カテゴリー別アーカイブ: 美芽の“若”観劇録

若木の桜、老木の花――「義経千本桜」に思う

森田美芽

 「この比(ころ)よりは、大方、せぬならでは、手立てあるまじ。・・さりながら、誠 に得たらん能者ならば、物数みなみなうせて、善悪見所は少なくとも、花は残るべし。」
 2003年9月、国立小劇場公演「義経千本桜」を見て、『風姿花伝』の年来稽古条々、 「五十有余」の件を思い出さずにはおれなかった。

 芸に生きる者が、どうしようもなく直 面せざるを得ない肉体の限界というものを思い知らされた舞台だった。6年前、文楽劇場で 吉田玉男の知盛を見たとき、彼が78歳であることは露ほども思い浮かばなかった。人形遣 いは人形を生かし、自らの肉体を隠す。その陰にどれほどの痛みがあるかなど、観客には いささかも感じさせずに。それでこそわれわれは人形に没入できた。そこに語られるドラ マが、人間以上のリアリティを持って迫ってきた。
 いま、84歳という年齢を意識しないわけにはいかない。とりわけ知盛幽霊のくだりには、 痛ましさが先立ってしまった。しかし、手負いとなってからの数々、さらに左と足、さら に2人の介錯に助けられて、ようやく岩を登る彼を見たとき、思わず唇をかみしめた。私 が今見ているのは、吉田玉男なのか、平知盛なのか。
 手負いになってもなお降参を拒み、 修羅の地獄へ落ちようとする知盛に、私は何を見ているのか。拍手はできなかった。溢れ てくるものがとどめようもなく、立ち尽くすばかりだった。
 吉田文雀の典侍局においてもまた、同じ思いがあった。二重を上るとき、介錯に腕を支 えられて上る。その一瞬、典侍局がただの木偶に見える。それはほんの一瞬であるが、私 たちを現実に引き戻す。
 驚くべきは、その後、安徳帝を抱えて海に沈もうとする典侍局が 「いかに八大竜王」と命じるとき、二位の尼が壇ノ浦で安徳帝を連れて入水した時のさま が、ありありと浮かんできたことだ。それは間違いなく、殿上人の威風であった。作り物 の舞台の中に、そうした場を、身分秩序の世界とその論理を、さらに平家一門の無念を現 出させる力であった。

 文楽を見ていて、こうした状況を経験すると、何と言えばよいのだろう。一方で『散ら で残りし花』を賞でつつも、若木の桜の時分の花を惜しまずにはおられない。そのせめぎ 合う思いで、正しい評価などできようもない。ただ、その時に見たものを見た思いのまま、 書き記しておこう。
 大序、つばさ大夫、睦大夫、芳穂大夫、相子大夫。三味線は清馗、龍聿、龍爾、清丈の 順。つばさ大夫は声が安定し、聞きやすくなった。睦大夫は義経の物語の場を作り出す力 がでてきた。芳穂大夫はしっかりした声を出す。相子大夫は語りのうちに自然と訴えるも のがある。
 清馗はのびやかに素直な音。龍聿は音が明快だが、少し上ずって聞こえるときがある。 龍爾はこれからだが、音に対する感性はよいようだ。清丈は後半にはさすがに音が甘くな ったが、だいぶしっかりしてきた。
 人形では幸助の藤原朝方、和生の義経、文司の弁慶、清三郎の亀井六郎、簑一郎の駿河 次郎、キャスティングは若返ったが、いきいきと遣っている。一人一人、役をわきまえ、 全力を尽くしているのがわかる。
 北嵯峨の段。文字久大夫にかわり呂勢大夫、清太郎に代わり清志郎。清志郎は6年前は 大序を弾いていたが、もうあのころの音とは比較にならない。明快で、歯切れのよい音の ここちよさ。呂勢大夫はやわらかくはんなりした風情を描き出す。人形では玉英の浄心尼 の隠遁者の風としとやかさに見るべきものがあり、清之助の若葉の内侍は、やつしとはこ ういうことかと納得させる。庶民のなりをしていても、身分の高さは歴然としている。と りわけ衣装が変わってからは。紋吉は動かないで高貴さを出すすべを心得てきた。玉女の 主馬小金吾、前髪のさわやかな色気。熱い忠節。勘市の猪熊大之進、きびきびと動いてよ い敵役。

 堀川御所の段。嶋大夫、清介。この物語の悲劇の全体を、感覚的に理解させる。義経の 知略、誠実、にもかかわらず部下の暴走で決定的な兄弟の亀裂を迎える。しかも卿の君の 犠牲も無になってしまった。運命のいたずらとしか言いようのない悲劇なのだと、嶋大夫 の語りが迫ってくる。清介はいつもながらの心ある三味線が悲しみを添える。
 人形では一暢の卿の君、哀れに一途な義経の妻、紋寿の静、ここでは少し卿の君に遠慮 しているように見える。玉女の川越太郎、秀逸な存在感。和生の義経は、この場では知将 としての気品と諦めの潔さがまさる。土佐坊の玉勢もよく遣っている。
 アト、新大夫、清志郎。新大夫はこうした勢いある場は十分。清志郎もまっすぐな気合 で合わせる。

 二段目、伏見稲荷の段。松香大夫、宗助。松香大夫は義経の諦念、弁慶の無邪気、忠信 のあやしさを描き、宗助が的確に場を導く。文哉の逸見藤太がひょうきんな味わいを見せ る。紋寿の静の片手遣いも見もの。
 渡海屋・大物浦の段。口、呂勢大夫、喜一朗。中、千歳大夫、燕二郎。切、十九大夫、 富助。呂勢大夫はこちらが本役だが、少し「北嵯峨」と似たように聞こえてしまう。喜一 朗の勢いある音。千歳大夫はまた声を痛めているのが残念。心余って声に届かないもどか しさを感じる。こうした重い場をどのように語っていくかが彼の課題である気がする。燕 二郎は鋭さを増した。十九大夫は十分な位と格をもって語り、富助は鋭く切り込むように この場を作り出す。修羅道のいたましさ、惨たらしさを描く糸の見事さ。ただ最後の場面 での声が伸びきらないと感じたのは私の気のせいだろうか。
 亀次の相模五郎、この人なら誤りようもない。一徳の船頭、丁寧に遣っている。一輔の 入江丹造、手負いの苦しみと自害の絶望の深さ。玉翔の娘お安実は安徳帝は立派。

 三段目「椎の木」口、始大夫、団吾。いつもながらまじめな始大夫だが、もう少しメリ ハリを付けてもよい。団吾は折り目正しく合わせる。
 奥、伊達大夫、団七。テーピングをした団七の手が痛々しい。いつもの繊細な美音にわ ずかに蔭がある。伊達大夫の口跡の見事さ。田舎のならず者、そうした権太の生活感がに じみ出る。小金吾の無念。
 人形は玉一郎が善太、やんちゃで動きがある。勘弥の小仙、丁寧な世話女房。そこに玉 女の小金吾、紋吉の六代君、清之助の若葉の内侍が登場するだけでもはっとさせる。そし て満を持しての簑助の権太。魂の通った権太としか言いようがない。
 「小金吾討死」掛け合いで三輪大夫、文字栄大夫、咲甫大夫、つばさ大夫、三味線は喜 左衛門。三輪大夫の小金吾の、前髪の青年のすがやかさと哀れさ。咲甫大夫は声は十分だ が、部下に犠牲を強いる立場の苦しさをもう少し出せたらと思う。つばさ大夫はその一声 がうまくはまった。文字栄大夫は弥左衛門の実直と忠義のあわいを表出する。

