MFさんより

私は文楽ではほとんど泣いた事はありません。
唯一の例外が、英大夫さんが02年に語られた寺子屋(後)でした。
今公演は、その英大夫さんが寺子屋の段をお一人で語られるというので本当に楽しみにしていました。

私がなぜ02年の公演だけ例外的に涙が出たのかについてですが…その時の涙は、松王丸の諦めに近い弟桜丸への慈愛によるものでした。
事件の発端を作ったのは桜丸で、息子の命を失う原因も、もちろん桜丸にあった訳です。
松王丸にとっては、桜丸を責める心情は当然あったであろうに…
松王丸の泣き笑いから
   思ひ出すは桜丸、ご恩も送らず先立ちし、
   さぞや草葉の陰よりもうらやましかろ、けなりかろ。

   倅がことを思ふに付け、思ひ出さるゝ/\
弟と息子に対する複雑な心境を、英大夫さんが慈愛のこもった泣き笑いを軽やかに語られ、涙が止まりませんでした。

そして、今回はどうかと言いますと…実はこの部分の泣き笑い、時代物としての格式が感じられる力強いものでした。
私は前回の様に泣きはしませんでしたが、しかし、これはこれで納得する素晴らしいものだと思いました。

というのも、02年の公演は通しで行なわれ 、松王丸、梅王丸、桜丸の三兄弟の関係が充分に描かれているのに対し、今回の様に寺入・寺小屋の見取では、その辺りの感情を観客が読み取るのは難しい事だからです。
逆に、時代物としての格式がしっかりと表される事で、本来語られていない物語の大きさが表現された様に感じられます。
上演形式によって作品解釈が変わっても面白いのはないか…と以前から思う事があるのですが、同じ方の語りでも作品の印象が変わるという事も含め、今回は新たな発見がありました。