春を呼ぶ「翁」――赤坂サカス文楽

森田 美芽

 赤坂サカス文楽。能と文楽のコラボレーションと言っていいのだろうか。主体は文楽であろうか。しかし文楽を見る、能を見る、というよりも、それらが一つの場で演じられることで、揺るぎない二つの芸能の性格が明らかになり、両方を楽しむというよりも、その時その場でしか起こりえない清浄さに打たれた。
 観世清和氏は、700年に及ぶ能の歴史と格式、最大流派である観世流の総帥としての立場、「翁」に求められる神事としての格を超えて、新たな「能」の場所と意味へと一歩を踏み出したといえる。とかくこれまで通り、慣例を破ることがないようにということばかり強調されがちな中で、「翁」としての格を保ちつつ、能楽堂を出てもそれは、われわれの世界が伝えてきた、人が神になる、神をまとうというその意味を演じ、寿ぎ、祝福となることを見せた。

 厳密な型と品格、その肩にも袖にも、積み重ねられてきた、「私ならず」の歴史がある。その意味で、観世清和氏でなければ、ならなかった、勇気ある挑戦であり、能が現代社会の繁華の地で命を得るとの証しである。
 それは、春を呼ぶ祝祭であるように見えた。
 そして、若々しい舞の袖翻す千歳は、終始ワキの座で礼の姿勢のまま動かない。その対比が清々しく美しい。
 三番叟。能の翁の三番叟を、狂言ではなく文楽の人形が務める。生身の人間が背後に退き、木偶である人形自身が、何かの命を得て、自らの意思を持つように。
 清五郎の検非違使と清十郎の又平、実直と愛嬌、人形を遣ううまさというなら、清十郎が勝る。しかしここでは、前の「翁」からの流れであろうか、人形の中に、何とも言えない清しさを感じた。人形に集中し、自らを見せるという思いから解放されたように。
 ある意味、ここでは個人の名を離れ、「能」と「文楽」に集約される、そのものの持つ芸の力だけがむき出しになる。その清々しさが、自然と客席に降り立ち、狭い通路で客の目の前で演じるという時にさえ感じられ、自然な拍手、手拍子になっていく。常より多い19杯の繰り返しも、少しも長く感じられなかった。清介と清丈、清公の、出すぎることなく衒いもなく、気づけば呼吸するように自然な緩急。希大夫と亘大夫の揃った一声。「これ式三の故実にて三日これを舞うとかや」と「翁」の存在を受ける英大夫。しかし全体としてなら観世清和氏の「翁」が舞台と空間を清め、その格が隅々まで支配することで、文楽の『三番叟』はその祝福を地にもたらすという、これまでにない清冽さに充たされた舞台であった。

 第二部.「壺阪観音霊験記」沢市内から山の段。清十郎のお里の可愛らしさ、針仕事の手つきを覚えているであろう人びとからはそれだけで拍手がわく。沢市の鬱屈。これは現代人が見るまいとして影へ押しやってきたものではないか。障がい、貧困、容貌への劣等感、妻が美しいと聞くにつけ、そのことがますます自分を卑下する方へと追いやる。だが、それこそはつい30年、40年前までの日常的な庶民感覚であり、貧困の中で生きる障がい者の自己意識であったことを忘れてはならない。
 清十郎の遣うお里の明るさは、運命に逆らえないことへの諦めではなく、自分自身そこに生きる意味を見出した者の強さである。玉佳の沢市は、男の鬱屈というよりも、妻への思いやりとそれを伝えきれないもどかしさの、シャイな男の陰りが魅力。英大夫と清介は貧しさの中に寄り添う夫婦の、ほのかな日々の輝きをいとおしむように、二人の葛藤と哀しみを紡ぎ出す。

 おそらく能も文楽も、これまでのようにこれまでの形を守ることの重要性と共に、新しい客層をつかまなければ未来はない、そういう強い危機感と、新しく良いものを見出したい趣味よき人々の感覚とが一致して、この機会が生まれた。それを育てたのは、観世清和氏の勇気と英大夫の英断である。
 能と文楽が出会い、新たな場を作り、出会いを求める人びとの心に春をもたらした。赤坂サカス文楽、また一つ、文楽の可能性が広がった。

カウント数(掲載、カウント15/04/17より)

「春を呼ぶ「翁」――赤坂サカス文楽」への1件のフィードバック

コメントは停止中です。