 「すしや」切住大夫、錦糸、後咲大夫、清治。鮨桶の木の香り、人の動き、権太の単純 さと複雑さを描き出す住大夫の技巧。そのしみじみと迫ってくる味わいを誰が継ぐことが できるだろうか。お里のさわりがややあっさりとしていたようにも思う。錦糸の微妙な間 からにじみ出るような音色。咲大夫は新境地を開拓し、強さのみならず権太一家の哀れに 迫り、清治の音には一分の隙もない。
 この語りにこの人形がそろったとき、圧倒的な存在感の密度を感じた。
 玉也の弥左衛門、紋豊の女房、簑助の権太、勘十郎のお里、文吾の弥助、清之助の若葉 の内侍、紋吉の六代君、いずれもが人形とその性根、心と表現にまったく違和感がない。
 お里は田舎娘らしく自分の感情に正直な強さをもち、若葉の内侍は町人の着物を着ていて も、その取り成しはまさしく貴族の出である。座っている姿勢だけで、勘十郎も清之助も 彼女らの生まれ、育ち、感情を表現できるほどになっている。
 紋吉も格段の進歩。弥左衛 門も女房も自然ににじみ出るものがある。その悲しみの中心に簑助の権太がいる。あまり にも悲しい犠牲、最愛の妻と子を犠牲にし、その犠牲が無になったという嘆きを前に、父 は悔い、母は嘆き、妹は悲しみ、内侍は痛みを共にする。ただ一人、その犠牲を受けるべ き張本人、維盛は出家して永らえることとなる。
 だが失われた命のなんと惨いことだろう。 その嘆きを共にするとき、「諦め」――悟りという意味を私たちの先祖がどう理解したかを 心でともにすることができる。不条理とも、怒りとも。全段を通じて、この場が最も印象 的だった。

 四段目「道行初音旅」
 寛治の三味線が響くと、心からうっとりとさせられる。雲間に見える桜の山々、それを はるかに見渡す大和路の険しさ、愛する者を追って心せく旅の思いが、初めて聞くあのフ シオクリの旋律に、どれほど心に広がってきたことだろう。
 英大夫の静御前、予想通り、確かな手ごたえと色気。千歳大夫の忠信、少し声が伸びな ていない。南都大夫、早くこの人で静を聞きたい。相子大夫、「慕い行く」が素直。睦大夫。 三味線は寛治、弥三郎のあとは、龍聿、清丈、龍爾と若手のトリオ。弥三郎のあともう一 枚、最若手クラスとベテランを結ぶもう一人がいてくれたらと思う。
 紋寿の静御前、文吾の狐忠信。格から言えば申し分ないはずなのに、なぜか違和感を覚 えた。そう、この二人ならば、水準以上どころか、新しい静や忠信の魅力を引き出しても よいだろうに、浮き立つ華やぎや美しさが、どこか違う。
静の愛らしいこと、忠信の巧み さにもかかわらず。一つだけ指摘できるのは、鳴り物が大きすぎ、タイミングが外れる場 合があったこと。この一つだけでも、折角の舞台が十分になりえないのだ。ただ、忠信は もっと妖しさに満ちた色気を表現できるのではないか。

 「河連法眼館」中、津駒大夫、清友。「鶯の声なかりせば」に引き込む力を感じた。忠信 のやり取りもうまい。清友は太夫にとってなんと頼もしい助け手であることか。
 切、綱大夫、清二郎、ツレ清丈。「四の切」の狐詞を初めとする難しさは、無論のこと、 技巧の問題を超えた狐の情愛の哀れ、義経の孤独、綱大夫の名人芸に酔わされる。清二郎 も風格をそなえてきた。
 アト、貴大夫、津国大夫、三味線は清馗。この長い一日の終わりを、確かな力で締めく くる。息と張りが、物語の最後までゆるぎなく伝えるべきものを弛緩なく伝えてくれた。 玉志の覚範、威風堂々たる大きさで義経と対抗する。玉輝の佐藤忠信、代役とはいえ確か な力を見せてくれた。
 打ち出しは心地よかったが、私の心にはやはり晴れないものが残る。私は文楽の「千本 桜」を見に来たはずだが、その世界に没入し切れなかった。ずっと考え続けてきた。ある 種の感動を覚えたのは事実である。だがそれは、文楽の芸において作り上げられる世界そ のものにおいてでなく、技芸員がいのちがけで舞台をつとめ、なお高みを目指す、その状 況の中で役柄と相通じる何かが生まれ、それはあの空間に居合わせた者だけが感じ、共有 できる感動であった。
 予定されたものでも、作り上げたものでもなく、この舞台の中で生 まれたものである。それを否定することはできない。人間国宝などという看板ではなく、 それこそ人が理屈ぬきに敬意を払うべきものである。

 その一方で、やはりそれは文楽の本道なのか、という思いが残る。私は吉田玉男の名を 惜しむ。私は彼の人形から計り知れないものを学んだ。文楽とは何か、言葉でなく人形そ のもので学ばされた。文楽とは語るものも弾く者も遣う者も、自分を隠して人形にすべて を語らせ、表現する、それゆえにより深い人間性を、物語の本質を描くことが出来るのだ と。彼の人形を同時代に見たことは最大の財産の一つであるとさえ思う。
 その彼にとって、 あの知盛は本意であっただろうかという思いは残る。それはやはり生きた人間の作り上げ る舞台というものに本質的な葛藤なのだろうか。
 唯一つ、座頭は一朝一夕には育たない。また、もはや若手の成長を待つ、という悠長な 場合ではない。国立劇場には、そうした使命感と危機感をもって、文楽をプロデュースし ていく責任があるだろう。
 私たちはそれを見守り、時には批判していく責任がある。なぜ なら、文楽の直面する現実、これほど濃密に生きるということの矛盾に満ちた戦いと苦衷、 さらに喜びを見せてくれるものはないのだから。
 文楽に触れるということは私たちの生の もう一つの現実に、現実と虚構の虚実皮膜を通じて出会い、その生の全体を肯定していく ことにほかならないのだから。

