冷たき闇の誘惑――2017年11月公演

森田美芽

 錦秋公演とはいいながら、暗い内容の演目が並び、しかも1部と2部の構成がアンバランスで、どうも浮き立つような気分になれない。ただ、着実な成果を挙げている者も多く、舞台としては見せ場も多かった。
 
 第一部は『八陣守護城』から。
 「浪花入江の段」正清を靖太夫、雛絹を希太夫、鞠川を小住太夫、早淵を亘太夫。三味線は錦糸、琴は錦吾。希太夫の語り出しに、大海の広大さ、のどかさが広がる。唄の面白さまであと一歩。
 亘太夫、小住太夫はそれぞれ家来の小者さを描く。靖太夫は健闘しているが、正清の詞が一本調子でまだ肚が見えないところがある。大笑いもまだそこまでの盛り上がりを描き切れていない。錦糸は若手をリードして余りあり、錦吾の琴が明晰で美しい。

 「主計之介早討の段」咲甫太夫、清友。大阪では咲甫太夫としての最後の舞台を見事に勤めた。最初は声色のように聞こえたが、日を追うごとに落ち着きを増し、腰元、葉末、鞠川、大内、灘右衛門、主計之介のそれぞれの性根を届かせ、奥に向けて期待させるものを残した。清友の誠実なサポートを得て、より大きな浄瑠璃の可能性を示した。

 「正清本城の段」呂太夫、清介。様々な仕掛けを大団円に導くための変化と内容が多く、難度の高い一段。まず「行く先は」から思惟と運命の重さが近づいてくる。雛絹と主計之介の清らかさと、二人の微妙なすれ違い。鞠川との対決、「わが存命を物語れ」の底強さ。
 さらに主計之介を送りだすところで「例へいかなる変ありとも…」で正清の本性を見せ、この物語の骨格を確と伝える。後半は雛絹の自害、母柵の嘆き、灘右衛門再登場からの大団円に向けて一気に進めていく。この1時間あまりの充実の語りと、それを支えた清介の実力は特筆すべきであろう。
 人形では、玉男の正清が堂々たる風格と超人的な強さと格を示し、翳りのない英雄像を描いた。雛絹の一輔は品位あり美しい娘首がうつる。舅が忍びを一刀のもとに切り捨てるのに顔色も変えぬ性根の強さも。幸助の主計之介は凛々しく、17歳の爽やかさを遣う。勘弥の妻葉末は武家の奥方の品位を出したがやや性根が弱く感じた。
 勘壽の柵は夫と娘を亡くした嘆きの存在感が素晴らしい。玉志の大内義弘は、品ある知恵者、玉也の灘右衛門実は児嶋元兵衛政次は豪胆さがユーモラスに見える。

 『鑓の権三重帷子』なぜ、近松作品でも、改作のこの作品が選ばれるのかわからない。「大経師」や「堀川波鼓」など、伝えるべき作品は他にもあろうに、なぜこれだけが頻繁に取り上げられるのかが判然としない。
 「浜の宮馬場の段」権三を始太夫、骨格のしっかりした語り。伴之丞を芳穂太夫、敵役の滑稽さ。お雪を咲寿太夫、声が安定し詞と地の区別がよい。乳母を南都太夫、お主大事ゆえの手柄顔が見えた。
 忠太兵衛を津國太夫、融通きかぬ堅物のよう。三味線は喜一朗、音が粒だって力強く、一場のメリハリをつける。
 紋臣のお雪が、可愛いというだけでなく、恋には意地を見せる、若い女性の二面性を描いた。乳母の清五郎はお主大事で自分がお雪の婿を結び付けたいという意識が目につく。
 川側伴之丞の玉輝、悪の軽薄さと狡猾さ、玉佳の岩木忠太兵衛、善良なる父、茶道の奥儀伝授が娘を追い詰める皮肉。

 「浅香市之進留守宅の段」津駒太夫、寛治、琴燕二郎。
 おさゐの人となりが見える。誇りと美意識、自己意識の強さ。娘への愛ゆえに権三を婿にと望むが、それも自己愛のように思える。しかし悪いことに、彼女はそういう自分を自覚していない。下女たちはそれを理解して女主人の意に逆らわぬようにしているのに無頓着であるようだ。
 津駒太夫の語りは、そうした女の目に見えない鞘当、ねっとりとした情感が透けて見えるようだ。それにしてもそうした女ごころの複雑さを伝えてなお品格を保つ寛治の糸の際立つこと。燕二郎は衒いなく誠実な琴。
 
 「数寄屋の段」咲太夫、燕三。
 人を忍ぶ夜、離れ座敷に夫でもない男と2人きり。茶道の伝授とはいえ、そこにある密かな情熱、それが二人の運命を狂わせる。
 あたかも自分の夫であるかのような嫉妬をみせるおさゐ、男の帯を取り上げるという異常さ、それを伴之丞に見られるという不覚。人は時に狂気に陥る。理性で分かっていても、魔に捕われたような取り返しのつかない事態に陥った、その口惜しさが圧倒的に迫る、咲太夫の熟練の業、燕三の「魔」に通じる「間」。

