が示され、その悲劇の意味が輻輳し、深く 心に届く。
 一見女同士の争い、遺恨と見えた「草履打」が、陰謀を持つ者とそれを知る者 との間の鞘当であり、尾上の自害は、単なる矜持の高さによるものではないと知られる。 言ってみれば、五段構成の時代物の浄瑠璃世界には、中空のような中心があり、悲劇はそ の中心においてではなく、それを巡る周辺において、その中心からはじき出された者にお いておこるということを知らしめたことである。

 幕開きは「筑摩川の段」御簾内で文字久、清志郎。謡がかりの語りだしは十分。清志郎 もよくついていく。音がすみずみまできれいに届く。「鳴るは虫おしごろた道踏みくぢき踏 みすべり、ござひきかぶって又助が忠義一途の一筋道」で、又助の性根が語られる。若手 の波のメリヤスも勇壮に、又助が「身づくろひ川辺に下り立ちざんぶと飛び込み」、待ち受 ける。そこで敵と付け狙う蟹江一角と主君を取り違えて討ち取る。これが悲劇の始まりで ある。

 この場は、昨夏の「国言詢音頭」の幕切れを思わせる。実直そのものの又助の唯一の狂 い。その狂いが彼に破滅をもたらすとは。

 「又助住家の段」中、英大夫、燕二郎。端場とはいえ約30分の持ち場で、三大身売りの 一つと呼ばれる場面。「忠臣蔵」の「身売り」に匹敵する内容と格を備えている。まず女房 お大で老け女形、「頓狂声」の歩きの太郎作、亭主才兵衛の三枚目だが抜け目ない玄人、谷 沢求馬の若男、庄屋治郎作の又平首、又吉の幼い子供の声、そして又助の文七首にふさわ しい大きさと実直さ、これらを語り分けねばならない。最初に床そばで聞いたとき、端役 と三枚目と又平の違いがわかりにくかったし、お大はなにかひっかかりのあるような声づ かいであった。ところが1週間後、床のちょうど反対側で聞くと、声は伸びやかに、どの 役も自然に声の使い分けが出来ている。

 まず、又助に「男」を感じた。義を重んじ、悪を憎み、ひたすら忠義を尽くそうとする。 だが実は、主君の顔も知らない下級武士。彼らこそ忠節という点では鑑なのだ。中心でな く周辺にこそ真理は残る。妻に向かうぎこちなさ。無骨を絵に書いたような、ごまかしの 出来ない男。

 次に、女房お大の「老け女形」の性根。貞淑な女房が、夫の苦境を救うために、密かに 身売りを決意する。子どもへの思いと夫への思い、その切なさが胸をうつ。 さらに、3人の脇役の性格が、すべて詞で表現されていた。太郎作はかるく人がよい。 玉志は動きにメリハリがついた。才兵衛は粋人らしさもある三枚目。簑太郎は細かい動き まで見せるし、玉女はチャリとしての動きを明確に出す。庄屋は小心な年寄りと思われた。 簑二郎は前半と後半の変化を面白く見せる腕を持っている。

 お大は文雀。丁寧でしとやか、貧苦のなかの忠実、人妻の色香をほのかに匂わせる。こ のお大の身売りの決意の強さ、子を思ういじらしさ、夫への見せ掛けの愛想尽かしの裏に あるもの、その一つ一つを丁寧に感じさせた。求馬は和生。上品で、世間知らずのおぼっ ちゃんの弱さと強さを適切に遣う。文吾の又助。実直、剛毅な男。お大の身売りを知って はっとするその思いが伝わってくる。燕二郎の三味線は手強く、曖昧さのない芯の通った 音色。

 切は十九大夫、清治。いつも思う。清治の三味線で、一度たりとも不足とか、不安とか を感じたことがない。彼の三味線はいつも、音がそうなるべきところに、0.1ミリの狂 いもなく入っている、という感がある。その音色の多様多彩なことはいうまでもない。ま るで太夫の語りに合わせて、千も万も引き出しがあり、そこからふさわしい唯一つの音色 を引き出してくるようだ。

 今回もこの三味線に圧倒された。時間の経過、又助の喜びから 一転しての嘆きと悔い、わが子を手にかけるまでのためらい、悪を装って自分を手にかけ させ、自らの潔白を語る。なんという「思い違い」。そしてお大の自死。又助一家の悲劇を、 克明に三味線が追っていく。三の糸を切ってもそれと気づかせぬほどの迫力に陶然となっ た。

 十九大夫は安田庄司の出から、この物語の謎解き、又助が忠義のつもりで逆に主君を 討ったという逆説を明らかにしていく。その迫り、「我が身の運命筑摩川」の嘆きが痛まし い。やはり語りが大きい。「かきくどき夫婦手を取りかはし叫び嘆けばほとばしる血汐は空 の立田山落ちて流れて谷川も紅染むるごとくなり」という大落としも、決して大げさとは 思えなかった。見事な段切れであった。

 この場の悲劇は「何事も存ぜぬわれわれ」といわれるように、権力の中枢からも、政治 向きの情報からも締め出されるような下級武士が、結局その権力闘争に巻き込まれ、その 手駒としてその忠義を利用され、相手に加担することになったばかりか、自らの基盤を失 ったことである。又助の子と妻、その痛ましい献身と犠牲が、無意味なものになった。そ の悲劇の構造を、英―十九は明らかにしてくれた。そしてこの又助一家の嘆きを心に同調 できた。全体として、端場での性根の確かさが切場での悲劇の格を作り出した、良い舞台 であった。

 休憩後、「草履打」。一転して華やいだ春らしい舞台。岩藤は松香、尾上は千歳、善六に 南都、咲甫・相子の腰元、三味線は団七。松香はさすがに年功で、岩藤を憎々しげに描く。 善六に芝居を演じさせ、尾上をいたぶる意地の悪さ。ひたすら耐える尾上。千歳は千秋楽 近くなって、少し声が荒れているように思われる。尾上の悔しさ、耐える思いを匂わせる 力はさすが。南都は気の毒にも思えるが、それでも精一杯努める姿勢がさわやかである。 咲甫、相子は力をつけてきている。団七は匂うやかな華やぎと葛藤のすさまじさ、この場 の緊張をあでやかに描き出す。

