「魂魄(コンパク)この土(ド)にとどまって…」

「義太夫と落語の会」@御霊神社。
東京と違い、本日は「勘平腹切」一本。
「勘平」に集中してみて、気がついた。
この作品は若手公演を含め既に3公演(30回以上)語らせてもらってるのだが、今日の朝の本読みで見えてきたことがある。
この段の主役は勘平だ!ということ。
これ単純なことだが、意外と盲点である。
前半のババ(婆)の激しい口調や郷右衛門の重厚なセリフにどうしても気がいくが、この作品の真骨頂は勘平の最期のことばにある。
「仏果(ブッカ)とは汚(ケガ)らわし、死なぬ死なぬ。
魂魄(コンパク)この土(ド)にとどまって、仇討(カタキウチ)ちの御伴(オントモ)する…」。
郷右衛門が勘平の昇天へのはなむけに「仏果を得よ」と励まし、大団円に終わろうするその瞬間、勘平は「仏果とは汚らわし」と、生への激しい執着をみせる。
仏果とは汚らわし、て、当時としてはたいへん物議をかもす発言だ。
敢えて勘平にそれを語らせる作者はたいしたもんだ。
打ち上げの席でこのことを小佐田定雄先生に話したら至極共鳴してくださいました。
先生、これはまさに、イエスキリストの十字架上での叫び「エリエリラマ・サバクタニ!」(我が神我が神、何ぞ我を見捨て給う)に重なってきまんなあ!と僕が言ったら、さすが関学出身の知恵袋、「そうです!そうでんなあ!」と同意され、思わず堅い握手を交わしました。