『初陣 若大夫のこと』(安藤 鶴夫)其の二。

昨日の続き→《この島大夫が師名呂大夫の3代目を襲ぐことになった時、其日庵杉山茂丸氏は、島大夫から呂大夫になるとはなんという不心得かと注意した。
文楽でこそ呂大夫という名は立派であっても、島大夫という義太夫道にとって極めて重い名跡から、それに変るとはなんという不心得と注意したわけである。
この時、島大夫は、私にとって師匠くらい偉いひとはございません。
師匠を襲ぐ喜び以上の喜びはほかにございませんといい送った。
其日庵はそれを聞いて、分った、面白い、ただ、一度島大夫を名乗った以上、時を得て若大夫の名跡を襲ぐ意気を以て精進せよと激励した。
そして呂大夫は、十代目若大夫を襲名した。
若大夫の名跡は豊竹座の開祖、後の越前少掾をその初代として、竹本座の開祖義太夫に次ぐ、斯道最高の栄誉を擔う名跡である。
》(続く)