花の誘い――「落語と文楽のあやしい関係Ⅲ」

森田美芽

 千本桜の妖しさ、初役の魅力、コラボレーションの妙――今回のヘップファイブホール 現代を生きる古典シリーズ「落語と文楽のあやしい関係Ⅲ――猫と狐の揃い踏み」の魅力 を表せば、こう言えるのではないか。
 「義経千本桜」の魅力は、人間の世界に狐が闖入し、 人間の論理の身勝手さと狐の情愛を対比させる手法であるが、ことにこの四段目は、畜生 である狐が人間よりも父母の恩愛を知る存在として描かれることにより、同じ源九郎の名 を持つ人間と狐の関係の逆転を表し、それゆえにいっそうの哀れを感じさせる。人の身で 骨肉の争い、兄弟でありながらの誤解と不和、義経の表情にかげりが宿る。
 そうした人間 の悲しさを十分に描くドラマと、それをパロディ化した落語「猫の忠信」。バリエーション を先に、本編を後に、いま、油の乗り切った世代――落語は桂吉朝、文楽は英大夫、勘十 郎ら――が力をぶつけ合う。
 
 英大夫にとって、初役の千本桜「四の切」である。
 ホームページの彼の日記を見れば、 一つの段を作り上げてゆく、その苦労となみなみならぬ集中の跡がしのばれる。しかしこ れは、彼にとって遠くない将来、本役となることを射程に入れておかなければならない役 である。
 文楽では、50歳、60歳になっての初役は稀ではない。しかし本舞台にかけら れる時には、すでに十分な備えがされていなければならない。彼にとって、まことに重要 な機会である。
 
 狐が人間と同じ情と心を持つという非常理をこれほどまでに「詞」を通して語る困難。
 狐詞の技法を含め、高音での詞が多く、大夫としては大変な力を要するのは素人にもわか る。だが、人の情を表すのは英大夫の十八番である。
 詞の音の連なりの中に、確かな狐の 親への思いが芯のように通っている。その強さが声の中から響いてくる。清友の三味線は 場の力のあやしさを遺憾なく発揮する。最後のツレ弾きは清志郎。瑞々しい若さの勢いが 加わり、めまいのするような陶酔感が広がる。
 
 勘十郎の狐忠信の哀しさ。この場の狐忠信には、静と旅する時のりりしい武将の面影よ りも、本性の妖しさと、どこまでも親を求める思いの切なさを感じさせる。
 狐ならではの 激しい動き、客席を含め縦横無尽に動き回るダイナミックな動きには、理屈ぬきに魅せら れるものがある。だが、どれほど動いても、その思いが伝わってくる。
 動きが激しいほど、 その思いの切なさが身にしみる。こんな遣い方があったのか、と目を見張る思いであった。
 
 玉女の義経。この場の義経は、清和天皇の末裔である高貴の存在である。その品格と知 を備えた武将の役は、玉女の本領発揮である。動かずして伝える、中心を支える役所を、 彼は自分のものにしている。
 
 清之助の静御前。衣装は「道行」よりややおとなしく見えるが、「流しの枝」の菊の前と 同じものと聞く。義経の前で、しとやかに、愛されている女を感じさせる。
 この場の静は、 忠信の語りを聞く役である。観客の目は、忠信に釘付けである。しかし静は本当に聞き役 に徹している。全身で聞き、時折りうなずき、共感する。この静の聞く姿勢が舞台を作る のである。義経との信頼感、彼にとって、だれよりも心許せる「家族」の絆を感じさせる。 この絆が、義経に鼓を与えさせる。
 これで彼は、彼を引き裂いた朝廷の陰謀から自由にな ったのだ。この3人だけの舞台の密度の重さ。三人三様の人生を歩んできたことが、この 場に凝縮されている。
 
 初役の面白さは、その人がどのように浄瑠璃の言葉のなかからその役と段の性根を見出 していくか、その発見を共に出来ることである。この場を共にした者は、彼らのそうした 意欲と試み、その得られたものの確かさを感じずにはおれないかっただろう。
 
 こうした本編の魅力を知ることで、落語に描かれた人々の浄瑠璃熱、語りのすみずみに 配されたあそび、狐と猫を入れ替えるユーモアといった、われわれの先人の見事な「遊び」 の精神を理解できる。
 吉朝の実力が、100年あまり前の庶民が、どれほどこの浄瑠璃を愛し、 楽しみとしていたか、またそれをめぐる人々の哀歓を、さりげない生活感を、どれほど深 く共感させたことか。
 こういう、いわば立体感のある古典の楽しみ方を感じられるのは、 こうした異業種交流の成果といえようか。
 それも、こうした実力者揃いの舞台なればこそ の、芸のゆるぎない確かさと強さ、それに信頼感が花を咲かせる結果となったといえるの ではないか。
 
 いま、異業種交流が盛んに行われているか、それが演じる側にも見る側にも よりよい成果をもたらすためには、専門の分野での卓越した技量と見識が必要だ。そして それにどのようなテーマを与え、見るべきものにしていくか。今回は、企画力とプロデュ ースの大切さを思わされた。
 彼らが力を発揮し、なおかつ互いをより輝かせ、それを普段 文楽を見ないような人々にもアピールする場所と企画力が必要とされている。
 
 ヘップファイブホールは「現代に生きる古典シリーズ」でこうした古典を現代の視点で 切り込む企画において並びない力を発揮し、場としてのファイブホールの格を作り出して いる。
 これは一朝一夕にできない仕事であり、ホール側の見識と運営能力が問われる。
 プ ロデュースの伴野久美子氏は、舞台美術において現代美術家としての実力を発揮しつつ、 古典への確かな視覚と魅力を引き出す見識と企画力を持っている。今回も対談の背景の屏 風のはっとするような色使いに、千本桜の古典的調和に対する「破」の味わいを加えた。
 
 文楽の楽しみは、文楽を見ること、聞くことだけではない。その世界の広がりのなかに、 私たちの文化の根があり、そこに身を置く喜びもあるのだ。

「重の井」母なるものの光と影――6月鑑賞教室「恋女房染分手綱・重の井子別れ」に思うこと

森田美芽

 誰でも、生きてきただけの後悔がある。あの時ああしていればと、取り返しのつかない 悔やみ事を繰り返す。だが、子供に関わることだけは、後悔ではすまない。親となった人 間にとって、それはいつでも自分自身への最も鋭い刃であり、突きつけられる清算されざ る過去である。
 恒例の6月鑑賞教室を、今年はA、C、D班を見ることが出来た。繰り返し見る「重の井」 の美しさと哀れさ。言ってみれば、キャリアウーマンの母とストリートチルドレンとなっ てしまった子の出会いと別れ。ともすれば子の哀れさに目がいきがちのこの物語の悲劇の 骨格が迫ってきた。
 順を追って語ろう。まずA班の「五条橋」、牛若丸は吉田清之助、弁慶は吉田玉也。牛若 丸は若衆の色気を含み、弁慶には老獪な強さを感じる。松香大夫の力強い語りと貴大夫の 音使いの巧みさ。三味線も弥三郎を中心によくそろって楽しめた。
「道中双六」文字久大夫、燕二郎。ツレつばさ大夫、龍聿。文字久大夫は詞に工夫が見 える。語り分けも良く勉強している。本田弥三左衛門の詞が少し重い。燕二郎は力強くリ ードする。つばさ大夫はもう少し力を抜いても声を届かせることができるはず。龍聿もし っかりとついていく。
「子別れ」英大夫、清友。清友の弱音の魅惑的なこと。緩急をこころえ、英大夫を語ら せる。調姫、三吉の高音、重の井のためらい、後悔、わが子をこんな目にあわせて・・と いう嘆きがつとに伝わってくる。
 本田弥三左衛門は玉幸に代わり玉也、貫禄ある家老の風情。宰領は清五郎、勘市。動き も確か。調姫は簑次、愛らしいいとけなさ。大名の娘にしては幼いところも。踊り子は簑 一郎と簑紫郎、簑紫郎は先輩におくせずついていくところがよい。腰元若菜は亀次、安定 した遣い振り。三吉は一輔、品あるけなげさが涙を誘う。重の井は紋寿。さすがに重みと 品格を備えた重の井。

