『初陣 若大夫のこと』(安藤 鶴夫)其の三。and下田功氏。

昨日の続き→《そして呂大夫は、十代目若大夫を襲名した。
若大夫の名跡は豊竹座の開祖、後の越前少掾をその初代として、竹本座の開祖義大夫に次ぐ、斯道最高の栄誉を擔う名跡である。
豊竹山城少掾、鶴澤友次郎両先輩の許しを得た後、因協会に計って満場一致の賛意を得て、十代目若大夫は明治25年以来59年振りで斯道にその名を復活した。
若大夫、時に64歳。
ビルマで戦死した子息の念願は、ただ父親が若大夫を名乗る日のことばかりであった。
万巻の経文にまさる供養である。
しかもよし、襲名披露の語り物は、越前少掾由縁の”和田合戦女舞鶴”の三段目の切市若初陣を初役で勤めるという。
こころから、若大夫の初陣を祝う。
》(昭25・11)。
…以上は下田功氏から拝領した古番附(パンフレット)よりの抜粋である。
氏には、この20年来お世話になっていて、神楽坂・向島の料亭へも何度か招待されている。
興にのられた時の小唄の節回しは、奥床しくもあり、実に絶品。