浄瑠璃の、いのち -2007年文楽素浄瑠璃の会-

森田 美芽

 国立文楽劇場は、普段珍しい補助席まで満杯だった。無理もない、現在の最高峰である住大夫、錦糸の「酒屋」、伸び盛りの英大夫にベテランの団七による「尼が崎」、油の乗り切った咲大夫、燕三の「油店」、時代と世話の聴き所を楽しめるのだから。
 だが、素浄瑠璃は恐ろしい。文楽のドラマとしての本質を、大夫一人、三味線一挺で表現し、掛け値なしに迫ってくる。聴く側も、真剣に自分自身の力と対峙せねばならない。素浄瑠璃は異常な集中力を必要とする。普段なら人形に目を奪われる神経が、音の運び、三味線の手、その見えない力を受け止めるために総動員される。聴き終わったとき、思わずぐったりとしてしまった。それだけのものを、当代きっての三組に目の前で迫られたのだ。

 まず、英大夫と団七の「絵本太功記十段目」の「尼が崎の段」。
 英大夫は前半抑え気味で、低い音域ではあるが、確かな手ごたえ。
 十次郎の覚悟と初菊のけなげさ、全体を通して一貫した婆の皐月の気丈と品格、その中に溢れる孫への思いが印象的。操はしどころは少ないが、母・妻・嫁の間の複雑な思いの交錯、久吉は前半の僧形のときもその底強さを感じさせ、眼目の光秀は、男としての大きさと父の嘆き、大落としの見事さ、声が底から十分に出て、しかも耳障りなところが全くない。
 何度も何度も場面の性根が変わり、そのたびに人物の絞り出すような本音と表の葛藤を十分に描いて、なお止まる事がない。久吉が登場してからの段切れまでを一気に押し切った。物語としての主題、個々の人物の性根とその解釈が一貫した集中力と理解に支えられており、浄瑠璃としての構成力の確かさが明確に伝わってきた一段であった。全体としていうなら、ここ数年の英大夫の課題であった、時代物の切場での「男」のスケールと苦悩を、安定した声で一段語りきるということに応えた浄瑠璃であったといえよう。
 特筆すべきは団七の三味線。繊細な美音、人物と場の弾き分けや模様、あしらいの柔らかさ、細やかさを知っていたが、やはりこの人の音には奥がある。タタキの激しさにも圧倒されたが、終始一貫して物語の底にあるものを段切れまで十全に運び、大夫に十分語らせ、しかも妥協ない響きで圧倒する。いまさらながらこの人のもつ音の底力に魅せられた。

 住大夫、錦糸の「艶容女舞衣」の「酒屋の段」。
 住大夫であれば、美声のさわりより親の情で描くはずの「酒屋」。その予想通り、まず宗岸の詞で、次に半兵衛の詞で、手紙を読むお園で泣かされる。そして半兵衛の咳。いたわる女房とお園の手が見えるほどの。
 だが住大夫の業は、出番の少ない半兵衛女房や半七の思い、思わず乳房を押える三勝の母としての葛藤にもうかがわれる。良いところで泣かせるよりも、そうした年老いて子を失う夫婦の嘆き、子を置いて心中に向わざるを得ない若夫婦の思いが伝わってくるところにあるのではないだろうか。
 錦糸は繊細美麗な音が一層さえ、お園の愛らしさ、けなげさを親たちの情を背景として見事に描いた。この人の間、住大夫のコンマ一秒に合わせる一撥は絶妙である。なお、手紙のくだりで高音と合わせる箇所も、よく合ってはんなりと聞かせた。高音は龍爾が音のセンスの良さと呼吸のよさを感じさせた。

 咲大夫、燕三の「染模様妹背門松」の「油店の段」。あまり本公演でかからない一段で、私も1984年11月に文楽劇場で一度見ただけである。その時は現・綱大夫と先代燕三であった。登場人物が多く、しかも詞が多いので、大夫の力量が試される一段であると記憶している。
 咲大夫はこうした詞の変化、人物の語り分けを聴く人に全く混乱させない。お染は愛らしい娘かしら、久松はたよりないがもてる若男、山家屋清兵衛は分別あり男気ある大人の検非違使、源右衛門は憎らしげな陀羅助、善六はチャリ、その表情が、性根が、かしらが浮かんでくる。詞の運びの的確さ、口捌き、口跡、そして大阪弁の世界の見事さ。瓦屋橋、生玉といった地名の親しさ、一方で「インターネット」「高島屋、大丸」といった入れ事の楽しさ、わけでも善六の描き方の楽しさと清兵衛の男気の対比。また恋文、烏賊墨で書いた証文、定家の色紙といった、次々変わる小道具の使い方。人形芝居の楽しさを堪能させてくれるが、一方でやりすぎるとあざとい趣向をうまくさばく。咲大夫の芸域の広さと底力を見せてくれた。
 燕三はこうした詞の間を大切に、邪魔にならぬよう、しかし入るべきタイミングは誤らない。大夫に十分語らせ、息を引かせ、場と人の変わり目を的確に前に出す。堪える部分も多かったと推察するが、それを見せないで舞台を支えきるところが頼もしい。

 三組それぞれの充実、いまここでしか聞けない音、それを思った。英大夫は、この「尼が崎」が将来の切語りとしての試金石であり、その気迫が十分に伝わってきた。咲大夫は、彼ならではの大阪の語りとしての浄瑠璃の世界を完成させるべき時に来ている。
 そして住大夫は、おそらく一世一代の覚悟をもって臨んだのではないかと思われた。情を語るその真髄を、平成の世ですでに20年近く、切語り、そして事実上の紋下として語ってきた彼が、その集大成として語るべく、この舞台に賭けたのではないかと。そしてそれぞれの大夫としての人生の、その時の課題を引き受け、乗り越えていこうとする姿勢が、極限までの集中を生み、それを聴く者すべてが共有できた、稀に見る機会であったと思う。
 浄瑠璃のいのち、それは語る大夫の命のうちにあり、彼等の魂を生かし、かつ私たちをも生かすものであろう。その時間を共にし、そのいのちに触れられたことを、感謝と共に書き残しておきたい。

カウント数(掲載、カウント07/7/8より)