 C班の「五條橋」玉英、勘緑。玉英はじっくり確実に、勘緑は大団七のユーモラスな味わ い。始大夫、南都大夫 始大夫は高音部も自然にこなせるようになってきた。南都大夫の 声が落ち着いて、大きさを増してきた。弥三郎は夜の五條の妖しさを響かせたかと思うと、 一転して華やかなリード。喜一朗はここでは柔かさのまさる音色。
 D班の「五條橋」は簑二郎、玉志。簑二郎は細かいところまで丁寧な使い振り。玉志は 大きさと着実さ。団吾は繊細で美しい流れだが、音の陰影、立体感を学んでほしい。
 C班の「道中双六」。呂勢大夫、ツレ睦大夫、三味線清二郎、龍聿。呂勢大夫の美声がよ くうつる段。双六のくだりは景色の移り変わりが目に見えるようだった。睦大夫も声がよ く伸びる。清二郎はあぶなげなく弾きこなし、音色の変化も楽しい。
 「重の井」C班。英大夫、清介。三味線が清介に変わることで、また違ったふくよかさ、 流れの美しさが出てきたように思う。英大夫は無理なくドラマの流れを作る。特に「この 母が悋気から・・」で、この物語の初めから彼女が負っているものの重さを感じさせる。 母に立ち戻るところもまた、そうせずにおれない思いが伝わってくる。
 紋豊の本田弥三左衛門、高齢の風情、飄々として、だが家老の風格。宰領は幸助、玉勢。 バランスの取れた動きが気持ちよい。簑次の調姫。踊り子は紋秀、紋吉。紋秀はきびきび と、紋吉はじっくりと遣う。腰元若菜は清三郎、お福かしらに慣れてきた。重の井は和生。 品よく姿もよい。前半は乳母としての責任感、後半は母らしさを十分に出した。三吉は玉 佳、武士の子である気概を感じさせ、それゆえに哀れがいやまさる。
 「道中双六」D班。所見の日には文字久大夫が病気休演で呂勢大夫、ツレつばさ大夫、 三味線清太郎、清丈。清太郎も安定した美音を生かし、清丈もしっかりしてきた。
 「重の井」D班。津駒大夫、富助。津駒大夫の浄瑠璃は美しく、泣かせる。だが、重の 井の苦衷にもう一歩迫るには、詞における人物の描き方の深まりが必要なのではないか。 富助の音色は、深く重の井の孤独に迫る。
 玉女の本田弥三左衛門。好々爺という言葉を思い出した。宰領は清五郎、勘市。調姫は 幸司、丁寧で愛らしい遣い振り。踊り子は簑一郎、玉翔。簑一郎は動きが自然になってき た。玉翔は光るものがある。腰元若菜は和右。生真面目な遣い方。重の井は勘十郎。芸達 者というより、この人はどんな役もその本質を遣いこなす勘が備わっている気がする。三 吉は一輔。
 
 この「重の井子別れ」で泣かせるのは、子役の三吉のいじらしさであろうが、私には重 の井の嘆きがあまりに身に迫ってきた。
 なぜなら、子を置いて去る父は、大義名分が立てばめったに非難されないが、母が子を 捨てることは、どんな理由であれ非難される。重の井の苦衷を見ると、それはあまりに逃 れようのない状態なのは納得できる。
 不義からとはいえ、自分の身代わりに父を切腹させ ながら、主の特別な計らいで姫の乳母となった。筋から言えば、彼女は二重三重の恩をこ うむっている。この、姫の東国への輿入れという大事を、両家の顔を立て子どもに惨い別 れをしいても成功させなければならない。本田弥三左衛門は赤い衣に身を包んでも、抜け 目ない使者である。だれにも弱みを見せてはならない、彼女の失敗は家と家の対立となる。
 絶対に失敗が許されない状況で、子を取るか、主君を取るか、究極の選択を迫られる、重 の井の苦悩の深さ。
 男性ならためらいなく主君を取るだろう。子どものことは、妻かだれか、代わりに見て くれる者がいる。だがこの場合、重の井には代わってくれる人はいない。重の井の貫禄あ る打掛姿と三吉の対比。これで母を責めるのはあまりに酷だ。だが世間はそれを許さない だろう。
 女性が母となりながら母である以上に公人であることを優先するとき、女性は非 難の対象になる。母親失格と言われる。現代のキャリアウーマンにとって、しばしば起こ りそうな状況である。
 そんな中、彼女たちは必死に両方を選ぼうと苦悩する。重の井の場 合、父の命、主君の義理、夫の面目、いくつもの責任が彼女の肩にずっしりとのしかかっ ている。誰が彼女を責めることが出来よう。ただ無垢なる三吉のほかに誰が。それゆえに この一段は、お涙頂戴の母恋ものとは歴然と一線を画するのだ。
 英大夫の浄瑠璃を聞くとき、一段の語りの中に凝縮された、浄瑠璃全体の物語世界が、 その起承転結と呼応したその段の性根が見事に浮かび上がる。この三吉のたどった数奇な 運命が、封建時代の義理の論理のゆえに、武家の惣領の地位のゆえに起こったことであり、 それゆえに三吉の無垢が胸を打つ。
 重の井もまた、母なるものの重荷を負いつつ、その二 つの論理に耐えていることが胸に迫る。子を捨てる親、親に捨てられる子、ここで別れれ ば、再び生きて会うことはないかもしれない。その切実さを納得できる好舞台であった。    一人一人のもつものに、さらに新しい表現が加わった気がする。
 だが、彼らのすべてがも う一歩進めるためにも、さらにもう一役上を、と願わざるを得ない。この鑑賞教室は、主 として学生を対象に、若い観客に文楽を体験してもらう趣旨であると聞く。ならば、若い 技芸員たちの精一杯の舞台を見ることで、理屈ぬきに若い世代への共感を育てることがで きるのではないか。そしてその中から、若い世代も浄瑠璃世界の古さのなかの新しさを見 出すことが出来るのではないだろうか。時を越えて私たちを感動させるものを。