 尾上はいつ、自害を決意したのだろう。玉男の尾上は、わずかな肩のふるえ、一筋乱れ た後れ毛の揺らぎで、すべてを語っている。語る千歳と語らぬ玉男。その狭間に立つ人形 は、内へ内へと内向する思いを胸に立ち尽くしている。岩藤は一暢。普段この人があまり 遣わない首だが、この人のうまさを見る思い。

 「廊下」伊達・寛治。もはや余裕というべきだろう。この場が入ることが、お家騒動と しての意味、単なる女同士の対立でないことを知らせる。岩藤の真価はこういうところに 出る。紋寿のお初。はきはきと明るく、「利発な」という形容詞は彼女にこそふさわしい。 和右のお福首もしっかりしている。伯父弾正は玉也と玉輝のうってがえ。もう少し悪のふ てぶてしさ、底強さを出してもよい気がするが、実直で力強い遣い振り。

 眼目の「長局」。お初はさっきの密談をいつ語ろうかと迷っている。そこへ尾上が下がっ てくる。それは、舞台を上手から下手へと横切るだけである。下手で、ただ一度草履を見 て、昨日の遺恨を思い出す。だが、そこで尾上がすでに死を決意していることがわかる。 部屋へ戻ってのお初とのやりとりはほっとさせる場面も作りながら、悲劇への緊張を作り 出していく。綱、清二郎、弛緩させない語りと弾き。尾上とお初は、主従でありながら、 姉妹のように通じ合っている。

 草履打という恥辱を受けて、死を思いつめつつも、お初を 思いやる尾上、主君の悔しさを思いつつ、思いつめた主君を案じるお初。烏鳴きからの急 展開、ここで単なる意趣返しではない、命をかけての訴状となることを示す。お初の狂乱 は、単なる激情ではない。尾上の悔しさを自分自身に感じる感情の同調とともに、正義の 怒りである。これが冒頭の又助の狂気とつながり、安田の庄司が出ることで、両者のつな がりを見せる。

 中心と周辺。又助は下級武士、尾上は町人、お初は貧しい武家娘。いずれも権力の中心 からは疎外されながら、行き掛かり上その争いに巻き込まれたものの悲劇である。この悪 の仕掛け人、権力闘争の中心人物は姿を見せない。その空白の中心に向けて、この悲劇は 問いかける。この国では、いまもなお、同じ構造の悲劇が繰り返されているのだと。その ゆえにこそ、この物語は今日的な「読み」をもって共感し、再創造できる物語であると。

 そして玉男の、一世一代の尾上。かつて故六世中村歌右衛門は、この廊下の引き込みの 「羊の歩み」を、歌舞伎座の花道を8分かけて引き込んで表現したという。(渡辺保『女形 の運命』参照)「腹で泣いて表面は何ともない」ふうに、というが、8分もかければ「何と もない」など見えようはずもない。だが、桐竹紋十郎の尾上は、わずかに草履を見つめて、 下手へと引き込むだけで、「死以外は考えていない女」を表現したという。このときの玉男 の尾上もそうであった、と思う。

 品格を持って、しかも心に思い定めた様子で、死を覚悟 した尾上の思い、その姿。ふと気づいた。今回共に上演された『摂州合邦辻』で、吉田簑 助の玉手御前にも、同じものを感じた。俊徳丸の後を追って父の家を訪ねる玉手。御高祖 頭巾に顔を隠し、閻魔堂の門口にたたずむ。そのとき、玉手はすでに死を覚悟していた。 自らの命を捨てて俊徳丸を救おうとするのか、義理を果たすためか、恋に殉じるためか、 いずれにせよ、玉手は自らの死を予測していた。その緊張感が、静かに迫ってきた。それ は、ある意味で、肉体の限界と戦いつつ人形を遣う彼らのなかからほとばしり出た表現な のかもしれない。住大夫によるこの『合邦』は、娘を思う一徹な父の悲劇として構成され た。玉手の狂気よりも、義理のゆえに娘に手をかける父親の悲劇に主眼が置かれたように 思う。そしてこの2人の女の死をへと向かわせるものの論理のむごたらしさを、共に感じ ることが出来た。それを彩るのは、錦糸の見事な三味線であった。切場の三味線の格を備 え、玉手の、親合邦の悲劇を、糸が誇らかに描き出す。「西門通り一筋に、玉手の水や合邦 が、辻と古跡をとどめけり」という、その物語世界の広がり、現代へと続く精神の脈々た る流れを感じさせた。

 もう一つの「葛の葉子別れ」「信太森二人奴」は、狐という点で「千本桜」に、「子別れ」 という点で「又助」に繋がる。しかしそれらと異なるのは、土地の力である。阿倍野とい う熊野への道の歴史を背負った場、そして人の力を超えた異種婚の不思議、さらに畜生と 呼ばれる存在こそ、人間以上に人の情も恩も感じるという逆説。嶋大夫の語りはそうした 情味をまろやかに、豊かに納得させるものであり、狐とその姿を借りられた人間の対照の 妙をよく表わした。文雀の女房葛の葉も、こうした切なさと情味を見せてくれた。玉松は 年功を見せる。清之助はどうしてこうも物堅い姫を的確に遣えるのだろう。玉佳の安部童 子の愛らしいこと。

 「二人奴」はその視覚的対照性が見事。勘寿はこんな力強さもお手の物に見せる。貴大夫 は決して得意な役ではないかもしれないが、力強く努め、津国は芯の通った強さ。喜左衛 門がそれらを見事にまとめる。

