春の嵐――平成29年4月公演初日 六世豊竹呂太夫襲名

森田美芽

 花に嵐。されど嵐に負けない花の勢い。平成29年春は英太夫の六世豊竹呂太夫襲名で幕が開く。新調ののぼりがはためき、劇場全体が明るい雰囲気に包まれる。
 50年に亘る修行の日々、それをまた新たな出発という、この記念すべき公演の初日の賑わいに与った者の一人として、初日の所見を簡単にまとめておきたい

 一部の幕開きは、三輪太夫・津国太夫、清馗・龍爾らによる「寿柱立万歳」。三輪太夫の清やかな一声、津国太夫の剽軽さ、清輝の切れ味、衒いなく軽やかに遣って見せる、紋臣と清五郎。
 「菅原」三段目は若手の太夫にとっての大きな挑戦となった。「茶筅酒」を芳穂太夫、「喧嘩」を咲寿太夫、「訴訟」を靖太夫。いずれも良き三味線の導きを得て精一杯の努力の跡を見せるが、特に男の詞の音使いが課題と思われた。

 文字久太夫、藤蔵の「桜丸切腹」。簔助の桜丸に極まる。菅丞相の流刑の原因となった自らの咎のゆえに、切腹する覚悟の透明な清々しさ。天命を知り、諦めて息子を送る父。
 なぜかこの段は、茶筅酒ののどかな春の日差しの中に、すでにこの家族に迫っている崩壊の悲劇の影が差しこんでいるように思われた。

 休憩と国立劇場の表彰を挟み、口上。先代とのかかわりの深い咲大夫、清治の洒脱な口上に対し、同じ時代を共に労苦してきた勘十郎は、まさに共にこれからを見据えている。

 寺入りを呂勢太夫、清治。よだれくりの笑いと、後ろ髪を引かれる千代の対比。これからに垂れ込める不安が舞台を包む。

 いよいよ「寺子屋 前」。盆が回って「呂太夫」「ご両人」と声がいくつもかかる。緊張の中にも、すぐにその物語の中に引きこまれる。
 源蔵の暗鬱、戸浪との深い絆、共犯者であること、たたみかけるように春藤玄蕃が到着し、松王の出となる。この大きさこそ玉男の真骨頂と思わせる、前段とは全く異なる格を見せる。
 この、一つ一つ源蔵夫婦を怒らせ、追い詰め、ついに菅秀才の首を差し出させる。
 ここで呂太夫は強くは叫ばず、むしろ松王の狡猾さを印象づける。寺子たちを退場させ、ついに夫婦は逃げ隠れもできない状況で、他者の子を身代わりにし、その嘘をもって松王に対抗する、その息詰まる呼吸、源蔵と戸浪の迫力、それがあればこそ、松王の首実検は本物となる。

 しかし、首の落ちる音に一瞬苦痛の表情を見せ、すぐまた戻る玉男の松王の潔さ。
 「ためつすがめつ」から「菅秀才の首打ったは、まがいなし、相違なし」の緊張感がたまらない。わずかに顔を曇らせ、退出する松王、呆けたように見送る源蔵夫婦、これが終わりでないことは誰にでもわかる。しかしその後は、唯一の切語りである咲太夫に委ねられる。

 後半は勘十郎の千代の哀れさ、わが子を犠牲にした悲しみは周囲への配慮どころではないといった風に。最も印象的だったのは、「にっこりと笑って」死んだ息子を聞いた時の泣き笑い。笑いにならない笑い。
 息子を誇らしく思うより、父としてのほとばしる心情を垣間見せた。それは前段の白太夫の嘆きと重なり、胸にあふれた。

 この初日の感動は、さらに深まるのか、あるいは、まったく違った世界が見えるのだろうか。呂太夫の新しい歩みは、始まったばかりだ。それを、見守っていきたいと思う。
 

カウント数(掲載、カウント17/04/24より)