名にし負う君に――三世桐竹勘十郎襲名公演――

森田美芽

 文楽劇場は、ひさびさに華やかな春となった。待たれていた新勘十郎の誕生。補助席ま で満杯の劇場、満開の桜、越後の上原酒造からの薦被りが積まれ、関西歴々の大企業も名 を連ね、この襲名が、大阪中の期待を背負ったものであることが思われた。
 新勘十郎には、父譲りのといいたくなる人形を遣ううまさ、人形を動かす技術の的確さ、 その技術を通しての表現力、何よりもおのずから輝き出でる輝きがある。その輝きが焦点 となり、師匠たちの盛り立て、後輩たちの努力が結集し、まれに見る見事な舞台となった。
 「面売り」三輪大夫、文字久大夫を軸に、始大夫、相子大夫、つばさ大夫らが勢いある 声を合わせる。三輪大夫はしっかりとまた色気を含み、文字久大夫はいきいきと楽しく聞 かせた。三味線はリードする団七に助ける弥三郎、次に若手の清馗、清丈、龍聿、龍爾ら が並ぶ。経験5年から1年の若い三味線が清々しい。おしゃべり案山子は簑二郎、面売り 娘が玉英。明るくめでたく舞台を勤めた。
 「口上」前に三業を代表する師匠たちと咲大夫、後ろに簑助一門の弟弟子たちが並ぶ。 文楽の中でも、この襲名にかける思いは大きいと知らされる。新勘十郎のやや緊張した面 持ちが印象的。

 「絵本太功記・十段目」「夕顔棚」は呂勢大夫、清友。呂勢大夫はなめらかによく語るが、 この場の人物の心に秘めたものの深さを感じさせてほしい。清友は的確に太夫を支える。 尼が崎の段、切嶋大夫、清介、奥、咲大夫、富助。嶋大夫は十次郎の清廉さ、初菊の切な い思いをじっくりと聞かせる。清介ははなやぎある瑞々しさ。咲大夫は「ここに刈り取る 真柴垣・・」以下の光秀の強さ、大きさ、「波立ち騒ぐごとくなり」の大落しを、迫力で締 めくくった。富助の力と技と息の確かさ。
 人形では新勘十郎の光秀が、初役とは思えない出来。勢い、強さ、人物の大きさ、そし て家族にも理解されない孤独、父の無念さまで、生きた人物としての光秀を感じさせ、様々 な男役の形も見事に決めた。それにしても、脇を固める師匠たちの見事さはどうだろう。 玉男の十次郎と簑助の初菊の、瑞々しい可憐さ、若々しさ。積み上げられた芸の底力を見 せつけられた。紋寿の皐月、武家の気位、老女の一徹、そこににじむ孫や息子への思い。 文雀の操、口説きに見せ場を作るほか、やや控えめに、品位をもって演じた。久吉の勘弥、 勘緑。勘弥はさわやかな知将らしく、勘緑は一筋縄でいかない人物であることを感じさせ る。勘市の加藤正清、よくまとめた。子息と弟子たちの活躍に、定めて泉下の先代も喜ん でいるであろうとは寛治の口上であるが、見る者すべての思いであった。

 「紙子仕立両面鑑・大文字屋の段」中、松香大夫、喜一朗。切、綱大夫、清二郎。「尼が 崎」の手に汗握る緊張感から、打って変わって大阪の商家の風情を描き出す。松香大夫は こうした世話物の情味や人物像になると、やはり地力を発揮する。番頭権八の憎らしさや 小ずるさ、娘を思い義理を思う母の情け、しみじみ感じさせる。喜一朗もよくその世界を 描けるようになった。綱大夫には、こうした世話の風情を過不足なく語れる貴重な人であ ると思う。兄栄三郎の思い、お松の哀れさ、助右衛門の義理と父としての情愛など、胸に 迫るものがある。清二郎もそうした風情を身に付けてきた。
 人形では、第一に清之助のお 松。お園を思わせる孝行嫁でありながら、夫に省みられぬさびしさ、いままた夫のために 身売りを迫られ、それを受け入れようとするいじらしさ。斜めに落とした視線の先に、夫 への思いを抱きつつ、運命に流される女を描く。一暢休演のため栄三郎は和生が、すらり と品良く義理をわきまえた兄の役目を果たす。権八は文吾が、よく動いて喜劇的な幕切れ まで飽きさせない。母妙三は玉松休演で紋豊。こうした世話の母役は手に入っているとい う感じ。万屋助右衛門、玉幸は少し元気がないように見える。こうした情ある老人も説得 力をもつ人だけに、くれぐれもお大切にと願う。伝九郎は玉輝、ふてぶてしい悪人。手代 忠兵衛は文哉、玉勢が、丁稚は紋吉、玉翔が、下女は簑紫郎と玉一郎が交代で遣う。それ ぞれ丁寧に、それぞれの役割を果たしている。

 第2部は「妹背山婦女庭訓」の半通し。初段と三段目を久我之助、雛鳥の恋物語を中心 に上演する。ただ、こうして恋物語風に収斂させてよいものかとも思う。この物語の全体 は、巨悪に立ち向かう人々の献身と犠牲であり、恋はその契機にすぎない。でなければ、 久我之助が腹を切らねばならぬ必然性も納得できない。舞台の充実を見るにつけ、そこに 語られる世界の意味をわれわれが受け取ることの困難を思った。
 「小松原の段」久我之助が貴大夫、雛鳥を南都大夫、腰元小菊を咲甫大夫と新大夫の交 代で、腰元桔梗を睦大夫、宮越玄蕃を津国大夫、采女を文字栄大夫、三味線は清太郎。そ れぞれ、丁寧に役どころを語り、大事な場面を納得させる。清太郎はしっかりした弾き分 けで場面を丁寧に浮かび上がらせる。采女は紋臣と紋秀が交代で。前回の紋豊のように、 出てきただけで位を感じさせる、とまではいかないが、それぞれ品位を出そうと努力して いた。

 「蝦夷子館の段」口、新大夫と咲甫大夫が交代。新大夫は語りにしっかりとした強さが加 わり、咲甫大夫は声が豊かに伸びてどちらも素晴らしい出来。団吾も力強く弾いた。奥の 伊達大夫、寛治。さすがに蝦夷子の老獪、めどの方の貞女ぶり、入鹿の血気を見事に語り、 響かせる。人形でも、紋豊の蝦夷子、玉也の入鹿がいずれも悪の懐深さを感じさせ、新勘 十郎のめどの方は、ひたすら夫を思うもう一人の女の鑑である。文司の宮越玄蕃と玉志・ 幸助の荒巻弥藤次、対照になったときのバランスがとれて動きもよい。中納言行主の亀次、 やはり信頼できる遣い振り。
 三段目「太宰館の段」津駒大夫、喜左衛門。花形が一度は通らなければならない関門。 大判事と定高の対立、入鹿の命令、入鹿の出陣まで、勢いと重みの両方を要求される場で、 喜左衛門のリードによく応え、津駒大夫は力いっぱい語ったが、それでもやはり、重みと いう点では不満が残る。これは津駒大夫がどうしてものりこえていかねばならない課題で あると思う。なお、人形で注進の玉佳、一輔もきびきびした動きがよかった。