 こうした悲劇の重なりの後の、打ち出しの「千本桜・道行」。中堅・若手の床の見事な成 果。清友をシンとする5挺の三味線、津駒・三輪の生き生きとした美声、さらに簑太郎、 玉女の今を盛りの力強い舞台に酔わされた。葛の葉姫、浅香姫に比べて、静はまさしく白 拍子、自らの意志と力で生き抜いていく女であり、わずかなしるべを頼りに、はるばると 旅をする女である。狐忠信は色男ぶりを見せる。恋人どうしでなく、同じ志を持つ者どう しの旅路。「枝を連ぬる御契りなどかは朽ちしかるべきと」が響いてきた。

 見渡す限りの花、浮き立つばかりの三味線の旋律。しばし夢のごとくに酔わされた後、 あの歩みの向こうに、権太の一家の悲劇が連なっていることを思い起こした。あの、山ま た山の峰を連ねてゆく吉野の山のごとくに、人の運命もまた、絡み合い連なりあって、私 たちの世代へと、その思いを、嘆きを連ねているのかもしれない。そんな思いを深くした、 春の宵であった。

「帯屋」の四季――呂大夫を偲びつつ

「帯屋」の設定のユニークさ。その異常さ。それでこそ観客は安心して「うちとはちがう」と楽しめたのだろう。自分のしがらみを思い出させるほど、芝居にとってまずいことはない。

英は、この詞の緩急自在な語りが楽しい。流れるように自然な大阪弁で、6人の人物を的確に語りわけ、そのいずれもが生きている。人物に命がある。言い換えれば、人の善意も悪も欲望も、無意識の願望も、その全てが人の世の常なのだと納得させる。

呂大夫の語った沈鬱な長右衛門の苦衷、繁斎のしみじみとした忠告、その一つ一つが、ただ一度の出会いでありながら、耳に残っている。 あの時、私の「帯屋」は心にその範型を築かれた。

森田美芽

 同じ演者で同じ演目を見るのは期待と不安がある。
 最初に見たときより、さらに良い成 果を期待してしまう。
 若手の場合、それは成長を測るよい目安となる。
 たとえばその前日 にワッハ上方演芸場で行われた「弁天座・旗上げ公演」。ここで若手の豊竹咲甫大夫、鶴沢 清志郎は「菅原」の「東天紅」を演じた。
 幸運にも4年前、咲甫21歳の折、素浄瑠璃で語 った(この時の三味線は野沢喜一朗)のを耳にしていた。
 結論からいえば、4年前のことは 過去になった。情景描写、人物の描き分け、夫と父の間に苦悩する立田の前、妻を殺そう とする宿称太郎の「と、ど、め」というためらい、はっとするような発見をいくつも感じ た。
 彼の浄瑠璃の言葉を聞きながら、あ、このとき、この人物は何を考えていたのか、と か、こんな角度で見ている、とか、様々な思いが引き出されてきた。
 無論、立田や宿称の 心理のあや、特に宿称太郎の人物をにおわせるのは年齢的にも不十分かもしれない。しか し、言葉が陰影を持って、何重にもなるその広がりの可能性を感じた。長足の進歩である。
 清志郎も中間部の緊張を力強く描き出した。
 そう、若手にとっては、一回一回が成長の節 目である。
 では、ある程度の年功を経た技芸員にとってはどうだろう。

 2001年2月24日、ヘップファイブホールで行われた「現代に生きる古典シリーズ、落 語と文楽のあやしい関係」で、英大夫による「帯屋」を聞いた。
 私にとっては2度目だが、 彼にとっては1昨年の巡業と、国立劇場の素浄瑠璃の会ですでに手のうちに入っている作 品の一つ。
 そして、落語の世界との内的外的なつながりを見せること、いま盛りの人形遣 いたちとの競演であること。
 この「帯屋」の設定のユニークさ。何一つ「自然」な関係がない。
 長右衛門は繁斎の養 子、おとせは後妻、儀兵衛はその連れ子、お絹には子がない。さぞや気の張る家であった ろう。そして38ばかりの長右衛門は14歳のお半と関係を持ち、妊娠させる。
 その異常さ。 だが、それでこそ観客は安心して「うちとはちがう」と楽しめたのだろう。
 自分のしがら みを思い出させるほど、芝居にとってまずいことはない。
 和生のお絹、やわらかな貞女ぶり。
 夫を思い、よく出来た妻、だが夫との間に子はない という引け目。悪い姑にも一生懸命に仕える。お絹に同情が集まるはずと納得する遣い方。
 玉英のおとせ、やはり年功のうまさ。目立ちはしないが芝居を心得た遣い方。
 玉也の繁斎、 通常敵役の多い人だが、人のよい隠居、実直な商人の年輪を感じさせる。
 清之助の長右衛 門は出がよい。刀の詮議、金の問題、そしてお半の懐妊と、その肩に重苦しくのしかかる のがそれだけで分かる。わずかにしゅろ箒を受けて返す以外、本当に辛抱立役である。
 清 之助はここも持ちこたえる。観客の目が儀兵衛と長吉に行っていても、それを受け止めつ つ、そこにいる。
 この受け方が、後半の展開への伏線となるだけに、この人は、損な役回 りだが、使命をきちんと果たしているのがわかる。
 玉女の儀兵衛と簑太郎の長吉。ここで も二人はバランスのとれた好一対である。仕掛ける小悪と阿呆の関係の逆転。
 簑太郎のチ ャリは、一つ一つの動きまで意味を持っているのがわかる。
 玉女は決してチャリが本領の 人ではない。にもかかわらず、この二人が同じ舞台で並び立つとき、互いに火花を散らし あって、それでいて相手の美質をより輝かせる、不思議な効果が感じられる。
 簑太郎の遣 い方には素人さえも引き込むうまさがある。目を引き付ける、何かを感じさせる。洟をす すりこむ呼吸、儀兵衛に迫られて「お半さんとな、あたいとな、」と恥ずかしげに語るそぶ り、なんと観客の目におもしろく見せることか。
 玉女の儀兵衛、悪役なのに、どこか憎め ないところがある。「小へげたれめが」「大きに憚り様」「明けの元朝から」といった古い大 阪の、床の詞に合った、生き生きした遣い振り。この手摺の充実が大きい。

