MF様からの感想

以下、僕にとり記念碑的な感想文だと思いご本人の許可をとり、掲載させていただきました。
→   『奥州安達原』「環の宮明御殿の段 後」で豊竹英大夫さんの語りを拝聴して、目から鱗が落ちた様な気持がしました。
幕切れ直前、それまでは迫力ある武士同士のやり取りが続いた直後、いきなり様式的な音楽展開になり、人形も見栄を切るなどやはり様式的表現になります。
それまでの武士同士の迫力あるやりとりから考えれば、突然明るく軽やかな音楽に変わると言って良いでしょう。
今までも何度となくこの様な場面を拝見してきましたが、歌舞伎の真似の様でもあり、幕切れの拍手をもらうだけの様な…、それまで語られて来た物語の緊張感が途切れる印象を受けることが多かったのです。
ところが、実は、これが本当に本当に素晴らしかったのです。
何とも表現し難いのですが、 この音楽としての様式があるからこそ文楽なのだ、と思えました。
一種のカタルシスを得たと言って良いでしょう。
今まで拝見していても、ここまで素晴らしい幕切れの音楽(あえてそう書きますが)を表現されていた方は、いらっしゃらなかったのではないでしょうか。
もちろん、全体的にすばらしい御熱演です。
ですがそれだけでなく、緩急様々に表情を変えていく語りの表現の中で、本当に最後の最後まで全く途切れない「芯」の様なものを感じるのです。
エンディングの形式として軽く抜けてしまわず、かと言って、武士同士の猛々しいやりとりのまま押し切る単純なものでもなく…本当に言葉では言い様がありません。
文楽の演目は、一方でゾッとする程リアルな心理描写を行なうかと思えば、切羽詰まった斬り合いの場面ですら、細棹三味線の美しいメリヤス音楽で彩られる場合もあります。
人形と人の声、感情的な台詞部分と音楽的表現部分、様々な要素が、常に隣り合わせに時には混じりながら現れてきます。
今回、英大夫さんが舞台でご使用になった見台は、昨年亡くなられた貴大夫さんの形見との事で、波濤図が美しく描かれていました。
激しい波が岩場にぶつかり、大きなうねりに飛沫立つ様が実に臨場感溢れる表現となっています。
けれども、両脇の房を留める金具は、可愛らしく図様化された千鳥。
そうです。
リアルな激しい表現と様式化された美しい表現。
これらが同時に存在する感性こそが、義太夫節なのではないでしょうか。
(というか、私はそう思っています)