 「妹山背山の段」背山、英大夫の久我之助、マクラ一枚を沈うつに、重々しく語る。久 我之助はすでに死を覚悟しているというのがじんと伝わってくる。落語作家の小佐田定雄 氏が、この場では久我之助が一番大人だ、といわれたが、この場のすべての状況をのみこ み、すべて他の人物を思いやり、自分ひとりが犠牲になることで周囲を救おうとする潔さ と廉潔さ、それゆえの苦悩が伝わってくる。玉女の人形にはこうした若者だけが持ちうる、 すがすがしい色気がある。燕二郎の三味線も強さとすがやかさを備えた音色。ただマクラ のところで、英大夫の語りとかぶってしまうところがあったように思う。
 妹山、千歳大夫の雛鳥、久我之助に貞女を立てようとする娘の一途さが胸を打つ。自分 の思いに忠実に、久我之助を思い、その思いを表現する。久我之助と対照的である。和生 の雛鳥も、姫らしいおっとりした純真さに激しい情熱を感じさせる。腰元二人は清三郎と 清五郎、和右と簑一郎の組み合わせで前後半交代する。小菊の方に、お福らしい愛嬌と面 白さを出しても良いのではと思う。宗助は初々しい娘心に沿った糸。
 大判事の登場。十九大夫と清治。この大きさとスケールを表現しうるのは、この二人を おいてほかはないだろう。十九大夫の言葉に苦衷がにじむ。骨太で気骨ある大判事。義と 子への情に涙するほかない男の心中。清治は迫力に満ちた段切れに至るまで、この物語の すみずみまでも心に響かせる三味線であった。
 定高は住大夫。心と言葉は裏腹に、娘を説得する。しかし娘はあくまで久我之助に操を 立てようとする。それと知って娘を殺そうとする二人の間での心の対話。しかし刃を取り 上げて、2度3度とためらう切っ先。住大夫の独壇場である。錦糸の糸には悲しみの中にも 一筋艶やかな色がにじむようだ。清志郎の琴は節度ある悲しみ。
 文吾の大判事は、どちらかといえば父親としての思いを切実に伝える人間味ある大判事 であり、紋寿の定高は品格と誇りを忘れぬ後室の強さの間に見せる母の思いが美しい。

 この公演のあいだ、機会があって、吉野川から妹山背山をながめることができた。花は すでに終わり、山はかすんでわずかに蔵王堂がうかがえる。舞台は、この自然をあの仕掛 けに置き換えることにより、花の盛りの一瞬の時を永遠にした。流れ来る水音のかわりに、 三味線の一撥が、このイマジネーションを一つの世界にした。現実よりも美しいその時空。 英大夫も新勘十郎も、この世界の一員なのだ。彼らの作り出す舞台は、流れ行く時を凝縮 し、瞬間を永遠に刻み、現実よりも現実らしい虚構へとわれわれを引きずり込む。夢では ない。それは、一つの希望である。
 新勘十郎の誕生は、私たちの世紀に、文楽が命をもちうるという希望である。文楽の世 界で、襲名は通常、伝統芸能で思われているものと全く違う意味を持つ。
 家の神聖さや血 の神話など信じない、ただ志を立てた者から順という明快な秩序。力や素質、努力しうる 時間を思えば、一秒でも早く入門した者からの序列という、きわめて明快で合理的なシス テムと、実力順という清潔さ。
 その中で生まれた勘十郎に期待されるのは、先代そっくり であることでなく、彼独自の人となることである。襲名は先代の芸の縮小再生産ではなく、 新たな芸境へ向けての反復、より充実した彼自身となるための受け取り直しである。
 先代 の豪快な立ち役や萩の祐仙のようなチャリといった役どころだけでなく、名師吉田簑助の もとで身に付けた様々な女方の充実ぶりを見ても、彼が勘十郎の名に新たな広がりを付け 加えるであろうことが期待される。その意味では、芸における同世代の英大夫、清友、和 生、玉女ら、彼らの時代を引き寄せるために、正しく今が正念場と言うべき時なのだ。
 大 師匠たちの芸境をわがものとするために、その、決定的な壁を越えていくために、そこに 生まれる芸の正統の伝承のために、彼らはこれまで以上の試練に立たされるだろう。だが、 何より心強いのは、勘十郎にはよきライバルといえる同世代の和生、玉女や後輩の清之助 ら、今まさに開花しようとする仲間たちがいる。文楽の芸は、決してひとりでは成り立た ない。その意味で、勘十郎の襲名は新しい流れ、新しい世代の始まりであり、これから起 こってくる世代交代の確かなしるしとして位置づけられる。

 それゆえ私は英大夫に期待する。彼の語りには、戦後という世代が文楽の歴史にいかな る意味を見出せるか、どのような意味を付け加えることができるかの問いがかかっている。
 私たちは歴史を結果から見て生きることはできない。未来に向けていま、自分たちをどう 位置づけるかによって作る立場が結果として歴史をつくることになる。義太夫節、人形浄 瑠璃が本当の意味で生き残るために、彼らの精進と正しい展望に期待し、私たちもまた、 その展望を共にしていきたい。そしてあの吉野川の流れのように、絶ゆることなく芸の新 たな命の流れを生み出していってくれることを願う。

土地の力――「摂州合邦辻」の深層

森田美芽

 「合邦」は私にとって、文楽を見る原点のような作品である。
 玉手御前というヒロイン像の不可解さと強さ。それは確かに、彼女の俊徳丸への思いを恋であると一義的に決めることのできないような、人間の魂の深みを垣間見させ、魂の闇へといざなうものであった。2003年2月文楽東京公演で、初めて「合邦庵室」の前に「万代池の段」を見て、「合邦」の世界のなかに張り巡らされたさまざまな仕掛け、世界の重層性に気づかされ、胸の中に何かが動き始めるのを感じた。
 その土地の力。
 「葛の葉」でも感じた。でもそれが、近代的な親子の情に還元できるものではないように、玉手御前の思いは、近代的自我の恋愛や忠義といった感情としてよりも、より原初的な、より深層の意識の中に眠るものを感じさせる。それが存在の裂け目からほとばしり出たとき、共感と反発の入り混じったどうともいえない不可思議な思いに捕われる。
 今回は玉手御前の人物論より、作品の背景に注目しよう。「万代池の段」の背景は四天王寺の南側、伽藍のなかでひときわ高く五重の塔がそびえる。手前に俊徳丸の藁小屋と万代池。下手側にはのどかな田畑が広がる。季節は如月といわれる。
 これは写実ではなく、いくつかの意味を持った小宇宙である。その要素を1つずつ解きほぐしてみよう。