 英は、この詞の緩急自在な語りが楽しい。
 流れるように自然な大阪弁で、6人の人物を的確に語りわけ、そのいずれもが生きている。
 人物に命がある。言い換えれば、人の善意も悪も欲望も、無意識の願望も、その全てが人の世の常なのだと納得させる。
 そして14歳の娘が38の分別盛りに惚れ込み、ふとした過ちから妊娠してしまうという、人の心の弱さ、底知れなさも。確かにこの場の登場人物は、いささか類型化されているが、そのなかにある人の心の不可思議さが、この浄瑠璃を魅力あるものにしている。そんなことに思いを到らせる。
 そして清友の三味線は、深く深く心に沿った音色。
 この人は、私には技術的な物言いはできないが、どんな太夫と組んでも、その太夫のやり方に沿い、それでいて太夫を生かす 力がある。力強い美音をひけらかすことなく、太夫のやりよいようにうまくリードし、助 け、語らせてくれる。
 事実、この人と組むときの英大夫は、安心感というか、信頼感が支 えとなって、より力を出しやすくなっていると思う。
 繰り返し聞くことによって見出したもの、それはやはり喜劇と悲劇の接点であろう。
 こ こで笑われたものは、お半の真実、長右衛門の思い。彼らはそれと知らずに笑い、そして どんでん返しによって自らが笑われる者となる。その皮肉。
 喜劇と悲劇は表裏の関係にあ る。
 ふと、1昨年の巡業で、この場の後を語った呂大夫を思い起こしていた。
 十代豊竹若大夫を師匠とした呂大夫と、祖父に持つ英。兄弟のような二人で完成されたあの「帯屋」を。
 前の部分では長右衛門の苦悩の本質はまだ現れていない。
 呂大夫の語った沈鬱な長右衛門の苦衷、繁斎のしみじみとした忠告、その一つ一つが、ただ一度の出会いでありながら、耳に残っている。
 あの時、私の「帯屋」は心にその範型を築かれた。前半のチャリと後半の嘆きの間にある、お半と長右衛門の、恋と義理と自責の柵、愚かと知りつつ死へと向かわずにおれなくなる運命の絡まり。その不条理を納得させてくれた語りだった。
 どうしてもう少し、生きていてくれなかったのか。このメンバーで本公演を見る日を心から楽しみにしていたのに。

 そしてもうひとつ。若手にとっては成長のステップである繰り返しが、彼らにとっては 深化へと向かうもう一つの動きであること。
 床も手摺も、このレベルなれば、もはやこれ 以下にはなりえないという安心感はある。
 しかしその中で、新しい課題、新しい発見を自 ら求め観客に問う積極性が必要とされる。
 そうした彼らの営みのうちに、見出されるもの が起こされる。私たちは見方を、聞き方を学ぶのだ。
 たとえば儀兵衛の解釈、お絹の思い、 長吉の役割、その一つづつが、前と違った何かを教えてくれる。その広がりが私たちの心 を捉える。
 同じ作品を繰り返し見ることは、観客にとっても、いくつものチャレンジである。
 観客 とは気楽で残酷なものである。その背後にどれほどの苦しみが積まれているかお構いなし に、マンネリだとかもう充分とか言いたがる。
 芸に生きるとは、そうした残酷な観客の評価と決して目利きでない人々の気まぐれに、 生涯さらされて生き続けることとつくづく思う。決して終わりの見えない戦い。稽古の厳 しさもあろう。
 この公演の前の桂吉朝らとの対談で、人間の尊厳を破壊するほどの、という形容を彼は用いた。だが、最も恐ろ しいのは、ただ一人で、人形遣いたちも、裏方も、その全てを率いて一つの舞台をつくり、 観客に立ち向かい続けねばならないことかもしれない。
 その反復の中で、出会えるものの 真実が、私たちを生かす一期一会の出会いとなる可能性を、私は信じる。

21世紀の三番叟

なぜ、三味線は、16回(あるいはそれ以上)の繰り返しを、末席の清丈まで、一糸乱れず清治の手の速さについていけるのだろう。

つまり、新しい年、新しい始まりを寿ぎ、その豊かな実り、幸福を祈ると共に、舞手自身がこれら神的存在を象徴し、あるいはこうした祝福を与える側の存在となる、という興味深い二重性が見られる。

まず千歳が進み出でて舞う。 英の声は清やかに響き、千歳はそれにふさわしく、一点のかげりもない、清新さ、すがすがしさにあふれる舞。 さきがけとしてその場を鎮め、春を呼ぶにふさわしい。

英は、初日からしばらくは、まだ声に前月の疲れが残っていたようだが、しり上がりに調子を上げ、見事に語り勤めた。 清之助は千秋楽近くなっても、舞台の直前まで、舞台袖で出の動きを繰り返し繰り返しさらっていた。 こうした日々の修練と心がけが、こうした舞台の充実を生み出すのだろう。

三番叟の動き、種蒔くしぐさ、向き合っての、また隣り合っての、その一見単調な動きが、繰り返しのリズムに乗って、次第に動きも大きく激しくなり、その律動に心が躍ってくる三味線のユニゾンが、このリズムを繰り返し繰り返し、最初は1フレーズが30秒、2回繰り返し続いて25秒に、23秒に、最後は20秒を切るかと思われるこの緩急自在の動きを、6人の三味線が一糸乱れず奏でる、見事としか言いようがない。 それとともに、三番叟の動きがその緩急に合わせて、次第に大きく、激しくなる。 まだまだ、もっと、もっと、と、見る者がその中に、自分自身を移入するかのように、演じる者の激しさに没入していくのがわかる。

簑太郎、玉女。その動きの一つ一つに意味がある。 この三番叟の動きから、われわれの先祖がどれほど豊かな実りを、大地の恵を祈願したかわかる。 彼らの思いを、感覚を共有できたと思える一瞬だった。

