―「和田合戦女舞鶴・市若初陣の段」―

この演目を、孫にあたる英大夫が素浄瑠璃で演じようとする。それは、単なる懐古趣味でも血脈の故でもない、この浄瑠璃に魅せられたからである、と彼は言う。

…しかしだからこそ、板額の母としての嘆きは深まる。「ほんの、ほんの」の繰り返しの中にこみ上げてくるもの、それは板額自身がその二つの原理に引き裂かれるような嘆きである。甘っちょろい母性愛などというものでなく、彼女自身が武士の論理を生きて、しかも母であるからこその悲劇。母なればこそ、彼女は市若を死に至らしめた…
 
…全体を通じて、劇的な起伏、人物の明確な描かれ方、そして音の高低も含め、華やかで複雑な節のつながり、それらを通して情を描きだすという、英大夫の真骨頂を示す成果であった。

森田美芽

 われわれは、命がけでなければならぬ。しかし、命を捨ててはならぬ。生き長らえ、立ち続けねばならぬ。そうして命がけで守らねばならぬものがある。

 早稲田大学演劇博物館グローバルCOEプログラムによる公開講座「浄瑠璃」で取り上げられたのは、「和田合戦女舞鶴」市若初陣の段。並木宗輔の単独作、鎌倉時代の北条と和田の確執を題材に、巻き込まれた与市・板額夫婦とその子市若の悲劇である。
 この「市若初陣」は十世豊竹若大夫により1965年に上演された後、息子を主君のため身代りに切腹させるという現代人からは違和感のある設定のせいか、その後東京で一度きり、大阪では40年以上に亘り上演されていない演目である。三段目切場としての格、複雑な人物関係、おまけに理不尽とも思える内容、これは難物であろう、と見当はついた。
 この演目を、十世豊竹若大夫の孫にあたる英大夫が素浄瑠璃で演じようとする。それは、単なる懐古趣味でも血脈の故でもない、この浄瑠璃に魅せられたからである、と彼は言う。
 早稲田大学の内山美樹子教授によりこの物語のあらすじや背景が紹介され、何が正しく理解されなかったのか、という問いかけがなされる。

浄瑠璃は英大夫、清友。
 マクラから派手で、複雑な手がついている。その音に導かれるように、市若が11歳の少年でありながら、鎧兜を着し公暁を討ち取るためと登場する。母は兜の忍びの緒がほどけてあるのを見てとり、それが夫の言付けであることを聞く。忍びの緒が切れたのが凶兆として見える。母の顔色がはっと変わり、市若は自分が討ち死にするのではという暗示に囚われる。この母と子のやりとりは、母板額との再会での情の細やかさ、少年のいたいけさがじっくりと聴かされる。
 夜更け、尼君が、なぜ公暁丸を渡さぬかと板額に迫られ、実は公暁丸が先将軍頼家の一子であり、自分にとってただ一人血を分けた孫であり跡取りであることを告げる。そこで板額は夫の真意に気づく。しかしお主である尼君に「助けてたも板額」と泣いて頼まれては、板額はなすすべもない。夫の真意は妻の手によって市若を死なせ、公暁丸の身代りに立てよということだ。
 なんという残酷な仕打ち、その嘆き、『花々しきを見るにつけ』のあとの一撥、二撥の響くこと。そして夫は塀の外ですべてを聞いている。見えない眼差しが妻の嘆きを見ている。

 しかしここで板額の驚くべきは、11歳の息子に対し武士としての自覚を訪ねるところ。
 『涙を忠義に思ひかへ』この一言はそれほど重々しくは語られない。しかしこれが板額の性根を一言で物語る。もし自分が公暁なら、という問いかけ、もし市若が怖いとでも言おうものなら、彼女はむしろ息子を叱咤したかもしれない。
 だが、自分なら潔く腹を切る、という息子に、「アノ腹をや、腹を」と、念を押すように語る。その中に板額の決意が次第に固まっていくのが見える。それにしてもこの夫、塀の外で「我は忠義の男気も、まさかの時は得討つまい。強い女じや討つそふな」とはなんと無責任な、なんと妻を頼り、自分は手を汚すまいとすることか、とさえ思われる。

 そして板額の意を決した一人芝居、息子に聞かせ自刃させるための、なんという、痛ましい芝居。足音、大声でのないしょ話、不自然にさえ思える設定が、板額の母としての思いの切なさ。市若はそれを信じ、先ほどの言葉通り自らを恥じて自刃する。母はそれを見届けて「でかした」と駆け寄るが、なおもいたいけな息子の言葉に、張り裂く思いで「ほんの、ほんの、ほんの、ほんの、ほん本の子じやわいな」と息子に伝える。主君の身代りで、手柄であると。「ほんの」の激しさはまさにこの板額の母たる嘆き、英大夫の迫力に、期せずして聴衆から拍手が湧き上がった。
 そして尼君は自らの子ゆえの闇を悔い、公暁丸を再び出家させ、夫荏柄の悪事を悔いて自害しようとする綱手は夫を探す旅に出、板額は我が子の首を切って夫に式法通り渡す。
 
 この浄瑠璃は、いわば、最初からトップスピードで最後まで息を入れるところがない、体力的にも技術的にも難しく、動きが多いのは板額だが、夫与市や尼君、綱手の眼差しが絶えず意識されねばならない。複雑な人物関係とそれぞれの思いが、人形による視覚化なしに言葉の中に表現されなければならない。
 市若は幼さを残すものの、すでに武士の誇りを身につけている。だからこそ板額が、嘆きながらも武士の一分を立てさせる、いわば母としての私情を殺し忠義のために我が子を死なせるのである。それは現代人のわれわれからは、なんという封建的なという発想になりがちである。
 しかし英大夫の語りからは、それが単なる犠牲ではなく、将軍の子の身代りという名誉であるというかつての世の論理が、命の長さでなく後に残るものをより重んじた世の行動基準というものが自然と見えてくる。だからこそ板額は我が子を不名誉の生よりは名誉の死に向かわせる。
 しかしだからこそ、板額の母としての嘆きは深まる。「ほんの、ほんの」の繰り返しの中にこみ上げてくるもの、それは板額自身がその二つの原理に引き裂かれるような嘆きである。それこそを残酷というのだ。甘っちょろい母性愛などというものでなく、彼女自身が武士の論理を生きて、しかも母であるからこその悲劇。母なればこそ、彼女は市若を死に至らしめた、この矛盾と言えば矛盾を人間の真実として感じる者だけが、この浄瑠璃を正しく理解したというのだろう。
 
 全体を通じて、劇的な起伏、人物の明確な描かれ方、そして音の高低も含め、華やかで複雑な節のつながり、それらを通して情を描きだすという、英大夫の真骨頂を示す成果であった。
 そして清友の三味線の深さ。沁みとおるような音、激しく嘆く音、声も立てず泣く音、その色分けをすべて、息もつかせぬ迫力の元に、完璧に英大夫を助け、そしてその浄瑠璃を完成させた。早稲田大学演劇学博物館COEプログラムのスタッフ、その中心となった内山美樹子教授の見識により、この歴史的な奏演が実現されたことは特筆に値する。そしてこうした歴史的な機会に立ち会ったすべての人々こそ幸運を共にしたというべきであろう。
 われわれは、残すべきものを残さねばならぬ。その意義を見出し、その機会を作り出したすべての方々に心よりの感謝を捧げたい

カウント数(掲載、カウント09/10/03より)