(1)四天王寺という場――救いの重層性
 まず幕開き、背景に四天王寺の伽藍と、その中にひときわ高く五重塔がそびえる。四天王寺は西暦593年、聖徳太子が蘇我氏とともに物部氏と争ったその戦いの折に四天王に祈願し勝利を得た感謝に建てられたと言われる。その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つである。つまり四天王寺の南北の軸は、こうした仏教における聖地としての意味を示している。
 しかしこの寺にとってより重要なのは、西の方角である。四天王寺の主要な入り口は今も西門側であり、そこには寺でありながら石の鳥居がある。鳥居は本来聖地結界の四門を意味する。そしてその上の扁額には、「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」すなわち「ここが極楽の東門の中心」の意を示す。
 石の鳥居のそばに「大日本国仏法最初の地」と書かれ、その奥に西門。この門には「転法輪」が付けられており、それを回すことでこの門は西方浄土、極楽へと向かっているものと意識された。昔はこの坂を下りたあたりがもう海であった。ここはまさに「極楽浄土に最も近い寺」でありそれゆえに救いにダイレクトに関わる場所として、修行者はここから極楽浄土に向けて実際に船出した。しかしそれは、この世で戻ることのない自殺行である。また、たびたび施行が行われた。なぜならこの西門の外にある引声堂のあたりは、違例者(つまりらい病などで一般社会から疎外された者、アウトサイダー)たちの住処であったからである。仏のため、来世を思って功徳を積む、あるいは善行を行うことは、いまよりもっと社会に受け入れられた行為であったに違いない。そしてもう1つの意味は、聖と俗、清さと穢れが近接するというだけでなく、人々の憧れる極楽浄土には、こうした社会から疎外された者たちが最も近いところにいることの比喩でもある。
 この四天王寺という寺の持つメッセージが、この『合邦』全体の物語の基調をなしている。それは、この世で疎外された者、一見「穢れ」と見られる者が、実は仏の側からは最も救いに近いということである。
 それは、この場面での合邦道心の説法にも出ている。合邦は「アノ芝居を見やしやませ、実方があれば敵役もある。鬼があればこそ仏もある。畢竟地獄は極楽の出店。・・さすれば地獄極楽は元来一つ世帯なり、善悪邪正不二という仏の教えはコレコノ天王寺」と語る。人間の目に悪と見えるものが実は悪であるとは限らない。この時代、こうした病による違例者は、前世や過去の業の結果と見られた。俊徳丸は「もとより神にも仏にも憎まれ果てし病の身、出離の絆は煩悩道、綺羅ではいつか仏意に至らん」と語る。こうした打ち捨てられたアウトサイダーの孤独、絶望こそが仏の悟りに近づくことである。そしてそれは、「合邦庵室」の玉手御前の、一見邪恋と見えるものが実は忠義であったという逆転に結びつく。四天王寺の仏教には、こうした包容性と弁証法ともいうべき両義性が含まれている。
 ちなみに、四天王寺近辺は今日でも青シートのテント村、ダンボールハウスが密集する地域である。そこに住む現代のホームレスたちはこの日本で最も救いに近い人々であろうか。
 さらに、実在の万代池(まんだいいけ)は、この位置から約4キロ南の熊野街道沿いにある1周700メートルほどの池である。ここには昔、人を悩ます魔物が住んでおり聖徳太子が四天王寺から人を遣わし魔物を鎮めるためにお経を読ませた。その後再び魔物が現れることはなかったという。その時のお経が曼荼羅経であったことから曼荼羅池とよびようになり、これが訛って万代池になったという言い伝えがある。ただここを「ばんだいいけ」と発音するのはなぜだろう。これは実在の池でないとの意味か。いずれにせよ聖徳太子が示す仏法の力による救いというモチーフが、実際には離れたこの池と四天王寺を一続きの世界としたのであろう。
 四天王寺の西側はかなり急な坂であり、増井、玉出といった天王寺の七名水が位置する。ここを下ったところ、現在は松屋町筋の南端、地名でいえば逢坂に、合邦が辻があり、ここの閻魔堂は聖徳太子の開基とされる。この地名は聖徳太子が物部守屋と法論を交わしたことに由来する名称といわれている。明治初年に道路拡張がなされたおり、現在の融通念仏宗西方寺境内に移され、昭和20年3月13日に空襲で消失し、信者たちによって再興されたものである。玉手御前の本名はお辻、つまり合邦に象徴される善と悪、来世と現世、極楽と地獄の行き交う「辻」である。
 だが、そこにもう一つの要素が加わる。四天王寺は仏による救済の世界であるが、熊野街道はもう一つの、神と仏が一つになった信仰による「死と再生の道」でもある。熊野本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、新宮の速玉神は薬師如来、那智の牟須美神は千手観音を本地とするとされ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになった。本宮極楽浄土が来世の救済を、新宮浄瑠璃浄土が過去世の罪悪の除去を、那智補陀落浄土が現世の利益をうけもつという三位一体の信仰システムが形作られた。
 とくに阿弥陀如来を本地とし、阿弥陀の極楽浄土とみなされ本宮の社殿は「証誠殿(念仏者の極楽往生を証明する社殿の意)」と呼ばれ、そこに参詣すれば浄土往生が確実になるとされた。それゆえ後白河院初め多くの貴人たちはこぞって熊野をめざし、「蟻の熊野詣」といわれる状況であったという。しかもそれは四天王寺に比べはるかに困難な道のりであり、途中山中に倒れる者も少なくなかった。それゆえにこそ熊野詣は、「清め」の意味をより強く持ち、また困難な道をたどり聖地に到達することで、古い自己の死と新しい命を得てよみがえることを意味した。四天王寺がそれ自体極楽浄土の「東門中心」であり救いの中心で、違例者たちを受け入れる場であるのに対し、熊野は救いに至る厳しい過程を示すのではないか。
 さらにその「死と再生」というモチーフは、玉手御前の死が俊徳丸に新しい命を与えるという設定に関わっている。
 つまり、四天王寺と万代池を一つの背景に置いたのは、そこに仏の救済と、それに至る困難な道のりを通しての「死と再生」を意味する小宇宙として設定したのではないだろうか。『摂州合邦辻』の全体は、河内の国高安からこの四天王寺界隈までを含んでいるが、その目指すところは、四天王寺に代表される浄土における救済のためには、一見非条理とも見える人間の困難なわざが必要であること、そんな業深い人間が絡まり合う関係の中で、善悪の逆転の中に救いがもたらされることである。この不可思議さを納得させるのは理性の論理ではなく、四天王寺を中心とするこの地自体が象徴する救済の事実である。

