石橋の『神愛キリスト教会』の日曜礼拝に出席。『神』と『人間』。

私の所属教会の教団名は『アッセンブリーズ・オブ・ゴッド』。
アメリカからやって来たプロテスタントの一派。
ペンテコステ派とも呼ばれている。
日曜毎に大事な時間を切り裂いて礼拝に行くということは大変なことだ。
わずかばかりだが献金もしなければならない。
月定献金もしている。
いわば、いのちより大事(?)なヒマと金を遣いまんねん。
なら、そんだけの価値あるんか?といわれそう。
それが、おまんねん。
礼拝のあの空間に日曜毎に身を置くっちゅうことは、身体中の水分が瞬時にして入れ替わるような体験を週ごとに体験するっちゅうこと。
これは私にとって大きい価値がある。
但し、人を見たらアカン。
あくまで礼拝は神との神々しい交わりの場であるとの賢明なる認識が必要だ。
今日のメッセージ箇所《わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。
同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。
》ヤコブの手紙3章9・10節。
自戒しとります。