 「伏見京橋妻敵討の段」おさゐを呂勢太夫、権三を睦太夫、市之進を小住太夫、甚平を碩太夫、踊り子を咲寿太夫。三味線は清治、清馗、寛太郎、清公、清允。
 呂勢太夫はやはり分裂したこの女の最後の情念を、睦太夫は無念なままの最期を迎えざるをえないこの男の無念を響かせた。咲寿太夫が高音をのびやかに届かせ、最後まで衰えなかったのは頼もしい。
 小住太夫、碩太夫は相応に聞かせる。清治の三味線はけだるさと哀切さの両極の風情を描き出す。
 和生のおさゐは感情のままに揺れ動く役という把握だが、それ以上に自己愛の強さを感じさせた。勘十郎の権三は、才気はあっても脇の甘い野心家、望まずして不義となった無念、それでも男の一分を立てようとする意地、最後におさゐと重なって倒れるのは、この男のやさしさの故か。

 第二部は『心中宵庚申』「上田村の段」文字久太夫、藤蔵。文字久太夫は前半、まだ音域が狭く苦しそうだったが、後半自分のものとしていったようだ。
 お千代の嘆き、姉の詞、金蔵の嫌味、父の慰め、この前半部のやり取りが胸に迫る。半兵衛の登場からは、この男の鈍さも含め、性根の描き方がより明確になる。藤蔵はこの変化を微妙な糸で聞かせる。「灰になっても、帰るな」の一言が一層突き刺さる。 

 「八百屋の段」千歳太夫、富助
 千歳太夫は婆の造形が面白い。なぜお千代を去らせたかが見えてくる。思い通りにならない苛立ちが伝わってくる。そして半兵衛に対しても優位な立場で迫っている。板挟みの半兵衛の苦衷がよくわかる。
 もしかしたら、この主人も婆から逃げているのかもしれないと想像できる。しかし半兵衛は、いつ心中を決意したのだろう。ただその決意の重さだけが迫ってくる。出ていく二人の「羊の歩み」まで、情のこもった語りであった。富助は全体を引き締めつつ、お千代の哀しみに寄り添うような三味線だった。

 「心中思ひの短夜」三輪太夫、睦太夫、靖太夫、文字栄太夫、團七、團吾、友之助、錦吾、燕二郎。三輪太夫のお千代の哀切さ、睦太夫の半兵衛の理を通す堅苦しさ、お千代が腹の子を思う切なさ、あまりに救いのない終わり方に、團七らの糸も忠実に描いた。
 これから生きようとする者たちと、死に向かう者たちの命の対比。
 勘十郎のお千代、運命に流されるようなこの女の頼りなさ、ある意味での主体性のなさ。泣きはらした目が見えるよう。姉の言葉の一つ一つが突き刺さるような表情の変化まで、丁寧に遣った。
 簑助のおかる、この師弟の二人いる舞台の何とも言えない存在感。勘市の金蔵、こうした憎まれ役も確かに遣う。和生の島田平右衛門、娘への愛、自身の誇り、それがまた娘を追い詰めることとなる。
 玉男の半兵衛、元武士の性根が明確。そしてありのままの自分をどこででも受け入れられない苦しみが、義母にも逆らえず舅にも自己主張できず、結局自分とお千代に向かって心中するしかない不器用な男。
 簑二郎の婆は悪くなりきれないところが愛嬌か。簑一郎の伊右衛門は好人物だが印象が弱い。亀次の西念坊は遠慮のなさが明確。紋吉の丁稚は呼吸がよい。簑太郎の下女さんはぼんやりの性格がよく出た。玉翔の甥太兵衛は生意気そうで、仕事には心が向かない風に見えた。

 『紅葉狩』呂勢太夫、芳穂太夫、希太夫、亘太夫、碩太夫、宗助、清志郎、清丈、清公、清允。ここは音楽的に、劇的に楽しめた。夕風に琴の音も映えるように。
 文司の惟茂、武家らしい眼遣いと薄紫の狩衣、後シテとの対決など見どころ多い。清十郎の更科姫、前シテの品位とにも拘らず恋に積極的な様、後シテの怪しさとダイナミックさ、この人らしい強さと美しさを備えた舞台。腰元は紋秀、玉誉。さすがに安心できる動き。山神は紋臣。リズミカルに踏む足拍子、きびきびした動きが印象的。

 こうした演者の努力にもかかわらず、今回の集客がもう一つであったのは、第一に番組の魅力の乏しさがあるだろう。暗い内容の演目が多いだけでなく、景事が昼夜で3つもあること、特に夜は「心中思ひの短夜」と『紅葉狩』が続いていること。
 また、琴が3度も出てくるなど趣向が偏っていること。さらに少なくとも配役を考える際、「極めつけ」と「適役」と「やや挑戦」とを組み合わせながら、一人ひとりの技芸の向上をはかるために適切な狂言立てであろうか。
 なぜ、11月という時期に、本格的な全通しまたはせめて半通しでの上演をしないのだろうか。技芸の伝承という点で、あまりに心細い状況が続いている。次の四月を期待したい。

カウント数(掲載、カウント17/10/31より)