(2)謡曲・説経節・浄瑠璃
  さらにこの場面には、説経や能などの先行作のモチーフが多く取り入れられている。
 たとえば盲目の俊徳丸が、今日は彼岸であると、手を合わせ西方を拝む場面がある。これは「日想観」といい太陽の沈む西に向かい瞑目して阿弥陀仏のおわす極楽浄土を心に思い浮かべるという行である。
 この場面のモチーフは、能「弱法師」に見られる。能「弱法師」は、河内の国高安左衛門之丞通俊が四天王寺での施行のおり、かつて讒言を受けて追放し、いまは盲目となったその息子俊徳丸と再会するという物語である。その中で俊徳丸は日想観をし、目は見えなくとも心に描く夕べの風景を本当に見ているかのように語る。
 日想観自体はかなり古くから行われ、平安時代には熊野詣の途上、京から最初に宿をとるこのあたりで日想観をしたという。なぜ人々がここの夕陽を特別に思ったかといえば、それは彼岸にちょうど明石海峡に日が沈むからではないか、と一心寺住職の高口恭行氏は言う。
 それは古代の人々に、はるかな浄土を思い浮かべるに壮大な風景だったのではないだろうか。それと同時に、俊徳丸がもはや現世ではなく浄土に望みをおく求道者であることを印象付けられる場面である。
 また、俊徳丸が藁小屋で乞食生活を送っているところへ、許婚の浅香姫が俊徳丸を尋ねてやってくる。彼女は目の前にその人がいるのに気づかず、臭いのため顔をそむけている。この場面は、説経の「信徳丸」の場面と重なる。継母の呪いのために家を追われたしんとく丸が河内高安から四天王寺の南側のこうした違例者の集落に身を寄せ、一度は熊野へ向かおうとするが、恋人である和泉の国近木の庄蔭山長者の娘乙姫の実家に助けを求めるがかえって人の口の端にのぼり、引き返して引声堂の下に飢え死に覚悟でこもる。乙姫は一度は熊野路を尋ねるが、そこに見出せず藤代から四天王寺までもどって再会するのである。現在の日根野から紀州路へ、そこからさらに天王寺へと、熊野への道を逆にたどる彼女は、救いから遠く離れていくようなしんとく丸を救うため、すさまじい行動力を見せる。
 さらに浅香姫が俊徳丸を車に乗せて引くというのは、説経節「小栗判官」に出てくる場面を連想させる。
 餓鬼のようになって蘇生した小栗を、いまは下働きに身をやつした照手姫が、土車にのせて「えいさらえい」と引く。彼の胸札に、「一引き引いたは千僧供養、二引き引いたは万僧供養」とあるのを見て、本人と知らず亡き小栗の供養のためにと、熊野に向けて引くのである。照手姫の献身と勇気と信仰が、小栗を救うのである。ここでは浅香姫は合邦に指示されて、俊徳丸を載せた車を西に向けて引く。西門を出て坂を下りた先に合邦が辻があるからだが、同時に女性に助けられて西方浄土へと向かう意味を暗に含んでいるのではないだろうか。
 この二つのモチーフは、人にかしづかれる高貴の姫が、自ら進んで愛する者を捜し求め、決断し、苦難もいとわずはるばると旅をする、その困難を引き受ける、そうした意志的な女性像がうかがわれる。浅香姫は入平に守られながらも、そうした苦難を引き受けて戦う女性であり、そうした点で玉手御前と対の関係にある。この二人の女性の献身が、俊徳丸の救いの源であることが明確になる。浅香姫は玉手御前に蹴られ殴られるために出てくるのではない。彼女もまた、救いに不可欠な働き人なのである。

 「物語」とは、近代において、人が自分自身の中に自ら統一性を見出し、自分の生になんらかの方向づけを与えることをいう。
 それは中世では個人の語りでなく集団、共同体の語りであった。この全体が、四天王寺を中心とした中世における浄土への憧れを1つの世界とする。死から再生を願う中世の人々の物語の延長に、この浄瑠璃ははからずも名を与え、個人と個人ならぬ土地の意識の中に眠るものを掘り起こし、描いてみせたのである。中世においては、個人は個人であると同時にその時代であり、共同体である。個人の名は、いくつもの経験と願いの積み重なりのうえに置かれた記号である。
 しかし文楽における人物は、記号ではなく比類ない一つの個性として存在するようになった。
 たとえば俊徳丸は、継母に呪いを受けて家を出たのではなく、家督争いと自分の病に絶望し、それらから解放された新しい生き方を求める求道者であり、浅香姫は自らの意志で夫を追い、苦難もいとわず共に生きようとする魂ある女性であり、入平は浅香姫を守ろうとする忠実で賢明な奴であった。簑太郎、清之助、玉女らの遣う人形は、そうした近代的な人物としての輪郭と必然性、清やかな強さともいうべきものを持っていた。それは文楽として演じることの中から生まれてきた確かなリアリティであり、明白に中世の物語と区別されるものである。
 同様に、文雀の玉手御前は、武士の娘としての誇りと強さが印象的。だからこそ、玉手自身、本当に情痴に身を焼いて俊徳を追うわけにはいかなかった。それは家を思い夫を思う、「家刀自」の精神であった。だがその中に、俊徳丸への思いがなかったとは言い切れまい。許されてはならない思い、だからこそ、黙ってその人のために死ぬことが唯一の道であるような、自己犠牲。玉手はまさしく「廉直を立て通した」合邦の娘であり武士の鑑と称せられる青砥左衛門藤綱の系列につながるのである。嶋大夫のくどきのみごとさ、したたるような色気と、その内にほんのわずかに匂わせる玉手の本心。それに対し住大夫の合邦の嘆きは、娘を殺さねばならなかった父の嘆きであると同時に、坊主が自ら殺生戒を犯す、人間の悲しさとやりきれなさを痛ましく胸に響かせた。それは確かに、いまの私たちの世界に理解可能なように、かの物語を再現する試みであった。
 しかし、そうした人間的真実の描写をもってしても、まだ語りきれないものが残る。それを私たちは、心の一隅に刻みつけ、その名を求めてまた歩みだすのだ。
 
 (3)物語と出会う
 私は限りなくこの「合邦」に心引かれるものを感じる。
 大阪弁でしか自分の心の感情が表現できない私にとって、この物語は自分の心の言葉を捜すように、感じることから始まる物語であった。そして無数の伝承の中から、人々の求めた主題を明らかになってくるにつれ、心がさわいだ。今回の舞台は、そうした文楽を見る心の密度を高めてくれた。だが、それは言葉で理解できるものでなく、理解できないものと知りつつそれを深い共感をもって受け入れ、そこに共におることの大切さを教えてくれたように思う。
 「一谷嫩軍記」も、今回は見られなかったが、「ひらかな盛衰記」も、そうした日本の伝統的な物語の別の形を教えてくれたような気がする。
 「熊谷陣屋」の、あの吉田玉男遣うところの熊谷次郎直実。武士の忠義の論理の惨さ、それを自分一人の胸に収めて嘆くことも許されぬ悲しみ。十九大夫と咲大夫の浄瑠璃の、哀切などという言葉が消し飛んでしまいそうな骨太さ。清治、富助の、心の奥の一箇所まで正確に弾き当てるとでもいえるような音色。
 この悲劇の重さと、対照的な「釣女」の喜劇。これもまた、西宮恵比寿神社を舞台に、「名に大蔵や鷺流」を伝える狂言から生み出されたものである。その軽妙な笑いの楽しみもまた、文楽の一つの姿である。笑うことにも泣くことにも、この土地では根拠がある。大阪に生まれ育ち、生きることはその「根」と無関係ではいられない。いな、言葉はそうした根のなかから生まれてくるのだ。そして物語ることも、残すべき意味も。「合邦」の深層のなかに、わたしたちが生きているこの世界の意味が、幾重にも重なった先祖から受け継いだ世界の意味から生まれていることをたどっていく。その先に、基底はあるのだろうか。
 私は何を見出そうとするのか。幾重にも重なった先人の思いの中から、埋もれた珠玉を掘り当てること。洋の東西を問わず、一筋なる精神の軌跡を見出すこと。彼らの物語る行為のうちにあるものは、それを共通の場に引き出し、再創造する試みであり、それは私たちの「根」を探すことの試みであるに違いない。