昨日の続き「会場一体」

(昨日の続き)
「一人芝居」は市若の死は不可避と覚悟を決めた板額が身を切る様な辛さの中の必死の行動であり愛息の死を「犬死」で終わらせない為の苦渋・苦慮の末の「行為」というのが抵抗なく素直に伝わってきました。

「ほんの~ほんの~~ほんの子」と死に行く市若に真実を告げる板額の感情のほとばしりに涙しつつごく自然に拍手していました。

現代人からみるとこの様な悲劇的で残酷かつ不条理とも思える作品は 納得しがたい箇所があるのも事実です。
が演者の作品への理解度・洞察力・芸の力で観客は納得させられてしまう場合があります。
今回がそうでした。
内山先生はレクチャーの中で母・板額は「息子の顔を立てる方法選んだ」「それが一人芝居だ」という英さんのコメントを紹介しましたが本質を的確に言い表していると思います。

三味線の手が華やか、かつ派手。
ヲクリが弾き終わるや否や直ぐに華やかな節が奏でられる箇所が数箇所ありました。
例えば冒頭の市若が鎧兜姿で登場する場面など。

また、女武道の典型である板額が情愛・知力・かつ胆力を備えている女性として魅力的に描かれていて同性としては嬉しかったです。
浄瑠璃好き・浄瑠璃を聴き込んでおいでの皆様が参集された様で舞台・会場一体となって盛り上がった素晴らしい公演でした。