単なる伝統礼賛でもない。…彼らが自分の舞台に、いのちがけでぶつかっていくとき、また観客も、予備知識の有無でなく、心底そこに見出そうとするなら見えてくる、魂の交歓がある。

21世紀の三番叟

森田美芽

 なぜ、三味線は、16回(あるいはそれ以上)の繰り返しを、末席の清丈まで、一糸乱 れず清治の手の速さについていけるのだろう。
 なぜ、三番叟の玉女と簑太郎は、最後まであんなに激しい動きにも関わらず、ぴったり 呼吸を合わせ、舞い続けられるのだろう。
 見るたびに、聞くたびに、心が躍動する。2001年初春公演、21世紀を寿ぐ「寿式三番叟」、 その力に触れて、思わず胸が躍るのを抑えられないのは、私だけではないだろう。今回は その「三番叟」の魅力を探ってみたい。
 文楽の「三番叟」は、能の「翁」にその淵源を持つ。物語ではなく、天下泰平、国土安 穏の祈祷曲として舞われ、あわせて嘉例延年の祝福がもたらされる、という。

 本来は仏教の儀式、南都興福寺の維摩会に、仏教の奥義を表現するために考案されたと いい、父尉(釈尊)・翁(文殊)・三番(弥勒)の順に呪師(じゅし)によって舞われた三 番猿楽であり、後に父尉と延命冠者を伴うようになり、また稚児が露払いを勤めるなどの 変更があり、室町期に現行の「露払い(千歳)、翁、三番猿楽(三番叟)」となったといわ れる。
 また「風姿花伝」には、秦氏の子孫が村上天皇の御代に66番の申楽のうち、3つを 選んで「今の世の式三番これなり。則ち、法・報・恩の三身の如来を象り奉るところなり」 とある。
 つまり、新しい年、新しい始まりを寿ぎ、その豊かな実り、幸福を祈ると共に、 舞手自身がこれら神的存在を象徴し、あるいはこうした祝福を与える側の存在となる、と いう興味深い二重性が見られる。

 人が神になる。キリスト教ではイエスだけに認められる排他的な神秘である。
 それが、 日本では、共同体の長老である「翁」によって担われる。
 祈るものが同時に祝福を与える ものとなる。
 それは祭りという非日常の時空において、神々との交わりにより人間が超日 常的な力を得る、という思想を現す。それを「翁」の面を掛けることによって表現したの である。

 従って「翁」には、われわれの先祖がもつ神への意識、切実なる祈り、共同体の 祝祭としての面が、色濃く見て取れる。
 現行の文楽では、この様式を受け継ぎつつも、より視覚的、感覚的に訴えるものとなっ ている。
 明和年間(1764~72)にすでに上演の記録が見える。
 三番叟が二人立ちに なったのは明治以降と見られている。
 現行の華やかな演出は、むしろ歌舞伎からの逆輸入 になっているという。

 だが、それでも、なおそこに感じられる何か、私たちの先祖の表現 し、感じ、見たもののなごりが、形にならないまま、胸に迫ってくる。それは何なのだろ う。
 舞台は松羽目、能の橋懸りを模して、3本の松の作り物。なにより船底をつかわない平面 の空間は、何かに満たされることを待っている。
 最初に登場するのは面箱をかかえた千歳。紫の梅模様の着付けに紅梅白梅のかざし、若 男のかしら。清之助はしずしずと進み出る。
 続いて翁。かしらは孔明。厳かに歩み出で、正面で平伏する。これはいつも思うのだが、 観客に対してではなく、劇場正面の櫓に降臨する神に対しての礼ではないのか。(渡辺保『女 方の運命』参照)
 そうすると、客はここで拍手をすべきではないことになる。いまは櫓そ のものが形式化しているが、こうしたいわれは忘れたくはない。
 三番叟登場。先に検非違使の玉女、後に又平の簑太郎。きびきびした動き。このペアの 見事な対象性が、文楽の三番叟の魅力である。

 まず千歳が進み出でて舞う。
 英の声は清やかに響き、千歳はそれにふさわしく、一点の かげりもない、清新さ、すがすがしさにあふれる舞。
 さきがけとしてその場を鎮め、春を 呼ぶにふさわしい。
 英は、初日からしばらくは、まだ声に前月の疲れが残っていたようだ が、しり上がりに調子を上げ、見事に語り勤めた。
 清之助は千秋楽近くなっても、舞台の 直前まで、舞台袖で出の動きを繰り返し繰り返しさらっていた。
 こうした日々の修練と心 がけが、こうした舞台の充実を生み出すのだろう。

 匂うやかな、あでやかな千歳。
 翁の舞。面をつけることで神格を得る。
 本来は族長としての人物であり、祈る代表であ る。短いが文雀はさすがに貫禄と威厳のある翁。十九大夫は大きさと柄と格あるシンの役 割をつとめる。

 三番叟の舞。
 揉みの段と鈴の段。三番叟が踏みしめる。
 大地を踏みしめ、そのいたる所 を踏みなおす。
 あるいは速く、時には大きく、大地の豊穣を祈願して、その恵みを「わが このところより他へはやらじとぞ思ふ」と、力強く踏みしめる。
 このリズムの心地よさ。 三番叟の動き、種蒔くしぐさ、向き合っての、また隣り合っての、その一見単調な動きが、 繰り返しのリズムに乗って、次第に動きも大きく激しくなり、その律動に心が躍ってくる 三味線のユニゾンが、このリズムを繰り返し繰り返し、最初は1フレーズが30秒、2回繰 り返し続いて25秒に、23秒に、最後は20秒を切るかと思われるこの緩急自在の動きを、 6人の三味線が一糸乱れず奏でる、見事としか言いようがない。
 それとともに、三番叟の動 きがその緩急に合わせて、次第に大きく、激しくなる。
 まだまだ、もっと、もっと、と、 見る者がその中に、自分自身を移入するかのように、演じる者の激しさに没入していくの がわかる。

