やはり、週の始めに神様に向かい、静まり、規律をただすっちゅうのはええことです。
気持ちがすっとします。
メッセージの間少し、ウトウトしましたが。
それも極楽。
みずから時間を捧げる。
ええことだっせ。
清濁、善悪合わせ持って歩まんことには精神のバランスがとれまへん。
神様が嫌悪するのは、ワシは善人やと思っている人。
ようけ寄付したとか、ようけの人に布教し導いたと思って内心得意になっている人。
ワシはアカン、最低の人間や、神様スンマヘン、ちゅう人が一番神様に好かれる人です。
聖書にも書いてあります。
スタンドプレイで100万円賽銭を投げ込んだ金持ちより、全財産の1万円をひっそり捧げた老婆の方を神は喜ぶと。
親鸞もゆうてます。
『善人なおもて往生をとぐ。
いわんや悪人をや』と。
しかし、いちばんアカンのは、絶望のあまり『神なんかどうでもいい』と自暴自棄になることです。
神様スンマヘンと悔やみつつも、常に常に《良心》に照らし合わせて真面目に歩みたいもんでんなあ。