 津駒、千歳、共に次代を担う語り手であり、前に出る語りはその力を思わせる。
 だが、 少し力が入りすぎでは、と思う時もあった。
 こうした祝祭芸では、太夫は声の器に徹しな ければならないのではないか。
 人物や感情移入でなく、またいたずらに自己を顕示するの でなく、求められる声の器としておのれを無にし、明確に言葉を言霊として扱うこと、わ れわれ近代人にとって、これほど困難なことはない。
 が、なおそれに徹するところに共同 体の祈りとしての意味が伝えられるのではないだろうか。
 そして簑太郎、玉女。その動きの一つ一つに意味がある。
 この三番叟の動きから、われ われの先祖がどれほど豊かな実りを、大地の恵を祈願したかわかる。
 彼らの思いを、感覚 を共有できたと思える一瞬だった。

 私たちが文楽の舞台を良いと評するとき、そこにはいくつかの要素がある。
 まず、技芸員たちの芸が十分に練られ、磨かれたものであること。
 そうした技芸が十分に 発揚されるとき、私たちはしばし夢の世界にあそぶことが出来る。
 鍛え抜かれた声、ゆる ぎない一瞬の緊張を作り出す三味線、わずかなかしらの動きで、魂を込められる人形。

 第二に、一人一人の技芸が、全体としての舞台を、物語を作り出し、そこに古い物語の 持つ世界の意味を十分に伝えること。
 彼らの演じている人物が、その関係が、背景が、そ の世界のも
つ論理が、今日と違っていても、違っているということ自体、十分に伝えられ ること。  夫婦愛の奇跡、親子の情、武家の義理と親子の情の葛藤、等々。

 第三に、それが現代の我々に語りかける何らかの必然性を、すなわち同時性をもつこと。
 技芸員たち自身は、それぞれに異なる人生をもち、昔のような人権無視の修行時代を送っ たわけでない者たちも多い。
 彼らもまた、私たちと同じ世界に生きる人間である。
 その彼 らが演じるのは、いまでは見失われつつある日本の精神的伝統であったり、義理の論理で ある。
 そうした、自分たちの論理以外のものを演じるとき、彼らはその違和感を、自分の 内面でなんとかして埋めなければならない。
 ある者はそれを非現実と割り切り、ある者は 昔の確かだったものを思い起こそうとする。
 だが、単なる懐古趣味でも、伝統礼賛でもな い。確かに見失われてならないものがあり、それをすることによって今生きている自分自 身の取り戻し、あるいは再発見させるものがある。
 演じるものにも、見るものにも、それ は与えられる。

 彼らが自分の舞台に、いのちがけでぶつかっていくとき、また観客も、予 備知識の有無でなく、心底そこに見出そうとするなら見えてくる、魂の交歓がある。

 第四に、彼らの伝える芸の内容が、有形無形に伝える精神の伝統を、共に出来る場をも つこと。
 そこに祝祭芸としての意味がある。
 単に見て楽しむ、というのでなく、そこに参 加するものとされること。自分たち自身のうちに、それらに呼応する何かを見出すことが できる、我々がある精神性のうちに生まれ、養われていることを見出す。
 無論、日本人だ から当然、という捉え方はしたくない。それが特定のイデオロギーに結びつくものであれ ばなおさら。
 しかし、私たちの受け継いでいるものが、この世界の中で、何をあらわし、 また何を担っているのかを自覚することは意味がある。

 私たちが見失ってならないものは、 その個別の精神性をその場としつつも、それを超えてあるのだから。
 そして文楽が、その 伝統を通して、それを見せてくれる、貴重な芸脈であることはいうまでもない。
 今回、「三番叟」の充実を通して、そうした思いが与えられた。
 そしてまた、その「何か」 を見出すために、私は劇場へ向かい、彼らの舞台に向き合いたいと願う。
 よき新しい年で あることを願いつつ。

まだ見ぬ未来へ――「ゴスペル・イン・文楽」によせて

 前半「艶容女舞衣―酒屋の段」・宗岸の娘への思いと半兵衛の偏屈。見せ場のお園のさわり。ここまでの芝居がしっかりしていなければ、このさわりは空虚である。だが、切々と心を打つ出来。特に最後に門口まで出て、夫に呼びかけるところは、お園の運命まで暗示するような切なさであった。

 後半「イエスの生涯」・文楽の新作は困難であるが、その伝統的技法や表現様式は、十分現代に生きるものであることと、現実にそれが、商業公演として成り立つかどうかという問題。こうしたさまざまの課題を抱えて、どれほどのことができるのか、という疑問に脅かされつつ、この日を迎えた。

 ・清之助は娘かしら、下げ髪、白の着付けのマリアを遣う。わが子を抱き上げ、まっすぐに見つめる。ここでは、処女の清らかさと、母としての慈愛と、一人の人間として、困難な決断を悔いない強さを表すという、大変困難な為所である。端的には、清之助のマリアは、前2者の表現は美しかったが、それに第三番目の強さと精神的葛藤を加えることは、彼の腕をもってしても困難であろうと感じた。

 ・われわれは、知らぬうちに愛するものを裏切る。そんな弱いわれわれに対して、イエスの眼差しは限りなくやさしい。そして、人の心の真実を見つつ、その責めを身代わりに負って下さったことを納得させる。勘寿はまたしてもここで地力を見せた。彼の遣うペテロは、本当に、どこにでもいる、罪深いわれわれ自身だった。そんな小さいものが、イエスと出会い、イエスに許されることで、命を得る。この物語のエッセンスを凝縮している。

  ・忘れてはならない。力強い三味線で、太夫を支えた清友、出すぎず、しかも負けることなく連れ弾きをこなした喜一朗、そして2つの語りを、その主題を明確に、隅々まで情の、血の通った浄瑠璃で、ただ一人で語りきった英大夫を。

 ・この「イエスの生涯」は、文楽作品として、まだまだ表現を洗練する余地がある。わくわくしてくる。毎回、違った演出を試し、ふさわしい表現を作り上げていく。その創造の営みが、われわれをいざなう。……何より、会場整理やCD販売にあたったボランティアの方々の熱意とお働きが、なんとも言えず暖かい雰囲気を作り出していたこと。

森田美芽

 「ゴスペル・イン・文楽」が終わった。関係者たちの、この1年余りの労苦を思うとき、 言葉にならない思いがこみ上げてくる。そして期待にたがわぬ好演であった。
 身内に、そ の余韻が、まだ残っている。だが、書き留めておきたい。書かねばならない。何が起こっ たか、何が見えたのか、何を語り継ぐべきか、その場に居合わせたものだけに許された幸 いを。
 この試みは、何をめざしていたのか。
 第一に、日本の伝統文化、古典芸能によるキリス ト教の表現という、新しい試みであること。その第一の接点は、「ことば」にある。文楽と いう、言葉の芸術が、どこまでキリスト教の「言葉」に迫れるかということ。
 第二に、なぜそれが可能か、その根拠を見出すこと、それは文楽そのものの見直し、そ こに表現されている人間の普遍的なものの再発見となるはずである。
 それは、人間の普遍 的な情、経験、愛といった内容において見出されるだろう。
 第三に、文楽の新しい可能性を探ること。文楽の新作は困難であるが、その伝統的技法 や表現様式は、十分現代に生きるものであることと、現実にそれが、商業公演として成り 立つかどうかという問題。
 こうしたさまざまの課題を抱えて、限りある人の力によって、 どれほどのことができるのか、という疑問に脅かされつつ、この日を迎えた。
 第二点からいえば、「艶容女舞衣―酒屋の段」と「イエスの生涯」(原題は「イエスの生 誕と十字架」だが、もう、この名で呼んでよいだろう)を結ぶものは、「無垢」であり、「犠 牲」であり、「絆」である。
 無垢は、処女の純潔と、神の前に罪なきものであることの二重 の意味がある。肉体の無垢は精神の無垢に通じる。知らないものだけが、負い目なしにい られる。
 お園の一途な思いは、この負い目なさの表現である。しかし彼女の半七への思い は報いられることがない(少なくとも現世においては)。
 一方、マリアの純潔は、西洋の2000年の歴史が育ててきた夢であり理想である。
 彼 女は「恋」なくして「母」となる。
 現実には、通常の母として以上の苦しみを背負いなが ら、その処女性と母性を神格化され、ついには天の女王の位に上げられた、とされる。そ の陰に見過ごされてきたのは、過酷な運命に立ち向かう、ナザレの貧しい少女の、信仰の 決断である。単なる無知な従順、無責任な応答ではない。
 無論、彼女は自分の決断の全体 を、その歴史的意味の全てを知って「諾」と答えたわけではない。少なくとも「未婚の母」 になることの困難だけは想像できたであろう。
 彼女にとって、マイナスしかもたらさない 決断、なぜあえて彼女はそれを選んだのだろうか。
 そこに、恋人ではない、神へのまっす ぐな信頼、自分の能力不足をなげくより、自分の至らなさを口実にするより、神を信頼す るという、それこそ稀有の、ただ神にだけ向かう、純粋な意志である。
 しかもそれは、長 く長く、30年以上にわたって続く決断である。彼女の息子が、無残な死を遂げるまで。
 愛とはまさに犠牲を払うことである。だがその犠牲が報われるとは限らない。それでも 人は、愛する者のために、帰らぬ息子のために、神のために、神の民であるまだ見ぬ人の ために、自分を犠牲にする。それはなぜ?
 目に見えない絆、親子の、夫婦の、神との、そ の絆を守ろうとして。
 高原氏の司会で、まずこの主題が語られる。そしてその主題が、きわめて明確に感じら れたのは、紋寿のお園、勘寿の半兵衛女房、そして勘寿のペテロである。
 紋寿のお園は、本当に純粋に、ただ半七のことだけを思っているのがわかる。人妻ではあ るが娘時代のなりをし、愛らしい。だが一度婚家の生活を経験して、何も知らない娘では ない。それでいて処女であることは一目瞭然である。
 彼女をこの家の人々とつないでいる のは、ただ彼女の半七への思いだけである。その、切れそうな絆を取り戻そうとする、た よりなさとひたむきさを表現する。ただ座っているだけで、そんなお園の思いが伝わって くる。さすがに紋寿である。
 宗岸は娘をいとおしく思う。半兵衛もそんなお園をいじらしく思う。だからこそ、復縁 させるわけにはいかない。半兵衛の身代わりを知ってからの女房も見事。勘寿の遣う半兵 衛女房で、私ははじめて理解した。この場での唯一名前の与えられていない、為所も少な いが、この女房次第でこの舞台が生きも死にもすることを。
 勘寿の女房は、半兵衛の述懐 を聞きながら、手ぬぐいで涙をぬぐう。それだけの仕草で、人の良いこの女房の思い、母 としての嘆き、姑としてのつらさが表現されている。勘緑の宗岸と亀次の半兵衛、ともに 健闘している。
 宗岸の娘への思いと半兵衛の偏屈。
 見せ場のお園のさわり。ここまでの芝居がしっかりしていなければ、このさわりは空虚 である。
 だが、切々と心を打つ出来である。特に最後に門口まで出て、夫に呼びかけると ころは、お園の運命まで暗示するような切なさであった。三味線のメリヤスに細棹のアシ ライが入り、そのまま幕。

 第2部が「イエスの生涯」。
 「イエスの生誕」暗闇の中に、うっすらと光がさし初める。舞台中央の飼葉桶に眠る嬰 児イエスの姿が、ぼんやりと見え始める。そしてマリアの登場。清之助は娘かしら、下げ 髪、白の着付けのマリアを遣う。舞台奥から進み出る。そしてわが子を抱き上げ、まっす ぐに見つめる。
 マリアは何を思ったのだろう。生まれてみれば、普通の貧しい家に生まれた子となんら 変わりない。力なく、弱く、母の乳を求めてやまぬみどりご。しかし、おそらく誰にも信 じてはもらえない、処女のままの受胎と出産という秘密。腕に抱いた我が子は、「ダビデの 王座につくべき子」であるという。
 その不可思議さ、圧倒されそうな事実の連続に、彼女 は戸惑わなかっただろうか。しかしみどりごイエスを見つめる彼女の目には、そうした迷 いはない。ここでは、処女の清らかさと、母としての慈愛と、一人の人間として、困難な 決断を悔いない強さを表すという、大変困難な為所である。
 端的には、清之助のマリアは、 前2者の表現は美しかったが、それに第三番目の強さと精神的葛藤を加えることは、彼の 腕をもってしても困難であろうと感じた。
 この清らかさは冷たさではない。ただ一つを望 む心の純潔そのものだから。
 「救い主イエス」を素浄瑠璃で聞かせ、最後の晩餐で紋寿の遣うイエスの登場。かしら は「俊寛」。
 ユダの裏切りは象徴的に、人形はイエスの一体だけで表現する。そして囚われ たイエスの後をペテロが追う。群集に迫られイエスを裏切るペテロ。しかし彼は、自分が 何をしたかまだ気づいていない。それに気づくのは、イエスの眼差しを感じた時である。
 責めるのでなく、恨むのでもない、その眼差しに触れて、初めて彼は自分がイエスを裏切 ったことに気づき、嘆き悲しむ。
 イエスの十字架は、「あけぼの」「一天にわかにかきくもり」を背景の照明で表現する。
 イエスの苦悩と十字架の苦しみは、通常と逆に、足が頭より高くなるほどの苦悶で表現さ れる。この左と足を遣った亀次、紋秀も努力も特筆されるべきであろう。
 クライマックス の「エリ エリ ラマ サバクタニ」の苦悶も、真に迫る動き。今回は十字架は背景の象 徴にとどめ、地に伏しのたうつ苦悶で表現する。

 そして復活。復活後、初演では白い衣を着せたが、今回はそのまま。そのかわり、はっ きりと手に釘の跡を見せる。そしてマリアが暗闇の象徴を脱ぎ捨て、清い喜びを表す。
 イ エスと目を合わせることを避けていたペテロが、イエスの眼差しを受け、再び人として立 ち上がる。このペテロに人間的共感を覚える者は少なくないだろう。
 われわれは、知らぬ うちに愛するものを裏切り、しかも自分を守るために嘘をつく。そんな弱いわれわれに対 して、イエスの眼差しは限りなくやさしい。そして、人の心の真実を見つつ、その責めを 身代わりに負って下さったことを納得させる。
 勘寿はまたしてもここで地力を見せた。彼 の遣うペテロは、本当に、どこにでもいる、罪深いわれわれ自身だった。そんな小さいも のが、イエスと出会い、イエスに許されることで、命を得る。この物語のエッセンスを凝 縮している。
 このペテロが入ることで、劇的な起伏と、共感と、主題が明確になった。そ して、前後半を通じて、人々の善意にもかかわらず、悲劇へと向かう人間の悲しみと、そ れを超えて人の絆を回復するイエスのいのちを、感じることができた。
 忘れてはならない。この日、力強い三味線で、太夫を支えた清友、出すぎず、しかも負 けることなく連れ弾きをこなした喜一朗、そして2つの語りを、その主題を明確に、隅々 まで情の、血の通った浄瑠璃で、ただ一人で語りきった英大夫を。
 私自身は、この物語を、素浄瑠璃の段階から聞いている。素浄瑠璃の場合、言葉の力が 直接的に聴覚から心へと、意味へと深く食い込んでくる。魂はそのなかに沈潜する。義太 夫の言葉と聖書の「ことば」は、たしかにそこで切り結んでいた。
 そして今回、人形の表 現によって、新たな可能性が加えられた。
 それは、見る者が、舞台にもう一人の自分を見 出すことである。これは見ることが距離をおくことになり、人が自分を見直す余裕を持つ ことになるからである。それをするためには、われわれに近い人物がいなければならない。
 まことに、ペテロを登場させたことは天の配剤であった。そしてこの物語は、キリスト教 の日本文化における表現として、ひとつの可能性を示すものであったといえよう。
 この舞台が実現するまでに、数々の困難があった。十分な準備や資金があったわけでは ない。しかし、どうしても実現したいという強い彼らの意志が、この試みを成功させた、 それを支えたのは、多くのファンであり、それぞれの家族・友人たちである。
 こんなあた りまえのことが、文楽の原点ではなかったか。
 伝統を守る、型を継承する、その前に、語 るべきもの、演じるべきものを見出す、それが、今日においても、文楽を現在形の、生き た営みとする。演じる人々にとっても、見る人にとっても、支える人にとっても、リスク を負うことを決断し、かつそれへと力を結集することにより、かけがえのないものが生み 出される。
 この「イエスの生涯」は、文楽作品として、まだまだ表現を洗練する余地があ る。
 人としてのイエスをどう表現するか、マリアをさらに生かすには、他の弟子や群集を ツメ人形で出すことはできないか、等々。
 わくわくしてくる。毎回、違った演出を試し、 ふさわしい表現を作り上げていく。その創造の営みが、われわれをいざなう。
 また、原曲 の作詩者である丹羽孝氏、今回の「イエスの生涯」を作った川口真帆子氏、照明の民部吉 章氏の見事な演出、最後まで手話通訳で、ある意味で語りの真髄を実演してくれた土屋徳 子氏と小笠原雅博氏、総合司会として、この会の全体の意味を明確に語り知らせた高原剛 一郎氏らの功績を特記しておきたい。
 何より、会場整理やCD販売にあたったボランティ アの方々の熱意とお働きが、なんとも言えず暖かい雰囲気を作り出していたことも。
 そして、それを作り出す現場を共にすることで、われわれは、もう一度、自分が一人で は生きられないこと、多くの人とつながりあっていること、そのためにこそ、彼らがこの 芸の道に命をかけて戦っていることを見出すであろう。
 それこそが、この作品を上演した ことの意義であるに違いない。